CASE 6 山猫亭

美容軟膏

    1


 湯が張った鍋の中で温められている筒状の容れ物。容れ物の中には淡い色の液体。リリーは撹拌棒マドラーを使ってそれを混ぜている。場所は台所ではあるが、料理の様子とは少し違っている。

「湯煎でかき混ぜると、蜜蝋ミツロウと植物油が溶けて綺麗に混ざります」

 ムーンは後ろから作業を覗き込んでいる。

水蒸気蒸留法すいじょうきじょうりゅうほうを覚えていますか? あの方法で抽出した精油せいゆ――植物の香りがする油を数滴垂らして混ぜます。あとは冷まして固まるのを待つだけです」

 リリーはさらに撹拌棒で混ぜてから、液体を手のひら大の壺に移す。

「蝋と油が軟膏の基本です。薬草成分を加えることで効果は変わります。クリーム状にしたいときは芳香蒸留水ハーブウォーターも加えます」

 ムーンから見れば、壺は花と同じ薄ピンクの可憐な空気をまとっている。

「今回は薬用ではないのだな」

「ええ、薬用の一種にはなりますが、美容用ということですね。美容軟膏バームです。顔や身体に塗ると肌の状態がよくなりますし、いい香りがします」

 作業台の上には既に幾つかできあがっているものが並んでいる。

「楽しそうだな」

 薬草を調合しているときと違い、リリーの表情は嬉しそうだ。薬草のときはもっと真剣な顔をしている。患者の健康がかかっているからだろうか。

「そうですね。と思って。あっ、ムーンさんにいつも塗っているのもこれなんですよ」

 ムーンの視線が自分の腕に移った。

「なるほど」

 定期的に甲冑を磨いているときのリリーも同じように楽しげだったことをムーンは思い出していた。


    2


 天気は快晴。外出日和びよりだ。家の外でムーンがリリーを待っていると、勢いよく戸が開いた。

 いつもの姿よりもスカートがドーム状に広がっている。頭にはボンネットと呼ばれる前ツバつきで顎の下で紐を結ぶタイプの帽子。

「お待たせしました」

 帽子を押さえて駆け寄ると、スカートの裾がヒラヒラと揺れた。森歩き用の仕事着とは明らかに違う。

「お休み」「町にいます」と書かれた看板を扉に引っかけた。

「行きましょう!」

 弾んだ足取りで三歩進んだところでピタリと止まる。後ろにいるムーンの方に少しだけ身体を向けて、自信なさげに言った。

「あの……どうですか? ふ、服……」

「どう、とは?」

 決まりの悪い顔をして、リリーの声はますます小さくなる。

「え、っと……変、じゃないですか?」

 ムーンは「なるほど」と相槌あいづちを打ち、リリーに改めて視線を送る。

「普段の服装も似合っているが、その服装も似合っている。何故変えた」

 率直な意見にリリーの方が慌てる。

「えっ?! あ、今日はお休みなので気分を買えようと……思ってですね」

 スカートの裾を握って曖昧な言葉を口の中で呟くリリーにムーンはやはりいつもの相槌を打った。


 今日は久しぶりに相談所を休みにして町へ出かける予定だった。往診の際は患者の家を回ることで慌ただしくなってしまうからと決めたことだった。

 ムーンの力を借りて街道まであっという間に辿り着き、約束をしていたハンスのにばしゃに合流した。荷台には食品が溢れるくらい並んでいる。ハンスは朝が早かったのか欠伸あくびをしながら二人を待っていた。

「兄さん、こんにちは!」

 リリーを抱えたムーンが茂みから現れる。

「おう! しかし、どうなってんだ?? ムーンの脚力は」

 問いには平然とした口調が返ってきた。

「森の中を二百年歩き続けると、こうなる」

「なんだそれ、ジョークか? おもしれー」

 二人は御者台に近い馬車に乗り、ハンスと話しながら町までの道を穏やかに過ごした。



次回→CASE 5 カナリア・肌荒れ、予定

水蒸気蒸留法→CASE 3

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