CASE 11 巡る季節
CASE 11 冬支度
1
足で飛び越えられる一メートルほどの幅がある小川。澄んだ水がさらさらと流れている。そこにムーンが円筒形の器を三つ沈める。深さはちょうど器がすべて隠れるくらい。
「これでいいのか?」
「はいっ」
周囲の石で固定して流されないようにする。
リリーはいつものエプロン姿の上から赤いコートを羽織っている。吐く息が白い。呼吸の度に口から煙のような息が漏れる。
「凍ってしまわないか?」
ムーンは川に沈んだ器を見つめ、疑問を口にする。
「むしろ凍った方がいいんです。長持ちしますから」
「なるほど」
リリーは冬の準備のために大忙しだった。タンザナは温暖な気候といえども冬は来る。年間積雪量は大したものではないが、食料や燃料が平民の間で不足するのはどこの国も同じ。本格的な冬が来る前に備えておかなければならない。既に霜が降りている。
しばらく前は薬草集めに精を出していた。ミントやタイムは多年草で越冬できる。葉の部分を摘み取っておけば、春には土の下で生き残った根からまた新しい芽が出る。一年草は種になるのを見守る。習性ごとに採取の方法を変える。
「君の役に立ててよかった」
今や川の底にある器の中には、ムーンが狩った動物の肉がある。肉は貴重な栄養源だ。年末までに保存をしなければならない。乾燥、塩漬け、腸詰めなど色々な方法がある。
リリーは一部を乾燥させて手元に残し、残りは
内陸に位置するタンザナでは塩は貴重だ。塩漬けには使わず、なるべく節約する。
「本当に助かりました。一人になって初めての冬のことは悪夢のようで……」
リリーの表情は緊迫していた。目を瞑り、力なく項垂れる。
冬を乗り切れる雑穀を計算して食べていたつもりだった。春になる前に尽きていく食料。一向に芽吹かない緑。自然を前に無力だと思い知った。把握してない乾燥豆が倉庫から出てきて空腹を回避できたときは神の助けだと思った。養父に祈った後で遺品の手記からうっかり存在を忘れていたらしいことを知り、喜んでいいのか悲しんでいいのか複雑な気分になった結末までついてくる。
「私がそばにいられなかったことが悔やまれる」
シーツを被ってメソメソと泣くか弱い少女を想像してムーンの声が少し低くなる。実際は豆を口いっぱいに頬張っていた。
「それからは年内に準備をすることを学んで早めに動くことにしたんです!」
リリーは胸元で強くこぶしを握る。寒い中を歩き回り、闘争本能が刺激されていた。赤くなった鼻でいつも以上に張り切っている。
隣でムーンは律儀に頷いていた。
2
「冬に育つ薬草もあるんですが、基本は根っこや樹皮を利用します」
川沿いのぬかるんだ地面を歩き、枯れかけている白い花を見つけた。地面をスコップで掘り、根を剥き出しにする。
「これは
リリーは辺りを見回して葉が落ちた鱗状の幹をした木を見つけた。
「これはホワイトウィロウという柳の一種で樹皮に解熱や鎮痛作用があります」
幹を軽く叩いて示す。木肌はざらついていて硬質な手触りだ。
「こういったものを用意しておきます。寒くなると訪れる患者さんは少なくなりますが、準備は怠れません。この季節になると、病にかかりやすくなります。特にお年寄りは体調を崩しやすいですから」
薬草を採取しては薬草をカゴに入れていくリリーを後ろから見守りつつムーンが声をかける。
「冬には冬の自然の恵みがあるんだな。君も無理しないようにな」
「はいっ」
身体の新まで冷えきってしまう前に二人は家に戻った。春から秋に行われた薬草採取の時間はほとんどなくなり、家の中で過ごすことが多くなる。リリーは風邪予防用の薬湯を口にし、養父の残した薬草の本を読む。暖炉ではぱちぱちと火が燃えている。
この国では年が変わる前に古着を燃やし、新しい服や服飾品を身につけて新年を迎えるという風習がある。貴族は新しくドレスを仕立てるが、平民は余裕がないから靴下や頭巾を用意してささやかな祝う。
リリーは冬の長い時間を青い毛糸で編み物をしていた。細く伸びていく編み物を見てムーンが「それは何だ?」と尋ねても、「内緒です」という答えしか返ってこなかった。こうしてゆったりと穏やかに冬の時間は過ぎていった。
*****
男は石造りの壁を力任せに蹴り上げた。それでも満足できずに「クソッ」と吐き捨てる。事業で成功した小金持ちの男爵家に四男として生まれた彼は、プライドだけは肥大化していた。貴族としての責任感は育たず、あるのは選民意識。親のコネで軍に入隊した。けれど、最近は何もかもが上手くいかない。反抗的な民衆が目立ち、上官が苛立っているということもある。
運が傾いたのは半年以上前。悪友を誘って国境警備から抜け出して森で出会った女を少しからかってからだ。
決して自分の非を認めない彼の中では、記憶が書き換えられていた。そのときは確か
女が騒いだことで寄ってきた不審者に襲われた――彼の中ではそういう筋書きになっている。それどころか、女と不審者は共犯かもしれないという結論にまで至っていた。
上官に弁明しても信じてもらえず、北方の国境警備を言い渡された。山岳地帯にある基地に籠っての任務は過酷だ。冬を前に呼び戻されて命拾いをした。
自宅に戻ってきた彼に届いていたのは、父親からの長い長い手紙だ。要約すると「恥知らず」「兄たちを見習え」と書いてあった。
森の中で気絶していた彼のことを同僚たちは「臆病者」「嘘つき」などというあだ名をつけた。一緒にいた悪友は早々に影響力のある上官に媚を売って処罰を免れていた。上官の靴でも嘗めたのかもしれない。
町に戻ってきた彼の脳内では完全に罪を
同僚たちに「森に化け物がいる」と訴えても顔を見合わせて笑われるだけ。この周辺では子どもたちに語り継がれている
一人で町に聞き込みを行っても、兵士に非協力的な平民たちはまともに取り合わない。ある日、年端もいかない子どもから「魔女」という言葉を聞き出した。年齢が年齢だけに不確実な話だったが、「町にはたまに魔女が薬を持ってやって来る」という。しかも甲冑の男を従えていたらしい。
それ見ろ、と男は天に向かって吼えた。森には不幸をもたらす女がいるのだ。やはり自分は被害者なのだと確信を持った。
やっと掴んだ情報を今度は漏らしはしなかった。城に残っている連中は揃いも揃って間抜けばかりだ。先ほども部屋でトランプに興じていた同僚たちは、男を見かけて「森の警備は終わったか?」などと嘲笑を含んだ言葉を投げかけてきた。
男は爪をガリガリと噛みながら、燭台の明かりが照らす暗い廊下を歩いていた。爪は欠けてところどころ鋭利になり血が滲んでいる。どうやったら誤解が解けるのか、名誉を回復できるのか、彼の脳内はそれだけだった。
領主や上官の焦燥、反抗的な民衆、森の魔女――幾つもの情報を掛け合わせ、やがて一つの考えに至る。彼は兄たちより頭のできはよくなかったが、人を出し抜く悪知恵に関しては秀でていた。
まずは父親に反省の手紙を書かなくては。大事を行うには方便だって必要だ。自分が正しいことを証明できるなら、頭を下げるくらい些細なことだ。次に遠征中の上官。美味い餌をちらつかせるだけでいい。狂ったような
「魔女狩りだッ!!」
次回→LAST CASE 森の魔女と甲冑、予定
※ホースラディッシュ→セイヨウワサビ
※マーシュマロウ→かつてのマシュマロの原材料
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