第37話

「…ああ、ごめんねえ、立花サン。さっきは色んな意味でびっくりさせちゃったよね?…あれ、立花…葵サン、だよね?そうそう、花の名前が二つ並ぶヒト。ええとね、俺、河近青司。青信号の青に司るって書いて、セイジ。で、…さっき上から、あのクソみたいなセンセおちょくってけらけら笑ってたのが、姉貴の河近紅麗、…って言や、立花サンなら事情は分かるでしょ?…でも、考えてみると、我が姉ながら凄い…っつーか、凄まじい名前だよねー、やたら無駄にゴージャスっつーか…。『唐くれない』の『紅』に『麗しい』でアカリ、なんてさぁ…。そんなことない?綺麗で素敵な名前?立花サン、やっぱ優しいね?つーか、はっきり人好すぎだよ?そんなんだから、あのマジモンのクソセンセーに付け込まれるんじゃないの?」

まるで、おもちゃの機関銃を、ぽんぽんぽこぽこと景気良く続け様に撃ち鳴らすような調子で、そこまでほぼ一気に喋り倒すと、河近青司と名乗った男の子は、その間、一言二言口を挟むのがやっとで、ほとんど彼の目の前でぽかんとした顔をしていた私に、悪戯小鬼のような笑顔でにぃっと笑って見せました。

……ええと、…じゃ、貴方、河近紅麗さんの弟さん…?…って、私が恐る恐る訊くと、「だからぁ、最初っからそう言ってんじゃん?」って、河近君…青司君は、一層面白がるような様子でにやりと笑いながら、ポケットの中から収納式のキーホルダーを引っ張り出すと、鍵を一本選り出して、その鍵で、私達が隠れていた半地下の駐車場の壁の窪みの、その奥のドアの鍵を開け扉を開いて、私を手招きしました。

青司君に付いて扉を通った先は、その集合住宅のエレベーターホールに続いていました。見たところ、築年数はそれなりに経ている様子でしたけれど、暖色系の照明に、落ち着いた色合いの壁には、何やら洒落たリトグラフのパネルが飾られており、また、壁際の観葉植物は生の樹が使われているようで、何とはなくですけれど、住み心地の良さそうなところだ、と思いました。

一瞬気を緩めかけて、不意に、建物入り口の自動ドアの向こうから、この建物を怪しんだ押谷教職員が窺っているのでは…っていう考えが浮かんで、再び不安になりましたけれど、青司君に「だいじょーぶ,…ここの建物、エントランスや郵便ポストの位置からじゃ、住人が何階に住んでるとかが分からないように、目隠しされてるから」って説明されて、彼の指差す方向に釣られて入り口を確認すると、確かに、その集合住宅の、エントランスへと続く出入り口は、ちょうど、武家屋敷の玄関に衝立を立てるのと同様に、パネル…と言うより、…あれば多分、地震などの時に事故が少ないようにって考慮されてるんでしょうけれども、言って見れば、天井から床すれすれくらいまでの、言って見れば広幅で長尺の、ロールスクリーンカーテンのようなものが複数、エレベーターホールの目隠しになるように、それぞれ少しずつ配置をずらして設置されていて、エントランスからオートロックを開いて、素通しのガラス製の自動ドアを抜けて建物の内へ、または建物内から自動ドアを通って外へ行く人は、そのロールスクリーンカーテンの隙間を通るようになっていて、…確かに、外のエントランスからでは、直接エレベーターホールを往き来する住人の動向は、少なくとも、ちょっとばかり覗いた程度では、判別はできないようでした。

青司君は、エレベーターの階数表示が一階を示しているのを見て、「お、ラッキー」って言いながら、慣れた手つきでパネルのボタンを押してドアを開け、さっさと箱に乗り込んで左手でドアを押さえると、空いた右手で再び私を手招きしました。私が続いて箱に入ると、青司君は素早く五階のボタンと開閉ボタンの「閉」の方を押してドアを閉め、エレベーターは建物の最上階に向かって動き出しました。

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