第1話



「学校生活で一番大切なのは、お友達と過ごす楽しい日々だって、先生はそう思うの~」

 夕暮れ時。生徒相談室という、少し手狭な教室の中だった。

 現在ここにいるのは、俺とその正面でニコニコしながら椅子に座っている担任の先生だけ。いわゆる二者面談というやつなのだが、面談相手は俺だけで、他のクラスメートたちはとっくに下校している。

 つまりこれは、先生の個人的な呼び出しというわけだ。

 それも、教育的指導という意味で。

「ねえ望月もちづきくん。君もそう思わない~?」

 そんな妙に間延びした口調で問うてくる先生──紺野こんの蒲公英たんぽぽに、俺は気の抜けた声で、

「はあ。まあ、そういうもんかもしんないっすねー」

 と、おざなりに返事をした。

「そうよねそうよね~。先生、なにも間違ったこと言ってないわよね~。まだ高校生なんだし、勉強よりもお友達と遊ぶことの方を優先したい年頃のはずよね~。むしろお友達と遊んだ方がずっと有意義よね~」

 などと一人納得したように頷きを繰り返す紺野先生ではあるが、教師としてかなり危うい発言をしていることに気が付いているのだろうか、この人。

 つーか、なんで帰りのHRが終わってすぐ俺をこんなところに連れ込んできたのか、さっきまでずっと疑問だったのだが、今のでようやく得心がいった。

 つまり、あれだ。先生はこう言いたいわけだ。

「それなのに望月くんは、どうしてゴールデンウイークが終わった今でも、独りでいることが多いのかしら~?」

 ……ほらな。思った通りの言動だ。想像通り過ぎて失笑すら漏れるレベルだ。

 それ以前に先生は、ぼっちという生体のことをなにもわかっちゃいない。

 直球で「なんで友達いないの?」と訊いてこない分だけマシと言うか、多少なりともオブラートに包んでくれている分だけ配慮は感じられるが、ぼっちによってはそのセリフだけでショック死する危険性すらあるんだぞ。軽はずみに友達がいるかどうかなんて訊ねていい事柄ではないのだ。

 俺みたいな、自分から進んでぼっちになった人間以外は。

「あ、でも先生、なにも独りでいるのが悪いと言っているわけじゃないのよ~? ただ寂しくないのかなあとか、学校にいてなにか楽しいことでもあるのかなあとか、お友達がいなくて平気なのかなあとか、そんな風に思っただけで~」

「……………………」

 ついにはオブラートに包むことすらしなくなったぞ、この人。

 まあ、まだ二十代中頃と若い方だし、見た目もゆるふわというか、かなりおっとりした雰囲気をしているので、そういう機微に疎いだけなのかもしれないが。

「いやまあ、確かに友達はいませんけど、これと言って不便もありませんし」

「あら、そうなの~? 先生が高校生だった頃は、休み時間にお友達となにをして過ごそうとか、お昼はどこでお喋りしながら食べようとか、そういったことばかり考えていたけれどなあ~」

 言って、目の前にある机に身を寄せて可愛いらしく頬杖を突く紺野先生。本人は意図せずやっているんだろうけど、はちきれんばかりの巨乳がスーツ越しに強調されてとてつもなくエロかった。思春期男子の目にこれは毒ですわあ……。

 って、いかんいかん。いくら生徒とは言え、あまり胸元ばかり見ていたらセクハラとか言われかねん。些細な言動や挙動で通報されたりするようなご時世だし、視線には気を付けておかないとな。まったく、面倒な世の中だぜ。

「先生の時とは時代が違うのかしら~? なんだか驚きだわ~。でもそれって、色々大変じゃない~? こんな時、お友達がいたらって思うこともないの~?」

「ない、こともないですけど……」

 どころか、割とちょくちょくある。

 授業中、好きにグループを作れと言われた時とか、自分だけなぜかクラスの連絡が回って来なかった時とか、一人では苦労しそうな雑用を頼まれてしまった時とか、他にもまだまだある。

 だが──

「だからって、そんな理由で友達を作るのもどうかと思うので」

「それは、そうかもしれないけども~……」

 俺の言葉に、紺野先生は歯切れ悪く言葉を濁した。先生自身、正論だと思っているからだろう。

 だいたい、友達ってそこまで必要なものか?

 確かにぼっちなせいで困ったことは多々あるが、それ以上に友達と一緒にいた時の方が、不快な思い出でいっぱいだ。

 別に聞きたくもない、したくもない陰口に付き合わされたり。

 親しくもない相手を勝手にネタにして笑いを取ろうとしたり。

 グループ内の空気を盛り上げるために、強制的にバカな真似をさせられたり。

 そういったやり取りに嫌気が差して、俺は知り合いが一人もいないこの鳴海(なるみ)高校に入学したのだ。

 それまでの面倒な人間関係をすべて断ち切るために。

 その代わり、遠方にある高校を選んでしまったので、通学するのに駅をまたいで二時間以上も掛かるようになってしまったのだが。知り合いのいない高校となると、どうしても遠方ぐらいしか他になかったのだ。

 しかし逆に言えば、それだけ意志が強かったというわけで。

 だから尚のこと、今さら友達を作る気なんて微塵もないのである。あんな気分の悪い思いをするくらいなら、ぼっちでいた方が天国ってなもんだ。

「でも~、やっぱり一人でいるのは寂しくはない~?」

 と、そんな心情を抱く俺に対し、紺野先生はまだ説得を諦めていないらしく、眉を八の字にしてこう続けた。

「望月くん、まだ二年生でしょ~? 進級して二ヶ月くらいしか経っていないんだし、今からでも新しいクラスでお友達作りをしても遅くはないんじゃないかしら~?」

「いや、そういうのいいんで。全然独りで平気なんで」

 ビシッと手を挙げて、きっぱりと断る俺。なんなら今この瞬間も一人にさせてほしいくらいである。というか、もはや帰りたい。

「でもでも、そんなの悲し過ぎるわ~」

「別に俺は悲しくもなんともないんですが……」

「先生が悲しいのよ~」

 そんなん知らんがな、とつい口が出そうになったが、俺は寸前のところでその言葉を呑み込んで、代わりにこう言った。

「何度も言っていますが、本当に俺のことは放っておいてくれて構わないんですよ? 教師として俺みたいな生徒を放っておけないっていう事情もあるんでしょうけど……」

「教師とか関係なくて、私個人が放っておけないの~。望月くんみたいな一人でいる子を見ちゃうと胸が苦しくなっちゃうの~」

「苦しいのは単にその大きい胸を服で圧迫しているせいなんじゃあ……ああいえ、なんでもありません」

 思わず下ネタが出そうになった口を止めて、俺は浅く溜め息を吐いた。

 まいったな。どうやってやり過ごしたものか。本人は至って善意で言っているというのがまた難儀な点だ。単刀直入に「迷惑だ」とは伝えづらい。

 そういえばこの先生、噂だとかなりのお人好しで有名なんだよな。俺は二年生になってから紺野先生のことを知ったのであまり詳しくはないが、多くの生徒から「ぽぽちゃん」と呼ばれて慕われているらしいし(現に俺のクラスでもそう呼ぶ人がいる)。

 だから決して悪い人というわけではないのだろうけど、こういうところがお節介な人だとも言える。俺自身、だんだんとウザくなってきたし。

 しかし、一体どうしたもんかねえ。ぶっちゃけさっさと帰りたいんだがなあ。帰ってゲームしたり、この間録画した深夜アニメでも観ていたいんだけどなあ。

 とは言え、この捨てられた子犬みたいに瞳をウルウルさせている先生を一人置いて帰るのも気が引けるし、無視もしづらい。うーむ、実に困った。

 なんて、お互いなかなか折れないまま、しばらく無言でいると、

「……仕方がないわねえ~」

 と、ようやく諦めが付いたのか、紺野先生は観念したように嘆息をついて、背もたれにぐっと体重を掛けた。

「望月くんにお友達を作る気がないのなら、先生がなにも言っても無駄よねえー」

「そうですそうです! 無駄無意味無価値です!」

 友達という存在そのものが、とまではもちろん言わず、俺はわざとらしくも声高に同調した。

 よっしゃ! これでようやく帰れる! 俺の帰りをゲームが待っている!

 ──などと、喜んだのも束の間だった。


「仕方がないから、これはもうご家族の方とお話するしかないわねえ~」


「………………、は?」

 今、なんと、オッシャッタ?

「え? 家族? まさか俺の両親と……?」

「それはそうよー。先生の家族と会っても意味ないでしょ~?」

 もしかしたら娘さんを僕にくださいというイベントが発生するかもしれないじゃないですか~、なんて冗談を言う気になれるはずもなく。

「いや、なんで俺の親と? 今回の件となにも関係ないじゃないっすか……」

「関係ないこともないわよ~。だって望月くん、下の名前はなんて言うの~?」

 うがっ。そこに触れてくるのか……!

「ゆ、友情ゆうじょうっす……」

「そうよねえ~。友情……いかにもお友達に囲まれていそうな良い名前だわあ~」

「友達なんてものに現を抜かしてはならないっていう、戒め的な意味の方かもしんないですよ?」

「本当にそんな理由で付けられた名前なの~?」

「……いえ、先生の言った意味で合っていますけども……」

 それどころか、他にもあった『友一ゆういち』だとか『友喜ゆうき』とかいう普通の名前を蹴ってまで、こんなキラキラネームを付けたという経緯すらあるけども。

「だったらご両親も、きっとたくさんのお友達に恵まれるように……なによりお友達を一番に考える子に育ってほしいと心から願って付けた名前だと思うの~」

「それなら単純に『友』だけで良かった気がするんですけど……」

「だからそんな大切な意味を込められた名前の生徒に、先生としてそのまま放置しておくわけにはいかないわあ~。ご両親ともちゃんとお話して、どうすれば望月くんがお友達を作る気になってくれるか、きっちり話し合わないと~」

 俺のツッコミをスルーして、一人熱意に溢れた顔で拳を握る先生に、俺は苦笑を浮かべながらも、内心動揺しまくっていた。

 待て待て待て! なんでそういうことになる!? 学校ではぼっちな俺だが、親には友達がいるってことにしてあるんだぞ! ここでぼっちだということがバレたら、親がめちゃくちゃ心配するじゃねえか!

 ダメだ。それだけは絶対にダメだ。他人に無関心だから周りが俺をどう見てようが知ったことじゃないが、家族となると話は別だ。

 父親も母親も共働きで夜遅くまで帰って来ない時があるからあまり心労を掛けたくないというのもあるが、俺に「友情」なんて名前を付けるくらい人付き合いを重視しているくらいなのだ──もしも友達がいないことが親に知られたら、確実に面倒な方向に話が進むに決まっている。

 くそっ。この手だけはなるべく使いたくなかったが、迷っている場合じゃないか。

「……わかりました。じゃあ今からでも友達を作るので、親に話すのだけは勘弁してください」

「本当~?」

「ええ、本当です」

 ──なんて、思いっきり嘘だけどな!

 まさかこの俺が本当に友達を作ろうとするわけがない。とりあえず今だけ俺が孤立しているという事実を両親に秘匿できさえすればそれでいい。

 言わば、これは一時撤退だ。こんなことを言ったら後々友達ができたかどうか確認される危険性を孕んでいるので極力使いたくはなかった手なのだが、いかんせん打開策が思い浮かばない。だから一度じっくり対策を練ってから、再度この面倒な問題に取り組むという作戦である。

 結局紺野先生を騙す形になってしまって心苦しくはあるが、これも快適なぼっちライフを送るためだ。悪く思わないでくれよ。

「良かったわ~。その言葉が聞けて~。やっぱりお友達は必要だものね~」

 ぱあっと華やいだ笑顔を湛える紺野先生に対し、

「そっすねー。お友達は大事っすよねー」

 と、心にもないことを言う俺。内心邪悪な笑みを浮かべているすらある。

 よしよし、すっかり俺の言葉を信じきってくれているな。このままうまくいけば、思っていたより早く帰れ──


「そういうわけで、これから二週間以内にお友達を作って、先生に会わせに来てね~」


 ……………………え?

「え? ええ? ええっ!? ちょ、どういうことっすかそれ!?」

「……? そのままの意味だけど~?」

「どういう意味で!? ていうか、ちょっと急過ぎません!?」

「全然急なんかじゃないわよ~。だって二週間もあるんだから~」

 え、なにその「二週間もあれば友達なんてすぐ作れるでしょ?」みたいな言い方。紺野先生みたいな生粋のリア充(噂によるとイケメンの彼氏がいるらしい)にはわからんだろうが、今日までずっと単独行動ばかりしていた人間がいきなり学校で友達を作るなんて難易度高過ぎるぞ。低レベルのままでラスボスのいる城に挑むようなものだ。

「に、二週間だけなんてぶっちゃけ厳しいです。もう少しだけ伸ばしてはくれませんかねえ? せめてあともう一年くらい」

「それもう進級して担任も変わっているかもしれない時期でしょ~? 大丈夫大丈夫~。先生なんて中学も高校の時も、クラスが変わっても三日ぐらいですぐ友達ができたんだから~」

 いや、先生はいいだろうよ。見た目は良いし、性格も明るくてみんなの愛されキャラって感じだし、友達を作るのにほとんど苦労なんてしてこなかったことだろう。

 翻って、俺はどうだ? 顔は平凡。性格もどちらかと言うと陰気な方で、自慢できるような特技もなければ、趣味なんてアニメかゲームを少し嗜む程度でしかない。

 いや、かつてはこんな俺にも友達はいたし、人と話せないほどコミュ障というわけではないが、決して会話が得意というわけでない。一人黙々と読書でもしている方が好きなタイプなのだ。

 そんな俺が自分から進んで友達を作らなければいけないなんて、一体どんな無理ゲーなんだって話だよちくしょうめ。

「じゃあ、また二週間後ね~。先生、すごく楽しみにしてるわ~」

「…………はい」

 意気消沈と頷く俺。言い出しっぺなだけに、なにも反論できないところがまた辛い。


 こうして。

 自ら掘った墓穴のために、俺はめちゃくちゃ不本意ながらも、二週間以内に友達を作る羽目になってしまったのであった。

 どうしてこうった……。


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