戦士とヒーラーは虫すら殺せない!

篤永ぎゃ丸

最強の戦士と天才のヒーラー

「俺に威嚇した事を、後悔するんだな……」


 燻し銀が張り付く声が、視界を遮る土煙の中に溶けてゆく。ゆっくりと——風がその場を晴らしていくと、大きな牙がギラリと三日月のように輝いた。


「忌々シイ害鳥ガァ……ッ」


 重量感のある唸り声と共に、緑竜の腕がドスンと荒地を踏み沈めた。漂う土煙が背にある翼によって強引に排除されると、巨樹きょじゅが縮んで見える程の竜がそこにいる。


 誰もが怖気付く存在に、ゆっくりと歩み寄るのは全身が茶色い羽に覆われた猛禽もうきんの獣人、名はガルフである。


「害は貴様の方だ——深刻な近隣被害で、ギルドより討伐の依頼が来ている」


 ガルフの共鳴腔を通じて、黄色いくちばしの隙間から抜ける言葉全てには男らしさが溢れている。彼の右腕には、簡単に折れてしまいそうな細い棍棒こんぼうが握られているが、それを軽く回転させた。


「受けた依頼は、俺は必ず完遂させる——大人しく、ここで始末されろ」


「無駄口ヲ叩ク小僧メ……ッ丸呑ミニシテヤルッ!」


 グアァアッと竜の口が迫る。ガルフは回転させていた棍棒をバシッと両手持ちにすると、その場を動かずに構えた——なんと、竜の牙をその細い木で受け止める気なのだ。


「ナンダト……ッ⁉︎」

「ク……ッ!」


 貧弱な棍棒と獰猛どうもうな牙がガキンと交差した。その振動でビリビリ大地が揺れるが、ガルフと緑竜はお互いの武器を押し付け合いながらその場に留まっている。


「……何故、我ノ牙ヲ受ケ止メキレル⁉︎」

「よく喋る口だ……閉じろ……ッ」


 ガルフが握る棍棒は折れる事なく、ググ……と牙を押し返す。竜の巨大な頭はその状況を理解しきれないまま力負けしていき、一瞬生まれた隙を狙ったガルフは棍棒をヒュンッと横向きに一振りした。


 それはあっという間だった。全てを引き裂いてきた牙は、呆気なく細い棍棒に全て砕かれた。白い破片が風圧と共に辺りに飛び散っていく。


「ガ……ッ……ソンナ……馬鹿ナァッ」

「チッ……まだ動くのか、その口は」

「ヨクモ……我ノ牙オォオーッ!」


 激昂した竜は口を開き、喉の奥から真っ赤な炎のブレスを吐き出した。至近距離から放たれる灼熱の息吹をガルフは避け切れない。咄嗟に棍棒をもう一振りして、風圧を生み出す。


 しかし、全てを相殺する事は出来ずに火の粉が無傷の茶羽根に燃え移った。小さな炎でも、ガルフに触れた皮膚をジュウゥと焼き尽くす。


「クソッ……」


 たまらずガルフは三回バックステップして、竜から距離を置いた。しかし火の粉によって腕と頬の羽が焦げ、肌は焼き爛れて血が流れ出す。


「せッ、先輩ーッ! 大丈夫ですかぁ〜ッ」


 緊張感を和らげる少女の声が、間に挟まれた。ガルフの背後にバタバタ歩み寄ってきたのは、真っ白なベールとローブに身を包んだ少女。手前二つ結びした桃色の髪はボリュームがあり、前髪はくせっ毛で跳ねている。


「いちいち騒ぐな……大した事はない」


「なわけないよーッ! ぜったい痛いってそれーッ」


 ガルフが面倒臭そうにあしらうが、少女は愉快そうに怪我を指差した。命のやり取りを嘲笑う、ヒーラーの名前はコレット。十四歳である。


「えーと、火傷って何したらいいんだっけ? あッ! スースーする湿布をペタリと貼ればいーんだった!」


「……黙って、状態異常回復を使え」

「えー? そんなんでいいの先輩〜」

「そんなんでいい」


 気の抜けた会話を竜が許す訳が無かった。牙を全て砕かれた緑竜は、歯茎から血を流しながらガルフとコレットを睨み付ける。


「貴様ラァ……ッ生キテ返サヌ……ッ」

「ヒーッ! 先輩この竜、歯がないーッ!」

「いちいち驚くな……次の一撃で仕留める。

コレットは回復で、俺を後方支援しろ」

「めんどくさーいッ!」


 これ以上は長話になると察したガルフは面倒事から逃げる様に棍棒を抱えて飛び出し、それを振り上げた。ダメージを受けている緑竜はその動きについていけず、反応した頃にはもう遅い。


「口の次は——頭を砕くッ」

「いたいの、いたいの、とんでけ〜」


 本気のガルフが振り下ろした棍棒の一撃は竜の頭蓋骨を粉砕し、やる気の無いコレットが展開した回復魔法は一瞬でガルフの火傷を全て治癒させた。


「ガ……ハァ……ッ⁉︎」


 緑竜は衝撃で白目を向き、そのまま横向きにドスゥン……と倒れた。空中にいたガルフは、とどめを刺そうと、全ての力と重力を棍棒の先に乗せて落下していく。


「あーッ! 先輩そっちにありン子いるよーッ!」

「ム……ッ⁉︎」


 弾丸の様に竜に向かっていたガルフはギュインッと無理矢理方向転換すると、無邪気なコレットの背後に静かに着地した。


「……どこにいる」

「え?」

「あぁ……ッあ、蟻だ……ッ」

「うーん、見失っちゃった!」

「ふざけるな、探せ」

「竜に潰されたんじゃないのぉー?」

「蟻がどこにいるか……お前が確認しろ!」


 緑竜がグッタリする横で硬直して問い詰めるガルフと、無茶振りにプンスカするコレット。圧倒的に有利な戦闘を突如止めたのは、どこにいるかも分からない蟻の存在だ。


「無ー理ーだーよッ! 親指よりちっちゃい虫をこの瓦礫の山から探すなんてーッ!」

「な、ならば……コレットの見間違いって可能性はあるか?」

「ううん。いたよ、何十匹も!」

「ひぇ……ッ」


 勇猛な戦士の全身から、鳥肌がブワッと駆け巡る。相変わらずガルフはコレットの背にピッタリくっ付いて動かない。


「おぉ、お前、害虫駆除の魔法とか会得してないのか!」

「知らなーい。そもそも私、攻撃力って奴がないから虫も殺せないよ〜」

「おぉ、俺だって魔力はない! 全て……素手でやるしかないんだ……いいから、蟻をなんとかしろ!」

「無茶言わないでよ〜。この竜みたいに、バコォッって棒で叩くとか、吹き飛ばせばいーじゃん!」

「嫌だッ……虫が所有物に触れる事自体あってはならない! それに風で吹き飛ばすと、虫がどこにいったか分からなくなる!」


 圧倒的攻撃力を持つガルフ、天才的魔力を持つコレット。このコンビは、数々の魔物討伐を達成してきた。——人々から『最強』と噂される程に。


「いーから早く、この竜にトドメさしてよ先輩ーッ! 討伐しないと、ギルドからお小遣い貰えないよーッ!」

「しかし……どこかに蟻がいるんだろう?」

「先輩の足元にいるよ」

「でぇぇあぁああぁあッ⁉︎」

「うっそー♪」

「きッ…きき、き、貴様あぁああ……」


 しかしこのコンビには、どうしても討伐出来ない存在があった。それは——生活圏に存在する『虫』なのだ。ガルフは強い嫌悪感から、虫に一切触れる事が出来ず、コレットは虫を処分する力を持ち合わせていない。故に——。


「あ、蟻がいるなら、俺は戦闘離脱する!」

「ふぁーッ⁉︎ 依頼達成目前なのに!」

「だったら、早く蟻をここから逃がせ!」

「うぇ〜……知らんぷりしとけば、こんな事にならないのにぃ……」

「駄目だ! 見つけ次第、絶対俺に伝達しろ!」

「むーッ! 言いたくなくても、言っちゃうし何故か見つけちゃうんだよーッ! 先輩のせいで、変な能力スキル身に付いちゃったじゃん!」


 二人の依頼と戦況は虫一匹で簡単に覆る。このコンビは日々虫から逃げて、虫をこの場から逃す事に全力を注いでいるのだ。

 そして緑竜討伐は、蟻が行方不明になった事により——遂行不可となり、莫大な報酬は後始末をした別の冒険者の手に渡ったという。

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