LAST CASE リリーとムーン
新しい年の足音
1
年末が近づき、町は活気づいていた。商人たちは年内最後の書き入れ時に張り切り、住人は年越しのための買い出しに勤しむ。年が明けると打って変わって家の中で家族と静かに過ごす慣習があるのがタンザナだ。
リリーとムーンは薬草箱を持って東奔西走していた。年始からしばらくは寒さが深まり、森の中では簡単に移動ができなくなる。今までムーンに移動を手伝ってもらっていても、氷のように冷えた外気はどうにもならなかった。何より、冷えた金属に肌が張りついて怪我をする。ということで、森が寒さで閉ざされる前に基礎疾患がある患者を回って薬を多めに渡していた。
「リリー、身体が冷えるだろう。そろそろ引き上げよう」
「はい」
箱がほとんど空になったところで、ムーンはリリーに声をかけた。身体がすっかり冷えてしまっているのを視認していた。
「山猫亭で暖を取らせてもらいましょうか。時間もありますし」
リリーは寒さで
荷馬車に相乗りさせてもらっているブルネット商店は一人息子が怪我を負っているため人手不足だ。店番をするくらいには回復はしたが、まだまだ本調子ではない。
「あの……助けて……」
蚊のようにか細い声が下から聞こえてきた。リリーのスカートが引っ張られる。声の方向には青い顔をした五歳ほどの少年が立っている。
「どうしたの?」
リリーが腰を屈めて尋ねる。子どもはカチカチと歯を鳴らして途切れ途切れに小さな声を出した。
「お母さん……病気……」
まとまりのない単語を発してから、リリーの服を引っ張り、細い路地へと導く。
「あっ、ちょっと待って……。まず落ち着いて」
人混みから人気のない方へ連れていかれるリリーのあとをムーンは追おうとした。――が、道の先から悲鳴が上がり、視線をそちらに向ける。道の中央――並んだ露天の間を興奮して
ムーンは腰ベルトに収納してあるナイフに手をかけるが断念し、道で棒立ちになる。
馬の後ろに小太りの商人風の男が体勢を崩して走りながら喘ぐ。
「どいてくれぇえ!」
馬がムーンの脇を通り過ぎようとした。ムーンの腕が素早くその首を絡め取る。驚いたのは馬だ。高く鳴いてむちゃくちゃに頭を振り乱す。しかし、ムーンはびくともしない。馬の脚が空を蹴り、暴れても拘束は解けない。ムーンには攻撃の意思はない。湖面のように平坦な感情を持つ妨害者は馬にとって大木と同じだった。体力を消耗している間に暴れても無駄ということを悟る。馬は徐々に動きを緩め、しまいには足を止めた。
「よし」
ムーンはまだ鼻息の荒い馬の首を撫でて落ち着かせる。
遅れて辿り着いた商人は膝に手を置いて苦しげに息をした。
「はあはあ……。助かったよ、旦那ァ……」
短い呼吸の合間に言葉が続く。
「ち……きしょう……。誰かが馬を脅かしやがった」
騒然としていた通りに賑やかさが戻ってきた。ひっくり返った商品や倒れたテントを直すために人々が右往左往する。
ムーンは馬を商人に引き渡し、元の道に視線を戻す。そこにはリリーたちの姿はどこにもなかった。太陽光が壁に遮られた薄暗い細道からは人の気配がしない。
「リリー……」
*****
リリーは少年に導かれて家の間にある細い道を折れ曲がりながら進む。少年の追い詰められた表情を目にし、強引な行動を拒否することができなかった。もしかしたら、家族がとても具合が悪いのかもしれない。躊躇が判断を鈍らせていた。
森暮らしをしてきたリリーは、地図にも載っていないような道まで把握していない。この状況がよくないことは明白だった。
先ほど後ろから叫び声が聞こえたこともある。言い様のない不安感がリリーの中で育つ。とにかく、まずは子どもを落ち着かせなくては。「君のお名前を聞かせてくれる?」と尋ねても答えは返ってこない。頭を捻ってどうすべきか考える。そもそも、少年のことをどこかで見たことがあるような気がするのだ。喉元まで出かかっているもどかしさに苛まれた。
少年の足が止まる。市が開かれている大通りから離れた人通りの少ない小道。少年は俯いたまま小さな声を絞り出すように出した。
「……ごめんなさい」
戸惑うリリーの前に一人の男が立ち塞がった。
「お兄ちゃん、よくできました」
2
昼の時間が近くなって賑わい始める山猫亭にムーンはいた。リリーを見失ってからすぐに気配を辿ろうとしたが、馬の暴走騒ぎ直後の大通りでは雑音が多過ぎた。高精度な気配察知能力が仇となった。鳴いて動き回る百匹の羊からたった一匹を見つけるようのもの。
ムーンはリリーと話題に出していた山猫亭に向かうことにした。下手に動き回るより知っている場所で待っていた方が確実だ。人目につかないように裏口から入り、女将に事情を説明すると、待たせてもらう許可を得た。昼時の食堂には様々な職業の平民たちが大量に出入りする。つまりは町の情報も入り易い。リリーのことをそれとなく確認すると女将は胸を叩いて言った。
少ない休憩時間に人が集まる食堂は忙しい。昼は基本的にパンとスープを出すのだとリリーは以前言っていた。上等な材料ではないが、幾つかの野菜と肉の切れ端を大量に煮込んだスープは家庭では出せない味らしい。食事がすぐに出てきて、さらに安価で美味ということなら、労働者に人気が出る。
女将は厨房に籠りきり、カナリアを始めとする配膳係は客席を飛び回る。あまりの慌ただしさを目の当たりにし、ムーンは店を手伝うことにした。とはいっても、店に立つわけにはいかない。配膳係が下げた皿を水場に持っていくとか、材料の大箱を移動するとか、その程度だ。何かをしなくては、居ても立っても居られないほど焦燥に駆られていたのかもしれない。ムーンは胸の奥底から溢れる衝動を堪え続けた。
客の中にはリリーのことをよく知っている者もいる。事情を知ると捜索に積極的に協力すると手を挙げた。
昼を過ぎると客足が疎らになる。リリーの情報は一向に集まらない。カナリアが外に聞き込みをすると店を出ていこうとしたとき、ハンスがやって来た。怪我は完治していなくても足取りはしっかりしている。
「ちょっと話がある」
山猫亭は早めに昼の店じまいをし、女将とカナリア、ハンス、ムーンが客用のテーブルに集まった。ハンスが言うには、ブルネット商店に幼い少年と母親がやって来たという。
「その坊主からの情報だと、リリーは領主城へ連れていかれたって言うんだ」
アリスのひ孫だというその少年は兵士から脅かされ、リリーを呼び出す手伝いをさせられていたらしい。泣きながら母親に訴えたことで発覚した。子どもの話では要領を得ないところはある。リリーのことを「魔女」だと信じていた。それを兵士に話したという。リリーはアリスの元へ
「子どもじゃ大人の事情なんて知るはずないもんな。問題はその兵士だ。『魔女狩りをする』とか言ってたらしい」
女将とカナリアは思わず声を上げる。
「はあ?!」
「時代錯誤だよッ」
ムーンは無言で席を立ち、店の出口へと向かおうとする。鎧がカチャカチャと鳴った。
「ちょっと待て、ムーン。どこへ行く?」
ハンスが腰を浮かして声をかける。
「城だ。魔女狩りについては私の方が詳しい」
淡々としている口調とは裏腹に身体は前へ進もうとしている。兜を少し後ろに傾けただけでハンスに答えた。
ムーンの中にある「魔女狩り」の知識は陰惨なものだ。「魔女」は絶対的な悪で、疑いをかけられた時点で助かる術はない。悪くて極刑、良くて裁判にかけられる。その裁判も自白させるもので判決が覆ることはない。刺つき椅子、釜茹で、爪剥がし――。死ねば人間、死ななければ魔女で有罪といった有り様だ。だから、一刻も早く助けにいかなければならない、とムーンは思っていた。
「リリーを助けたいなら待て!」
ハンスが声を荒げた。
「オレだって今すぐ助けてえよッ。リリーが何したって言うんだ!」
感情を吐き出した後に音量が一段下がる。
「明後日の早朝、領主が地方視察で城を出るんだよ。最近ガルネキアがうるせえからな。急ぐんだとよ。鍛冶屋の親父に注文が入ってるって聞いた。そんなドタバタしてるときに、裁判だー処刑だーって騒がねえと思う」
女将は顔を曇らせて額に手を当てる。
「今どき魔女狩りとは物騒だよ……。何の罪もない人が裁かれてたってヤツだろう? スケープゴートって言うのかい?」
「そうね。都合のいい人間を悪人に仕立てて見せしめに処刑したのよ」
苦虫を噛み潰したようなカナリアの言葉を聞き、ハンスが眉間に皺を寄せてぽつりと呟く。
「大昔の再現……。リリーをスケープゴートにしようっていうのか……」
顔を上げて真っ向からムーンを見据える。
「だったら尚更だ。庶民を集めて広場ででも大々的にやるだろう。人手がないときはやらないはずだ」
ムーンは戸口に立ったまま口を開く。
「悠長にしていれば、リリーに危害が及ぶかもしれない」
「領主がいれば使用人も入れて約三百人。三百人とお前は戦うのか? 領主が城を開けるなら、一握りしか残らない。確実にリリーを取り戻せる条件を選べッ」
そこでようやくムーンは身体ごと後ろを振り返った。
「考えがあるなら聞かせてもらおう」
ハンスは少し安堵の笑みを浮かべてから身を乗り出した。
「リリーの患者には城の構造に詳しい石工もいるんだぜ」
次回→リリーとムーン②/②
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