第3話


 神代愛梨は風見一颯が嫌いだ。

 しかし最初から嫌いだったわけじゃない。


 昔は“好き”だった。

 いつも、ずっと一緒にいたいと思っていた。



 愛梨にとって、一颯は弟のような存在だった。

 子分と言い換えてもいい。


 一颯は昔は引っ込み思案で、臆病な性格だった。

 一方で愛梨は社交的で、明るく、好奇心旺盛だった。


 だからいつも、愛梨が一颯の手を引いてあげていた。


 初めて幼稚園に行く時も、小学校に行く時も。

 泣いてばかりの一颯を引っ張って上げていた。


 いつも愛梨が前を歩き、一颯が後ろを歩いていた。


 身体も愛梨の方が大きかった。

 愛梨の方が背も高かった。


 喧嘩をすれば、いつも愛梨が勝っていた。

 最後は愛梨の言い分が通った。

 

 愛梨が姉で、一颯は弟だった。

 愛梨が上で、一颯は下だった。


 私がいなければ彼はダメなのだ。

 愛梨はそう思っていた。


 それが最初に変わったのは……小学二年生の頃だったか。


 一颯と大喧嘩をし、取っ組み合いになり、泣かされた。

 いつもは一方的に叩かれるだけだった一颯に叩き返され、それがショックで泣いたのだ。


 以来、愛梨は一颯に暴力で喧嘩をすることはやめた。

 勝てないから。


 以来、二人はお互いを叩き合うような喧嘩はしていない。


 女の子を叩いてはいけないと、両親から強く言い聞かされている一颯の方から、愛梨に手を出すことは決してないからだ。


 それから時が経つにつれて、一颯は少しずつ愛梨の背中に迫り始めた。


 最初に体力で並ばれた。

 次に身長で並ばれた。

 最後は学力で並ばれた。


 中学の頃には、すでに体力と身長では勝てなくなっていた。


 私は女の子で、彼は男の子だ。

 体力や身長で負けるのは仕方がない。


 愛梨は自分にそう言い聞かせた。


 少なくとも学力では競っているのだ。

 事実、私と彼は首席と次席を争う中じゃないか。

 私と彼は対等な友人で、ライバルだ。


 そう思っていた。

 ……思い込もうとしていた。


 そんな愛梨の幻想は、高校に進学した最初の試験で崩れた。

 一颯が首席を取ったのに対し、愛梨は精々三分の一より上程度の順位しか取れなかった。


 何のことはない。

 今までは争いの次元が低かったから、競っているように見えただけ。

 天井が低かったから、偶然に愛梨が勝てることがあっただけ。


 とっくに一颯は愛梨を追い越していた。


 気が付くと愛梨は一颯を見上げていた。

 気が付くと愛梨は一颯の背中を見ていた。


 女顔で揶揄われていたはずなのに、端整な顔立ちになっていた。

 ひょろひょろだった身体が、がっしりとした男性の物になっていた。

 女の子にもモテ始めた。


 留学だってそうだ。

 昔は愛梨がいなければ、何もできなかったのに。

 知らないうちに勝手に一人で決めていた。


 気が付いたら、自分以上の行動力と自主性と勇気を身に着けていた。


 愛梨は一颯が嫌いになった。


 その整った顔立ちも。

 男性らしい、がっしりとした身体も。

 学力の高さも。

 勇気も。

 優しさも。

 気遣いも。


 優秀で、完璧で、何一つ欠点がないところも嫌いだ。


 そしてそんな彼の美点や、“カッコいい”と、素敵だと思えるところに醜く嫉妬する自分は、もっと嫌いだった。


 だから増々、一颯のことが嫌いになった。

 自分の醜いところを、再確認することになるから。


 そんな“嫌い”な一颯を評価し、期待する自分の両親は気に食わない。

 例えそれが妥当な評価であったとしても、腹が立つ。


 だから困らせてやろうと思って、家を飛び出した。

 ……本当は引き留められたら、すぐに戻るつもりだったのだ。


 でも、いくら待っても引き留めてくれなかったから、ここまで来た。

 それでも家の近くが家出先なのは、見つけて欲しいからだ。


 自分から帰るのは嫌だった。

 必死に自分を探す両親が見たかった。


 愛梨がここにいるのは、そんなバカでつまらない理由だ。


 そしてそれを幼馴染に指摘されたのは、もっと気に食わなかった。

 

 だから愛梨は思った。

 困らせてやろうと。


 完璧で、欠点なんて全くないように見える幼馴染を、傷つけてやりたいと思った。


 だから言ってやったのだ。


 嫌い。

 私の人生から消えて、と。


「き、嫌いって……」


 動揺を見せる一颯に対し、愛梨は尚も続ける。

 ずっと、心に抱いていた想いを、劣等感をぶちまける。


「嫌い。全部、嫌い。私より身長が高いからって、見下ろさないでよ。私よりも力が強いのも、足が早いのも……昔は弱っちくて、鈍間だったくせに! 私よりも頭が良いところも、成績が良いところも嫌い。それを全然、自慢しないのも嫌い。大っ嫌い。私よりも、優秀なくせに、性格がいいくせに、どうして私と同じ時に、同じ場所で生まれたの? 私と同じ時間と場所を歩かないでよ。あなたのせいで……私の人生、無茶苦茶!」


 言葉を発した直後は、愉快だった。

 清々した。

 ずっと、自分の心のうちに秘めていた膿を吐き出せたから。


 しかし……


「そうか。……そう、だったか」


 青白い顔でそう呟く幼馴染を見て、愛梨は血の気が引くのを感じた。


 やってしまった。

 言ってはいけないことを、言ってしまった。

 超えてはいけない一線を、超えてしまった。


 壊してしまった。


 例え息苦しくても、一緒にいたいと思うほど楽しい時間を。

 嫌いであっても、それ以上に好きだと言える幼馴染との関係を。


 それを自分の手で壊してしまった。

 愛梨はそれにようやく気付いた。


「あ、その……ま、待って。い、今のは、その、言葉の綾というか……」


 そんな愛梨の言い訳を遮るように、一颯は言った。







「俺もお前のこと、嫌いだったよ」

 

 

 あぁ……終わった。





______________________________________



びっくりした

どうしてこいつ急に俺のいいところ言い出したんだ!?



もしかして……痴話喧嘩




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