第2話 クラスメート



「──で、当たり前のように黒服さん達も付いて来るんだね……」

 エリカと合流してからしばらく経ったのち、しっかりと等間隔で後方を追随する黒服二人に、奏翔は微妙な表情でそう漏らした。

「一応わたくしのボディガードですから。とはいえ、わたくしとしてもお慕いする殿方と共に過ごす時くらいそっとしてもらいたいところではありますわね」

「それは承諾しかねます。我々の仕事はお嬢様をお守りすることにあるのですから。なにかあった際にも旦那様に顔向けできません」

「──ということらしいですわ」

 黒服の一人が答えた言葉に、辟易とした表情を浮かべるエリカ。まあ、こんな強面の男に始終そばにいられたら、あまり良い気分はしないのは確かだろう。

「本当に申しわけありませんわ。いつもこのような輩を引き連れてしまって。正直鬱陶しいことこの上ないのでは?」

「最初はともかく、今はすっかり慣れちゃったよ」

 もっとも慣れたのは奏翔達とこの光景を見慣れている近所の人や通勤や通学でいつもそばを通り過ぎる人くらいで。それ以外の人達は大抵ギョッと双眸を剥いていたりするが。

「なんだかわたし達までVIP扱いされているみたいで、ちょっとこそばゆいよね~」

「それはわかる。僕らを見る周りの人の目がたまに羨望に満ちているのがあって、申しわけない気分になるんだよなあ。実際はただの一般庶民なのに」

「あら。でしたらちょうどいい予行練習と考えてみては? 結婚したら、これが当たり前の日常となってしまいますから」

「ちょいちょいアプローチと見せかけたプレッシャーをかけてくるよね、エリカさんって……」

 なんて会話を交わしている内に、奏翔達が通う学校……秀道しゅうどう高校の校門が見えてきた。

 校門にはすでにたくさんの人で溢れ返っており、談笑や一心不乱に校舎へと向かう生徒達などで視界がいっぱいだ。校舎横にあるグラウンドからは部活で朝練している生徒達のかけ声が響き、いつもとなにも変わらない時間を刻んでいた。

「わ~。人でいっぱいだね~」

「途中で長々と話し込んでしまったからな。でも、こんなことならもう少し急げばよかったな……」

「かなちゃん、人混み苦手だもんね~。だからわたしも早めにかなちゃんを起こしに行ってるんだけど、これからはもっと早めに起こそうか?」

「いや、いい。人混みは苦手だけど、朝早く起きるのはもっと嫌だ」

「ぶれないなあ、かなちゃんは。あんまり面倒なことばかり言ってると、その内周りにいる人達に愛想尽かされちゃうよ?」

「安心してくださまいし。たとえ世界中の人が奏翔さんに愛想を尽かしても、わたくしだけは奏翔さんを愛し続けますわ」

「おお~。まるで最終決戦前夜に葛藤する主人公の背中をそっと押すヒロインみたいなセリフだね! でもその後、彼らの姿を見た者はだれもいなかった……」

「おいやめろ。バットエンドで締めくくるのは」

 縁起でもない。


「……大丈夫。奏翔は死なない。だってボクが守るから」


 と。

 ひなたにツッコミを入れたところで、不意に奏翔の背後から抑揚のない静穏とした声が届いた。

「えっ。ひ、ひいらぎさん?」

 驚きつつ後ろを振り返った奏翔に、柊──短く切り揃えられた銀髪の少女は、ぼんやりとした無表情で「……おはよう。奏翔」と挨拶を口にした。

 御影みかげひいらぎ。奏翔と同じクラスメートで、一年生の時に席替えで隣同士になった時から付き合いのある少女だ。

 見た目はひなたやエリカと引けを取らないほど整っていて、たとえるなら雪の結晶のような、美しさの中に儚さのある少女と言えば形容として相応しいかもしれない。背はこの年代の平均身長ではあるが、ひなたほどではなくとも童顔のためか、やや幼く見える。それでいて普段から一切表情筋が動かないためか、なんだか精巧にできた人形と接しているような感覚だった。

 しかしながら、微塵も人間味を感じないかと言えば、決してそんなことはなく──

「わ~っ。レイちゃんの名セリフだ~。もしかして、ひいちゃんもあの名作アニメが好きなの?」

「……劇場版は『破』こそ至高」

 ひなたの質問にこくりと首肯して、ピースサインを作る柊。

 と、このように、以外と表情以外は感情豊かというか、存外ノリのいい少女だったりする。しかも先の発言から察しが付くようにオタ知識もそれなりに豊富なので、奏翔だけでなくひなたやそれ以外の者とも良好な関係を築いていた。まあどことなく猫っぽい雰囲気もあるので、一部の女子からはペット扱いされていたりもするが。

「柊さんもわたくし達と同じくらいの時間に到着していたんですのね。というより、いつも少しギリギリの時間帯に登校することが多いように見えますけれど、朝はなにかしてらっしゃいますの?」

「……朝は学校に行く支度を済ませたあと、朝食を取りながら録画していた深夜アニメを観ている。そのせいか、朝は大抵ギリギリになる」

「あー。ひいちゃんは朝にすぐアニメを観るタイプなんだね。わたしは学校から帰ってから、録画した深夜アニメを観るタイプだな~」

「僕は休日に撮り溜めした分を消化する方かな。平日は勉強かゲームを進めていたいし」

「勉強はともかく、夜遅くまでゲームするのはやめようよ~。もう口が酸っぱくなるくらい言ってるけどさ~」

「それは無理な相談だな」

 たとえ天地がひっくり返ったとしても、これまでの生活を改める気などさらさらない。

「……逆にひなたは、睡眠時間を削ってでも勉強した方がいい。この間の実力テストも、赤点すれすれの点数ばかりだったはず」

「あー。そういえば答案用紙を返された時も、死んだ魚のような目をされていましたわよね、ひなたさん。ちなみにあらゆる面で完璧なわたくしは、当然のごとくテストの結果も最良でしたわ!」

 おほほほ! と金持ちキャラにありがちな高笑いを上げるエリカに「ぐぐぐ……っ」とひなたはいかにも悔しそうに歯噛みしてそっぽを向いた。

「だってだって! せっかくの夏休みなのに勉強なんてしたくなかったんだもん! 宿題だって山ほどあったし!」

「……宿題は終わらせて当然のもの。テスト前に予習復習をするのも学生なら当たり前のこと。そんなボクは今回の実力テストで全教科七十点台だった」

「柊さんの言う通りだぞ。人のことばかり言ってないで、少しはひなたも自分の勉強時間を見直した方がいいぞ。あ、ついでに言っておくと僕は八十点台な」

「わ~ん! みんなの裏切り者~っ!」

 奏翔達の点数を聞いて、涙目になるひなた。というか、人聞きの悪いことを言わないでもらいたい。ひなたの場合、身から出た錆みたいなものだから。

「いいもんいいもん。明日のかなちゃんの朝食はタワシにするもん。せいぜいコロッケと間違えて痛い目を見たらいいよ!」

「地味に嫌な攻撃はやめろ」

 それ以前に、タワシとコロッケを間違えるほど間抜けではないつもりなのだが。一体ひなたの目には自分がどう映っているのやら。

 そうしてすっかりヘソを曲げたひなたは、そのまま「ふーんだっ」と捨てセリフだけを吐いて、一人校舎の方へと向かってしまった。

 慌てて「あ、おいひなた!」と呼び止める奏翔であったが、一度もこちらを振り返ることなく校舎の中へと消えてしまった。

「まったくひなたの奴、あれくらいのことで機嫌を損ねて……」

「……でも、少し揶揄い過ぎたかもしれない。反省」

「ですわね。ひなたさんの反応が面白いあまり、少々やり過ぎてしまいましたわ。あとで謝っておかないと……」

「大丈夫だよ。ひなたのことだから、きっと教室に着いた頃には機嫌も直っているんじゃないかな」

 長年の付き合いだからこそわかる。ひなたは直情的な奴ではあるが、いつまでも怒りを引っ張るタイプではない。良くも悪くも単純というか、ずっと禍根を残しておけるほど、執念深くはないのである。

「それにひなたに限って言えば、お菓子でもあげればなんでも許してくれるよ。食い意地の張った奴だからね」

「では、あとで後ろにいる黒服になにかお菓子でも買いに行かせますわ。よろしいですわね?」

 エリカの言葉に無言で頷く黒服二人。エリカが頼んだ菓子なら上等なものだろうし、効果は抜群だろう。

「じゃあ僕らも行こうか。案外ひなたもすぐ寂しくなって、下駄箱付近で待っているかもしれないし」

「ええ。しかしひなたさんも、このわたくしにここまで気を遣わせるなんてなかなかの大物ですわねえ」

「……けど、そこが可愛いところでもある」

 などと三者三様の意見を述べつつ、奏翔達は門をくぐって校舎へと目指した。




 秀道高校には学年別に下駄箱が分かれており、一年生は正面口、二年生は西口、三年生は東口にとそれぞれ下駄箱が設置されている。そのため、二年生である奏翔達は本校舎と別校舎の間に挟まれた、一番遠回りとなってしまう西口へと行かねばならない。つまり、遮蔽物のない他の出入り口とは違い、斜めに進むなどしてショートカットすることはできないのだ。

 それだけでも奏翔にしてみれば面倒な話ではあるのだが、それ以上に頭を悩ませる問題がそこにあった。それはなにかと言うと──


「おはようございま~す!」

「朝の挨拶運動にご協力くださ~い!」

「気持ちいい挨拶を交わして、朝の眠気を吹き飛ばしましょう!」


 西口前の両端に、規律良く一列に並ぶ数人の二年生の生徒達。その生徒達は同学年が西口をくぐる度に商店街の客寄せのような発声で挨拶を送っていた。

「うわあ。今日もやってる……」

「……奏翔、なんだか嫌そう。ああいうのは苦手?」

「……うん。ちょっとね……」

 どちらかというと日陰キャラの自分に、あの元気の良さが目に眩しくて困るというか、どうしても引け目を感じてしまうのだ。地味男子にあの体育会系のノリは正直キツい。

「確かあれって、生徒会が夏休み前にスローガンとして始めたものでしたわよね? 生徒会だけでなく、各クラスの委員長まで巻き込んで」

「そうそう。しかも強制のはずなのに、以外とみんな活き活きとしているんだよね。そのせいか、挨拶を返さないと強引に迫ってくるっていう……」

「まるで挨拶の押し売りですわねえ」

「……しかもクーリングオフ不可」

 なかなか上手いことを言うエリカと柊。この二人も親しい者以外に率先して挨拶をするようなキャラではないので、奏翔と同じような思いを抱いているのかもしれない。

「……こういう時、奏翔ならどうする? ボクはいつも気配を殺しつつ、人波に紛れて下駄箱に向かう」

「う~ん。僕の時は、大抵ひなたが僕の分まで挨拶してくれていたからなあ。ひなたがみんなの相手をしてくれている間に、ひっそり中に入ることが多いかも」

「わたくしも懇意にしている方以外と話す気なんてないので、いつもひなたさんにお任せでしたわね。もっとも、進んでわたくしに話しかけようとする方なんて元からおりませんけれど」

 そりゃ校内にまで屈強そうな男を二人も後ろに仕えさせていたら、だれでも声をかけるのを躊躇うと思う。

 それにしても、こうして考えてみると、ひなたのあの無邪気さに何度も助けられていたのだなと改めて実感してしまった。ひなたにしてみれば別段意図してやったことではないのだろうけど。


「そこで立ち止まっている三人! 早く移動しなさい! 他の生徒達の迷惑よ!」


 と。

 エリカと柊の三人で話し込んでいた最中、そんな叱声が奏翔の耳朶を打った。

 そのよく通る声は明らかに奏翔達に向けられており、事実、正面の挨拶運動をしている列の一人が憤然とした面持ちでこちらと早足で向かって来ていた。

「ダメじゃない。さっきからずっと挨拶もしないまま道のど真ん中で立ち止まって……って、あら。だれかと思ったら音無君じゃない。それに千条院さんと御影さんまで」

 目前まで来たところで、その女子生徒は奏翔達の姿を間近で見て初めて気付いたようにまなじりを開いた。

「ああ。どっかで聞いた声だと思ったら委員長だったのか。そっか。委員長も挨拶運動に参加しているんだっけ?」

「当然でしょ? だって『委員長』なんだから」

 奏翔の問いに、委員長と呼ばれた少女は呆れたように嘆息混じりで応えた。

 雛月ひなづき霧絵きりえ──奏翔と同じクラスで、委員長も務めている少女。見た目はやや吊り目がちで鼻梁も高く、長い艶やかな黒髪とスレンダーな体型も相俟ってか、硬質的な美人といった印象が強い。

 実際委員長も任されていることもあってかなり厳格な人柄ではあるが、一切融通が利かないかと言えば案外そんなことはなく。きちんとした正当な理由があれば納得もするし、場合によっては手も貸してくれるくらいの柔軟さだってある。

 実は奏翔も霧絵と初めて同じクラスになった際にちょっとしたトラブルで世話になった経緯があり、以来、そこまで深い仲でもないが、なんだかんだ今でも親交が続いている。

「というより私、二学期が始まった時からずっと挨拶運動に参加していたのだけど? もしかして音無君、今まで全然気が付かなかったの?」

「いやー、あはは……」

 胡乱な目を向けてくる霧絵に、あからさまに視線を逸らして苦笑する奏翔。新学期になってからすでに一週間も経っているが、まるで気付かなかった。なるべく挨拶運動をする人達から目線を合わせずに下駄箱へと直行していたせいだろう。

「ま、いいわ。とりあえずここにいたら通行の妨げになるから、さっさと端に寄るか、中に入ってもらえないかしら?」

 言われて、奏翔は慌てて出入り口そばの端へと移動した。それを見て、エリカと柊も奏翔の近くへと歩む。

「やれやれ。この高貴なわたくしが、凡百の有象無象のために道を譲らないといけないとは……」

「有象無象って……。千条院さん、もう少し言い方というものはあるでしょう?」

「……委員長。これでもエリカは譲歩した方」

「これで譲歩……? 譲歩ってどういう意味だったかしら……」

「なんだかバカにされているような気がするのは、わたくしの気のせい……?」

 遠回しに失礼なことを言う柊と霧絵に、口端を引きつらせるエリカ。気のせいでもなんでもないと思うが、平和のためにあえて黙っておこう。

「それより委員長。なんで僕らに付いて来たの? 挨拶運動は?」

「あとでまた戻るわ。それよりも、音無君に訊きたいことがあったのよ」

「訊きたいこと?」

「ええ。少し前に笹野さんがむくれた顔で校舎の中に入っていったのだけれど、なにかあったの?」

 霧絵の質問に、奏翔は「あー……」と視線を泳がせた。

「そのあからさまな反応、さてはまた笹野さんとケンカしたのね? それもどうせくだらない理由で」

「よくわかったね、委員長……」

「わかるわよ。何度二人のケンカを仲裁したと思っているのよ」

「いつもご迷惑をおかけしまして、大変申しわけありません……」

「まったくよ。この間だって教室のど真ん中で音無君と笹野さんが言い合いを始めるものだから、詳しく事情を訊いてみたら、結婚相手はビアンカにするかフローラにするかなんていう、至極しょうもないことでケンカして……」

「いやでもあれは、あの大作RPGをプレイした人ならだれでも論争になる話で──」

「けど、教室で言い争うような話題じゃないでしょう? しかも廊下にまで響くような大声で。周りにしてみたら迷惑もいいところよ」

「仰る通りです……」

 正論過ぎてぐうの音も出なかった。

 こんな具合にいつも霧絵の世話になっているのだが、霧絵の言う通り、わざわざ教室で口論しなければならないような話題ではなかったと思う。

 あのあと霧絵の機転もあって周りにいたクラスメートにもどうでもいい些事と受け取ってもらえたが、今思い返してみても我ながら浅慮だったと反省している。今度からは場所を考えて討論せねば。

「……あの話題で争いにならない方がおかしい。言わば、お好み焼きは関西風か広島風かのどちらがいいかと、それぞれの地元民に訊ねるようなものだから。そんなボクはビアンカ一択」

「あら、そこはフローラ一択ではなくて? なにも得るものがないビアンカより、色々とお金やアイテムを支給してくれるフローラの方が貴重のように思えますけれど?」

「だよねだよね! やっぱりフローラだよね! ストーリーを楽に進ませるなら、フローラ以外の選択なんてあり得ない!」

「……理解不能。奏翔と言えども、さすがにそれは賛同しかねる。幼なじみとの絆よりもお金を選ぶなんて愚の骨頂」

「うん。わかった。あなた達にとってこの話題が禁忌なのだということは、今のやり取りでよくわかったわ……」

 は~、と聞こえよがしに溜め息を吐く霧絵。はて、どうしてこんなにも呆れられているのだろうか?

「まあなんにしても、ちゃんと謝っておいた方がいいと思うわ。あなた達のことだから、どうせすぐ仲直りするとは思うけれど」

「あ、うん。そうする」

「なら、私から言うことはなにもないわ。速やかに靴を履き替えて教室に向かいなさい」

 それだけ告げて、霧絵は元の場所へと戻っていった。

「相変わらず、なにかと忙しない方ですわねえ」

「委員長だしね。それに、ああいう活動に参加するのが元から好きみたいだし」

 霧絵の後ろ姿を見送りながら、そんな感想を漏らすエリカと奏翔。率先して委員会活動に参加する者なんて、奏翔の知り合いでも霧絵ぐらいなものだが、よくぞあそこまで他人のために身を費やせるものだ。

 などと、ある種の尊敬に近い念を抱きつつ、奏翔達は校舎の中へと入っていった。




「おっそ~い! 来るのが遅いよ、かなちゃん!」

 下駄箱の前まで来たところで、腕を組みながら仁王立ちしているひなたと遭遇した。

「ひなた……? ひょっとして、僕らが来るまでずっと待っていたのか?」

「そうだよ。だって一人で教室に行くなんてつまんないし」

 実にあっけらかんとした口調で応えるひなた。まさか半分冗談でエリカ達に言った予想が的中するとは思ってもみなかったので、正直びっくりだ。

 ひとまず、それはそれとして。

「……その、ひなた。もう怒ってないのか……?」

「怒るって、なにが?」

「なにって、ほら、校門を通る前にちょっと揶揄ってしまったろ? そのことだよ」

「ああ、あれ? 別にもう怒ってないよ? わたしの心は琵琶湖くらい広いからね!」

「海じゃないんかい」

 いや、琵琶湖も十分に広いとは思うが。

 とまれかくまれ、どうやら怒っていないのは本当のようだ。なぜこうもあっさり怒りを鎮めたのはわからないが、変にこじれなくて良かったということにしておこう。

 と、人知れず胸を撫で下ろして、なんとなく視線を足元に移したところで──

「……あのさ、ひなた」

「なあに、かなちゃん?」

「なんで僕の上靴履いてんの?」

「…………」

「…………」

「はっ! い、いつの間に!? 催眠術とか超スピードとかチャチなものじゃない、もっと恐ろしい片鱗を味わってしまったのかも……!?」

「下手な子芝居はやめろ」

 いつからお前は異能バトルの登場人物になったというのだ。

「だって、あのまま教室に行くのは癪だっただもん! せめて一矢報わないと!」

「余計な反骨心を見せるな。しかも、やることが小学生レベルの悪戯だし」

 だが、ひなたがこの手の悪戯をする時は「仲直りしたい」という遠回しのメッセージでもあるので、ここは自分から折れた方が無難だろう。それにこっちにも非はあるし。

「……けどまあ、僕も悪かったよ。揶揄ってごめん」

「……右に同じ」

「わたくしも、渋々ながら謝罪してあげますわ」

 奏翔に習うように頭を下げる柊とエリカ(エリカは会釈程度にしか下げていないが)。

 それを見て、ひなたも多少は溜飲が下がったのか「まあ、そうやって謝ってくれるのなら……」と語勢を弱めた。

「お詫びの印と言ってはなんですが、今黒服達にお菓子を買わせに行かせていますわ。おそらく教室に着いた頃には届いていると思いますから、その時に皆さんで食べましょう」

「みんな! なにしてるの! 早く教室に行くよ!」

「あ! おいこら! 僕の上靴を履いたまま走るな!」

 エリカの言葉に、浮足立ったように廊下へと躍り出るひなたに、奏翔が慌てて呼び止めた。どれだけ心変わりが早いんだ、こいつは。

「えへへ~。つい嬉しくてこのまま駆け出しちゃった~」

「気を付けろよ。ただでさえブカブカなんだから」

 照れた顔で戻ってきたひなたに、溜め息混じりに釘を刺す奏翔。

 そうしてひなたから上靴を受け取り、外靴と履き替えて自分の下駄箱の戸を開けたところで、

「……んん?」

 外靴を仕舞おうとして、なにげなく見た下駄箱の奥に、四つ折りにされたメモ帳のような紙がひっそりと置かれていた。

 すわラブレターかと一瞬色めき立つ奏翔ではあったが、ラブレターにしてはずいぶんと質素に見えたし、なによりエリカ以外の女子に告白されるような心当たりなんて微塵たりともない。見ず知らずの女子という線も捨てきれないが、これといって委員会にも部活にも参加したことがなく、自他共に認める陰キャラな自分がだれかに恋慕されるなんて、想像が付かなかった。

 となると、なにかの悪戯という可能性が濃厚だが──

「なあ、ひなた。僕の下駄箱になにか入れたか?」

「へ? 別になにもしてないよ? どうかしたの?」

 そばにいたひなたにそう訊ねてみるも、本当になにも知らなさそうな反応に「いや、なんでもない」と首を振る奏翔。てっきりひなたの悪戯がまだ残っていたのかと疑いを持ってしまったが、どうやら違うらしい。

 ひなたの悪戯でないということは、他のだれかの悪戯なのだろうか。いや、まだ悪戯と決まったわけではないが、脅迫文という線も否めないし、警戒するに越したことはない。

 そんなわけで、おそるおそる紙に手を伸ばし、念のためにだれにも見られないようにひっそりと下駄箱の中で紙を開いた。


『気を付けて。あなたは命を狙われている』


 明らかに機械で打ち込まれたような明朝体の黒文字──なおかつ余白を余らせて書かれたその一文に、奏翔は眉をしかめた。

「なんだこれ……? どういう意味だ……?」

「かなちゃ~ん。いつまでそこにいるの? わたしもエリちゃんもひいちゃんも、とっくに靴を履き替えちゃったよ~」

 不意に届いたその声に、奏翔は反射的に紙を握り締めて、

「す、すぐ行く! もう少し待ってくれ!」

 と慌てて言葉を返した。

「ま、どうせただの悪戯だよな……」

「かなちゃ~ん?」

「わかったわかった! 今行くから!」

 ひなたに急かされ、慌てて靴を履き替えつつ、先ほど握り締めた紙を密かにズボンのポケットに忍び込ませる。

 そうして、ひなた達と一緒に教室に着いた頃には、手紙のことなんてすっかり頭から抜け落ちていた。



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