鉄血の乙女(仮)

維 黎

始まりの邂逅

 西暦20ⅩⅩ年。

 10年に一度の節目にあたるこの年、月が紅く染まる天文現象が起こった。その現象をる者たちはこう呼んでいる。


皆既紅食ルビー・オブ・ブラッド》と。


 そして世界に厄災が蔓延する。

 紅き月をの多くが異形と化した。

 人々はその異形を直接見たことはなくとも、その呼称を誰もが知っていた。


《鬼》という名で。


 そしてこれら鬼を討滅する組織――滅鬼特務隊が存在する。

 聖霊都市に指定されている由比ゆい市には《おぼろ》という編成チーム名の滅鬼特務隊がある。

 滅鬼特務隊の主戦力は、霊力を秘めた姫巫女たる女性だ。

 彼女たちは《武姫ぶき》と呼ばれ、命を賭して世に蔓延はびこる鬼を討滅する運命さだめを負っていた。


『――問うわ。キミは武器たる武姫わたし遣い手マスターとして戦う覚悟はあるの?』


 夜空を照らす紅の月光を背に、少女は手にした長刀の切っ先を座り込んだ少年の鼻先に向け尋ねる。


 一陣の風が吹き、少女と少年の髪をなびかせると同時に軽快な音楽が流れ、カメラアングルが上へとパンされた夜空には紅い月。

 直後――画面中央に流麗な文字で浮かび上がったのは『鉄血の武姫ヴァルキュレー』 というタイトル。続いてリズミカルな音楽と共にオープニングムービーが始まる。


「よーし、よし! 全然問題なし。我ながらいい感じじゃないかなぁ」


 そろそろ午前3時を差そうかという時刻。

 暗闇の部屋をディスプレイの青白い光が、ぼんやりと周辺を照らす。

 その光に照らされて暗闇に浮かび上がったのは少年の顔。

 年の頃は高校生くらいだろうか。

 青白く照らされたその顔からは、よく言えば柔和な、悪く言えば頼りない印象を受ける。


 御堂護みどうまもる17歳。清華せいか学園高等部二年。

 護がこんな時間まで起きて何をしているかといえば、自作したゲームの最終チェック。

 普段はもっと早めに切り上げて寝ているのだが、完成間近だったこともあり、つい手を止めることが出来ずにこんな時間まで作業をすることに。


 ライトノベルゲーム。通称《ラノゲ》。

 護は《ADV MAKERアドベンチャーメイカー》というソフトを使って趣味でゲームを自作している。

 ネット上にはWeb投稿サイトがあり、登録すれば誰でも自作ゲームをアップ出来るし、アップされたゲームを自由に無料で遊ぶことも出来る。

 運よくゲーム会社に目が留まれば、ちゃんと製品としてゲーム化することも夢ではない。

 収入を得ている人も少なくない。中には数人でチームを組んで本格的にゲーム制作に取り組んでいる人たちもいた。そういった人たちは《ツクラー》と呼ばれている。


 護は今のところ実益よりも趣味としてゲーム制作を行っている。もちろん、ゲーム化を夢見ていないといえば嘘になるが。

 ド素人の護でも簡単にゲーム制作が出来るのが《ADV MAKERアドベンチャーメイカー》の優秀なところだ。

 絵心があれば自分でキャラクターや背景を描くことも出来るが、MMORPGなどのキャラクター作成のようにパーツを組み合わせてキャラクターを作成することも出来る。

 背景などもあらかじめいくつものパターンがあるし、スマホやカメラで撮影した風景などもCG化して取り込むことも出来る。

 護も学校や駅、お店など様々な場所を撮影してゲーム内に落とし込み、出来るだけリアルに自分が住む街――由比ゆい市を作りこんだ。

 後はそれなりのテキストさえ書ければ、素人の護でもそれっぽい形でゲームとして完成させることが出来る。


 護が制作したラノゲは『鉄血の武姫ヴァルキュレー』という伝奇ビジュアルノベル。

 自らの霊力によって創り出した武器――霊装で戦う少女たちと主人公である少年が織りなす戦いと交流を描いたストーリーだ。

 三部構成でそれぞれにヒロインとなる武姫を中心としたストーリー展開で、各パートをクリアするごとに選択肢が増えるシステムを採用した。つまりは、第一部をクリアしてリプレイすると第二部に分岐する選択肢が現れる――という仕掛けだ。目新しいものではなく定番ではあるが。


「――って、もうこんな時間! 早く寝なきゃ」


 ディスプレイの右下には03:02の表示。

 マウスを操作して《ADV MAKERアドベンチャーメイカー》を終了させようとカーソルを動かす――手が途中で止まる。


「やっぱりソフト上だけじゃなくWeb上でもちゃんと動くかどうか確認もしといた方がいいよね」


 誰が聞いているわけでもないのに言い訳じみた独り言を呟く護。

 要はデキが良かったオープニングムービーをもう一度見たいという言い訳に過ぎない。


「とりあえず仮サイトの方にアップしてみるかな」


 普通にアップすれば誰でもすぐにそのゲームで遊ぶことが出来るが、Web上での動作確認などをする目的として仮サイトを用意することも出来る。

 こちらにゲームをアップすれば、仮サイトのURLを知らない人にはプレイ出来ないという仕様だ。

 護はマウスを操作して《デバッグWeb》というボタンをクリックする。

 これで作成された仮サイトのURLを誰かに教えれば『鉄血の武姫ヴァルキュレー』をプレイ出来るが、護はこのURLを誰にも教えていない。


「さて――と」

  

 護はそう呟くとゲームデータをアップロードするためのコマンドボタン《共有》にマウスカーソルを合わせクリックした――途端。

 

 護は意識を失った。

 




⚔     ⚔     ⚔





 唐突に意識が回復する。と、同時に無意識に身体を起こす。

 

「――?」


 状況がよくつかめない。

 幾分、まだはっきりしない意識で目をパチパチさせながら周りの様子を伺う。


「教室? ――なんで?」


 意識が回復――というより目が覚めたという方が正解だろうか。

 護は机の上に交差して置かれた両腕がじんじんと痺れ出したことで、どうやら机に突っ伏して寝ていたらしい、と理解する。

 

「――自分の部屋に……。え? あれ?」


 護がいる場所は、清華学園高等部二年二組の教室の自分の席だった。他には誰もいない。護一人。

 教室の窓から見える景色は夜のとばりが降り始め、夕刻の赤色は下に下がり消え去りつつある時刻。

 確か記憶では、夜中に自分の部屋でラノゲのゲーム制作をしていたはずだった。

 思わず立ち上がる。と、座っていた椅子を脹脛ふくらはぎが押し下げ、床を擦る音が誰もいない教室に響く。

 立ち上がった拍子に視線を下に向ければ、ちゃんと制服を着ている。


「……」


 なんとなく腑に落ちないながらも席を離れ外の様子を見る為、窓際まで歩いていく。

 無意識に触れた銀色の窓枠の冊子はひんやりと冷たく、現実であることを伝えてくる。


「――寝ぼけてるのかな?」


 今が現実で自分の部屋だと思っていたのが夢だったのか。

 そんな風に思った護だったが、そうなると夕方のこんな時間まで一人教室で寝ていた理由がよくわからない。いつも通り 六時間目まで学校の授業を終え、普通に帰宅したと記憶しているのだが。

 それにずっと寝ていたのならクラスメイトの誰かが、帰り際に起こしてくれそうなもの――


「――でもないか」


 そう呟くと苦笑する。 

 護はクラスメイトからハブられている。分かりやすくいえばイジメを受けていたのだ。

 もっとも、暴力を振るわれたり、金品を要求されたりと目立つようなイジメではない。ただクラスのほとんどから相手にされないだけだ。もしかしたらイジメと表現するには語弊があるのかもしれないが。

 理由はよくわからない。

 大人しい性格で他人と積極的にコミュニケーションを取るのは得意ではないが、いわゆるコミュ障といわれるほどには酷くないとは思っている。

 話しかけられればちゃんと答えるし、変にきょどったりしない――と、自分では思っているのだが。

 女子に嫌がられるようなことをした覚えもなければ、クラスのカースト上位者に反抗して目を点けられたわけでもない。

 言葉にすれば『なんとなく』とか『ノリで』といった感じだろうか。


「――はぁ」


 護はため息をつくと首を振る。

 日が落ちそうな時間で教室に一人でいると滅入ってくる。ただでさえ、今の状況がよく思い出せないことを思えば、気持ちも沈んでしまうのは当たり前だ。さっさと帰った方がいい。

 そう思った護は机に引っかけていたカバンを取ると、そのまま教室を出た。


(そういえば教室のカギって閉めたことないな。職員室に行けばいいのかな)

 

 クラブ活動をしていない護は帰宅部だ。放課後に遊ぶような親しい友達もいないので、授業が終わればすぐに帰宅する。放課後、教室に最後まで残ったことなど一度もないので教室のカギの閉め方がわからない。

 一度、職員室に寄ろうかと思ったその時、長い校舎の中央階段辺りに誰かいることに気づく。

 沈みゆく夕日の赤い光が差し込んでいるが、顔の部分までは届かずはっきりと見えない。


「――こんな時間まで何をしているの」


 平坦で抑揚が無く、およそ感情が感じられない声で尋ねられた。


「……」


 護はすぐに答えることが出来ない。

 今日一日の記憶が曖昧なのだ。何をしていたのか覚えていないので答えようがなかったというのが一番の理由だが、相手の正体が不気味だった、ということもある。

 校舎の中だ。

 相手がわからずとも先生か生徒に限られ、何も不気味に思うようなことなどないはずなのに。


「――何をしてるのかとッ!! 訊いているのよッ!!!」


 物静かな先ほどの問い掛けから一転、感情が一気に沸点を超えて怒声を浴びせられる。

 

「――今川……先生?」


 相手が数歩、近づいてきたことで誰だかわかった。

 声をかけてきたのは、ひょろりとした体形で比較的背が高いこともあり、生徒からは『もやし川』と陰で呼ばれている数学の女性教師。

 今川は数学の教師なのに、なぜかいつも科学者や医者が着るような白衣を身に着けている。 


「何をしゅシュてッ!……何しゅシュシュてテテテぇええっっ!!――」


 今川は突然、小刻みに身体を震わせ口からよだれを垂らし、焦点が定まらない様子で唾を飛ばしながら奇声を発する。

 その様子を見た護は、全身に鳥肌が立ち悪寒が背中を駆け上がるのを抑えきれない。

 無意識に一歩、二歩と後ずさる護。

 見つめる視線の先で、今川の身体が変化し始める。

 ひょろ長い細身の四肢と胸部が膨らんで厚みを増していく。その勢いは衰えず、最終的には着ていたシャツと白衣を弾き飛ばすほどだった。ただし、頭部の大きさは元の今川のままだ。


 倍ほどに膨れ上がった隆々の赤黒い肉体に不釣り合いな青白い顔をした頭部。そのアンバランス差がより一層の不気味さを醸し出している。


「GRURURUUU――GAAAaaaa!!」


 もはや人語ではない雄叫びを上げると、今川だったソレの頭部から三本の角が突き出てくる。

 まさしく《鬼》という表現がぴったりな姿。

 その姿を見た途端、護は回れ右をすると一目散に逃げ出した。

 中央以外に校舎の両端にも階段がある。二年二組は校舎の三階にあった。

 校舎の端――階段までたどり着くと自分でも信じられないくらいの敏捷さで、数段飛ばしながら駆け下りていく。


(――な、なにアレ! あれって今川先生だったよね!!)


 元の今川とは似ても似つかない姿を思い出しているうちに一階へとたどり着く。

 すぐ左手の出入り口のドアの取っ手を回すが開かない。カギがかかっている。


「ちくしょー!!」


 ここから出られなければ中央の正面玄関から出るしかない。

 護は靴と廊下の擦れる甲高い音を立てながら、全速力で正面玄関へと向かう。


(今川先生! 降りて来ないでよっ!!)


 祈りが届いたのか、正面玄関にたどり着いた時には幸いにも今川は降りて来ていない。

 護は下駄箱で靴と履き替えることもなく、立ち止まらずにそのまま校舎を飛び出す。

 正面はグラウンド。校門は右側にある。

 飛び出した勢いそのままに右へ方向転換しようとしたその時、窓ガラスを突き破って今川がガラス片とともに飛び降りてくる。


「――!?」


 完全に進路をふさがれた状態になった。

 窓を突き破り、三階の高さから飛び降りた今川だったが、どこにも怪我らしいものは負っていないように見える。

 否。元今川だったモノというべきか。

 元の体格の倍ほどの大きさに膨らんだ身体は、もはや見る影もなく、この世ならざる人外に変貌してしまった。


 まもるの目の前に立ちふさがっているのは、三本の角を生やした鬼。

 あまりの非現実的な光景に、助けを呼ぶ声さえも出ない。

 せわしなく視線を動かして他に誰かいないか探してみるが、完全に日が落ちた夜の学校には誰もいなかった。生徒はともかく、教師はいてもおかしくない時間帯なのだが、少なくとも視界の範囲内には護と目の前の鬼しかいない。

 

「GRiiGURUuu」


 獣の唸り声のようなものを発しながら、着地した体勢からゆっくりと身体を起こす鬼。その手には木の枝のような細長い棒状の物が握られている。

 護の視線がそれに吸い寄せられる。

 暗くてはっきりと確認できないが、おそらく窓枠に使われていたアルミ製の冊子の一部分だろうか。

 一瞬、それが霞んだかと思うと鬼の手には何も握られていなかった。

 間を置かず、護の頬にピリッとした痛みがはしる。

 痛みがあった頬に触れてみると指先にはぬるっとした感触。見れば、指先は赤く染まっていた。


「!?」


 血に濡れた指先を見て、鬼が破片の一部を護めがけて投げつけたのだと理解する。それが頬を掠めたのだ。

 恐怖が護の心を支配する。

 鬼は明らかに護に対して敵対者として、いや獲物として認識したに違いない。


「う、うわぁぁぁぁ」


 護の中で何かが弾けた。と、同時に反射的に鬼から遠ざかる行動に出る。つまり、校門とは反対側に向かって駆け出した。

 足がもつれて転ぶ。

 すぐに起き上がるがうまく走れない。

 恐怖に負けて後ろを振り返ってみれば、鬼はゆっくりとした足取りで後を追ってくる。

 走ればすぐに追いつくだろう。それをしないということは、狩りでも楽しんでいるつもりなのだろうか。

 ヨロヨロと這うように進む護は、グラウンドに鉄パイプのような物が転がっているのを見つける。

 野球部が片付け忘れたのか、もしくは放課後、誰かが遊んでいたのを放り出していったのか。

 それは金属バット。

 とっさにその金属バットを掴む。

 鬼から遠ざかりたい一心で周りを見ていなかったが、グラウンドにある野球部が使うホームベースのところまで逃げていたようだ。目の前は野球場などでも見かける、ボールが後ろにいかないようにするためのフェンスが護の行く手を阻んでいる。


 フェンスを背にして鬼に向き直ると、護は金属バットのグリップを両手に握り、剣術でいうところの正眼の構えをとる。

 もちろん護に剣術の心得などない。

 身体の震えがそのまま伝わり、構えた金属バットも小刻みに震えている。


「――こ、来ないでください! い、今川先生!!」


 こんな状況であっても『化け物』と口にするのをためらった。

 もはや誰が見ても眼前の鬼が今川だと思う者はいないだろうが、護だけはこの鬼が今川だと知っている。


「GIRUuuuuuu!!」


 空に向かって鬼が咆える。


「うわぁぁぁぁぁぁ!!」


 鬼が咆哮した瞬間、護は目を閉じてメチャクチャに金属バットを振り回す。

 攻撃や防御を意図したわけではない。ただ遮二無二振り回しただけの行動。それなのに――


「GGAaaaa!!」


 何かの爆発音と共に鬼の苦痛の叫びが聞こえた。


「――!?」


 目を開けてみると、体勢を崩した鬼の上半身から煙が立ち昇っている。


「――ふーん。今の一撃でも結構効くのね。巻き込まないように威力の低い術を使ったのだけれど」


 鬼よりも数メートル後ろに人影が一つ。

 完全に日が沈み、辺りを闇夜が覆っているため人影の表情まではわからない。ただそのシルエットから小柄で、スカートを穿いていることが分かる。声からして少女――護と同年代だろうか。


「GRRRuuuu」


 低い唸り声を上げ、鬼は突然現れた少女に向き直る。

 護に無防備な背を見せることになるが、全く気にしていないようだ。

 護としてもこの隙を突いて攻撃――などという思いはない。それよりも――


「に、逃げて! 誰だか知らないけど、今川先生は普通じゃないんだ! だから逃げて!!」


 必死に叫ぶ。

 自分が襲われる恐怖よりも、おそらく女子生徒だと思われる女の子が襲われることの方が怖かった。

 護の忠告で少女が逃げると思ったのか鬼が反応する。

 少女に向かって突進していく。

 速い。


「――しまっ!?」


 護は自分の忠告が、かえって少女に危険を与えてしまったと後悔する。

 鬼の巨躯きょくが少女に迫る。

 その場から動かず、逃げる素振りを見せない少女に向けて、鬼は鈍く光る鋭い爪を振り下ろした――が、そこに少女の姿はなく空振りに終わる。

 少女は振り下ろされた爪をかい潜りつつ、鬼の側面に回ると、


「破ッ!!」


 一閃の気合と共に鬼の脇腹に掌底を叩き込んだ。

 一瞬、鬼は身体を『く』の字に曲げると数メートル先へ吹っ飛んでいき、盛大な砂ぼこりを上げてグラウンドを削るように転がっていく。


「……」


 その光景に驚き過ぎて声も出ない。

 少女と鬼では優に二回りの体格差があっただろう。それなのに少女は鬼を吹っ飛ばしたのだ。

 護には少女が大して力を込めず、ただ手のひらを鬼の身体に添えただけのように見えたのだが。

 その少女が何事もなかったかのような様子で、護のそばまで歩いてくる。


「――ねぇ、キミ。キミはこんなところで何してるの?」

「あ、え、そ、その。えーと……不知火しらぬい……さん?」


 あまりの展開に頭が回らない。

 星灯かりの下で確認出来たその少女――鬼を吹っ飛ばして護を助けてくれたのはよく見知った人物だった。もっとも、よく見知っているのは一方的ではあるが。

 清華せいか学園高等部二年四組不知火穂乃果しらぬいほのか

 肩口辺りまで伸ばしたセミロングの髪は、今は黒く見えるが本来は淡いナチュラルなブラウン。目鼻立ちがはっきりとした整った顔。身長こそ平均的ではあるが、手足がスラリと長いモデル体型。学校指定の制服であっても『着こなしている』という感じがする。

 間違いなく学年で、いや校内で一、二を争う美少女だ――と護は思っている。

 

「ん? 私のこと知ってるの? もしかして特務隊関係の人……のようには見えないわね。あ、でも、関係者ってことなのかしら?」


(――あ、やっぱりカワイイ……って何考えてるんだ僕はッ!)


 小首を傾げて何やら呟くその姿は、こんな非常時であっても可愛いと思う自分自身に護は少々呆れる。


「あ、そうそう。さっきの質問に答えてよ。こんなところ――」

「あっ!」


 彼女の質問を遮って、護は思わず声を上げる。鬼が立ち上がるのが見えたのだ。

 護の声に穂乃果は後ろを振り返る。


「んー。三角鬼ミズノといっても鬼には違いないもんね。その辺の憑魔とは違ってあの程度じゃ倒れてくれないか」


 そう言いながらゆっくりとした足取りで鬼に向かって歩き出す。


「ちょっ!? 不知火さん! どうする気なの! に、逃げないと!!」


 先ほど彼女が鬼を吹っ飛ばしたことを忘れた訳ではないが、常識的に考えて女子高生が鬼に勝てるとは思えない。


「大丈夫、大丈夫。そんなことよりキミの方こそ今のうちに逃げなさい。なんで学校にいるのか知らないけど、キミ、一般人でしょ?」


 護に背を向けたまま『行った、行った』と言わんばかりに、穂乃果ほのかは振り返らず手のひらをヒラヒラとさせる。


「不知火さん!」


 もう護の呼びかけには答えなかった。


「GUOOOOO!!」


 護が見つめる先で鬼が咆哮を上げ、穂乃果に向かって突進する。

 穂乃果は慌てることなく右手を高く掲げ――叫ぶ。


「――顕現せよ、《紅万華くれないばんか》!!」


 裂帛れっぱくの気合と共に掲げた腕を振り下ろす。その振り下ろした軌道に沿って赤く炎のような軌跡がはしる――と、穂乃果の手には一振りの日本刀。


「――あれはッ!! まさか霊装!?」


 穂乃果が何もない空間からび出した刀を見て思わず叫ぶ。

 護の驚愕の叫びに、一瞬だけ穂乃果の肩がピクリと反応する。


(え? 何これ。どういうこと!? これって夢なの? 不知火さんが剣を――霊装を持っているなんて。鬼だって? 霊装だって!? これじゃぁ、まるで――)


『鉄血の武姫ヴァルキュレー』じゃないか。

 そう叫びそうになった言葉をぐっと飲みこむ。

 あまりに非現実なことで衝撃が大き過ぎたため今まで気づかなかったが、教室の目覚めから今川の鬼化、グラウンドでの戦闘と、今目の前で起こっているのはゲームの最初の展開と同じだ。


「GUUUOOO!!」

「ハァァァァァァ!」


 護が驚きと困惑が入り混じった思いで見つめる中、穂乃果と鬼は互いを打ち倒すべく覇気の声と共に突っ込んでいく。


(ゲームと同じことが現実で起こっているんだとしたら――)


 穂乃果と鬼は勢いを緩めることなく剣と爪が届く間合いに入り――そのまま入れ替わるようにすれ違う。

 護にはその一瞬の攻防は見えなかったが、


「RUGUOOOONNN」


 鬼の絶叫と共に空から何かが落ちてくる。

 鈍い音を立てて地面に落ちた物は、肩口から斬り飛ばされた鬼の右腕。傷口からは血は流れず、しばらくすると灰になったかのように崩れて風に消えていった。

 左手で右肩を押さえて片膝をつく鬼。肩の傷からも血は流れていなかったが、シュウシュウという音と共に煙のような物が立ち昇っている。

 一方、穂乃果はダメージを負った様子はなく、閉じた傘の雫を払うように、手にした刀を斜めに振り下ろす《血振り》をすると「ふぅー」と一つ呼気を吐いて振り向いた。

 その所作は練熟した剣士のそれに見える。


「油断しないで! !!」


 護が叫ぶのと同時だった。

 ダメージを負って片膝をついていたかに見えた鬼は、弾かれたように地面を蹴りつけ、穂乃果から距離を取り逃走を計る。


「――逃がさない!!」

「待って!!」


 間髪入れずに鬼を負う穂乃果に対して制止の声をあげる護。しかし穂乃果は止まらなかった。

 鬼は受けたダメージが大きかったのか動きが鈍い。

 学校の外壁までもう少しという所で穂乃果は鬼に追いついた。


!!」


 鬼の間合いに入るのと、護が叫ぶのと同時だった。

 鬼の口から紫炎のかたまりが穂乃果に向けて吐き出される。


「――ッ!!」


 穂乃果は鬼の身体に斬りつける軌道を強引に修正して紫炎を斬り払う。が、無理が生じて体勢を崩してしまう。

 その隙に乗じて鬼は外壁を超え逃走に成功する。


「冗談! 逃がすはずないでしょッ!!!」


 外壁の向こう側へと消えた鬼を追って、穂乃果も壁を飛び越えて行く。


「――ちょ、不知火さん!!」


 途中から護も追いかけていたが、当然ながら追いつく前に穂乃果の姿も壁の向こうに消え見えなくなる。


「……」


 しばらく茫然とする護。

 今見たこれはなんだったのか。

 現実?

 白昼夢?

 現実の世界でゲーム『鉄血の武姫ヴァルキュレー』と同じことが起こっている。果たしてそんなことがあるのだろうか。


「それこそゲームじゃないんだから……」


 無意識に呟く。

 そして気づけば広いグラウンドに、金属バットを握って立っている護が一人だけ。

 緊張の糸が解け握っていたグリップから手を放すと、鈍い金属音と共に金属バットが地面に転がる。

 何となく転がる様を見ていた護は、ふと何かが視界に入ったことに気づく。

 数メートル先に何かが落ちている。


「――?」


 近づいて拾ってみるとそれは生徒手帳。


「やっぱり。これもゲームと同じだ」


 ゲームでは主人公が拾った生徒手帳を翌日の昼休みに返すことで、知り合うきっかけとなるのだが――

 生徒手帳を開けてみる。

 後ろめたさと少しの興奮で、先ほどまでとは違った意味で心臓の鼓動が速くなる。


(だ、誰の生徒手帳か確認するだけだから……。別にやましいことなんてないし!)


 自分自身にそう言い訳をしつつ開いた手帳には顔写真と『生徒証明書』という文字の下に氏名、生年月日、発行日、そして清華学園の学校名が記載されていた。


「――やっぱり不知火さんのせいとて……え、あれ? しらぬい……焔華ほのかだって!?」

 

 中の写真は本人と同じだったが名前が違った。『不知火穂乃果』ではなく『不知火』となっている。


「そんな!? どうして……」


 護は穂乃果に対して一年生の時から淡い恋心を抱いていた。

 同じクラスになったことはなく、まともに会話すらしたことがないため、おそらく穂乃果は護のことをちらっと見かける程度、もしくはまったく知らないという可能性も大いにある。

 当然ながら告白なんて出来るはずもない。

 だからこそ、せめてゲームの中ではと思いヒロインの一人に『不知火焔華』と名前をつけた。

 名前を『穂乃果』ではなく『焔華』にしたのは設定上のこともあるが、やはり一番の要因はストレートに本名を使うことが気恥ずかしかったからだ。


 どっちにしろ本人に知られたら気味悪がられると思うが、多かれ少なかれ同じようなことをしている少年たちは多いだろう。それが思春期というものだ。

 だがそれはゲームの中での話――だったはずだ。それなのに目の前の現実は、先ほどの少女が『不知火焔華』であることを突き付けている。これは一体、何を意味しているのか。


「――僕はゲーム世界に……いる?」


 そう呟く護の問いに答えてくれる者はいなかった。



                  ――了――

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鉄血の乙女(仮) 維 黎 @yuirei

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