この正しさからの逃亡〜ボクは男なのに〜
ほえ太郎
第1話 襟藤人材派遣
「誰だお前たち!」
「
不良っぽい見た目だけど仲間を大事にするヤンチくんが焦ったように叫ぶ。
「カラさん!」
「おっけー」
いつも眠たげな美女のカラさん(ボクが片思い中の人だ)は、ボクの呼びかけに焦った様子もなく頷いて、冷静にリュックからスプレー缶を取り出して吹き付けた。
室内が真っ赤なスプレーの煙で充満する。
「何をしているお前たち!?」
偉そうなおじさん(席の配置的に課長だろうか)がボクたちの行動に驚く。
そう、ボクたちが今いるこの場所、襟藤人材派遣の本社内では、真っ赤な煙は正しくない。
だからカラースプレーはソレに触れた瞬間消えていく――正常になっていく。色のついた煙は正しい姿に、無色の空気へと戻っていく。
「おりゃっ!」
ボクは持っていた荷物を、ソレのあたりにぶちまけた。
高校生のボクたちでもなんとか手に入った安物のスーツや時計、革靴、カバンといった社会人としての服装一式だ。
どこからどう見ても安物でみすぼらしい一式は、ソレ――正常気に触れると別のものに変化した。
「よし、ちゃんと
新入社員でも使わないような安物の一式が、高級な一流品に様変わりだ。
安っぽいスーツは襟藤人材派遣の本社――東大卒やら京大卒やらのエリート社員ばかりなこの社内では正しくない。
だから正常気に触れた結果、高級スーツに正化した……正しくさせられたのだ。
ボクたちは一般ピープルな恰好をしていて襟藤人材派遣で正しいとされている恰好ではないし、そもそもボクたちは高校生で大人じゃない。この空間で正常とされている状態からは程遠い。つまり正常指数が低い。
正常指数が低いボクたちが正常気に触れてしまえば完全正化されてしまう。それは避けねばならない。
場に相応しい恰好をすることで、少しでも正常指数を高める必要がある。
「コト、こっち」
赤い煙で覆われて姿は見えないけどカラさんが部屋の奥の方で呼んでいる。
煙が消えていないなら、あっち側には正常気が発生していない。
「お、おい待てお前たち!」
襟藤人材派遣の課長と思わしきおじさんがボクたちを呼び止める。
赤い煙が消えていく様子を見れば正常気の位置を把握できる。今はちょうどおじさんの周囲に正常気があるらしい。
おじさんは正常気に触れていても何の変化も起きない。彼はこの空間において正しいからだ。
「ハゲは正化されねえのか」
ヤンチくんが呟いた言葉を聞いて、ついクスっと笑ってしまう。
おじさんは頭皮が薄い。状況次第ではハゲた頭は正化されてもおかしくはない。
ただ、周りの社員たちはその状態が正しいと思っているようだ。もしかするとその頭皮の薄さが課長としての威厳となっているのかもしれない。
「あいつらを捕まえろ!」
課長が顔を真っ赤にして部下に指示を出している。
ヤンチくんの一言が彼の逆鱗に触れたらしい。
「どっちかっつうとコトに笑われたからじゃねーの?」
「それはないよ」
「美少女に笑われたら結構辛いと思うぜ?」
「美少女? カラさんのこと?」
ボクは美少女ではない。
というか、そもそも男だ。
「あー……いや、なんでもない」
ヤンチくんがガシガシと頭をかく。
「早くー」
カラさんののんびりした声が聞こえる。
周囲を見回せば正常気と若手社員さんたちがこっちに近づいていた。
ボクらは慌ててカラさんの元まで走り抜ける。
「もうそろそろ」
カラさんがボクの荷物をぶちまけた辺りを見ながら言う。
その区画はカラースプレーを吹き付けても赤い煙が消えていない。つまり、正常気はそこには存在していない。
床に荷物を落とした場所まで3人で移動して、落としていたものを回収した。
「これがボクの分……って、なんでぇ!?」
女性もののスーツだった。
「ボク男なのに!」
「もう時間がない」
「くそぉ!」
カラさんの言うとおり時間がない。
仕方なくボクは女性用のスーツに着替えることにした。
ボクたちはその場で一般ピープルな服を脱ぎ捨てる。
周りの社員たちの視線を感じた。
隠れて着替えようと移動すれば正常気に触れてしまう可能性がある。
正常気に触れても耐えられるように、まずはこの場において正しいとされる恰好になることが最優先だ。
「……それはいいんだけど」
なぜか男の人の視線を感じる。
美女なカラさんが着替えているのに、なぜかボクまで見られている。というかむしろボクの方が見られている気もする。
ボクは背は小さいけれど男なのに。
もしかして男だって気がついていないのだろうか?
「ねぇヤンチくん」
「な、なんだ?」
不良っぽいけど意外と紳士なヤンチくんは、カラさんの着替えを見ないようにしていた。
ちなみにボクはこっそりカラさんの裸を見ている。
えっちだ。ボンキュボンッで羨ましくなるプロポーションだ。
ごちそうさまです。
ボクやカラさんに背を向けながら着替えているヤンチくんに尋ねた。
「ボクって男に見えないのかなぁ」
「あー……」
「どう見ても男だよねぇ」
ボクサーパンツ一丁でヤンチくんの前に回り込む。
異性であるカラさんはともかく、ヤンチくんになら見られても恥ずかしくない。
「お……ぅ」
ヤンチくんがボクの裸を見ている。
視線が胸のあたりにあった。
全裸になるのはさすがに恥ずかしいからボクサーパンツは履いたままだ。そうなると男女の性差を判断するためには、胸を見るのが一番ハッキリするだろう。
だからヤンチくんはボクの胸を見ているのだ。
「じっくり見てくれたまえよ」
わざとらしく偉そうな口ぶりをしながら胸を張った。
ボクは男だ。
だから胸を見られたところで何も感じない。
感じない……はずだけど。
さすがにちょっと恥ずかしいかも。
ヤンチくんの目が血走っているような気がして。ボクの胸を凝視しているような気がして――。
「ヤンチ」
カラさんがヤンチくんの名前を呼んだ。
いつもののんびしりた声じゃなくて、妙に冷たい声だった。
理由は分からないけどヤンチくんに怒っている……?
「……わりぃ」
ヤンチくんは何かに謝罪しながら、ボクを見ないようにして後ろに回った。
「ボクは男だって分かったでしょ?」
「十分よく分かった。ただ、今はそれしかないから我慢しろ」
「むぅ」
不満に思いながらもスカートを履いた。
すぅすぅして気持ち悪――くはないかも
「? あれ?」
初めて履いたわりには違和感がない。
高級品だからだろうか。
エリートたちの着るものは素晴らしいなぁ。羨ましいぞチクショウ!
着替え終わったあたりで課長らしきおじさんが、背後からボクの肩に手を置いた。
「おい、きみ」
「なんですか?」
振り返ればおじさんがニヤニヤと厭らしく笑っていた。
気持ち悪い。
「そういう店の子なのか?」
「えっと……何のこと?」
「いまさら初心なフリか?」
周りの若手社員たちが男女共にドン引きしている。おじさんの評判は地に落ちただろう。
でも、それだけならまだマシだ。
「コト!」
カラさんの声がする。
おじさんの身体が発光している。
――完全正化現象だ。
「ん? 君は……?」
発光が収まった後、目の前には頭の薄いセクハラおじさんではなく、若くて優しそうで仕事ができそうなイケメンがいた。
イケメンは首を傾げたあと、周囲を見回してパンパンと手を叩く。
「さぁさぁ、みんな、仕事の手が止まっているよ」
誠実で有能なイケメンの言葉に従って、社員たちは仕事に戻っていく。
――これが、この部屋にいる者たちが思い描いた正しいあり方だ。
「正しさを押しつけてごめんね、おじさん」
◆
エリート社員に扮したボクたちは、襟藤人材派遣の社長室に忍び込んだ。
そこで見つけた一枚の書類。
黒塗りだらけではあったけれど、わずかに読み取れた言葉がある。
――世界正服プラン。
――2010年・ベンガリ高等学校・
詳しい内容は分からない。
けれど、この書類はイカれた現象に間違いなく関係していると思った。
次の目標は、ベンガリ高校だ。
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