女子会

    3


 やる気のない門番の検査をあっさりと抜け、町の中を進む。遠くにそびえ立つ|石造りの城を荷台から眺め、ムーンが口を開いた。

「領主はどんな人物なんだ?」

 これまでに数回町を訪れ、初めての問い。町の象徴とばかりに堂々と立っている城は、町のどこにいても視界に入った。

 ハンスは手綱たづなを握ったまま、それに答える。

「グラーフ辺境伯へんきょうはくな。国境を守る領だけに軍事に長けた人物らしいぜ。まあ……最近は隣国より内政の方で忙しいんだろうよ。民衆を押さえ込むのに苦労してんだろうな」

「忙しい、とは?」

 馬のひづめが石畳をゆっくりと踏みしめ、小気味よい音が流れている。リリーは口を緩めて二人のやり取りを見ていた。

「この国は王様がいてさ、オレらは色んな税を払ってガチガチに締めつけられてんだけど、ガス抜きのために庶民たちは割と自由を許されてんの。商売とか娯楽とかな。でも、そうなると民衆の動きが活発になって、王権反対派が生まれるわけ。この国ではどこもそうだと思うぜ」

 ムーンは「ふむ……」と兜の口元に手を当てた。城の外観に関しては違和感がないように見える。ということは、人間だった頃とさほど変わらないということだ。王がいて、家臣がいて、民衆たちがいるという構図は理解している。記憶にほとんどない昔のことに思いを馳せた。

「兄さん、山猫亭まででいいからね。兄さんも寄ってく?」

 ハンスは言葉にならない奇妙な声をあげる。一瞬の間をおいた後、一つ咳払い。

「オレは仕事中だからな! また今度な!」

 それでも答える声は上擦っている。

「残念だなあ」

 リリーは笑いを含みつつ意味ありげに言った。

 そのやり取りを見たムーンが「なるほど。意中のあ――」と言いかけたところで、ハンスの言葉が遮る。

「お前ら、いちいち言うのやめなさい!」


    4


 町の大通りにある十字路という見通しのいい場所に山猫亭はあった。木組みでレンガを積んだ二階建て。玄関には鉄で形作った透かし看板――尻尾を立てた猫が横向きになっている。

「これが大衆食堂か」

 荷台から降りたムーンは建物を見上げた。

「そうです。おじいちゃんが若かった頃はなかったそうです。ムーンさんは知ってます?」

「知らないな」

 首を捻った後にあっさりと否定する。

「へー。便利なんだぜ。労働者がさっと昼飯を食うのに。酒も飲める。おかみさんの飯は美味ウマいし、給仕係の愛想はいいし。繁盛してるよ」

 つらつらと称賛の言葉を並べるハンスにムーンは感じたことを正直に述べた。

「よく通ってるんだな」

「そうなんですよー」

 再びハンスの顔が言葉が詰まったようになる。

「お前ら、あとで覚えておけよ」

 捨て台詞を吐くと、馬を軽く叩いて荷馬車は前進していった。

「さあ、入りましょう」

 山猫亭のドアには「準備中」の看板がぶら下がっていて閉まっている。リリーはドアを開いて中に呼びかけた。

「おかみさーん! リリーです!」

 内側に広がる部屋は民家の比ではない。三十人過ごしても余裕がある。仕切りがなく、テーブルと椅子が並んでいる。今は客が一人もおらず、広々としていた。

「あら、リリーちゃん。久しぶり!」

 厨房から恰幅のよい三十代半ばの女が姿を現した。長髪を後ろでお団子シニヨンを作り、明るく元気のいい雰囲気をしている。

「ごめんなさい。開店前の忙しいときに」

「仕込みは終わったから大丈夫よ。よく来てくれたわねえ」

 女将おかみはリリーを抱きしめ、頭を撫でた。姪を可愛がるような優しい仕草。目を細めて微笑むと、リリーの後ろにいるムーンを見て目を丸くした。

「あら……? お兄さん?? は誰だい?」

「私は……」

 ムーンが答えようとしたとき、「リリーちゃん!」どこかから別の声が聞こえた。二階へ上がる階段から足音がパタパタと聞こえてくる。現れたのは、すみれ色の波打つ艶やかな髪の目鼻立ちがくっきりとした艶やかな若い女。

「カナリアさん! 今日、お仕事だったの?」

 リリーの声が跳ね上がり、カナリアと呼んだ女の元へ駆け寄る。二人で顔を見合わせて歓声を上げた。

「あらあら」

 女将は若い娘同士の触れ合いににこやかだ。

 話したいことが山ほどあるといった表情のリリーは姿勢を正して落ち着いたトーンに声を戻す。

「紹介するね。薬草相談所を手伝ってくれてるムーンさん」

 手のひらを上にしてムーンに向けた。

「ムーンさん、こちらは山猫亭の女将さんのリヨンさん。こちらは配膳係のカナリアさん。二人には仲良くしてもらってます」

 女将とカナリアはムーンを繁々と見つめる。

「なんで昔の軍人さんの格好をしてるのかしら?」

 リリーは慌てて両者の間で身振り手振りをする。

「説明すると長くなるんだけど、ムーンさんは警備もやってくれてるのでっ」

「私は兵士ではない。これは趣味だ」

 女将は不思議そうな顔をして頬に手を当て、「よく分からないけど、趣味でそういう装備をつけているのねえ」と納得しようとしている。カナリアの方も同じような反応だ。

 リリーは話題を変えるために膨らんだスカートを両手で詰まんで見せた。

流行はやってる貴族風のスカート、やっと真似できたの!」

 女将とカナリアの二人は「あっ」と口を開けて視線を交わした。そしてカナリアの方がおずおずと言い出す。

「あ、あのね、リリーちゃん……。その流行は終わってて……」

 リリーの口から吸気音がした。森の中に住んでいては情報は入り辛い。町に出たときには、人に確認をするようにしている。前回聞いた流行りは、スカートを膨らませるための鳥かごのような下着を使う貴族の華やかな衣装を真似たものだ。平民は下着ペチコートを重ねて膨らませるのだと知り、リリーは薬草業の合間を塗って試行錯誤していた。スカートは時間をかけてフリルを手縫いした。外出日が決まり、満を持して着用したのだが……。

「時代……遅れ……?」

 真っ青な顔でスカートを見下ろす。確かに時間はかかったが、話を聞いてから半年も経っていないはず。衝撃的な事実に目眩を感じる。「流行りの移り変わりは早いものなのだ」と。

 ムーンはずっとオレンジ色だったリリーの気配が水色に変わっていくのを感じて口を開いた。

「リリー。流行りというものは知らないが、その服は君に似合っていると私は思う。落ち込むことはない」

 手間をかけて服を作ったのだろうことは、すぐに分かった。そして、その分だけ服が清浄な気をまとっている。だから、出かける際にも「似合っている」と言ったのだ。

「ムーンさん……」

 落ち込みかけていたリリーの気持ちが浮上する。流行りに乗っているか否かということよりも、手間をかけたことを認めてもらえた気がして嬉しい。相変わらず平淡な抑揚だが、裏には人間らしい感情があるとリリーは思っている。本当に何も感じないのなら、言葉が出ないはずだ。

「ありがとうございますっ」

 カナリアは二人のやり取りにふっくらとした唇の端を持ち上げ、「リリーちゃん、こっちに来て」と店の二階へ誘った。

 二人の背中を見送った女将はムーンに感心した眼差しを送った。

「アンタ、やるもんだね」

「なにがだ?」


    5


 カナリアがリリーを通したのは従業員用の控え室だった。手狭な部屋にクローゼットやテーブルがある。取り出したのは淡い若葉色の巻きスカート。

「あたしの替え用の。ほら、給仕をしてると、汚れることってあるのよ。ペチコートを重ね穿きしてるのよね? 脱いで、代わりにこっちをつけるの」

「カナリアさんのなのに、いいの?」

「今が使いどきだと思うからいいの。それにいつものお礼」

 リリーは躊躇ってからスカートをたくし上げ、中から一枚だけを残して余分なペチコートを脱ぐ。枚数にして三枚。

「暑いのに頑張ったわねえ!」

「うん、頑張っちゃった……」

 フリルつきのスカートは厚みを失くし、しおれたように足に絡みつく。

「長さを調節するわね」

 カナリアはスカートの腰の部分を折っていき、厚みがなくなっただけ下がった裾を上げる。

「ムーンさん? 外見にはびっくりしたけど、いい人ね。誠実そう」

 リリーの腰に手を回しながら優しく話しかけた。

「そうなの。いつも助けてくれるの」

 若葉色のスカートをその上から巻きつける。手で布をたわませ、緩やかなヒダドレープを簡易的に作っていく。その慣れた手つきにリリーは見惚れてしまいそうになる。カナリアはいつも憧れの対象だ。

「よかった。リリーちゃんを守ってくれる人ができて。いつだったか、危ない目に遭ったら、お鍋を被ってフライパンで助けに行くって言ったじゃない? そばにいられるわけじゃないから心配だったの」

 淡いピンクにフリルが見えるように若葉色のスカートが重ねられ、葉をつけた花のように可憐になる。

「できた。今は貴族の間では膨らませるのを控えてるらしいのよ。でも、ボリュームが足りないから、こうやって重ねるの」

 リリーは回転しながらスカートを見下ろす。

「凄い可愛い! カナリアさん、ありがとう!」

 花が綻ぶような笑みは少女らしい。カナリアも満足げだ。

「ムーンさんに見せにいきましょ!」


次回→CASE 6 カナリア・美容軟膏、予定

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