第3話

「はあ?」


 不満を明らかに、少女は声を上げた。畳んでいた男の肉を蹴り、俺を刺殺さんばかりに睨みつける。


「い、妹が、死んで……それを、捨てて来いって、父親に言われて……」


 辿々しくも、俺は少女に事の経緯を語った。父親に殺された妹のこと、それを捨てにこの屋敷へ立ち寄ったこと。正門に置いたキャリーケースの存在を知った頃になって、少女ははっきりと眉間に皺を寄せていた。


「つまりお前も僕と然程変わらない状況だな?」

「いや、大分違うと思うけど……」

「身内の死体を捨てたいんだろう? 何が違う」


 過程と意義を飛ばして、少女は溜息を吐いた。「脅して損した」と、彼女はベッドの上に腰を下ろす。脅迫しているという自覚はあったらしい。髪の隙間、頭を掻き毟る少女の姿は、やけに人間味を帯びていた。遅れてやって来た現実感は、俺の胃の入り口で暴れ狂った。喉の奥まで胃酸が浮き上がる。脂汗が額に浮いた。


「今更そんな顔するなよ」


 俺の顔を見て、少女は鼻で笑った。ベタつく手で、俺の顔を撫でる。その指は汗を拭うように俺の表面を滑った。


「僕は」


 少女は首の曲線を指先でなぞる。俺が着る襤褸切れに少女の健やかな爪が引っかかった。


「僕の名前は七竈ななかまどハラヤ。十二歳。好きなものはアイスクリームと、本を読むこと。今朝、母親と男を殺した。殺人は初体験。死体遺棄は未経験。親しい友人はいない。学校に行ったことがないから」


 淡々と、彼女はそう唱えた。少女――七竈の言葉は、頭蓋骨の中で反響して、俺の中身を引き摺り出そうとする。ごく自然に、俺の口は開いていた。肩を掴む七竈の手を取って、俺は言葉を重ねた。


「俺の名前は……葦屋あしや幽冥かくり。十二歳。好きなものは、無い。人を殺したことも、無い。死体を捨てるのも今日が初めて。友達は……いない。学校には、行っているけど、誰も俺に近づかないから」


 反復する俺に、七竈は「ふうん」と鼻を鳴らした。品定めするように、彼女はその大きな瞳で、キツイばかりで威圧しか出来ない俺の目を見つめていた。


「見たところ金も居場所も何も無いらしいじゃないか」


 口を覆うこともなく、彼女は言った。飾り気も無い、ただ事実だけを淡々と述べる。彼女の言う通り、俺は何も持っていない。七竈とは何もかもが異なっていた。唯一同じとすれば、その時の俺達には、友人と呼べる相手がいなかったことくらいか。


「なら都合が良い。お前、僕の友人になれ。友人同士、一緒に死体を隠しに行くんだ」

「そそそ、それ、友人、友達って言うのか?」

「ならなんと呼ぶ? 僕達はお互いに捨ててしまいたい死体がある。僕はその死体を捨てるのに最適な場所を知っていて、それ以外にもお前に報酬を出せる立場にある。お前は何も持っていないが、その恵まれた体が、体力がある。等価交換が出来るだけの条件は、一応は揃っている。ビジネスと呼ぶには稚拙極まりない。共犯と呼ぶには僕達は足並みを揃えられていない」


 当時の俺には、七竈が何を言っているのか、あまり理解できていなかった。多分、煙に巻かれたと言うのが正しい。七竈は俺に教養がないことを見抜いた上で、正しく聞こえる音を並べ立てていた。


「なら、友人と呼ぶ他に、どう呼んで欲しい? 相棒? コンビ? 飼い主とペット? 主従? お前は僕を何と見る? 同級生? 殺人鬼? 人形?」


 単語の羅列に、俺は唾を喉に通した。気がつけば俺は七竈の足元で、腰を抜かしていた。彼女は俺を見下ろしながら、僅かに口元を歪めた。


「――――それとも、お前も、僕を『神』と呼ぶか?」


 その時になって、俺は脳が沸き立つような、熱を帯びて冷静になっていく思考を知覚した。

 白く人間味を欠いた姿。黒く何者にも侵されない髪と瞳。その振る舞いは全てが輝いて見えて、神々しくも、掴めば消えてしまいそうな程に儚い。

 ――――神。そうだ、彼女は神様だ。

 彼女はその瞬間、確かに


「虫唾が走る」


 冷や水をかけるように、彼女はそう唱えた。まるで魔法が解けたように、一瞬にして、七竈の背にあった神々しさが掻き消される。幻惑に醒める。自分が何を考えていたのか、思い出せなくなる。ドリルで男の頭に穴を開け、母親の脳天を包丁でかち割って、アイスクリームを貪る少女を、神と呼ぼうとした自分の汚らしい口。俺はその口を両手で抑えて、少女を見上げた。


「神なんて、人間の現実を紛らわすだけの、思慮の奴隷じゃないか」


 七竈の口から零れ落ちたのは、疲労と悪意のこもった、本音のような何かだった。多分、その一瞬の震えた声が、琴線に触れてしまったのだと思う。心臓の奥、肺と肺の隙間から、生暖かいものが、溢れる感覚があった。


「……友人、として、俺は、まず、何をしたら良い」


 これを同情と呼ぶのなら、俺は根本的におかしいのだろう。俺は七竈の後ろにあるものを何も知らないままに、その言葉だけで、この一人の少女に従うことを、選んでしまったのだから。


「……言っただろう。まずはこっちの男を運ぶ。次に母さんを。最後にお前の妹だ」


 何度も言わせるな。と、七竈は冷たく俺に言い放った。俺の手はもう震えを止めていて、彼女の言う通りに、男を引きずった。山を彷徨っていたというのに、俺の体は未だに疲れを知らず、自分の倍は重い男の体を背中に抱えた。引きずった跡が血の道となって廊下を汚す。けれど、七竈曰く、それについては大丈夫だということだった。

 死体さえ片付けてしまえば良い。それが子供らしい楽観的な浅慮から来るものだったのか、これから起こることを七竈自身がわかっていたのかは、定かになることはなかった。

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