彼女の姿は蝉の声にかき消される

夢乃間

返して

私は人間が嫌いだ。人の顔色を窺っているのが嫌い、汚い本音を隠しながら笑うのも嫌い。極めつけは顔だ。不細工だとかそういうのではなく、次々と豹変する表情が嫌い。笑っていると思えば怒ったり、怒ったかと思えばまた笑ったり。まるで芋虫がウネウネと動いているような人間の表情に吐き気がする。

学校にいる間、そんな気持ち悪さに耐えながら過ごさなければいけない。机に顔を伏せ、耳に手を当てて時間が過ぎるのをただじっと待つ。長い長い時間が過ぎれば、私はすぐに教室から飛び出し、学校の裏に行く。

この学校の裏には一本の木が生えており、そこに立て掛けてある台座に真っ白なキャンパスを乗せて絵を描く。

以前は風景画ばかり描いていたが、今は人物画にのめり込んでいる。描く人物のモデルは【星空 海里】。私の一つ下の後輩だ。

どうして彼女を描くようになったのか、それは1カ月も前に遡る。学校に登校する途中、ゆっくりと歩く海里の横を通り過ぎる時、彼女の表情を見てしまった。彼女の表情には何も無かった。

その時私は気付いた。表情の無い人物がとても美しく儚い存在だと。それから試しにキャンパスに彼女の絵を描いてみた。


「・・・あぁ。」


一目惚れだった・・・絵の中にいる星空海里、それが私の初恋相手だった。それからというもの、放課後は必ず彼女の絵を描き、それを家に持って帰って部屋に飾るのが日課だ。


「綺麗・・・あなたは、絵の中のあなたは変わらないわね。」


描き終えたばかりの彼女の絵に頬ずりをして、彼女を感じる。きっと私はずっと彼女を描き続けるだろう。


「ん?」


誰かが近づいてくる足音が聴こえた。しかも足音から察するに二人だ。キャンパスを隠し、私は木の裏に隠れて様子を見る。

学校の裏に来たのは星空海里・・・そして見知らぬ女子生徒。


(誰?)


友人だろうか?しかし、双方から漂う空気から察するに、友人とは違うものだろう。


『好きです!!!』


そう叫んだのは見知らぬ女子生徒の方だった。盗み見している私が言うのはなんだが、彼女に好意を伝えた所で、彼女は何も感じない。私はそう断言できる。


『・・・私も。』


・・・は?


『私もあなたが好きよ。』


何を言ってるの?


『本当ですか!』


うるさい、やめろ・・・。


『本当よ、私もあなたが好き。』


やめて・・・そんな表情を・・・そんな目を見せないで・・・。


『それじゃあ・・・私達・・・!』


『・・・ええ。恋人同士、ね。』


・・・。


『えへへ!それじゃあ、一緒に帰りましょう!』


『ええ、いいわよ。』


二人は手を繋いで去っていく。去る瞬間、海里が私を見ていた気がしたが、そんな事は今ではどうでもいい。

隠していたキャンパスを手に取り、絵の中で無表情のままこっちを見ている海里を見る。これが私の知る彼女、私が信じる彼女、私が好きな彼女。

それなのに、目の前で見せられた彼女の表情はとても幸せな表情だった。綺麗で、美しく、そして・・・気持ちが悪い表情だ。


「気持ち悪い・・・。」


込み上げてくる吐き気を抑えながら、私が今の感情に身を任せ、筆を振った。気付くと、彼女を描いた絵は黒く塗りつぶされ、その上が水で濡れていた。

最早誰の絵かも判別出来なくなった絵。木にとまっていた蝉の鳴き声が私の中の彼女をかき消していく。


「―――返して。」

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