第9話 追放されてあげます

 しかし、ハーディスに突き付けられたのは婚約解消の現実だけではなかった。


「これにもサインをしろ、ハーディス」


 父、ジェネットに手渡されたのは縁を切るという誓約書類だった。

 流石にこれには驚いた。


 ノバンとの婚約を解消すれば、自分がどこかの貴族に嫁がされると思っていた。


 しかし、父はハーディスをこの家から追い出して一切の関係を断とうとしている。


 嫁がせなければ持参金も用意しなくて済みますし、花嫁道具も買わずに済みますものね。


 ハーディスの為にはそのお金も惜しいらしい。


「本気でおっしゃっているのですね」


 ハーディスは真っすぐに父親の目を見て訊ねた。


「勿論だ。婚約者がいながら余所の男と密会するようなふしだらな女は娘じゃない!」


 婚約者の妹と事あるごとに密会している男とその娘は家族なのですね。


「婚約者がいるのに姉の婚約者と朝帰りする娘は許せるのですね? 婚約者の妹に手を出して高価な贈物とする男も許せると?」


 怒り狂うジェネットにハーディスは反論してみる。


「何を言っているんだ? ノバンは家族同然。婚約者の妹に些細な贈物なんて普通だ」


 無駄ですわね。

 お話が通じませんもの。


 家族になる相手だから二人っきりで夜を過ごしても良いなんてことは決してない。


 重ねて言うが、ハーディスの為に選んでくれたものなど一つもなかった。

 家門のため、母が残したこの家のために今まで尽くしてきた自分が虚しく思える。


 ジェネットが部屋にやって来た時、もしかして自分とノバンの間を取り持ってくれるのではないかとほんの僅かでも期待した自分が馬鹿みたいだ。


 貴族間の婚姻は家門の約束事だ。


 ノバンがあの書類を用意できたのは父の同意があったからこそに違いないですものね。


 そう思うと今まで我慢してきた自分が馬鹿みたいだ。


 最初から私を追い出す機会を狙っていたのですね。


 ハーディスは書類に自分の名前を書き記す。

 すると名前が発行し、ハーディス・ファンコットの名前だけが家族の中から切り離され、書類は消えて姿を消した。


 これで一族とハーディスは切り離された。


「さっさとこの屋敷から出ていけ」


 頭の上から降ってくるのは父の冷たい声だ。

 ジェネットはすぐさま踵を返す。


「えぇ。荷物をまとめます。持って行かないものは処分していってもよろしいですか?」


「好きにしろ」


 ジェネットはハーディスを一瞥してそそくさと部屋を出て行った。







「お待ち下さい、お嬢様! 何かの間違いです!」


「間違いじゃないわ、ソマリ。まさか私の方が先に出て行くことになるとは思わなかったれど」


 大きめの鞄に必要な物だけを詰め込み、手早く準備を終えた。

 元々、物は多くないので整理はすぐに完了してしまう。


「お嬢様、でしたら私も連れて行って下さいまし!」


 泣いて縋るソマリをハーディスは抱き締める。


「ありがとう、ソマリ。気持ちはとても嬉しいわ。でも、私の人生の波に貴女を巻き込みたくはないのよ。どうか、無事に退職して家族とゆっくり過ごして頂戴。今まで本当にありがとう」


 ハーディスは名残惜しくもソマリから身体を離す。


「手紙を書くわ。元気でいてね」


 ボロボロと泣くソマリは俯いてしまう。


 これで良いのよ。


「さぁ、行きましょうか」


 一つの大きな旅行鞄と三匹の愛犬を連れて部屋を出る。


「あぁ、忘れてました」


 ハーディスは先ほどまでいた執務室に立ち寄る。

 そこには誰の姿もない。


「私の物、処分していかなければなりませんね」


 邪魔にされるといけませんし。


 この部屋にある机、椅子、書類、印鑑、それらは全て母から受け継いだハーディスの私物だ。


 父であるジェネットはファンコット家に婿入りしただけで、ハーディスが成人するまでの当主代理に過ぎない。


 それすらも忘れて当主のように振舞っている。


 本来の当主は自分だ。


 だから母の遺言通り、家門のために尽くしてきたが限界だと感じる。


 あの父、妹、そして婚約者、彼らを見ていると今まで必死だった自分が馬鹿みたいだ。


「申し訳ありません、お母様。私、こんな家門の当主なんて御免です」


 ハーディスが手を掲げると強烈な力が加わり、バギバギっと机や椅子に亀裂が入る。


 印鑑は砕け、書類は散り散りになり、跡形もなく消滅する。

 机や椅子などの大きい物はそれが何だか分かるように敢えて形を残した。


『おいおい、そんなもんで良いのかよ』

『もっとやっちゃって良いんじゃない?』

『そうよ! 父親らしいことなんて何一つせず、ずっとハーディをこき使ってきたんだから!』


三匹は破壊作業を肯定し、勢いづけようとしてくる。


『本当に馬鹿な奴らだ』

『本当だよ、ハーディが何者かも知らず』

『ねぇ、どうするハーディ、もう戻らないんでしょう? 燃やしていい?』


 ハーディス本人よりも鬱憤が溜まっているのかもしれない愛犬達は残虐性を秘めた瞳でハーディスにねだる。


「ふふ、みんながそう言ってくれると気持ちが軽いわね」


 今まで溜め込んだものが少しだけ溶けて肩が軽くなった気がする。


 ハーディスの言葉に三匹の身体に変化が起きる。

 むくむくと大きくなり、次第に影は一つに重なった。

 頭が三つで一つの身体を共有する姿は彼らの本来の姿である。


「でも燃やすのは駄目よ。死人が出たら困るもの。それよりもこれからのことを考えましょう」


 ハーディスは弾んだ声で愛犬に言うと再び身体が分かれて三匹の犬に変わった。


『なぁ、ハーディ。お前はもっと自由にして良いんだぜ』

『そうだよ、あんな奴らいくら壊しても足りない』

『そうよ、ハーディ。貴女は天使やそこらの神なんて目じゃないんだから。たかが人間と男を誑かすしか能のない弱小天使なんて壊せばいいのにっ』


 やはりかなり鬱憤を溜め込んでいるようだ。


 過激な発言をする三匹はハーディスの前に跪く。


「駄目よ。私の力はそんなことには使えないわ」


 可愛い愛犬にハーディスは微笑んだ。


 ハーディスもアマーリアと同じ生まれ変わりだ。

 しかし、アマーリアと違って名もない天使ではない。


「破壊と再生、死と生を司る私の力は大きすぎるもの」


 ハーディス・ファンコットは冥府の神、ハデスの転生者なのだ。

 

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