努力って何だろう?

lil chan

みんなを苦しめる悪魔

 努力が足りない、怠けすぎている、甘えすぎている。世の中に流布されているこれらの言葉はどことなく昭和の匂いと共に、じめじめとした嫌な印象を与える。そんな一度は誰かに言われたであろう、もしくは自分自身に言ったであろう自己啓発的な言葉、努力についてゆるく考えていく。

 努力は努めると力で構成されている。努めるとは、ある対象に心をこめて、また我慢しながら物事を行うことであり、他方ここでの力は精神力といった心的な力の一種であろう。例えば君が仕事をしている最中にピロンッとLINEの通知音に気をとられ、仕事そっちぬけでLINEを開いてしまう。そうすると、努める対象である仕事から注意をそむけているわけであるから、これは努力をしていないことになる。では、たとえ通知音がなっても仕事に取り組み続けた場合、恐ろしい誘惑に精神力でうちかち我慢して物事を行っているので努力したと言っていいだろう。これらのことから、努力とは注意をある対象に向け続けるゲームであることがわかる。

 大きな的を想像してほしい。真ん中に黒い点がある。他は白いキャンバスになっている。君はその的に前に座っており、黒い点をひたすら見続けることを命じられる。じーっと見続ける。ブーンッ、耳の横を虫が通り過ぎた君の視線は黒い点から外れたが的の中の白い部分に留まっている。呼吸を落ち着けて、また黒い点に視線を戻す。これが努力である。

 ながながと努力とは何かという話をしてきたが、この過程は重要なものである。なぜなら、努力の定義をあやふやにしていると君が努力に対して誤った印象を抱いてしまう恐れがあるからだ。君が努力を引っ越しのおじさんが重い段ボールを運ぶものと同一にとらえていた場合、君は仕事をしている最中、筋肉に力が入り、常に気を張っている状態になるだろう。これは本来の努力と違い、ただ心身を疲れさせるだけの無駄な行為だ。緊張と努力は全くの別物である。

 具体的に努力を行うための過程を記してみる。いわゆる努力をするためのhow toだ。まず姿勢を正して椅子に座る。呼吸の状態をチェックする。乱れている場合は深呼吸などをして整える。作業にとりかかる。気が散っていることに気づいたら、ふたたび作業に注意を向け直す。なかなか注意が定まりにくい、あるいは気が散っている時間が長くなってきたと感じたら、一度椅子から立ち、ストレッチをして呼吸を再び整える。これの繰り返しである。ただそれでも2時間を超える作業になると頭が重くなり、それでも頑張り続けると白く冷たくなっていく。そこまでいったら、運動をするか坐禅を組み20分程度、作業から一旦目を逸らすことが望ましい。

 いやいや、ちょっと待ってくれ俺はyoutubeで河野玄斗くんが12時間椅子に座り続けて勉強をしている動画を見たぞ。彼は努力の天才であるから、きっと椅子に座り続けることが努力だ。私が思うに椅子に座り続ける精神力と体力はかなりの程度、遺伝の影響が強い。たしかに訓練次第でそれらの能力は伸ばせるのだが上限はある。草野球選手が大谷翔平と同じ練習メニューを行なっても体を壊すのは目に見えているだろう。私たち凡人にはそれなりの戦略が必要なのだ。

 最後にこれらに加えて作業中に自分の状態を定期的にチェックする習慣をつけることを主張したい。本当に体調が悪いのか、疲れていると思っているが血行が悪くなっているだけではないのか、水分不足になっているのではないのか、今衝動に委ねてインターネットサーフィンをしてよいのか、、、。マラソン選手など長時間行うスポーツの選手は皆、自分の状態をチェック、つまり自己との対話をしている。本気で成長をしたいのなら、自分自身に目を向けるべきであり、自己啓発書やセミナーなど外の世界に目を向けるべきではない。最高のコーチは常に自分自身である。

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