黒き森の鎮魂歌

永井 文治朗

(前編)

 なぜその悲劇が起きたのか。

 それともそれが本当に悲劇だったのか?

 事実上の敗軍の将として皇都パルムドールへと帰還する列車の車中でマリオン・ウルフ中佐はじっと押し黙って考え続けていた。

 揺れる列車の振動とやっと故郷に帰れる部下達の高揚した声の中にアイツの声はなかった。

 結果的になんの益もなく、黒き森とその後にあったマクデルバーグの死闘は其処に関わった騎士たちの胸にだけ深く刻みつけられている。

 仮に停戦条約締結が早まったとしてもアイツの命が延びたとも思えない。

 だとしたら、アイツはあれで良かったのかも知れない。

 イシュタール・タリエル准将がマリオンの隣で無警戒で邪気のないひげ面で大いびきをかいて眠っている。

 この狸親父がいてくれたから、マリオンは黒騎士隊副隊長としての責務を果たせたようにも感じている。

 アイツの死も冷静に受け止めて、故郷であるロベルタリアでマリオンの帰りを待つ婚約者シーラ・ファルメのことを考え、彼女との幸せな将来を思い描くことで、アイツの永遠の不在を自分に必死に言い聞かせている。

 しかし、ロベルタリア駅で満面の笑顔と共に出迎えたシーラは必ずマリオンに聞くことになるのだ。

「アロイスは何処?」と。

 皇国国家騎士として、それ以前に同じロベルタリア出身の弟分でありシーラと自分を取り持ったアロイス・エルメロイの不在について、マリオンは何処からどう語るべきなのだろうか?

 天才騎士と謳われ、才覚だけならマリオンを軽く凌駕した《氷の貴公子》剣聖アロイス・エルメロイの名を知らぬ皇国民はいない。

 そして、今はその闘死の真相も、その死自体もおそらくは知る筈がない。

 闘死したのは事実でアロイス・エルメロイはもうこの世に居ない事も厳然たる事実だ。

 その棺桶は荷物やトゥルーパーと共に同じ列車に乗せられている。

 だが、その闘死とは?

 アロイスが闘ったものとはなんだったのか。

 マリオンには答えを出す気にもなれなかった。

 一体なにがあの子供っぽい天才騎士を死に追いやったというのだろう?

 そして、彼の最期に纏わる物語を本当に語るべきは誰なのだろう。

 とても聡明でマリオンの無骨な聡明さを愛してやまないシーラに語るのは結局自分になるのだと、マリオン・ウルフ中佐は決断した。

 思い出せる限りの話を戦闘交戦記録だけでなく、記憶として、兄貴分としてアロイスに接していた自分の知る洗いざらいと、アロイスがマリオンに語って貰いたかった物語を、敢えて自分のように詩情に無縁で恵まれぬその身で不格好だろうと語らなければアロイスは納得してくれなどしないだろう。

 アロイスが本当に好きだった女性とはシーラ・ファルメに他ならない。

 アロイスから見てシーラは二つ年上のお姉さんだったが、シーラから好かれてもいたしアロイスもシーラに女性を意識していた。

 それでも、不器用で本命相手にだけは口下手な兄貴分のマリオンに譲ったのはアロイスの優しさであり、シーラと同じ位に兄がわりのマリオンを愛していたという事実に他ならない。

 死に報いることの難しさと生者が死者を語る奢りとを痛感しながら、マリオン・ウルフ中佐は愛するシーラ・ファルメに語る物語を頭の中で整理していった。

 それはアロイス・エルメライが確かに生きた証であり、その命の灯火が喪われていく過程の物語だった。


 皇暦1197年 12月16日


 皇暦1197年3月6日にトルバドール・カロリック少将兼国家騎士団副総帥の号令により、皇国の東方外征は始まった。

 リカルド・ヒュッケラン参謀部大尉の作戦案により、皇国は隣国オルデアインを僅か2週間で電撃的に攻略した。

 オルデアイン国王ケールズ・ライサンダは自国の主力部隊を同盟国である連邦国境沿いにあるフォルモナ要塞に逃がして徹底交戦の構えを見せ、皇国東征部隊はオルデアインの各所から進発した後、王都ルイードを制圧し、物流上と公益上の重要拠点を抑えた。

 それで終わりならそれで終わる話だった。

 しかし、トルバドール・カロリック少将はオルデアインを橋頭堡として連邦との直接交戦と戦果を求めて東方外征を始めたのであり、オルデアインの制圧は始まりに過ぎなかった。

 連邦東部のフェラリオ侯爵領とハルマイト侯爵領を抑えて、連邦王都ウェリントンを攻略する。

 ケールズ国王がフォルモナで徹底交戦することでオルデアイン国民たちへの督戦を呼びかけ、分断された北海艦隊との連携を図る。

 海洋国家という自国の特性を知り抜いているケールズは皇国の海路輸送を妨害し、皇国東征軍洋上艦艇群はオルデアインの精強な北海艦隊から痛打を受けつつ、陸路のか細い補給線で前線を維持していた。

 列車線路もまた補給線を維持する上で欠かせない要素となる。

 皇国北部の最大軍事拠点であるアイラーズ要塞と其処に配置された機動遊撃隊通称“黒騎士隊”もウェリントン攻略作戦に駆り出された。

 マリオン・ウルフ少佐とアロイス・エルメロイ中尉ら黒騎士隊にウェリントン近郊の重要拠点であるランツァー工房武力制圧の辞令が出たのは、暮れの押し迫った12月14日のことだった。

 それから2日後。

 連邦の冬は厳しいと言われているが今年は特に厳しい。

 既に降雪が始まっていて地域によっては積雪していた。

 軍事作戦が展開し辛いから城塞都市ウェリントンの力を削ぐ作戦をとる。

 雪の降りしきる中、イシュタールとマリオンは馬上で最後の詰めを話し合っていた。

「嫌な仕事になる。さっさと片付けたいところだな」

 イシュタール・タリエル准将は不快な様子を隠そうともせずにマリオンたち一同に視線を向けた。

「ランツァー工房をそのままには出来ない。だが、中立的存在であるトゥルーパー工房を武力制圧したとなれば・・・」

 マリオン・ウルフは鋭い眼光をイシュタールに向けて言い放った。

「我々の抱える人形職人たちが大挙離反するでしょうな。だから先手を打ち彼等に作戦計画を任せた」

 マリオンたちの扱うトゥルーパーを整備修理しているのも人形職人という職工集団であり、ランツァー工房は彼等にとっての聖地だった。

「ラムダのヤツはこうしたデリケートな仕事だからこそ、高名な黒騎士隊に任せて穏便に済ませるのが良かろうと言ったというが」と言いさしてイシュタール・タリエル准将は小声で囁いた。「その調子で俺達に嫌な役目は全部押しつけるつもりなのかもしれんな」

 マリオンの目が細くなる。

 自分たちに汚れ仕事を全部押しつける。

 東征部隊全軍司令官の《軍神》ラムダ・エゼルローテ中将なら考えかねない。

 イシュタールやマリオンはカロリック少将派であり、つまり少将子飼の肝煎り部隊に汚れ仕事を引き受けさせる。

 美味しい戦果は自分たち東部方面軍の東征主力部隊が持って行く。

 そして、戦略上重要ではあるが誰かが請け合わなければならない小骨を抜くような面倒で益もなく、その実、敵の眼前から餌皿を掠め取る怨嗟を受ける仕事は黒騎士隊にやらせる。

 そして、連邦騎士団にも皇国黒騎士隊とは死神部隊でありお前達の命脈を絶つために動くのだと喧伝する。

 そうなると必然的に黒騎士隊は敵味方から孤立させられた孤軍となる。

 補給線の伸びきった連邦奥地に進み入り、騎士たちなら誰もやりたがらない事を押しつけ、怨嗟と敵意を集中させて敵軍に叩かせる。

「まるで私刑ですね」

 マリオンはエゼルローテ中将の粗忽で血に餓えた《軍神》ぶりが嫌で、東部方面軍異動辞令の話を蹴ったことがあった。

 まだ、狸親父と呼ばれるイシュタールの食えない態度と戦争嫌いぶりの方が遙かにマシで、せめて人間扱いして貰えるだろうとアロイスをも強引に北部方面軍に招いた。

 それで中将に恨まれているとしたなら、イシュタール、マリオン、アロイスの存在が他の仲間たちを巻き込んでしまったのか?

「どっちみちそういうヤツだから《軍神》などと呼ばれているのさ。捨て駒は捨て駒なりに上手く使う。そして俺達は捨て駒にされた」

 イシュタールは軍人にしては優しげな曇りのない瞳でマリオンを見据えた。

「それでどうするね、副隊長?」

 マリオンは雪交じりの轍をしばし見つめた後にはっきり答えた。

「作戦案に従い粛々とランツァー工房を占拠します。ただし、誰一人傷つけないし、彼等がトゥルーパー以外のなにを持ち出そうと目をつぶります。兵達に略奪もさせません。機械は修理可能な程度に壊し、工房の建物は焼きます」

 イシュタールは目を細めた。

 そもそも黒騎士隊は駐屯基地のあるドルタニアからトゥルーパーさえ持ち込んでいなかった。

 所属する全機体を制圧中のドルタニア駐屯野営地に守備残存部隊と共に待機させてある。

 全長6メルテの巨人兵器トゥルーパーさえ数体あれば僅か半時でランツァー工房は廃墟と化す。

「儂も同感だ。一攫千金。一言一句、儂が考えていた通りの具体的命令で捕捉も修正もない。工房の建物はランツァーの象徴であるから焼けば“ランツァー工房の焼き討ち”だと言われるだろうが、建物自体は建て直そうとしたならあっという間に再建出来る。工房の要とは先祖伝来の設計書と替えの効かない作業機械ということ」

 そうして昨夜執り行われた作戦会議の内容を再確認する。

「はい。その作業を粛々と遂行する。兵士たちも意味は分かっているから笑ったり感情を昂ぶらせるヤツもいないし、もし居たら」と言ってマリオンは腰の拳銃にそっと手を触れた。

「そう気張るな。気張ると無用の衝突を生むぞ、俺達の態度と表情とが敵意のもとともなる」

 肩に力が入りすぎていたマリオンをそっと宥めてイシュタールは先を進んだ。

「黒騎士隊、全軍前進。これよりランツァー工房制圧作戦を行う」


 そうして彼等はやってきた。

 少し早い雪の降りしきる中、先頭を馬上で進むのは黒騎士隊隊長のイシュタール・タリエル准将だろう。

 そして、その背後を進むのが黒髪の映える武人の鑑と称されるマリオン・ウルフ少佐だ。

 後続の兵団は小銃を肩に掛けたままで、馬上の二人は腰のサーベルと拳銃の他は丸腰同然だった。

 皇国のトゥルーパーであるファンダールの姿も見当たらない。

「全員、銃をおろしなさい」

 座射姿勢で待機していたドールメンテナンサーたちはホッとしたように銃をおろした。

 東征部隊が連邦領内に侵攻してきたと聞いてから、ランツァー工房では修理に回された連邦トゥルーパーたるティアローテの修理作業を行う傍らで、連邦軍から回ってきた旧式小銃の射撃訓練を行ってきた。

 まずは標的訓練で銃の扱いを覚える。

 旧式小銃が回ってきたのは嫌がらせではなく配慮だった。

 連邦軍兵士達が使い込んだ古い小銃の方が素人たちに扱い易く、普段は作業工具を握るその手にも馴染んだ。

 その上で生き物の命を奪うことを覚えるために山狩りで鹿や猪を撃ったりもした。

 だが、人間を標的にするには練度も覚悟もなにも足りてなどいない。

 そして、相手が代表者を前面に出してくるからにはこちらも責任者が対応するよりなく、やはり父と兄とが諸手を挙げてタリエル准将を迎えた。

「私がランツァー工房責任者で社長。そしてドールマイスターのユベール・ランツァーです。隣が私の後継者として育てている息子のボロディン・ランツァーです」

 イシュタール・タリエル准将は軽く肩や軍帽に積もった雪を払い、馬を下りると深々と一礼した。

「皇国国家騎士団北部方面軍アイラーズ要塞司令官兼機動遊撃隊黒騎士隊隊長のイシュタール・タリエル准将です。お出迎えありがたく存じます」

 同様に馬を下りたマリオン・ウルフ少佐はそのまま片膝をついた。

「上層部の命令により、我々はランツァー工房の制圧に参りました。ドールマイスターの聖地を穢すは十分承知いたしております。愚挙、愚行と称される行為と分かっていても、我々の誰かがやらねばならぬのです。何故ならば」

 マリオンは立ち上がって作業ハンガーを指し示した。

「こうして今も連邦主力トゥルーパーたるティアローテたちが修理作業をしている。すなわち、中立とはいえ連邦騎士団の要請があれば修理改修要請を貴方方は断ることなど出来ない。逆に我々が軍属メンテナンサーの手に余る損傷状態のファンダールの修理を依頼したならば、貴方方はたとえ不本意といえども職人の矜持として正当な対価と引き換えに行う。違いますか?」

 私の父ユベールは頭を振って悲しげに答えた。

「何一つ間違ってなどいません。まったくおっしゃる通りです」

「ですから・・・」

 そう言ったきりマリオン・ウルフ少佐は顔を歪めてしばし沈黙した。

 そして、毅然と顔を上げるや後を続けた。

「我々は不本意ながらランツァー工房の制圧を執り行います。それにあたり約束することが三つ。武装解除に応じてくだされば我々は誰の命を取ることもしません。また、トゥルーパーそのものを除いてなにを持ち出そうとも、我々は何も見ていなかったと証言し、また我々がなにかを持ち出すことも一切致しません。最後が我々の作業について同席して確認したい希望者がいるのであれば止め立てしません。むしろ、我々の愚行を監督して頂きたい」

 提示された三つの約束について私の周りでもざわざわとざわめいた。

 黒騎士隊にはランツァー工房に対する敬意があり、不本意な命令であるから必要最低限にとどめたいのだという。

 社長である父ユベールを丸腰で差し出した時点で私たちはほぼ武装解除に等しい状態だった。

 血迷った誰かが銃を撃てばイシュタール・タリエル准将とマリオン・ウルフ少佐は死に、同時にユベール父さんとボロディン兄さんも死ぬ。

 それはランツァー工房の本当の終わりをも意味していた。

 そして接収資料としてティアローテの設計図や新型改修機の設計図案は彼等にとっては間違いなく戦果戦利品となる筈だが、それらの持ち出しを禁じないし、略奪行為は一切しない。

 戦争が終わったあとでいつかそれでやり直せという意味に他ならない。

 そして、破壊作業として彼等が行う行為について、作業機械は破壊するだろうし、それは彼等も記録として残さなければ制圧報告が出来ない。

 だが、何処を壊して使えなくするかについては私たちに任せる。

 素人の自分たちが破壊したなら二度と使い物にはならないスクラップにしてしまうかも知れない。

 それは避けたい。

 だから、立ち会って修理可能な箇所で壊しても直せる箇所を具体的に教えて欲しい。

 そして、ランツァー工房の象徴たる建物は燃やす。

 だが、延焼が広がり作業機械まで壊さぬように外に向けて崩して建物が焼け落ちたように見せるが、搬出出来ない作業機械は計算づくで壊して野晒しにする。

 野晒しであれこの冬だ。

 雪が降り積もり全てを覆い隠す。

 壊した作業機械に耐水性カバーをかけてその上に雪が降り積もれば季節が変わるまで誰にも実態を悟られない。

(ランツァー工房制圧偽装工作?この人たちはどうしてそこまでしようというの?)

 作業機械の影で狙撃隊への合図を担当していた私に気づいた人がいた。

 マリオン・ウルフ少佐だ。

 近くに見ると、とても女性受けしそうな整った顔立ちだが目鼻立ちが平坦で皇国民とも少し違っているし、軍帽から覗く黒い髪と黒い瞳は異国人を思わせた。

「一人足りないなと思っていたのですが此処におられたのですね、フェルメイア・ランツァーさん。エウロペアにその名高き天才ドールマイスター。貴方には是非ともお会いしたかったです」

 私は言葉を失い呆然とマリオン少佐を見上げていた。

 はっと我にかえるとその口を推測が思いつくままに述べられていく。

「何故です?なにが目的です?私が設計中の新型機についてですか?それとも私の設計図だけは用があるから寄越せと?それともまさか私だけは、女の私だけはなぐさ・・・」

 酷い言葉を言いかけた私の口をマリオン少佐の特別長くもない人差し指が優しく塞いでいた。

「滅多なことは言ってはなりませんよ。言霊信仰という。つまり呪いの言葉や歪んだ言葉は発することで現実味を帯びてしまうといいます。私の父が常々そう申していました。なにせ私の父はハポネス帝国政府の派遣武官として皇国に来ていたのですからね。そして母と出会い恋に落ちて私や姉たちを成したのです」

 そういうことだったかと私は納得した。

 黒い瞳はハポネス人特有のものである。

 だから、皇国人ですらない異国人としてマリオン・ウルフを見たことは満更間違いではなかった。

「貴方にお会いしたかったのは他でもありません。ランツァー家もまた異国人の血が入った東方由来の一族と聞いています、それで是非に貴方の目から見た今のエウロペアを知っておきたかった」

 マリオン少佐は少し寂しそうに俯いた。

 エウロペアには他国人を差別する嫌な風土がある。

 必要以上に持ち上げるか、逆に貶めるかだ。

 ヤン家と呼ばれる私たち一族の祖先は東方世界から流れ着いた。

 優れた職工技術者として持て囃され、ことトゥルーパー製作にかけては独自の思想と独自の技術を内包していた。

 ランツァー工房は何百年も前からエウロペア随一のトゥルーパー工房として稼働してきた。

 そうしてランツァー家一族の末裔として私が生まれた。

 ボロディン兄さんさえ凌駕し、エルドネイユ連邦国王陛下からも格別の寵愛を受けた。

 女としてでなく他に並ぶ者なき技術者として。

 連邦内で女の地位は低く、そのほとんどが子供を産み家事を行う奴隷のように扱われていた。

 つまり、私は例外中の例外だった。

 女性の国家元首頂き相対的に女性の地位が高い皇国なら私は今よりずっと高い評価と地位を得られたかも知れない。

 それでも私は私たちを育んだ連邦と其処に暮らす人々を愛していた。

「いまのエウロペアは歪んでいる。皇国が何故にオルデアインに攻め込み、まして連邦王国まで犯すのです?覇権帝国主義。つまりは私たちは強者と強者とが食い合う共食い状態に陥っていた。連邦が纏まりを欠くから皇国が先に動いた。そうして連邦を呑み込むか休戦調停調印までに多くのものを掠め取り、その上で手打ちにしようという腹づもりなのでしょう?それが皇国を列強に押し上げ、逆らおうという愚か者を減らす魂胆だと、この私が分からないとでもお思いになられているのですか?」

 マリオン・ウルフ少佐は軽く目を閉じて私の話を最後までしっかりと聞き届けた上で、つとめて優しく言った。

「そうですね。父がハポネスから送り込まれた事情もまた父が祖国にて大きな戦に関わった。そして、はみ出し者だったからエウロペアに派遣武官として視察して来いとなった。父はモノノフであり、本来の名を土方敬介といった。しかしながら、派遣武官としてはケイスケ・ヒジカタ大尉と名乗り、ハポネス帝国政府を代表して皇国の現地視察と兵科訓練の監督をしていたのです。聡明な父は皇国公用語も巧みに操り、高級軍人のみならず女王陛下への拝謁も許された。そうして父は20年近くずっと皇国で異邦人として過ごし、女王陛下の晩餐会の席で私の母ソフィーティア・エルアライメン侯爵次女と知り合ったのです」

 マリオンの言葉に違和感を感じたのは名前だった。

「それでは何故、貴方はマリオン・エルアライメンと名乗らないのです?」

 マリオン・ウルフは小さく冷笑した。

「それはエウロペアにははっきりと人種差別があり、異国人の父と異国人を夫とした母を嘲笑し、罵倒する声に溢れていたからでした。ですから、母は緊急帰国することになった父に同道するためにソフィーティアという名前をハポネス風に祖歩恵と改め、土方祖歩恵としてハポネスに向かったのです。同じくマリー姉さんも真理恵と、エリー姉さんも恵理と名を改め、私もまた私を育んだロベルタリアに侯爵領持つエルアライメン家から出る際に、父の昔の通称に由来してウルフと名乗るようになったのです。マリオン・ウルフというのは両親の愛情の証である偽名で、土方雷蔵あるいはライゾー・エルアライメンこそが私の本当の名です」

 私は一瞬ライゾーさんと呼びたい衝動に駆られていた。

 真名を呼ぶことで東方のモノノフの血を継ぐ彼になら私たちの窮状や苦悩を察してもくれるだろう。

 だが、それには礼儀として私も真名を名乗る必要がある。

 祖父母や父からは私が真名を名乗る相手とは将来を誓い、未来を共にすると誓った殿方でなくてはならないと教え諭されてきた。

 私は余程困った顔をしていたに違いない。

 マリオン・ウルフ・・・いやライゾー・ヒジカタは案ずるなとばかりに軍帽に手をやって直した。

「ヤン家のしきたりは存じております。もともとハポネスとヤン家の祖先の国セナーリアは兄弟の国です。そして、東方世界にも歪みが。父、土方敬介が呼び返された事情とはそのセナーリアとの戦争において土方敬介陸軍大佐として参戦せよという辞令が届いたことに他なりません。父はハポネス維新以来、改めてトルゥーパー魁(さきがけ)に乗れと命じられたのです」

 “魁”という名に私の胸は高鳴った。

 ハポネス東方世界が完成させた理想的なトゥルーパーだという話は連邦にも聞こえてきていた。

 圧倒的な性能持つ魁はハポネスのイド政府の認可したオルデアインの商船団に紛れ、東方世界の威力偵察と武器売り込みを目的としていた列強の思惑を見事に挫いた。

 魁はセナーリア主力のトゥルーパー哪吒と互角以上に渡り合う。

 哪吒にさえ皇国主力機のファンダールは全く歯が立たなかったという。

 まして魁はその哪吒さえも容易く平らげる。

 武は数なりというセナーリアと、武は業なりというハポネスは歴史的に対立してきたが、大軍擁するセナーリアをハポネスは少数精鋭のモノノフたちとそのトゥルーパーたちが寄せ付けなかった。

 長らくハポネスと通商同盟してきたオルデアインはハポネスに負けてなるものかと少数精鋭部隊の北海艦隊所属水陸両用機マーメドゥで抵抗している。

 それだけでなくハポネスから魁を友誼の証として供与されているからフォルモナ要塞で頑強に抵抗していた。

「貴方も一度は魁に乗ってみたいのでは?」

 目を輝かせているであろう私を見てライゾー・ヒジカタは頭を振った。

「私にはファンダールで十分です。そもそも私のファンダールは他とは少し違います。父の愛機たる魁カネミツとファンダールを組み合わせ、再構築したファンダール改カネミツ初番機の《雷》(いかずち)が私の愛機です」

 そのファンダール改カネミツ型こそが私の最大最悪の敵となるとはこの時点では思い及ばなかった。

 私たちに対する敵意の全く無いライゾーにすっかり籠絡されていた私は一番肝心なことを失念していた。

 彼等黒騎士隊は紳士的ではあるが私たち連邦民にとっては最悪の敵なのだ。

 その事実に気づいて意気消沈し、少し俯いた私をライゾーは、いやマリオン・ウルフ少佐はしっかりと見ていた。

「貴方たちも覚悟と備えはしていた。そして、私たちも覚悟をもって来た。ファンダール改カネミツは漆番機まで建造されていて、黒騎士隊小隊長格の乗機となっています。イシュタール・タリエル准将の陸番機である《明王》(みょうおう)もファウスト・シトレ大尉の肆番機である《閂》(かんぬき)も連邦のティアローテ撃破という目的で送り込まれているのです。必要以上に恨まないで欲しいからと私たちは最大限の譲歩をした。だが、貴方たちに恨むなとは決して言えないのですっ!」

 黒騎士隊はイシュタール・タリエル准将もマリオン・ウルフ少佐も人の感情を左右する程には傲慢ではなかった。

 私たちに敬意を払い、その上で連邦を蹂躙するために来た。

 敵と敵という平行線において、それでも認め合いたいという想いが彼等にはある。

「では、こうするのが良いのですね、土方雷蔵」

 私は作業用の手袋の片方をマリオン・ウルフ少佐の胸に投げつける。

 それが何を意味するかは皇国育ちのマリオンになら分かる。

「決闘の申し入れですか?」

 マリオン・ウルフ少佐は面食らってはいたが、当然だなと思い直した様子だった。

「貴方のお父上のお国では“求婚”を意味するのでなくて良かったですわ」

 私の皮肉にマリオン・ウルフは苦笑していた。

「既に婚約者が故郷におります。父の祖国に妾を持つ風習とてありますが、貴方を妾にする気など初めからありませんよ」

 私は精一杯に笑顔を作った。

「なる気もありませんわ、土方雷蔵。ただ、大陸屈指のドールマイスターたるフェルメイア・ランツァーを敵に回したことを後悔させて差し上げましょう」

 嘘だなと私は言いながら思った。

 この人になら抱かれてもいいとついさっき思ったばかりだった。

 真名を告げてこの人の妻になる。

 領民に対して要求ばかり突きつけ、内輪揉めばかりしている惰弱な連邦を見限ってさえいいとも。

 ここに騎士を喪ったティアローテが沢山あるのも、皇国のファンダールに惨敗してきたことの証だ。

 このハンノーファーの地とて皇国の支配下となれば私たちはもう少しまともな暮らしが出来るかも知れない。

 ランツァー工房はアイラーズ要塞に併設して再生させたっていい。

 父ユベールと兄ボロディンを裏切ったことになっても、それでランツァー工房とヤン家の血脈は保たれるのだ。

「これは勇ましいことを言われる」

 可哀想な人と私は思った。

 父、土方敬介に置いて行かれたのはおそらくは“人質”としてだった。

 名目的にはエルアライメン侯爵家の後継候補として。

 それに皇国生まれで疎まれて放り出された土方敬介の息子雷蔵をハポネス帝国政府が喜んで受け入れるとも思えない。

 雷蔵の姉たちが父の祖国に連れ帰られたのは、いずれはモノノフの妻として異国人の血の引くハポネス人として結婚させられ、土方敬介大佐は二度と皇国の地を踏むことはない。

 ハポネスで紡がれる自分のそれと雷蔵の血脈として東西の世界にモノノフ土方家は続いていくことを狙ったのだろう。

 そして、マリオン・ウルフ少佐は目の前にいる私の中でどんな葛藤劇が繰り広げられたかさえ知る由もないのだ。

「その心意気しかと受け取りました。なにより貴方にあの光景を見せずに済んだのでホッとしています」

 一瞬、この男がなにを言いたいのか分かりかねた。

 だが、燃え落ちていくランツァー工房の見慣れた作業場の壁面が視界の端に飛び込んできた。

(そうか、私にこれを見せないためにマリオン・ウルフ少佐こと土方雷蔵はずっと話相手になっていたんだ)

 いけない。

 私の中でもう一つの失念が警告していた。

 アレはダメだ。

 折角、配慮に配慮を重ねてくれたイシュタール・タリエルやマリオン・ウルフの紳士的行為を台無しにしてしまう。

「すみません、ちょっと確認したいことがございますのでこれにて失敬」

 私は踵を返してアレへと向かった。

 マリオン・ウルフの言葉に嘘がなく、部下の全員に徹底していたのであれば私が案ずる事態は起きない。

「フェルメイユ嬢、危険ですので作業小屋にはお近づきになりませぬよう」

 マリオン・ウルフの言葉を背中越しに聞きながら、どうかアレは人目につかない場所に運び入れるなり台無しにしてくれるなりして欲しいと願っていた。

 黒騎士隊は餓えた乱暴者の集団だと誤解していたから、あんなものを用意したのだ。

 私の労作でもあるのだが・・・。

(お願いっ、そのままであって)


 解体され焼き払われる工房を背に私は調理場へと走っていた。

 一人の若い黒騎士隊騎士が“それ”に手を付けていた。

「ありゃ、これはどうもお嬢さん」

「貴方それを食べたの?」

 私は多分蒼白になっていた。

「ごめん、ごめん。略奪になっちゃうかなとは思ったんだけど、どうも歓迎の意味で作られたものみたいだったし、小腹が空いてたんでつい」

 悪びれる様子もないその若い騎士。

 私は遅かったと確認していた。

 食いしん坊なんだろうが、行儀の良い騎士らしく、ちゃんとナイフで切り取られ用意されていたフォークで食べていた形跡はあった。

「食べたのは貴方だけ!?」

「そうだと思うけど?」

 真っ白なクリームで美味しそうに作られているそのケーキの中央には痛烈な皮肉を込めて“皇国万歳、連邦万歳”とチョコレート菓子に書いてあった。

「吐きなさい、いいから吐いて早くっ!」

「なにを言ってるんだい。とても美味しいケーキ・・・」

 後の言葉が続けられずにその若い騎士は蹲りゲェゲェと吐き出していた。

「まさか・・・毒?」

 ゲェゲェやりながらその若い騎士は私を睨んでいた。

「そうよ。作る段階から計算してナノ粒子を混ぜ込んであったの」

 ナノ粒子というのは猛毒だった。

 トゥルーパー製造過程で生じるナノ粒子は通常なら危険廃棄物としてセメントで固めて深く掘った穴に廃棄処分される。

 だが、ランツァー工房制圧に来る無粋な連中に食わせてしまえば命を奪える。

 なにもかも奪い尽くし、焼き尽くす作業を終えて腹を空かせた連中は工房で働く大勢の作業員たちに振る舞う大調理場に食べ物を求めて必ず来る。

 ケーキに書かれた両国友好の文字をお目出度い連中だと笑い飛ばし、工房を焼き私たちを殺し、犯したその手でケーキに手を伸ばすだろうと。

 私たちはそのとき既に陵辱されて死んだ後だろうと野獣どもへの復讐は出来る。

「ははは、コイツはまさに傑作だ」

 額に脂汗を浮かべ、ゲェゲェやりながらその若い騎士は倒れるのに任せてケーキを置いていたテーブルクロスをそのまま引っ張った。

 私の労作はそうして調理場の床に転がり原型を留めなくなっていた。

 すかさず私は調理場の片隅に置かれた消火用石灰をケーキの残骸に乱暴に撒いた。

 こうなってはもう餓えた犬でも食べやしない。

 そして、凍るように冷たい水道水をバケツに溜めて若い騎士に差し出した。

「飲んで、飲んだらすぐに吐いて」

 言われた通りに水を飲んでは吐瀉物と共に吐き出すという作業を続けていた若い騎士はそれを見て真っ青になった。

 吐瀉物の中に真っ赤な血液が混じっていた。

「そっか・・・歓迎なんてされるわけないよな。工房をぶっ壊しに来たボクらなんて卑しい鼠以下だよ。歓迎するつもりのケーキに毒がはいってたって文句言える立場じゃなかった。卑しい鼠野郎のボクはそんなことも考えなかった。奪われる側のキミたちの気持ちなんて全く考えずに、こっちは紳士的に振る舞うからキミたちもと・・・」

 私にはその言葉に耳を貸す余裕など無かった。

 私は普段から男共に負けない位に力仕事をしている。

 トゥルーパーの部品一つだって割合軽いとはいえそれでも普通の女の細腕からすれば重たい荷物だ。

 それと比べたら大きいとはいえケーキの残骸の一つや二つなどなんてことはない。

 早く証拠隠滅しなければ。

 幸い調理場の外にはかなりの雪が降り積もっていた。

 雪下ろし用のスコップでケーキの残骸を外に捨てた。

 仮に後で発見されたなら、冬眠し損なった餓えた熊避けの食罠だとも説明する。

 実際にあちこちに仕掛けられている。

 幸いにして目撃者もケーキを食べたのも一人だけだ。

 私は雪だまりにスコップを投げ捨てて腰に手をやっていた。

 狙撃用の小銃とは別に自決用の拳銃を持っていた。

 女として犯されることになろうとも、ドールマイスターとして人質にされることになってもそれを使って自ら命絶つ。

 その拳銃をあの若い騎士に向けて放つ。

 陵辱目的で襲われそうになり、護身のために発砲したのだと説明する。

 誤解なのか実際にそうだったかなんてこの際関係などない。

 死人に口なしで、生き残った私が自分の服と下着を破いてイシュタール・タリエル准将に訴え出れば特別問題にはされない。

 人殺しの女に彼等は申し訳ないと頭を下げることだろう。

 血を吐いて呆然としていた若い騎士は私の戻った様子を確認している様子だった。

 そしてこれから私がしようとしていることを理解していた。

「そうだね。そうするのが良いのかもね。ボクがキミを襲おうとして撃たれて死んだ。そうすれば全てを闇に葬れるね」

「・・・・・・」

「もともとボクがいけなかったんだ。良いというまでは手を出したらダメとシーラ姉ちゃんにだって散々言われていたし、ライゾーにも略奪行為はするなと散々釘を刺されていたのにさ。食欲に負けちゃった。だってあんまり美味しそうだったんだもの。これを作ったのはきっと可愛い女の子だろうなって」

 ライゾー?

 自分の上官であるマリオン・ウルフ少佐を真名で呼び捨てることの出来る若い騎士?

 そんな人物には一人しか心当たりがない。

「まさかっ、あなたがあの天才騎士アロイス・エルメロイ!?」

 まだ吐ききらないものが体内に残っている様子のその若く童顔の騎士は私の顔を見ようともせずに、まさに吐き捨てた。

「なんだ。ボクのこと知ってたんだ。そっかぁ、有名だもんね。エドラス杯でダイモス・グレイヒルに負けた半端者の野良犬騎士だって」

(なにを言ってるの?《冥王》ダイモス・グレイヒルを追い詰めた天才騎士で《氷の貴公子》の二つ名持つ剣聖アロイス・エルメロイ中尉を知らない人なんて連邦にも居ないわ)

 《冥王》と称される剣聖ダイモス・グレイヒル少佐は女王陛下の懐刀だと評判の男で、戦場には絶対に出て来ない。

 皇国近衛騎士団の絶対的エースであり、若いが卓越した実力は国内外に喧伝されている。

 つまり皇国領内に一歩踏み入れれば《冥王》ダイモス・グレイヒルに一閃されて騎士もトゥルーパーも一太刀で終わってしまう。

 雷蔵の父、土方敬介が有名なのも、7年前の御前試合でそのダイモス・グレイヒルを相手に6時間も戦い双方の機体限界として引き分けとして片付いた。

 その際に、両者はハンデを一切なくすため、わざわざどちらも使ったことのない連邦機のティアローテを使ったという。

「自分の強さが分かっていないの?」

 アロイスはまだあどけなさの残る童顔だが今年で25だという。

 私が今年26になるので1つしか違わない。

「なにそれ、ボクが本当に強かったらダイモスだろうがケイスケさんだろうが勝ってるって。所詮、ボクはその程度なんだよ」と言ってからアロイスは顔色を一変させた。「そういえばさっきライゾーに反応してたよね?」

 私は小さくコクンと頷いた。

「逃げて、早くっ!ライゾーが自分の真名を明かしたって事は、その人が敵に回るなら絶対に生かしておかないという意味なんだ。そうじゃなかったら一生の友か伴侶にするという誓い。ボクはライゾーとは同郷だったし敵になったこともないから今でも気安く呼んでるけど、他の隊士たちがライゾーなんて呼んだならすぐに殺されているよ」

「・・・・・・」

 私は自分の迂闊さを呪い、マリオン・ウルフが懐深く手繰り寄せようとしていたのが正に籠絡だったのだと気づいた。

 妻は別に予定者がいる。

 マリオンが求めているのはファンダール改カネミツたる《雷》のメンテナンサーあるいは改修機のマイスターだった。

 だから、初番機だと明かし、漆番機まであると明かし、要するに《雷》は初期ロット型なのでそろそろ本格的な改修が必要だから、専属マイトとして私を迎え入れたいという少し変わったプロポーズだった。

 それに対して私は手袋を投げつけて決闘すると息巻いた。

「それにアレ見ちゃったよ。プリンセススノーホワイト。まだ名前がなかったらそう名付けてあげたら。とっても美しかったんで時間を忘れてみとれちゃった」

 ティアローテ最終型。

 コードネームをつけた《白雪姫》を見られた?

 どうやら私に決断の時が迫っているようだった。

 高名な剣聖たる《氷の貴公子》アロイスを此処で殺す。

 毒殺であろうが、射殺であろうが、それはエウロペアの人々への裏切りだった。

 剣聖とはその名と共に生き、その名に恥じぬ死をとの願いをもって送り出される特別な騎士たちであり、アロイス・エルメロイもその一人なのだ。

 どの国の所属たる何処の騎士だとか関係はない。

 土方敬介はハポネスのミカドに仕えるモノノフという最上級の騎士だから、エウロペア人たちが勝手に剣聖名を付けるのは彼の武名や誇りに対する侮辱であると見送られていた。

 しかし、その息子ライゾーは皇国国家騎士だがいまだ剣聖ですらない。

 矜持と心構えは剣聖と言っていいが、デイモスに一太刀浴びせてこそとの期待をもってそのときが待たれている。

 剣聖と剣聖級の二人をまともに敵に回すなど馬鹿げている。

 そして、先程考えた稚拙な嘘など嘘だとすぐに見破られて、それこそマリオン・ウルフは血眼になって私を殺しに来るだろう。

 アロイスは・・・。

 放っておいても死ぬかも知れない。

 ナノ粒子を取り込んだことで生殖器不全に陥り、子を成せなくなる。

 さらに肺腑を侵されて血を吐くようになり、やがては枯れた植物のようになって死んでいく。

 応急措置をしていなかったなら、その場で死んでいてもおかしくなかった。

 なにより秘密兵器である《白雪姫》を見られてしまった。

(なにも選ばないわ。私はただ全力でこの場から逃げ、《白雪姫》で復讐の機会を待つ)

 私はそっとアロイスを振り返った。

「私はフェルメイア・ランツァー。連邦のドールマイスターであり騎士よ。貴方の見たものは正に私の最高傑作。もともとコードネームは白雪姫。だから、剣聖たる貴方の忠告と名付けに従ってプリンセススノーホワイトと名付けるわ」

「ありがとう、フェルメイア。だけど・・・」

 アロイス・エルメロイはすぐには死なない様子だし、至近距離で急所に一発撃ち込まない限り死なないだろうし、銃に手を掛ければ逆に腰の佩刀で返り討ちにされるかも知れない。

 銃声を聞けば黒騎士隊がすっ飛んで来る。

「ええ、逃げるわよ。私は誰のものにもならないわ。ご忠告に感謝するわアロイス・エルメロイ」

 私は振り返ることなく、今も僅かに残るアロイスの足跡を逆に辿って全力で走り抜けた。

 騎士としての未熟を補うためのプリンセススノーホワイトは様々なギミックを内蔵している。

 ランツァー工房とヤン家の持ちうる全ての技術とアイデアで作り上げた最高傑作であり、最初から連邦騎士にも渡すつもりなどなかった。

 皮肉な話だ。

 何故コードネームを《白雪姫》としたのか?

 それは私自身が純潔を差し出してでも《氷の貴公子》たる剣聖アロイス・エルメロイを籠絡して引き抜き、彼に使わせてかつての同胞たる黒騎士隊を殲滅させるためだったからだった。

 しかし、アロイスの愛機というのはやはりファンダール改カネミツ型なのだろう。

 自分の秘密兵器を見られ、自分の罠に掛かって致命傷を負い、ライゾーの真意を教えて逃げろと言った。

 アロイス・エルメロイと私の縁とはそうして生まれたのだった。

 私は雪道を全力で走り抜け、PSW(プリンセススノーホワイトの略)の操縦シートでふうと息を吐いた。

 一度この機体に乗り込んでしまいさえすれば外部から視認しづらい。

 それがPSWの特性の一つ機体色の固着化だった。

 今は冬期迷彩のために純白色にしてあるがミラーメタリックにも変えられ迷彩として機能する。

 起動による落雪の音は仕方ないが自然発生もするから気づかれにくい。

(今はマリーベルと合流しよう。ウェリントン北郊外の黒き森近くに遊撃騎士団は野営している筈だわ)

 私はPSWを蜘蛛型に変形させた。

 簡易変形機構。

 人型から八本足の蜘蛛型に変形し、雪の降り積もる針葉樹林帯を樹木にアンカーを刺しては飛び移り森を抜ける。

 さながらに木々を飛び移り移動する蜘蛛だ。

 きっと私が逃げたことに気づいたマリオン・ウルフは大慌てで探しているだろう。

 ランツァー工房を焼いた黒騎士たちは絶対に許さない。

 PSWに合った地形特性と機体特性とを利用してファンダールを殲滅してやる。

 アロイスを籠絡するという予定は狂ったが、事情をよく知っているマリーベルなら私を受け入れてくれる筈だ。


 一方、マリオン・ウルフ少佐は作業の進捗状況を確認していた。

 今の所大きな問題も起きてはいない。

 先に殊勝な態度に出たことでランツァー工房のメンテナンサーたちやその家族にも目立った混乱はない。

 作業場は焼いたが宿舎や生活関連施設や会社経営に必要な施設には最初から手を出すつもりもなかった。

 要するにトゥルーパー工房としての活動をしばらく不能状態にしてしまう。

 それを工房制圧として軍令部の《軍神》ラムダ・エゼルローテ中将に正式報告する。

 報告時資料となる擬装用の写真として、いかにも武力制圧したと見えるよう建物の配置と構造、アングルに詳しいランツァー関係者と協力してでっちあげ撮影した。

 大方、中将の方でもイシュタール准将の狸ぶりは先刻承知している。

 上手いことやって凌いだとみるだろうし、さて次はどうすると悪知恵を絞っていることだろう。

 それで終わり。

 いずれ捨て駒として次の難題をふっかけられるだろうが、現時点では連邦を必要以上に刺激しない方がいい。

 それが黒騎士隊所属のメンテナンサーたちと出した結論であり、イシュタール・タリエルとマリオンは彼等の結論を支持した。

 天才ドールマイスターのメルフェイア・ランツァーには見事にフラれてしまったが、それもまぁ仕方がない。

 彼女は連邦ではなく、エウロペアの宝だ。

 それこそ《氷の貴公子》剣聖アロイス・エルメロイに匹敵する。

 勿論、命を取ったり人質にするなどとは少しも考えていなかった。

 それにマリオンはフル装備状態のファンダール改カネミツの《雷》でさえ完全に使いこなせてなどいない。

 もともとマリオンは現場指揮官なので機体改修など願い下げだった。

 作業監督に走り回っていたファウスト・シトレ大尉を見つけてマリオンは姿の見えないアロイスのことを聞いた。

「そういや、見てませんねぇ」

 ファウスト大尉は作業小屋の解体延焼作業に当たっていた。

 なにしろランツァーはエウロペア最大のトゥルーパー工房だ。

 作業“小屋”とはいえ同時に30体以上の修理作業が出来る広大な工房だ。

「んー、ヘイローならなんか知ってるかな?」 

 ファウストは少し考えて答える。

「そうですね、ラトルバは写真撮影班でしたから外回りをくまなく見て回っていましたし」

 アロイスは戦力的には隊のエースだが、すぐちょろちょろするガキんちょだと隊内で見做されていてしょっちゅう姿が見えなくなるので同い年のラトルバ・ヘイロー中尉が事実上のお目付役だった。

 ファウストとマリオンが立ち話しているところに大慌てのゲンガー少尉がやってきた。

「ここにいましたか、副隊長。アロイスのヤツが」

 雪道を走り息を切らせているゲンガーをまずは落ち着かせる。

「なんかやらかしたのかアイツ」

 既にアロイスはなにかやらかす前提で考えるクセがマリオンには身についていた。

「いや、なんかヘンなもの食ったらしくて真っ青な顔して倒れていたのをヘイローが見つけて今は軍医に診て貰っています」

「ったく、時々いじ汚えことするからなアイツは」

 頭を抱えるマリオン副隊長にファウストは苦笑している。

「そういえば熊避けの食罠がアチコチに仕掛けてあるって工房の人から聞いてましたよ。なんでも冬眠しそこなうのが毎年何頭か出るんで、雪に紛れ込ませてそういうのを仕掛けておくんだとか」

 事実上マリオンの副官であり第壱小隊長を任されているだけあり、ファウストはそうした話を抜け目なく確認するのが常だった。

 戦場情報とは地図や高低図だけでは分からないことが多い。

 特に地元民の協力を得て得られる抜け道や隠れ橋などの地図では確認出来ない話は行軍や作戦に利用出来る。

 だからこそ、現地調達などと略奪や強姦で恨みを買うようなことをするより、紳士的で統制された部隊で無用な殺生をしない乱暴者ではないと印象づけておいた方が回り回って得をする。

「餓えた熊が徘徊してんのかよっ、おっかねーなぁ。やっぱトゥルーパーの1、2機は持ってきといた方が良かったかな」

 ないことはない。

 つまり、修理に回されて納品待ちのティアローテがあるので作業小屋の解体作業では使っていた。

 人力で解体するよりは遙かにマシなのでランツァー工房の方で快く貸してくれていた。

 どっちみち非武装だし、黒騎士隊もティアローテの扱いには不慣れなので作業機械がわりに動かす程度しか出来ないし、工房の連中もそれで抵抗しようとは思わなかったのだ。

 動かせる程度では本物の騎士に太刀打ちなど出来ない。

 黒騎士隊側でもティアローテを最終的に鹵獲などせず、貴重な目のパーツだけ抜いて持ち去る。

 略奪というより供出で、ランツァー工房側もそれだけは差し押さえて持ち帰るという黒騎士隊の賢さに舌を巻いていた様子だった。

 目のパーツだけなら兵士たち数人が交替で野営地に持ち帰れる程度の量だ。

 逆に目のパーツがないのでランツァー工房側も作業が完了できない言い逃れに出来る。

 他は何処もなんでもなくても目がないとハッチ開放して目視操縦するしかないので、そんな状態でファンダールと戦おうという連邦騎士など居るわけがない。

「まさか食い意地の張ったアロイスは食罠食っちまったんじゃ」

 ファウストの指摘にマリオンとゲンガーは溜息をついて下を向いた。

「否定出来ないのがなんともなぁ」

「アイツならやりかねん。野草でもなんでもハラ減らすと勝手に食っちまうからなぁ」

「血を吐いた跡があったんで少し心配だからとヘイローが軍医を呼んだらしいです」

 ゲンガーから血を吐いたと聞いてファウストとマリオンは思わず顔を見合わせた。

「連中は食罠になにを使うって言ってた?」

「ナノ粒子ですよ。ここ工房ですよ。一番手っ取り早いし普段は固めて捨てるけど、熊殺すぐらいの量なら」

 顔を見合わせた三人の顔からすっかり血の気が引いていた。

「よしっ、ゲンガー。ランツァー工房の連中からなにか出されても食うなと全員に通達。シチューに混ぜて出されたりしたら食っちまうし、俺たちゃ戦わずして全滅だわ」

 マリオン・ウルフは命じながら、ランツァー工房をマトモに敵に回さなくて良かったと心底ホっとしていた。

 彼等に悪意と敵意があったなら、歓迎の後でまとめて毒殺されている。

「がってんしょーち。大急ぎで全員に通達してハラヘったらレーション(戦闘糧食)でも食えと伝令します」

 足早に去って行くゲンガー・イネス少尉の背を見てファウストは大きな溜息をついた。

「連邦領内が敵地ってことを忘れると痛い目に遭う。アロイスがその洗礼を受けた・・・とはなって欲しくないですね、副隊長」

 黒騎士隊の剣聖エース騎士が毒殺されたと広まったら大騒ぎだ。

 それこそ《冥王》まで筋を曲げて連邦領内で血の雨を降らせることになりかねない。

「まったくだよ、ファウスト。お前がしっかりそのあたりを説いてくれると助かる。食罠に引っ掛かった熊みたいに悶絶して死んだイシュタールのオヤジの遺体なんて、痛すぎて絶対に皇国に持ち帰れないぞ」

 冗談にしては酷いがそれがマリオン・ウルフの本音だった。

 マリオン・ウルフたちがランツァー工房で暢気なやり取りをしていた頃・・・。


 私は偽装された遊撃騎士団の野営地を発見して慎重に機体を近づける。

 蜘蛛型は遊撃騎士団にもあまり見られたくはない。

 PSWを人型に変形させて野営地内に入っていった。

 味方だと示すためにハッチを開放してマリーベルの名を呼ぶ。

「おおっ、ランツァーのお嬢じゃないですか」

 歩哨の兵士たちにも私は顔が知られていた。

 部隊に出向してトゥルーパーの修理作業も担当することがあったからだ。

「マリーベル・ロイハンター支隊長は何処?」

「野営本陣です」

「分かったわ。この機体はまだ未完成だから人を近づけないように指示するようにね、見ての通りの非武装よ」

 大嘘だ。

 私のように未熟な騎士では長剣などの武装を扱えないし、PSWの本領は蜘蛛型に変形して射出アンカーによる吊り上げ攻撃や、ネットを仕掛けてのトラップ攻撃にある。

 どうせ扱えない重量のある武器は基本的に装備しておらず、ダガーナイフを内蔵している程度だ。

 そしていざとなれば8本の鋭い爪が近接武器になる。

 それに地上移動なら多足歩行型の方が断然早く、森が途切れてからは雪道を疾走してきた。

 人型形態は敵味方への誤認と隠密に使う。

 それこそアロイス・エルメロイに使わせるとしたら中間形態で下半身を蜘蛛型に、上半身を人型にして近接武器で戦わせる。

 騎士の誇りなど知ったことか。

 PSWは敵トゥルーパーを効率的に狩るための機体なのだ。

「《白雪姫》完成させていたのね」

 作戦本陣のテントから姿を見せたマリーベル・ロイハンター少佐は少し前にランツァー工房で建造中のPSWを見ていた。

 マリーベルに近付くと私はハッチから飛び降りて彼女を抱きすくめた。

「やられたわ、黒騎士隊にハンノーファーのランツァー工房を制圧された」

「なんですって」と言った後、マリーベルは連絡将校を呼んでいる。

「それでユベールおじさんたちは?」

「皆無事よ。黒騎士隊は一応は紳士的に敬意を示して工房の作業機械を使用不能にはしたけれど、人にも物にも手をつけなかったわ。さすがは筋金入りの皇国軍人で乱暴者はいなかった。けれど、少なくとも春まではランツァー工房は活動停止状態ね」

 マリーベルはしてやられたと歯噛みした。

 つまり、不本意な命令を受けたと印象づけ、乱暴者ではないと印象づけた。

 壊しはするが最低限度。

 冬期期間というのは実は事実上の停戦期間でもあり、戦闘は膠着化するのでその合間に破壊されたトゥルーパーを修理出来る期間。

 それを連邦側から奪ったのだ。

 メンテナンサーたちが修理出来る程度などたかが知れていて本格的な修理が必要な機体はこの野営地にも溢れていた。

「さすがはイシュタール・タリエル准将とマリオン・ウルフ少佐ね。彼等だって気の進まない嫌な命令だったでしょうに」

 マリーベルは女性士官として優秀なだけに敵側の事情や兵達の心理状態もよく分析している。

「それでお願いがあるの。しばらくプリンセススノーホワイトの補給とシェイクダウンに野営地を使わせて」

 その申し出に対してマリーベルにはなにも断る理由が見当たらなかったようだ。

 先に説明したように稼働可能なティアローテも不足していて部品不足も深刻だ。

「プリンセススノーホワイト?もともと白雪姫のコードネームだったから正式名称にしたのね」

「ええ、名付けがアロイス・エルメロイというのがなんとも皮肉だけれどね。ティアローテ最終型。だけど騎士には使わせない。使っちゃいけない機体なのよ」

「《氷の貴公子》、彼に機体を見られたの?それに騎士は使っちゃいけないってどういうこと?」

 一流の騎士なら新型機でも見られたら機体特性などを推測される。

 まして剣聖だ。

 もっとも、人型形態の美しさに見とれていたというから各種ギミックや変形機構などは想定外だろう。

「戦い方がマトモな騎士のそれじゃない。PSWは悪魔の機体よ。森を縄張りにして迂闊に入り込んだら残らず狩るための名誉もなにもない機体。だから、マイスターの私が使うわ。つかって黒騎士どもを殲滅しないと」

 黒騎士隊を殲滅というのにマリーベルは明らかに面食らっている。

「でも仕方ないわ。黒騎士隊の小隊長機はファンダール改カネミツ型だって。魁カネミツをファンダールと組み合わせた相当優秀な機体だっていうし、7機配備されているそうよ」

 マリーベルの顔が青ざめている。

 ハポネスから親善の証として贈られた魁タイプがフォルモナの要塞戦で活躍しているのは知っている。

 だが黒騎士隊の主戦力としても送り込まれてもいる。

「それじゃあティアローテだと分が悪い?」

「ランツァーティアローテなら数と地形とに勝れば勝てなくはないとは思うわ。だけど黒騎士隊は本当に統制がとれているしとても紳士的よ。おそらくそういう態度を続けたら戦争に倦んでいる連邦民だって彼等になびくかも知れない。ランツァー工房のみんなだって彼等に好感を抱いたし、私だって・・・」

 表情を曇らせた私を見てマリーベルも察したらしい。

 実際にマリオン・ウルフと対面したら、まだ独身でいるマリーベル・ロイハンターだって心が動くかも知れない。

「ハニートラップ使ってアロイス・エルメロイを釣って引き抜くなんてバカじゃないのと思ったけど、それほど厄介な強敵だというのね?」

 マリーベルにはランツァー工房制圧に来た黒騎士隊の対処案として新型機と私自身を餌にして剣聖を引き抜く話はしてあった。

 どうもアロイス・エルメロイには私たちの知らない複雑な事情がありそうで、他はともかく彼は引き抜けそうな気がしていたのはどうも的外れではなかったらしい。

 なにより顔立ちが連邦民を思わせていたし、敵の私に「逃げろ」と忠告した。

 明らかな利敵行為だが、彼は躊躇などしなかった。

 別のトラップに引っ掛かった間抜けではあるのだが・・・。

「アロイス・エルメロイは早晩にも死ぬかも知れないわ。ナノ粒子を摂取したので」

 マリーベルは真っ青になっていた。

「なんてことを・・・。ケーキ作戦までやったというのね?」

 私はコクンと頷いた。

 ナノ粒子を混ぜ込んだケーキで毒殺するという方法もマリーベルには話していた。

 だが、同じ職業軍人としてマリーベルには承服しかねたのだ。

 だけどわかっていないのは私たちは民間人であって訓練された兵士じゃない。

 なのに銃の射撃訓練までやらされていた。

 私や父ユベール、兄ボロディンは騎士でもあるのだが他は皆ただの一般市民だ。

 中立的なランツァー工房の社員たちとはいえ、いつ連邦軍に召集されるかわかったものではない。

 エルドネイユ連邦王が私たちはあくまで中立的存在だと規定してくれていたから、ランツァー工房は連邦軍に完全には取り込まれずにいただけだ。

 だが、結局、私の方から連邦軍に力を差し出すことになるだなんて・・・。

「不甲斐ないわ。本当に不甲斐ない。メイフェリアにここまでさせておいて私たち職業軍人たちと来たら」

 こそこそと逃げ隠れるように野営地を作り、そこで事態の趨勢を見守るしかなく、ティアローテだってロクに数が揃っていない。

「ひとつだけ朗報があるとしたら、黒騎士隊は皇国軍の中枢からは好ましく思われていないということね」

 高級軍人同士の派閥争いと駆け引き。

 その中で翻弄されていて最精鋭と喧伝されていながら戦闘正面には回らずに捨て駒扱いされる悲哀をマリオン・ウルフ少佐には感じていた。

「そうか、おかしいと思った。ランツァー工房の制圧だなんて主力部隊のやることじゃない汚れ仕事だわ」

 しかし、連邦王直轄の遊撃騎士団だって実情は似たようなものだった。

 パワーゲームから弾き出されて戦略的にさして重要でもない黒き森の守備隊として支隊を配置しなければならない。

 私の中にとても嫌な想像が渦巻いていた。

「皇国女王陛下とその意向を受けるトルバドール・カロリック少将もエルドネイユ連邦王もケールズ・ライサンダ国王も、このパワーゲームにおいては主導権を握ってはいないということ。皇国の《軍神》ラムダ・エゼルローテ中将や連邦軍の指揮統括であるカルローズ・フェラリオ次期侯爵たちが巧みに事態を操作してパワーゲームを成立させている。彼等はひょっとすると裏で繋がっていて、各王党派の力を削いで自分たちの相対的地位向上と覇権争いの茶番をしているのだとしたら?」

 私は真剣な眼差しでマリーベルを見据えた。

「私たちは人形劇の人形で道化ね。祖国のためだと駆り出されてはいるけれど、私たちには戦略的決定権がなにもなく、ただ駒として利用されているだけだわ」

 私はマリーベルの手を取った。

 その手を力強く握りしめて全身全霊で訴えかける。

「だからよ。だから、こんな馬鹿な戦争なんかで死んじゃダメ。泣くのは家族だけよ。そして連邦の人々からは不甲斐ない連中だと後ろ指を指される。対称的にラムダ中将やカルローズ次期侯爵は派手に凱旋パレードなんかして自分たちこそ英雄だと嘯く。敵と通じて落としどころを見つけ、勝手に始めた戦争に勝手な落としどころを作って勝ったと言い張る。ドールマイスターの私にも分かるのにマリーベルになら分からないとは言わせない」

 いつだって傷つくのは最前線を戦う騎士とトゥルーパーたちで、それを支える兵士たちだ。

 末端はそうして駒として戦争を戦わせられて数を減らしていく。

 美味しいところは全部高級軍人たちが持って行く。

 そして停戦協定などなんだのと言って適度に口減らしをした上で、終わらせるのだ。

「わかったわ、メイフェリア。私たちは頭に乗っている高級軍人たちに痛い目を見せる。そうすることでこの戦争も早期に終わる」

 マリーベルはマリーベルなりにラムダ中将を叩く方法を考えている。

「それには戦力の集中運用が必要よ。父さんたちは普通には仕事が出来ないけれど、工具と場所さえあればドールメンテナンサーとして貴方たちを支援出来る。だからね、ウェリントン攻略作戦の茶番劇に貴方たちが全戦力を投入して後方の敵本陣を直接叩けば間違いなく事態は急変する」

 マリーベルの顔が引き締まった女性士官のそれになる。

 遊撃騎士団の全戦力をウェリントン攻略の後背指揮部隊への伏兵にする。

 《軍神》ラムダ・エゼルローテ中将は戦闘正面の戦勝報告に浮かれて油断と隙が生じる。

 そこに伏兵部隊のランツァーティアローテたちを突入させ、高級軍人と参謀武官たちに泡を食わせる。

 そうすればウェリントンに迫っている部隊も後退を余儀なくされ、場合によっては将官級の戦死により戦意は地に墜ち、潰走する。

 守備隊として戦闘正面を担当する部隊も追撃戦により戦果をあげ、マリーベルたち遊撃騎士団は遊撃の意味を思い知らせてウェリントンに凱旋することになる。

「わかったわ、他の支隊長とエルドネイユ連邦王陛下に打診してみるわ。逆にカルローズの馬鹿野郎には少しも気取られないようにする」

 連邦軍の戦術教科書にもある指揮部隊に対する奇襲作戦。

 オペレーションオケハザマ。

 ハポネスで実際に使われたという中央部隊強襲奇襲作戦。

 大将を倒してしまい、優勢だった敵軍を潰走させる。

「そのためにPSWは黒き森で貴方たちのかわりに黒騎士隊を釘付けにして各個に狩るわ。つまり、野営地に補給と修理に必要な支援部隊だけは残していって。7機すべて狩ったら貴方たちに合流する」

 “狩る”という意味がマリーベルに理解されたらしい。

 それは騎士なら騎士道精神に反する最も卑劣な行為だ。

 正々堂々と戦って倒すのではなく、単に罠にかけて殺す。

 撃墜スコアとして換算されないし、それで階級査定に影響しない。

 むしろ騎士なら卑怯だと誹られる戦い。

 それが軍属ではない私にだけ出来る戦いだった。

 連邦国王から信任厚く、連邦正規軍にも認められた私だけの孤独で過酷な戦い。

 そして、ファンダール改カネミツ型7機をすべて仕留める。

 当然、マリオン・ウルフ少佐たちがターゲットだった。

 ティアローテの支援はいらない。

 むしろ邪魔だし、囮にしか使えない。

 森の木々の上から獲物を物色し、罠にかけ、吊り上げては落として搭乗者を殺す殺戮劇だ。

「とんだ白雪姫ね。罠にかけた7人の小人ならぬ巨人たちを無残に殺すためだけに毒牙にかけるだなんて」

 PSWの仕様についてある程度は知っているマリーベルは何故単騎戦闘が可能なのかやその最大の武器についても知っていた。

「童話というのは得てして残酷なものよ。PSWの本質を見誤り、美しいなどとのたまった剣聖こそ愚かな王子様」

 そう。

 私は白雪姫になりたいのではなく、謀略の限りを尽くす悪者の王妃になるのだ。

 人の命を奪うのに躍起になる邪悪な王妃がプリンセススノーホワイトを操り、紳士たち黒騎士隊を毒牙にかける。

 さて、先に死体になるのは私か、それともマリオンやアロイスか。

 どっちだっていいのだ。

 祖国連邦とマリーベルたち遊撃騎士団に本来の仕事をさせるための陽動作戦であり、戦略的に無価値な黒き森などは邪悪な童話の舞台としてはお誂え向きだった。

 PSWには自爆用の爆薬まで設定していたが、その本来の価値と兵器としての概念は時代を超越している。

 騎士がその誇りを掛けてトゥルーパーと共に戦う時代は既に過去のものとなっている。

 これからは敵を騙し討ちする醜悪な殺人兵器たちが時代の最先端となり、騎士たちモノノフたちなど廃れて時代の潮流に呑み込まれて消え去る。

 その最後の輝きとして土方雷蔵とメイフェリア・ランツァーこそ相応しいのだ。

 モノノフの係累とヤン家の末裔の対決。

 それが醜悪で誰も語りたがることのない殺すか殺されるかの戦いになるのだ。


 マリオン・ウルフ少佐ら黒騎士隊たちはドルタニアの駐屯基地に帰還していた。

 アロイスの容体は予断を許さないが、自業自得だ。

 別にたかをくくっていたわけではないが、マリオンがメイフェリアから示された決闘についても高名とはいえドールマイスターの小娘一人になにが出来るかだった。

 そうした意味ではマリオン・ウルフ少佐は少し油断していたかも知れない。

 だが、そもそも黒騎士隊の訓示において最重要視していたことをメイフェリアは残念ながら知らなかった。

 少数精鋭部隊が戦闘を続けるという意味についてだ。

 モノノフたちは正々堂々を旨として果敢に戦う。

 そこまでは間違っていないだろう。

 しかし、少数精鋭なのだ。

 つまりは誰かの戦死は大きな痛手となる。

 だからなんとしても生き残って帰還し、戦闘の詳細報告をせよというのがモノノフたちの常識だった。

 マリオンこと雷蔵は父、土方敬介のそうした実戦を戦い抜いた一人の強者としての教えに疑義を抱いたことはない。

 維新戦争においても土方敬介は常に退路を確保して味方の損害を最小限度に留めて戦い続けた。

 だからミカドの新政府軍に対しても根負けさせた。

 「ペンタゴナの戦い」とは要するに土方敬介たち主力部隊がそれなりに戦果を挙げた後、すみやかかつ鮮やかに退いてまた主戦力として君臨したので新政府軍側は徒に戦死者を量産していった。

 策略を用いて罠にかけようとしても、罠の存在を早期に看破されて見事なまでに切り抜けられた。

 そうして主戦力を徐々に切り崩され、毎度出てくる土方敬介たちに嫌気がさすようにしていった。

 騙し討ちしようにも肝心なところでまんまと逃げられる。

 それでいてしっかりと別働隊に本隊が蹂躙されている。

 そうした戦いぶりこそが武人の鑑と言わしめた。

 つまり、厄介な難敵が生き残ることが敵に対する最大の圧力であり、華々しい戦死など馬鹿げているという戦術思想が根底にあった。

 死地など求めない。

 それこそ、鬼門遁甲を駆使して生き残る道を選び取る。

 敵意や害意などは見事に逆手に取られた。

 だから、潰そうという側は痛手を受けて戦意を喪失していった。

 ミカドはそんな土方敬介を最大限に賞賛した。

 さすがは源家の末裔だと。

 圧倒的戦力差を埋める戦いとは戦力の損耗を最小限に留めて戦い続けるという行為だった。

 正にモノノフの誉れとはそれであり、一時の感情に身を委ねて死戦を戦うことをしない。

 常に自身の存在と戦力を意識させ、卑劣の誹りを怖れない。

 そんな土方敬介にミカドは心底惚れ込んだ。

 だから外の世界を見てこい、それで自分の在り方の正しさを実感して来いと願った。

 土方敬介はそんなミカドの期待に応えた。

 そして、セナーリアとの開戦という事態に及んで、大佐としてモノノフ全軍を預かる将として無益な損耗を避ける交渉の席につかせるために呼び返した。

 敬介は愛息子の雷蔵を敢えて西方世界に残すにあたってそれを訓示した。

 生き残ることが敵への最大の脅威となる。

 そして魁タイプが何故に東西双方の世界において最強のトゥルーパーであるかを伝授した。

 すなわち、搭乗者生残率。

 搭乗者を安易に死なせなどしない。

 負傷を負ったとて、それが短期に治癒するなら再び戦力となりうる。

 そうすることとそうなることで、敵が根負けする。

 やっと倒したと敵が思い込んだトゥルーパーが再び戦場に立ち戻ったならば間違いなく動揺する。

 あれはまだ健在なのかと心胆寒くする。

 払った犠牲とはなんだったのだと煩悶し、手の内を知っている敵の存在に恐れを成す。

 それこそが勝つ秘訣でなく、負けない秘訣だった。

 ハポネスとオルデアインはずっと交易を通じて技術交換と戦術交換をしてきた。

 それでオルデアインはモノノフの戦いぶりを理解して実際フォルモナ要塞戦で示そうとしていた。

 イシュタール・タリエル准将とマリオン・ウルフ少佐は今後について意見交換した。

「おそらく次の命令というのは連邦各地に潜伏している遊撃騎士団の駆逐になると私は見ています」

 マリオン・ウルフの指摘にイシュタール・タリエルは大きく頷いた。

「確かに。ラムダには邪魔だろうな。ウェリントン攻略作戦は東部方面軍の主力部隊を投入して行いたい。だが、伏兵の遊撃騎士団が邪魔だろうな」

 遊撃騎士団はわざと部隊を散らせている。

 それと判明している野営地は少ない。

「防衛の要であるウェリントンから遠く離して配置しているとも思えません。だとすると」

 マリオン・ウルフは戦略地図上の一点を指し示した。

 ウェリントン郊外にあり、戦略的重要性は低いが野営地を配して部隊を温存するのに格好の地形。

 それはウェリントンの北に広大に広がる黒き森だった。

「土地勘のない我々にとっては未知の領域であるし、飛空戦艦の偵察行動でも森の内部までは詳細に確認出来ない。そしてティアローテの機体特性を考えたらかえって不向き」

 ティアローテはトゥルーパーとしては滑空能力を持ち、短時間ならグライダー飛行を行える。

 飛空戦艦と連動して空から強襲して空に逃げ去る。

 だからこその盲点として狭い空と複雑に入り組んだ黒き森に隠れて冬をやり過ごす。

 二人がそんな話をしているときに連絡将校が飛び込んで来た。

「ウェリントン北部の黒き森を偵察せよとの伝令です」

 やはりかとイシュタールとマリオンは顔を見合わせた。

「偵察ねぇ」

「それだけでは済まないでしょうね。森に一歩踏み込めば、先に空から仕掛けられるでしょう」

 飛空戦艦が不在でも高い木々から襲いかかるティアローテの初撃をかわしての追撃になり、未知の領域である森の奥へと誘い込まれる。

「軍令部には了解したと伝えよ」

「はっ」

 イシュタールは行軍の難しいこの時期に黒き森を偵察させて後顧の憂いを絶ち、最大拠点たる城塞都市ウェリントンを完全包囲するという《軍神》ラムダの思惑と、守備隊を一箇所に集中させて城塞都市の防衛力で迎撃するという敵将カルローズの思惑が合致したというより、密かに通じ合う両者が冬場を凌ぐにあたり睨み合いの膠着状態を物流において秀でた連邦王都近郊にすることで、冬将軍をやり過ごす作戦案だと看破した。

 削り合うのは余剰戦力同士でいい。

 つまり、最初から捨て駒扱いの黒騎士隊と潜伏中の遊撃騎士団を噛み合わせてその戦闘報告を両国民に流布し、自分たちは季節が変わるまでは対峙する形をとる。

「妥当な作戦案だが、我々には厳しい戦いになるな」

 マリオン・ウルフにも考えがあった。

「我々はドルタニア駐屯地を捨てて全軍全戦力をウェリントン北部の黒き森を睨むこの位置に遷す」

 マリオンはポーツダルムという都市を指し示した。

「なるほどな、確かにその位置であれば黒き森を作戦区画とした上で、補給線の外に出るわけでない」

 ウェリントン包囲部隊から突出もしなければ、逆に補給線が途切れたという言い訳も利かない土地だ。

 間違いなく包囲部隊の一部もポーツダルムに野営地を構える。

 同じ都市の少し離れただけの野営地にいる黒騎士隊に補給を回せないとはラムダ・エゼルローテ中将も言い出せはしない。

 東に大きく距離があるドルタニアから東に進み、ランツァー工房のあったハンノーファーから更に東への行軍になる。

「長距離の雪中行軍になるが」

「その点は抜かりなく。ハンノーファーまでの道筋はファウストが確認してピンを打ち込みつつ帰還しました」

 ピンとはセンサーに反応する携帯式の棒でこれを確認回収しつつ進軍すれば道に迷うこともない。

「なるほど、センサーのあるトゥルーパーを先行して歩かせ、荷駄隊の通る順路は確保している。完全に新しく切り拓く必要があるのはハンノーファーからポーツダルムへの道になり、渡河の必要が生じるのは川一つか」

 ハンノーファー近郊でも既に積雪量は深い場所で2メルテあり、トゥルーパーでの進軍は問題ないにせよ、徒歩移動となる兵士たちには大きな負担となる。

「まぁ、せいぜいこちらの負担が大きくならない程度にゆっくりと進軍しましょう。ゲンガーたち2個小隊はハンノーファー近郊で野営地を準備させるために残しました」

 マリオン・ウルフは命令の先を読み、部下たちを上手く配して行軍を楽にする方法を考え抜いていた。

「なるほどな、ハンノーファー近郊の設営野営地までは1日あれば良く、その先についてはゆっくりと慎重にか」

 野営地で一度休止して雪道の行軍に備えた後、偵察を兼ねた先行部隊が雪道に行軍路を作り、ポーツダルムを目指して進軍する。

 途中でウェリントンを目指す味方部隊と合流すれば会敵戦闘時の部隊損耗のリスクを下げられる。

 先にエルベイルの川岸に到達したなら、工作隊を使い大部隊渡河用の橋を設営してラムダ・エゼルローテに恩を売れるし、わざと遅れて到着したなら既に部隊が進軍する橋は架かっているのでそれを利用して川向かいのポーツダルムに向かうだけとなる。

「行軍を敵機動部隊に妨害されると思うか?」

「ないでしょうね。今年は例年になく積雪が早く、天候次第で飛空戦艦も飛ばせないでしょう。彼等だって戦う前に墜落するリスクはなるべく避けたいでしょうし、ティアローテで降下奇襲作戦をしても部隊の撤収が難しい」

 2メルテの積雪地帯にティアローテを降下奇襲させても雪が舞う中では視界も不良で、飛空戦艦を低空飛行させて機体回収するとなると高度計頼みの危険な操艦となる。

「しかし、お前は本当にこれが初めての他国侵攻作戦なのか?非の打ち所が見当たらない完璧な雪中行軍案だ」

 マリオン・ウルフ少佐は少し照れくさそうに笑った。

「親父からペンタゴナ要塞戦での軍談はよく聞いていました。リスクがあるから犯すだけの価値があり、敵も雪には不慣れな相手だった。だからこそ、先に雪と天候とを味方につけてしまい騎士にも兵にも雪の厄介さと利用手段を学ばせておく。雪があるというのは逆に飲料水の心配はする必要がない。火にかけて溶かしてしまえば飲料水は最低でも確保出来る。むしろ雪中行軍の最大の敵は強風です。体温を奪われるし視界が悪くなる。逆に敵襲は警戒する必要がなく、トゥルーパーの小隊配置をこのようにして風除けを作り、後続部隊はトゥルーパーが防いだ風で体温低下を避け、風速が一定以上になったら、輪形配置で野営地設営までの時間を稼ぎ、兵たちには多めの食事を摂らせて温かいテント内でゆっくり寝かせる。雪中行軍は体力勝負になると聞きました」

 行軍フォーメーションは方形で、それぞれ機体隠蔽用のカバーを風除けとして持たせてゆっくりと慎重に徒歩兵士の速度に合わせて歩かせる。

 輪形配置時もやはり機体隠蔽用カバーで円形に覆いを作り野営テントの設営後もそのまま待機させる。

 慎重にすべきはトゥルーパーの再起動時でトゥルーパー内の熱により溶けた雪水が氷柱になり、下に兵士たちがいると負傷する場合があるので十分な距離をとって一機ずつ慎重に再起動させる。

 大きな氷柱は激突するとトゥルーパーをも損傷させてしまうからだ。

 だから先に起動させた機体に未起動のトゥルーパーから垂れ下がった大きく危険そうな氷柱は撤去させておく。

 土方敬介は実戦経験として厳冬期の戦闘方法を実地で学んでいた。

 そして最大の戦果はその厳冬期に挙げていた。

(本当にコイツが部下で助かった。父親の軍談をきちんと聞いて一つ一つ理論的に理解している)

 マリオン・ウルフはこの雪中行軍作戦において黒騎士隊に非戦闘時の部隊損耗をほとんど出さなかった功績で中佐に昇進した。

 他の部隊ときたらマリオンの指摘した様々な問題に直面し、戦いもしていないのに死者負傷者行方不明者を大量に出した。


 アロイス・エルメロイ中尉は救急車両の中で既に目を醒ましていた。

 アロイスは迫真の演技により、フェルメイアも軍医も騙し抜いた。

 アロイスは毒入りケーキなど一切食べてはいない。

 気づかれた際にケーキを縁取るクリームだけ舐め、すぐに吐き出した。

 ランツァー工房側は制圧に来る黒騎士隊の意図など知らない。

 だから、騙し討ち出来るなら騙し討ちしようと知恵を絞っていた。

 とんだお人良しなのはマリオン・ウルフとフェルメイア・ランツァーだった。

 アロイスは豪華で美味しそうに作られたケーキを一目見た瞬間からコレは利用出来るとほくそ笑んだ。

 自分が先に食べたことにして、切り分けたケーキを「少佐の分です」とマリオン・ウルフに差し出す。

 甘党のマリオンはアロイスから渡されたものであれば何一つ疑うことなく食べるだろう。

 そして、ナノ粒子に犯される。

 なにも殺さなくてもいい。

 いや、死んで欲しくはない。

 だから、フェルメイアがそうしたように応急措置で吐き出させて予後体調不良にしてしまう。

 しかし、ナノ粒子を摂取したものがどうなるか?

 生殖器の異常により子供が成せなくなる。

 するとどうなるか?

 マリオン・ウルフとシーラ・ファルメの結婚話はなかったことにされる。

 そりゃそうだ。

 二人の子供の誕生を狙ってロベルタリアの二つの侯爵家は二人を婚約させたのだ。

 マリオン・ウルフはシーラへの好意が見え透いていたというのに縁談となると急に臆していた。

 アロイスはマリオンの尻を蹴っ飛ばした。

 そのマリオンが“種無し”になれば縁談は流れる。

 そして、《氷の貴公子》剣聖アロイス・エルメロイがシーラ・ファルメと結婚するチャンスが再び巡ってくる。

 アロイスは臍を噛むマリオンに憐憫と同情の声を掛ける。

「ライゾー、君のことは二人で一生面倒見るから。それとシーラの事は任せておいて、ボクが必ず幸せにすると約束するから」

 一命は取り留め、廃業騎士となったマリオン・ウルフをロベルタリアで庭師あたりに飼い殺し、アロイスは見せつけるようにシーラと幸福な家庭を築き、子供を沢山産ませる。

 そうしてマリオン・ウルフへの完璧な復讐を遂げる。

 今はまだ中尉と少佐の開きがあるが、軍属を続けたアロイスはいずれ階級的にもマリオンを追い越すことになる。

 そんな事を考えながら、綺麗に丁寧にケーキを切り分けていた処をそれを作ったフェルメイアに見られてしまった。

 倒れ込んだ風を装い、アロイスは手にしていた小皿とケーキを投げ捨てた。

 証拠隠滅を図ろうと躍起になるメイフェリアが次に何を考えるかもお見通しだった。

 自分を撃って襲われたと嘘の証言をし、すべてを闇に葬る。

 だからこそ、アロイスは逆にフェルメイアを亡き者にしようと、調理小屋を出た隙にダガーナイフを後ろ手にしていた。

 白雪姫ことプリンセススノーホワイトは先に確認した。

 ティアローテ型ではあるがなにか違うと一目で見抜いた。

 非武装?とんでもない。

 両腕と尖った爪先は鋭い爪になっていた。

 そして胴体部と腰部のあの異常な膨らみは、隠し腕なのではと推察した。

 そしてティアローテ型の特徴である両翼のかわりにあったあの長く伸びた尻尾。

 乗ってみたいという誘惑にも駆られたが、アロイスの考えが正しければアレは騎士用の機体なんかじゃない。

 騎士でない者が騎士を狩り殺すためのトゥルーパーだ。

 長く見とれていたのは事実だし、頭の中で仮想戦闘もしてみた。

 そしてさっさと断念した。

 アロイスの愛機は春までは使う事が出来ない。

 どの道、春までは本格的な戦闘などない。

 だから、アロイスは次の手に利用出来るとフェルメイアを毒を仕込んだ上でわざと見逃した。

 フェルメイアに嘘を教えた。

 マリオン・ウルフが名乗っていなかったなら、その真名と素性を教えるつもりでいて、どうやら雷蔵とは名乗っていた様子だと判断して、真名を知るキミを地の果てまで追って殺すだろうと嘘を吹きこんだ。

 フェルメイアは利用出来る。

 悪いが黒騎士隊の仲間たちには彼女の餌食になって貰う。

 気の良い連中ではあるが、黒騎士隊はアロイスにとっては今後厄介な障害となる。

 特に監視役のラトルバ・ヘイローだけは人知れず片付けておきたい。

 アロイスにとり、この戦争など本当はどうでもいい。

 勝とうが負けようが知ったことか。

 春を待ち、監視役のラトルバ・ヘイローを始末し、アロイスが向かう先はハルマイト侯爵領だ。

 どうやらアロイスにはハルマイト家との因縁があるらしい。

 幼少期にハルマイトでなにかがあった。

 そして、アロイスは父クレメンタインに連れられてハルマイトを去った。

 その後は皇国ロベルタリアで庭師の息子に甘んじていた。

 ひょっとしたら自分に流れるこの血とは・・・。

 それを判明させさえすれば人生の逆転劇をも狙えるのだ。

 優柔不断なマリオン・ウルフ少佐を出し抜いてやり、すべてを取り戻す。

 《氷の貴公子》とは誰が考えたかは知らぬが上手い二つ名だ。

 そうとも氷のように冷酷な心を持ち、洗練された剣技ですべてを破壊し尽くす。

 そのために、仲間たちを出し抜く為に、アロイス・エルメロイはずっと生意気でチョロチョロと落ち着きのないガキを演じてきたのだ。

「春を待とうぜ、零。菊一文字がなにを意味するかはそれから嫌という程に分からせてやるさ。それまではフェルメイアとプリンセススノーホワイトのお手並み拝見といこうじゃないのさ」

 父ユベールや兄ボロディンと、そして憎きライゾーと同じ黒髪の乙女たるフェルメイア・ランツァーに対しては利用してやるという邪心と、憎しみしかアロイスは感じていなかったのだ。


「ヘイロー中尉、貴方宛の暗号電文が届いています」

 黒騎士隊の雪中行軍は続いていて、今はハンノーファーを過ぎてゲンガー・イネス少尉たちと合流し、野営地でブリザードをやり過ごして東に向けて進軍していた。

「そう?ありがとう。電文の内容は確認した?」

 ラトルバ・ヘイロー中尉は温厚な性格そのままに連絡将校を優しげな顔で見据えた。

「いえ、中尉なら暗号電文を読み解けるだろうとこちらでは一切」

(ボク宛に暗号電文となると、兄さんからだろうな)

 確認した電文の冒頭だけでラトルバ・ヘイローはそれが兄の発信したものと確認した。

(なるほどね。あちらではそういう話になっていましたか)

 ラトルバ・ヘイローは確認した後に、電文そのものを火にくべた。

「どういった内容でしたか?」

 ラトルバはニコっと微笑む。

「兄のところに二人目が産まれるのだとさ。お盛んな事で正直兄さんが羨ましいよ」

 実際に電文には“二人目が産まれた”のだとあった。

「それはおめでとうございます、中尉」

 連絡将校にありがとうと謝意を述べるとラトルバは通信テントを後にした。

 しかし、残念ながら連絡将校が指摘したような二人目の子供ではない。

 そもそもラトルバの兄は結婚してもいない。

(二人目の裏切り者か。連邦への内通者が皇国本国内でも確認されたねぇ)

 一人目ははっきりしている。

 そして、二人目が生じたとなれば本国に居るラトルバの兄が動くことになる。

(まっ、こっちはお任せあれ、兄上)


 黒騎士隊は年を越した1月16日にポーツダルムに入り、街の北側にあるシュレイイーズ湖畔のマークヴァルに宿営地を作った。

 やはり予想通り東部方面主力部隊のウェリントン包囲部隊はポーツダルムにあるサンローの古宮殿を接収していた。

 シュレイイーズ湖は凍結していて、ソリを使えば問題なく物資は届くことになる。

 これなら陸路を遮断されても補給面で行き詰まることはなくなる。

「それじゃ、早速遊撃騎士団を狩り出しますかね」

 マリオン・ウルフ中佐は先発隊としてファウスト・シトレ大尉らの第壱小隊、ラトルバ・ヘイロー中尉の第参小隊を黒き森に進発させた。

 まずは黒き森の近くに仮設野営地を作り其処を足がかりにして森の詳細地図を作成していく。

 マークヴァルの宿営地から距離的に遠くない場所に仮設野営地を作り、各小隊を交替で送り込んでは其処から更に先へと向かわせる。


(とうとう来たわね、黒騎士隊。こちらの準備は万全よ)

 私は木の上に人型で忍ばせたPSWで黒騎士隊のファンダールが設営した仮設野営地を確認した。

 PSWの最終調整と黒き森で誘い出す位置設定や罠といった準備は滞りなく済ませた。

 逃走ルートと迎撃ポイントの候補を既にいくつか設定している。

 まずは先発隊に痛打を与える。

 こちらを無視出来ない、放置できない存在なのだと印象づける。

 そして簡単には排除されてなどやらない。

 そもそも設計思想と兵器としての思想が根本的に違い、こちらは一方的に狩ることを目的とした凶悪な怪物だ。

 単騎であるのを逆手にとって、こちらは黒き森を十分に偵察解析して何処でどう仕掛けるかはたっぷりと吟味する時間的猶予があり、遊撃騎士団の野営地を一つ完全に確保した。

 微調整と操縦慣熟にも時間を割いた。

 ドールマイスターがドールマイスターであることを捨てる。

 そしてドールマイスターにしか出来ない戦いを繰り広げるのだ。


 1月21日 14時24分


 ゲンガー・イネス少尉たち黒騎士隊肆番小隊は黒き森を偵察行動していた。

 レーションで昼食休憩して日没前に偵察を済ませて仮設野営地に戻る予定だ。

(妙な気配がある。だが、具体的になんなのかがサッパリ分からん)

 ゲンガー・イネスのファンダール改カネミツ漆番機である《獅子丸》はティアローテの痕跡を探して黒き森を索敵警戒していた。

 小隊機数はゲンガーの獅子丸を含めて6機。

 指揮機に5機のファンダールがつく。

 ティアローテの機体特性から襲うなら初手は空から。

 つまりは木の上からの奇襲だと部下たちには通達している。

 2機に上空警戒を、3機に森を歩かせて遊撃騎士団野営の痕跡を探っていた。

「イネス隊長、野営の痕跡だと思われる燃えさしを発見しました」

(罠だ)

 ゲンガーは即座に命令した。

「敵機が周囲に居る。それはわざと発見させるための・・・」

 ゲンガーが言いかけたそのとき、密集隊形だったファンダール3機が突如視界から消えた。

「隊長、なにかに足を取られました」


 上空警戒していた2機が、周辺警戒していた3機がワイヤーネットで宙づりにされたのを確認する。

「隊長、木の上になにかいます。動いたっ!」

 トゥルーパーに手持ち火器はない。

 小銃程度なら機動力と装甲で相殺されてしまうし、重量と質量のある剣や斧を使った方が装甲を切り裂ける。

 イネスは獅子丸に愛用の両手斧を構えさせて周辺警戒した。

 ティアローテならおりて来る。

 だが、ティアローテがおりて来ないかわりに・・・。

「うわっ、なんだ」

 上空警戒していた一機がまた宙づりにされる。

 今度はゲンガーにもはっきり見えた。

(射出式ワイヤーだな。これで4機擱座状態)

 敵を確認しようとはせず、黒騎士隊の最優先命令を実行する。

「こちら、肆番隊。未知の敵の罠にかかり4機擱座。位置は・・・」

 北緯東経の座標情報を読み上げる。

(敵からこちらは丸見えで4機は人質も同じだ。数的優位はないも同じ。距離的に一番近いのはファウスト大尉の壱番隊)

 壱番隊の方角を確認してからゲンガーは獅子丸でワイヤーネットの支柱となっている木に向けて渾身の一撃を放つ。

 そのまま木こりのように獅子丸で木を切り倒す作業を続ける。


(どうゆうこと?PSWの発見よりもワイヤーネットの支柱を・・・そうかっ!)

 ワイヤーネットをそのまま落下させたならトゥルーパー同士の衝突と地表激突で死者が出るかも知れない。

 だが、降雪している地面に少しでも低い位置から落下させれば被害は最小限度で済む。

 損壊も擱座機も一機でも減らそうというのだ。

 ゲンガーの狙いはハマった。

 切り倒された木の大枝が支えていたワイヤーネットが外れ、3機のファンダールは地表に投げ出されたが、もともとは飛空戦艦からの空挺作戦こそがファンダールの取り柄であり、落下時の体勢は悪く損壊したが3機とも完全擱座には到らなかった。

(しかし、倒した木の重量が上からのしかかれば)

 ゲンガーはそれも計算済みで、両手斧を横倒しになる木の支えにして少しでも倒木を遅らせていた。

 その間にファンダールたちは横回転して倒木を避けている。

「お前たちよくやった」

 ゲンガーは部下たちの咄嗟の判断に満足していた。

 しかし、肆番隊は壊滅的打撃を受けていた。

 隊長機は武器を喪失し、ファンダール3機は擱座寸前。

 1機は牽引ワイヤーで宙づり状態。

 残るは1機だ。

(丸腰の大物や損壊機は後回し、1機を片付ける)

 メイフェリアの思考はまたも読まれていた。

 数的優位の回復。

 ワイヤーネットから投げ出された機の状態を確認したゲンガーは両腕損壊状態のファンダールから長剣を奪い取った。

 倒木を背に密集陣形を作り、動ける3機で戦闘不能機のカバーに回る。


 私は戦慄した。

 これがこれこそが土方雷蔵のモノノフ戦術の真骨頂。

 迂闊に射出式ワイヤーで仕掛けたなら、射出方向を確認され、ファンダール改にワイヤーも切られる。

 だから、こうして膠着状態になるし、数的優位は再び作られた。

(イニシアチブはまだ私にある。例えばこういう手)

 射出式ワイヤーロープを切断して宙づりの一機を落とす。


「しめたっ、フォローアップ。右翼機、落ちてきたのを受け止めろ」

 密集陣形で宙づり状態機の位置確認をしていた。

 そして、膠着を崩すために“その手”で来るとこれも読んでいた。

 健在の2機が落下機の受け止めに即座にその場を離れる。

 6機のうち一機が戦闘不能状態。

 3機は即応不能な体勢。

 だが、隊長機と直援機が残った形になった。

「やるじゃない。それでこそライゾーの皇国黒騎士隊っ!」

 手の内が次々に暴かれる。

 肆番隊は痛手を受けたが、戦闘不能機は僅か1体。

 ダメージと死傷者を最低限に抑え、こちらを睨み据える。

「来るな。さあ、来いっ!」

 私は人型形態のPSWをスッと地表に舞い降りさせた。

 機体重力が少ないから落下の衝撃も小さいし、下りるなり右腕部の圧縮空気式ダガーナイフを発射した。

「やはり飛び道具があったな。だが再装填は出来ない使い捨て」

 獅子丸とその直援機は身を屈めた。

 垂直発射されたダガーナイフはトゥルーパーの装甲が厚い肩口と頭部とに弾かれるか、倒木に刺さった。

「こっちは撃たれるのには慣れているんでな」

 しめた。

 あちらが身を屈めた瞬間に変形動作に入っていた。

 蜘蛛型と呼称してはいたがサソリでもある。

「テイルランス、仕留めなさい」

 アロイスが確認していたPSW変形時には尻尾となるテイルランスとは・・・。

「モレノぉぉぉっ!」

 ゲンガーが部下の名を呼んだのと8足歩行形態のPSWのテイルランスがファンダールの搭乗装甲を貫通したのはほぼ同時だった。

 まさにサソリの尾であり、猛毒のかわりにトゥルーパーの多重装甲をも簡単に貫通する一撃。

「さっ、まずは一人目ね」


 ゲンガー・イネスは見たこともないトゥルーパーに戦慄していた。

 まるでサソリかクモのような機体で辛うじて頭部がトゥルーパーであると示していた。

「貴様ぁっ!」

 獅子丸の長剣が迫ってもメイフェリアは艶然と笑って軽く受け流した。

 雪の上を後方移動してテイルランスを引き抜きつつ距離を取る。

「その辺りは新雪よ。つまり、トゥルーパーは踏み込めば動けなくなるわ。機体重量を8つに分散させているPSW以外はね」

 さぁ、七人の巨人たちの最初の一人は貴方。

 今度は動けなくなったところをクモが絡め取る。

「獅子丸、四足歩行形態」

 勿論、無線機はあってもチャンネルが違うのでゲンガー・イネスの言葉の意味はメイフェリアにはわかりかねた。

 だが、ファンダール改カネミツ漆番機は四足可変機だった。

 そして獅子丸の獅子丸たる所以とは・・・。

 ぐぉぉぉぉぉぉ

 放たれた獅子の咆吼が木々を揺らし、PSWの周辺の木からも大量の落雪があった。

(音響兵器ですってファンダール改カネミツ型はそんなものまで)

 マリオン・ウルフ中佐がゲンガー・イネス少尉の肆番隊を先発させていたのは漆番機獅子丸はこの季節なら無敵の強さを誇るからだった。

 落雪の重量がのしかかり、機体表面の広いPSWは落雪に半ば埋もれかけた。

(くっ、撤退ね)

 落雪で完全に身動きが取れなくなる前に、射出アンカーを木に打ち込んで戦域離脱する。

 PSWに飛びかかろうとしていた獅子丸のゲンガーは断念させられていた。

 射出アンカーでひらりと宙を舞ったPSWはそのまま森の奥へと消えていた。

「なんてバケモノを作ったんだ、連邦軍は」

 ゲンガー・イネス少尉はどっと汗をかいていた。

 そのまま放置したら凍傷になる。

 無線と獅子丸の咆吼を聞いて駆けつけたファウスト・シトレ大尉もなにがあったかは大体察した。

 連邦の新型機との交戦でゲンガーが獅子丸を変形させた。

 それでも仕留めきれなかった。

 こうして黒騎士隊とPSWの第一ラウンドはメイフェリアの辛勝に終わった。


 黒騎士隊肆番小隊の損害報告は戦闘不能擱座機2、中破3機でしかもファンダール改カネミツ漆番機たる《獅子丸》は性能を知られた。

 マリオン・ウルフ少佐はそこでようやくフェルメイア・ランツァーに挑まれた決闘の意味を思い知った。

 戦死者1、重傷者1、軽症2名。

「確かにこれはエウロペアの至宝たる大陸一のドールマイスターと俺達黒騎士隊の決闘だな」

 ゲンガー・イネス少尉は気落ちしていなかった。

 ムードメーカーであり、隊の兄貴分でもある自分がモレノ准尉の戦死に気落ちしたら隊全体の士気低下に繋がると自制していた。

 黒騎士隊肆番小隊はしばらくは活動停止だ。

 ファンダール2機を事実上喪い負傷者だらけだ。

「それでもよ、ゲンガー。お前が俺の訓示を忠実に守ってくれたからこの程度の損耗で済んだんだ。先にファウストを呼んでくれたんで無駄な戦死者は他に出さなかった。それに敵の新兵器というのが厄介だが、戦法と手の内は大分判明した。ワイヤーネットに、操作系で切断可能な射出式ワイヤー。内蔵式ダガーナイフ、そして一撃必殺の尻尾ときたか。そして一番厄介なのが人型から8足歩行型への変形機構とそれによる機体重量の分散と空は飛べないが、森ならまさにアイツの狩り場ってことだな」

 当事者のゲンガー・イネス少尉、副官のファウスト・シトレ大尉、参番小隊長のラトルバ・ヘイロー中尉、そしてイシュタール・タリエル准将を前にしてマリオン・ウルフ中佐は確認事項を整理した上で、イシュタール・タリエルに裁可を求めた。

「これは俺達だけには手に余るぜ、親父。ゲンガーの目撃情報を元にして外観と性能は纏めた。コイツを本隊に売る」

「ちょ」

「待ってください、副隊長」

「早々にお手上げだというんですか?」

 ラトルバたちに言いたいことは言わせた上でマリオン・ウルフ中佐は断言した。

「つまり、本隊にもコイツの情報を売り、狩人志願者を募る。もともと俺達に与えられた任務は“遊撃騎士団を狩り出すこと”であってバケモノ退治じゃない。つまり、本隊に情報を流さない手はなく、ヤツらはコレが俺達に売られた喧嘩だとは知らん。功名心につけ込んで狩人志願者たちが何人餌食になろうが俺達はあくまで最初の任務を遂行するってぇわけだ」

 マリオン・ウルフの目は野獣のソレだった。

 イシュタール・タリエル准将は「親父」と呼ばれたことで、マリオンの思考回路がモノノフたる土方雷蔵になっていると判断した。

「それで行こうか、ライゾー。連邦の新型トゥルーパーを倒したとなれば二階級特進ものの大戦果だ。その餌に釣られるヤツはごまんといやがる。春まで大人しくしてろと言われて、大人しくそうするヤツらは騎士じゃねぇ。騎士の給料と栄誉が欲しいだけのモドキだ。功名心にはやった騎士がバケモノ退治で何人死のうが確かに知ったこっちゃねぇわな」

 イシュタール・タリエルも怖い顔をしている。

 昔は狸親父ではなく、「人食い鬼」と呼ばれていた男だ。

「あー、怖い怖い。隊長も副隊長も鬼ですよ。でも兄さんもそれを望んでいます。ファンダール改カネミツ型は切り札であり、その性能は悟らせたくない。仮にメイフェリア嬢が他のファンダール改とカネミツ型を誤認して倒した気になっても向こうの勘違い、思い違いだとなる。討伐隊には誤認防止の為にとウチの隊章つけて貰ってファンダール改を指揮機にするってトコで妥当な線じゃないっすか」

 ラトルバ・ヘイロー中尉も二人に負けない程に狡猾でしたたかな鬼だった。

 ファンダール改はランツァーティアローテ同様に次期主力機として各隊に少数配備されている。

 カネミツ型とは設計思想が異なるだけの改修機だ。

「さすがはラトルバだな。良い口実だよ。俺達は当初の命令通りに遊撃騎士団の野営地探しで黒き森をウロつくが、例のヤツが出てきたら尻尾巻いて逃げる。罠には十分注意だ。俺達がマッピングしてやるから討伐隊は勝手に探し回れだ。味方機との同士討ちを避けるため、討伐隊には黒騎士隊候補生にでもなって貰う。メイフェリアが何人狩ろうが黒騎士隊そのものの損失は最初にやられた肆番小隊だけ、そもそも《雷》、《菊》、《疾風》は冬場はお役御免だ」

 要するにカネミツ型とは一機一機性能が異なっている。

 それぞれ苦手な季節や地形がある。

 そして、メイフェリア・ランツァーの誤解はカネミツ型とは正にドールマイスターの実験機だった。

 皇国軍最精鋭とされる黒騎士隊とは実験機の実用試験部隊であり、だから皇国国家騎士団の何処よりもヤン家の職工集団に対する敬意があり、ランツァー工房を制圧しながら敵に回さなかった。

 自分たちが散々世話になっているというのに恩を仇で返すようなことは決してしない。

 ライゾーはそれをそれとなく教えるためにメイフェリアと話したがかえって誤解を招いた。

 誤解されたなら誤解されたで構わない。

 敵意を他に向けてしまう。

「ハンノーファーに居るサトルに連絡だ。『どうもメイフェリア嬢はとんでもないシロモノをこの戦争に放り込んできた。ソイツは戦争の在り方そのものを変えかねない兵器であるし、あるいはヤン家とランツァー工房の偉大なる歴史に泥を塗りかねない危険な、あってはならない兵器だ。父親としてそれをどう判断するかはユベール氏に任せる。連邦軍に気づかれる前に設計図をどうするかは社長の判断に任せる』とな」

 マリオン・ウルフ中佐の発言をメモにしていたゲンガーはハンノーファーに残って「制圧中」の支隊長サトル・ヤマサキ大尉への無線連絡内容を復唱した。

 名前でわかる通り、土方敬介の外遊に同行した部下の子というのがサトル・ヤマサキ大尉だ。

 雷蔵同様にやはりモノノフの子はモノノフだと皇国でも尊敬されている。

 人種差別はあるがモノノフへの敬意は皇国にある。

「よしっ、それでランツァー工房側は抑える。そのバケモノとやらの元は絶つし、メイフェリアが仮にハンノーファーに機体の完全修理に戻っても、父親と兄が協力しないのであれば機体を壊すだけで事足りる。メイフェリア・ランツァーはエウロペアの至宝だ。少なくとも俺達はなにをされても彼女に指一本触れない」

 マリオン・ウルフ中佐の言葉にその場の全員が「応」と承服していた。

「正式名称はプリンセススノーホワイトですよ。そのバケモノというのは」

 アロイス・エルメロイ中尉は士官テントの中でのやり取りを外でコッソリと盗み聞きしていた。

 そして痛感した。

 フェルメイアだけじゃない、アロイス自身もマリオン・ウルフ中佐を、土方雷蔵を甘く見ていた。

 支隊長のサトル・ヤマサキ大尉が何故黒騎士隊本陣に不在かなど少し考えればわかったことだ。

 黒騎士隊によるランツァー工房制圧は現在進行形であり、支隊を任されたヤマサキ大尉がランツァー工房に貼り付いている。

 何処が正々堂々なのだ?

 絡め手を使ってフェルメイアの梯子を外して完全に孤立させ、物量作戦でフェルメイアとPSWを疲弊させようとしている。

 優柔不断?

 それも逆だった。

 マリオン・ウルフ中佐は果断即決タイプであり、緒戦の被害報告だけで中期的作戦方針を打ち立てた。

 そして、隊長のイシュタール、副官のファウスト、二枚看板の一枚であるラトルバ、隊の精神的支柱ゲンガーに徹底させた。

 ずっと本格的な戦がなかったので、土方雷蔵は俳句の下手でお人良しで優柔不断だとずっと近くで見てきたアロイスでさえ誤解していた。

 そうじゃなかった。

 土方雷蔵は生粋のモノノフであり、行動原理も思想も先手先手で考えるところも、土方敬介の分身だった。

「アロイス、身体はもういいのか?そうか、お前の言うプリンセススノーホワイトはランツァー工房敷地内にあったんだな。お前はそれを見ていたが俺に報告はしなかった。ラトルバの報告とも一致するな。まぁ、いいんだ。どの道、《氷の貴公子》とプリンセススノーホワイトが戦うことはないだろうさ。それにフェルメイアが逃げたいなら逃がしてやるつもりだった」

 マリオン・ウルフ中佐は事もなげに言った。

「それとケーキ食ってないだろ?ホントに食ってたら俺はハポネスにいる親父に大目玉食うところだ。お前の素性はずっとシーラと隠してきたからな。そうじゃないとクレメンタインおじさんにも申し訳がたたんよ、アロイス・“ハルマイト”」


(後編に続く)

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