ニコミスギ

いろはに

ニコミスギ

 真夏の盛り、私はニコミスギに参加していた。

 ニコミスギはN県H郡で毎年8月某日に行われる神事である。そもそもニコミスギとは、日本書記に登場する神の一人であり、N県H郡周辺を治めていたとされる。日本書記におけるニコミスギの記載は非常に少なく、彼の娘、カヤニヒメが後に主神となるオオタミヌツノニコトの妻となったことから、数多く存在するオオタミヌツノニコトの義父である、という見方が一般的であり、それ以上の考察はほとんどなされていないことが現状である。

 神であるニコミスギがいかようにして神事であるニコミスギに変容したのかは、やはり文献の記載の少なさから、明らかにはなっていない。しかし、ニコミスギ神事の始まりは古く、現在みられるニコミスギ神事実施の最古の記録は、812年に時の天皇より命令を受けて各地で編纂された『五択』の与太国の章に見られる。『五択』の解釈書として後年に保浦富喜ほうらとみよしにより書かれた『五択陳列伝』(以下、陳列伝)には、以下の様に記載される。

「永藦三年、……八月、与太国司、爾古味ニ遊ブ。爾古味ニ遊ブハ是爾古味ノ奉ガ為也。是ヲ行フニ粟二十匁ヲ与フ。」

 永藦三年、即ち742年には既にニコミスギ神事は当時のH郡周辺に当たる爾古味にこみにおいて、その名を土地と同じくして行われていたと理解できる。『五択』には以降時折爾古味の記述がみられ、その際必ず粟、蘇、そのほか野菜などが爾古味に贈られており、爾古味が与太国において、国を挙げて補助を行う様なある種重要な神事であったことが窺える。

 さて、それでは肝心のニコミスギ神事はどのようにしてとり行われるのか、以降確認していく。

 ニコミスギ神事はH郡の中でも、村により作法に若干の違いがある。奉納される作物の種類や、神事に用いられる祭具の大小など、異なる点は様々であるが、今回は各種ニコミスギの系統上の祖となっていると言われる、H郡与太のニコミスギ神事を取材した。

 ニコミスギ神事は前夜、当日の午前、午後と主に三つの段階に分けて行われる。前夜、与太のニコミスギ神事を取り仕切る与太神社の元へ、村の担当者から奉納のための作物が集まる。これらの作物は一つ一つ、どこの家が何を用意するか各年度定められており、ニコミスギという神事が、神を祀るためだけでなく、一種の共同体の連帯感の維持装置として用いられているとも言える。

 神主の元に集まった作物は、翌日の本祭に向け、神主の手で清められ、また土地神、すなわちニコミスギに報告される。この際用いられる祝詞の型式は大生祖式おおうそしきと呼ばれ、ニコミスギ神事でのみ用いられる極めて特殊な型である。

 清め終えられた作物は一晩拝殿内のつづらに__現代では冷蔵庫へと形を変えているが__に安置され、翌日の朝六時に神主と村の担当者の手により運び出される。

 本祭当日の午前、昨夜のうち、自治団により組み立てられた神輿に作物と子供を乗せ、「ぐつぐつ、ぐつぐつ」と唱えながら村の家々を回る。家の軒先では、人々が桐のまな板と菜切り包丁を用意しており、作物を切り分け、神輿の傍らに吊るされた壺へと投げ入れる。すべての家を周り、すべての作物が切り分けられるまで神輿は行進を続け、神社へと戻ってくる。

 午後、神事の舞台は神社の境内へと移る。切り分けられた作物を乗せた神輿と、大釜を模した神輿を突き合わせ、しばし異様な神楽が奉納される。この爾古味神楽は、最後、必ず大釜を模した神輿の方が負けるようになっており、負けて、地面についた大釜の周りには薪が組まれる。ニコミスギはH郡、与太の土地神であるとともに、かまどの神、火の神の側面を有しているのだろう。

 現神主の大洞おおほらさんによれば、古くは木材で組まれた大釜神輿を神事の際毎回燃やしていたとのことであるが、現在は費用の面から、神輿が地に着いた点に本物の煮炊き用の大釜を置き、それを火にかけることで代わりとしているそうだ。

 地面についた大釜の中に、切り分けられた作物を人々が投げ入れ、大釜神輿と共に燃やし、煙にすることに撚り神様であるニコミスギへの奉納が終えられる。この点も、大釜が模型から本物に成り代わったことにより、現代では水、出汁などと共によく火が通るまで煮込まれ、祭りの参加者に振舞われて終わるように変わったという。肝心のニコミスギへの奉納は、本祭終了後、より分けておいた作物と小さな釜の模型を燃やす、要するにミニチュアニコミスギによってごく小規模に行われるようになったらしい。少し申し訳ない気持ちもあるが、担い手不足で祭りが縮小される中、ニコミスギを継続して行うためにはやむを得ないと大洞さんは語った。

 ところで、ニコミスギで振舞われる料理、通称ニコミ汁のお味であるが、それについてはぜひ、現地へ訪れて堪能してもらいたい。神事の際に振舞われるニコミ汁を味わうのがやはり良いのだろうが、そうでなければ、H郡のSAなどで郷土料理として提供されているため、案外気楽に食べに行くことができる。味、食感はさることながら、その衝撃的なビジュアルに誰しも驚くに違いない。(記事・出間でま ばかり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ニコミスギ いろはに @irohani1682

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

同じコレクションの次の小説