第3章 策謀、紛争、ついでに縁談

(1)異国での策謀

 大陸で随一の勢力を誇るバルザック帝国。その支配者たる当代皇帝グラスデア・アンテル・ラル・バルザックは、多忙を極めている執務の合間に、複数人いる娘の一人を執務室に呼びつけた。


「皇帝陛下におかれましては、いつにも増してご壮健であられるようで、誠に恐悦至極に存じます」

 亡国の最後の王女を母に持つフェリシアは、他の妃達や彼女達が産んだ皇子皇女達から目の敵にされていたものの、皇女に相応しい最高級の教育を受けていた。その日もまずは皇帝に対して礼儀正しい挨拶を実行したが、相手はそれを歯牙にもかけず、苦虫を噛みつぶしたような顔で素っ気なく言い放つ。


「体調は良いが機嫌は悪いぞ。全く、あの低能どもが。つまらん事をぐだぐだとぬかすだけで、何一つ決められんとは」

「大臣達ですか? お義兄にい様達ですか?」

「両方だ」

 真顔で断言されたフェリシアは、憂い顔で小さく溜め息を吐いた。


「……我が帝国の繁栄のためには、お父様が一日でも長く玉座におられる必要がありますね」

「お前の結婚相手を決めた」

 そこで唐突に告げられた内容に、フェリシアは微塵も動揺しなかった。しかし先程よりも深い溜め息を吐いてから、控え目に懇願する。


「お父様が時間を無駄にしない方なのは百も承知ですが、ほぼひと月ぶりにお会いできたのですから、できればお互いの簡単な近況報告などもしたいと思うのは贅沢な望みでしょうか」

「お前の近況なら、完璧に把握している。つい先日は例の隠し通路から抜け出して、城下を散策中スリに財布を盗られそうになったが、それを阻止しつつ相手を殴り倒したそうだな。隠密行動が大前提なのに、目立つ行動は止めろ。護衛が肝を冷やしたと言っていた」

 淡々と事実を述べたグラスデアに対し、フェリシアは盛大に顔を引き攣らせてから言葉を返した。


「……護衛を付けて貰った覚えはないのですが。勝手に私に尾行を付けるのは止めていただけませんか?」

「尾行にも気づかない愚か者に、単独行動をさせるわけにはいかん」

 取り付く島もない様子にフェリシアは内心で苛ついたものの、すぐに多忙な父親が自分の為に時間を割くのは極めて珍しい事であり、この時間を無駄にできないと思い至った。


「話を戻します。ご多忙なお父様が、今の今までじっくり時間をかけて厳選されていましたから、さぞかし周囲から羨まれる縁組でしょうね。帝国内のどこの家に降嫁するのですか?」

「降嫁しないし、まだ帝国内にはない」

 多少皮肉を込めた問いかけに対する答えは、またしても端的だった。しかしそれでフェリシアは、本気で困惑する羽目になる。


「え? それではまさか、私は外国の王族に皇女として嫁ぐのですか? そんな事を、良く皇妃陛下や他の側妃の方々が容認しましたね」

「お前を外国には嫁がせん」

「はぁ? 意味が分かりませんが」

「私は先程、何と言った?」

 若干目を細めて、グラスデアは目の前の娘を凝視した。その視線を受けて、フェリシアは真剣に考え込む。


「それは……、『降嫁しないし、まだ帝国内にはない』と仰って……。『』ですか?」

「そうだ」

「…………」

 ぼんやりと相手の言わんとする事が分かってきたフェリシアは、少しだけ考えを巡らせてから慎重に探りを入れた。


「近々、何やら小規模な紛争を予定されておられますか?」

「『小規模な紛争』と断言する理由は?」

「大規模な紛争なら水面下での交渉、準備その他諸々がありますから、どれほど内密に進めても気配は掴めます」

「そうだろうな」

(これ以上、ここで情報を引き出すのは無理ね)

 相変わらず淡々と応じる父に、これ以上粘っても現時点で手の内を完全に明かさないだろうと判断したフェリシアは、自分がしておくべき事柄について教えを乞うてみる。


「それでは結婚に備えて、心がける事などご教授いただければと思います」

 その申し出に、グラスデアは執務机の傍らに無造作に置いてあった本を取り上げ、娘に向かって差し出す。


「結婚の前祝いだ。持っていけ」

「ありがたく頂戴いたします」

「それでは身の回りの事など、準備を進めておくように」

「畏まりました。半年から一年程時間があるならば、十分対処できると思います」

「そうだな」

 自分の考えが間違っていない、もしくは当たらずとも遠からずであれば、この婚儀に関する話が公になるであろう時期を、フェリシアは推察してみた。それを肯定と取れる言葉でグラスデアが返した事で彼女は満足して一礼し、皇帝執務室を後にする。 


(そうなると今年中に、隣国との国境付近のどこかで紛争が起きるはず。起きるというか、お父様が何らかの情報を掴んだか利用して、相手側に紛争を起こさせる心積もりだと思うけれど)

 貰った本を抱えて広い皇宮を歩くフェリシアに、すれ違う貴族や使用人達が好奇の視線を向ける。既に母は亡く、皇宮の中でも端に近い独立した塔に住居を与えられている彼女は、傍から見ると冷遇されていた。公式行事への露出も少なく、母譲りの美貌も相まって目撃された時は視線を集めるのが常だったが、彼女はこの時も周囲の視線など一顧だにせず、考えを巡らせ続ける。


(しかもそれを短期決戦かつ勝利に持ち込んで、こちらに有利な条件で講和。そこで割譲されて新たに帝国に編入された領地を、その紛争で活躍した人物に与えて新たな家を興す。そこに私を降嫁させるって筋書きかしら?)

 歩き続けるうちに私室がある塔の入り口まで到達し、顔見知りの警護の騎士に挨拶して通路へと入った。


(よくもそこまで都合よく筋書きが立てられるものね。とはいえ、お父様の手腕だったら可能だとは思うけれど)

 最後は半ば呆れながらフェリシアは私室に入り、出迎えの侍女に暫く読書をすると告げて下がらせた。一人きりになったフェリシアは些か乱暴にソファーに座り、改めて父親から渡された本の表紙に視線を落とす。


「さて、お父様はどんなヒントをくれたのかしら? それにしても表紙に書名が記載されていないなんて、どういうこと?」

 これまで表紙にタイトルが無い本に遭遇した事は皆無だったフェリシアは、不思議に思いながら首を傾げた。しかしすぐに表紙を開き、ページをめくる。


「これは……、グレンドル語よね? そうなると、紛争の相手はグレンドル国?」

 まず目に飛び込んできたグレンドル語の文字列に、フェリシアは半ば確信した呟きを口にした。しかしすぐに、それが困惑のそれに変わる。


「それはともかく……。書かれている内容が、あの国の主神シュレイアから加護を授かった人々、いわゆる加護持ちの記録? どういうことかしら? 単に紛争相手がグレンドル国と察するように誘導するなら、グレンドル語で書かれていればどんな内容でも良い筈よね? わざわざこの内容の本を渡してきた理由は何?」

 書いてある内容に何かヒントが隠されている、もしくはその内容自体が重要なのかと疑ったフェリシアは、真剣な表情で読み込み始めた。そのまま無言で読み続ける事暫し。フェリシアは唐突に、父親が口にした内容を正確に思い出す。


「待って。お父様は確かに『まだ帝国内にはない』と仰ったけど、『降嫁はしない』とも仰っていたわ。そうなると、他に考えられる可能性は……」

 どうやら自分は何か見落としたか考えが足らなかったらしいと、フェリシアは改めて考え込んだ。そして日がかなり傾くまで熟考した彼女は、ある一つの可能性を導き出す。


「本当にお父様は、とんだ食わせ者だわね。一体私に、何をどこまでさせる気なのやら……」

 それなりに使えると判断された自分が、近い将来これまで以上に振り回されるのを確信したフェリシアは、心底うんざりしながら暗くなってきた窓の外を眺めて嘆息したのだった。






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