第5話 悪女も出会う

 ゼルディノは全知全能の神、ゼウスの生まれ変わりだ。


 本人曰く、『今の自分は全知全能ではない』と言う。天界で力を持っていたとしてもこの世界に生れ落ちる時は強力な力や能力を欠いて生まれてくる。


 それでも彼の聖力は特別クラスで彼は日頃から自身の力を抑制して生活している。       そうしなければならないほどの力を有しているからだ。

 故に、強力な力を持つ神でも何でもかんでも思い通りになるわけではない。

 彼はこれから思い通りにならない『恋』と言う名の試練に立ち向かって行かなければならない。


 へラードよりも三つ年下のゼノは幼い頃から勉強もスポーツも仕事も聖力なしで何でも完璧にこなす可愛げのない弟のような存在だった。


 しかし唯一、心配だったことが異性との関係だった。


 快活で色事にも強そうなイメージのあるゼウスだが、生まれ変わりのゼノはどちらかと内向的で陰険な性格だ。


 素の状態で話すと愛想も何もないので人前では愛想という名の仮面を被っている。

 愛想がなさすぎると敵を増やしやすいからだ。


 存在感は誰よりもあるのだが人前に出ることを好まず、王宮で行われる舞踏会も滅多に現れない。


 現れても式典の時に遠目で見ることができる程度だ。

 仕事を理由に家臣以外とは極力人との接触を避けている。


 いくら名家の令嬢であっても聖力がなければ妃に選ばれることはないので無理矢理女性を宛がおうとする輩も少ないのがこれ幸い。


 家臣や重要な貴族とだけ言葉を交わせばいつまでも夜会の会場に留まる必要もないのだ。


 そんな恋に悩むゼノの姿を見れるかもしれないと思うと楽しくて仕方がない。


 今度、ノバンの婚約者と妹、ゼノをまとめて招待して食事でもするのはどうだろうか?


 いや、余計なことはしない方が良いだろう。

 ゼノが頼ってきた時に年上らしく、アドバイスが出来るようにしなくては。


 へラードは先輩風を吹かせることができると思うと嬉しさと楽しさでわくわくとした気持ちが止まらなかった。









「少し兄さんと話して来るから、ここで待っていてくれ」

「私も侯爵様とお話したいわ」


 ノバンの言葉にアマーリアは甘い声でねだる。


 以前からそう言っているのに、ノバンは頑なにアマーリアを兄に合わせようとしないのだ。


「そのうち会わせるよ」


 その意図もアマーリアには分かっていた。

 自分の兄がアマーリアを気に入ると困るからだ。


 アマーリアとしては侯爵には大して興味はない。聖力の強いへラードが自分を選べないことが分かっているからだ。しかし、もし気に入ってくれたなら支援者の一人として優遇してあげても良いとは思っている。ノバンも綺麗な顔立ちだし、遠くから見ても兄のへラードはもっと華のある人だ。


 隣を歩かせるには調度良い。


「分かったわ。待ってるから早く戻って来てね」


 アマーリアはぷくっと頬を膨らますとノバンは愛おしそうにアマーリアの頬に口付ける。


 部屋に一人残されたアマーリアだが、喉が渇いた。


 何か飲む物が欲しいわ。


 アマーリアは廊下に出ると調度、扉の前を男性が通った。


 黒曜石のように美しい髪、色白の肌に燃えるような赤い瞳は怜悧な印象を受けるがとても魅力的だった。長身でピンと伸びた背筋からは威厳を感じさせ、夜会服を優雅に着こなしている。


 アマーリアはその美しい男性に視線を奪われた。


「あ、あのっ!」


 アマーリアは思わず声を掛けた。

 すると男性は立ち止まりゆっくりと振り返る。


「何か?」


 その声もアマーリアの好みだ。

 静かに響くような声量と低すぎない低音が鼓膜を震わせる。


「よろしければ、少しお話しませんか?」


 愛想の良くアマーリアは提案する。

 大抵の男は断れない満面の笑みでアマーリアは男性を誘った。


 しかし、男性はアマーリアを見て顔を顰める。


「遠慮するよ」

「え?」


 男性からの思いもよらない返事にアマーリアは目を大きく瞬かせる。


 聞き違いかしら?


 今まで男性からの誘いを断られたことのないアマーリアは目の前の男の言葉が信じられない。


 だが、聞き間違いではないようで男性はアマーリアを無視してそのまま廊下の向こうへ消えてしまう。


「一体、どういうこと? 私の力が効かないなんて……」


 アマーリアは黙っていても男が勝手に集まってくる。


 男だけでなく、大抵の者達はアマーリアに魅了される。

 それが生まれ変わりであるアマーリアの魅了の力だ。


「よっぽど急ぎの用事があるのかも……」


 彼は『遠慮する』と言った。自分の誘いを無下にしたかったわけじゃないのだ。


「一体、どこのどなたなのかしら……?」


 あんなに素敵な男性は見たことがないわ。


「アマーリア?」


 背中に声が掛かり、振り返るとノバンの姿がある。

 兄との話は終わったようだ。


「ねぇ、ノバン。黒い髪の男性がここを通ったのだけれど、どなたか知ってる?」


 ノバンの腕に自分の腕を絡めて身体を寄せながらアマーリアは問い掛けた。


「それは兄の仕事仲間のゼノ殿だ。詳しくは分からないが、身分の高い方の婚外子ではないかと噂で聞いたことがある」


「まぁ、そうなの。あまり見かけない方だったから気になったのよ」


 いくら身分の高い方の子供でも婚外子であれば結婚しても華やかな暮らしは出来ない可能性が高い。


 しかし、それでも素敵な男性であることには変わらない。


 次に会ったら必ず私の虜にして見せるわ。

 あの男性であれば身分なんてなくても取り巻きに入れておいて損はないものね。


 そんな風に考えているとノバンの腕が腰に伸びる。


「ねぇ、アマーリア。ダンスも沢山踊ったし、疲れただろう?」


 少し休まないか? とノバンに問われ、アマーリアは頷く。


 明日の朝はノバンに屋敷まで送ってもらわなくちゃ。

 お姉様はどんな顔するのかしら。楽しみだわ。


 婚約者を妹に寝取られ、最終的には本当に全てを奪われるのだ。

 計画は徐々に進んでいる。


 もう少しでさよならよ、お姉様。


 姉の婚約者に誘われ、アマーリアは並んで歩き出す。

 口元に弧を描き、微笑めばノバンは躊躇いもせずに唇を寄せる。


 馬鹿な男ね。


 婚約者の妹に手を出して周りにどんな目で見られているか分からないのかしら。


 それでも、最終的には彼がファンコット家の家長となり、自分はその妻となる。そうなればノバンは真実の愛を見つけてその愛を貫いた純真な男となるだろう。


 ノバンの口付けに応えながら、アマーリアは心の中でノバンを嘲笑う。

 堪らない優越感に酔いしれてアマーリエはノバンの部屋に向かった。









 夜会の翌日、ハーディスが予想していた通りのことが起きた。


 アマーリアの朝帰りだ。


 それもノバンが丁寧にエスコートして馬車から降りてくる。


 そのまま帰れば良いのだが、アマーリアはノバンをハーディスの前に連れて来るから溜息が出る。


 執務室で書類を片付けている最中にやってきていい迷惑だ。


「昨日はとっても楽しかったのに、お姉様はどうして早く帰ってしまったの?」


 どうって、貴女のせいなのだけれど。


 ドレスを派手に汚してくれたことなどすっかり忘れているのか、わざとなのかは知らないがアマーリアは無邪気に言う。


「アマーリア、彼女はああいう場が苦手なんだ」


 貴方達のせいですけどね?


 貴方が婚約者である私に敬意の一つも払ってくれれば、もう少しは滞在時間も伸ばせますけれど。


 ハーディスはアマーリアの肩を抱き、知った風な口を利くノバンに呆れた視線を送る。


「仕事をしているのだけど。出て行って下さらない?」


 我慢出来ずにそう言うとノバンが眉を顰めた。


「せっかく息抜きの機会を作ってくれている妹の気遣いが分からないのか?」


 分かりませんわね。

 何を言うのかと思えば、息抜きの機会ですって?

 ストレスしか溜まりませんわよ。


「息抜きの機会は自分で作ります。出て行って下さい」


 ハーディスの苛立ちの滲んだ言葉に反応したのか足元にいた愛犬達がグルグルと喉を鳴らし、アマーリアとノバンを睨みつけた。


 犬が苦手なノバンは少しだけ怯えたような表情を見せた。

 睨み合いの末、アマーリアがノバンの腕を引き背を向ける。


「つまらないお姉様。行きましょう、ノバン」


 まるで恋人のように腕を絡めてノバンを連れて部屋から出て行く。


『本当に呆れた野郎だ』

『あいつ嫌な。どう考えてもハーディに相応しくない』

『ねぇハーディ、あんな奴見限ってしまいましょうよ』


「ありがとう、みんな」


 愛犬達がこうしてノバンを詰ってくれるのでハーディスの心は少しだけ軽くなる。


 本当に、彼と結婚しなければならないのかしら……。

 あんな、頭の足りない人と?


『この家を頼むわね』


 そう言い残して亡くなったお母様のために尽くしてきた。


 自分は母の遺言のためにどこまで頑張れるだろうか。


 雲一つない青空を窓から見上げてハーディスは溜息をついた。

 最近、ますます溜息の回数が多くなっている気がすると思うと、また一つ溜息が出た。

 





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