殺竜ガール

阿部登龍

第1章 竜殺しの弟子

1 竜殺しの弟子

 玄関ドアが叩かれて、三度目のノックで内側に吹き飛んできた。

「なんじゃあ、建て付けが悪い家に住んでるのう」

 テーブルに朝食の器を置いたところだったネイは、唖然として闖入者を見つめた。

 ぶつぶつ言いながら床から戸板を拾い起こすのは若い女だ。背はネイの胸くらいだが、垂れたまなじりのせいか、十六のネイよりもいくらか上に見える。白い貫頭衣チュニックの肩に青みがかった黒髪が長く垂れ、裾と革サンダルカリガには点々と土が跳ねている。

「ほれ。今度からは油を差しておくんじゃぞ」

 差し出された戸板を思わず受け取る。堅牢な造りではないが、女の腕力で破れる代物ではなく、もちろん建て付けはおかしくない。ネイが戸惑う間に、女が顔を覗き込んでくる。

「……誰じゃ。ダミデウスではないな?」

 突然出された師の名前にネイは一瞬言葉に詰まり、

「アンタこそ誰だよ」

「ん。それは母のことを聞いておるのか?」

「母って……そんなわけないでしょ。アンタのことだよ」

 アンタを強調しながら女の顔を指さした。彼女は突きつけられた指先をじっと見つめたあと、なぜか満足げな表情を浮かべた。うんうん、と頷く。

「やはり母のことではないか。よいぞ。改まって名乗るのはいささか面映ゆくはあるがの」

 まさかこの女、一人称が「母」なのか?

 ネイの背筋が震えた。

「母の名は、」

 シゥ――

 背中を走った寒気の源は音だった。ネイの師が「蛇のうなり」と呼んだその音は死兆だ。それを聞いた人間は平均して二秒後に死ぬからだ。つまり死の告知からの猶予は二秒間で、たいていの人間はそれを生かすことができない。

 ただし、何事にも例外はある。その例外となるべくネイは師に育て上げられた。

「伏せてッ」「ぬおっ」

 ネイは女を突き倒すと、手に持った戸板を床に立てた。即席の盾を体内から練り出した魔素で強化。ここまでで一秒。さらに一秒後、炎がやってきた。

 高熱により白光と化した炎が一薙ぎすると、何もかもが焼失した。四歳からネイが暮らしてきた家の、屋根も壁も壁三面を埋め尽くした書籍の山も、射線上の室内はネイの胸の高さから上すべてが綺麗に消し飛ばされている。

 ネイは上縁を燻らせた扉を構えたまま、家の――家だった残骸の外に出た。強烈な熱の余波を受けた前庭の菜園は、丸ごと炭焼き窯に放り込まれたような有様だ。

息吹ブレス

 ネイは空を見た。炎がやってきた先に、太陽を背にしてホバリングする影があった。

 二肢二翼に長い尾と首、体色は緑に青のまだら。脊椎棘せきついきょくは身体の陰になって見えないが、尾棘びきょくの本数と形から〈大棘〉属の雄と推測できた。〈大棘〉属は息吹ブレスを連発できないため、すぐに次が来ることはないだろう。

「ほーう、なかなか派手にやったもんじゃ」

 辺りを見回している女に尋ねる。

「あれは何?」

「ワイバーンじゃな」

「それは知ってるよ。なんで襲ってきたのかってこと」

 ワイバーンのような有翼亜竜は一騎当千の戦力だ。そんなものを自由に使える相手に恨みを買った覚えはネイにはなかった。もちろんネイの師には山ほど心当たりがあるだろうが、だからこそ、この辺りには亜竜が寄りつかないはずなのだ。人の身一つでドラゴンを殺す竜狩り。師は亜竜とその乗り手にとってまさしく天敵というべき相手だ。

 そうなると可能性はひとつだ。ネイが目の前の女を睨むと、彼女はあっさり言った。

「母があのに追われているからじゃな」

 まさかこの女、三人称が「」なのか?

「だとすると、アンタはここが誰の家か分かってて来たんだな」

「そうなるのかのう。だが、小僧っ子はおらんようじゃ」

 女は吹き飛んだ家を見る。固くなったネイの表情をどう捉えたのか、彼女は続けた。

「ダミデウス・バルトメロウ――あのは、母が知るかぎり最高の竜狩りじゃからな」

 言葉に詰まった。否応なしに灰色髪の老人の顔が浮かんできてしまう。バルトメロウ。ネイは自分が師匠の姓すら聞かされていなかったと悟る。アンタと師匠はどういう関係なのか。なぜ小僧っ子と呼ぶのか。そもそもアンタは誰だ――

 湧き出る面影と疑問に蓋をしてネイは答える。

師匠せんせいはもう、いない」

 舌の上にざらつく苦味が広がった。

「ふむ」女が神妙な表情で相づちを打った。「残念なことじゃな」

 ネイはそれには答えず、空中で静止するワイバーンを睨みつけた。亜竜の胸は微光しており、息吹ブレス再充填リロードを終えているのがわかった。

 息吹ブレス。万物を焼却する絶死の火炎。それを前に、しかしネイはひそかに手応えを掴んでいた。

『まずは死ぬな』と、師の声が蘇る。

 死ななかった。人生で初めての亜竜との遭遇を生きのびた。まずはそれで十分だ。自分はあれに通用する。だからネイは「心配は要らない」と女に告げた。

「アンタが師匠の知り合いで、亜竜に追われてここに来たなら、弟子である私には、それに応える義務がある。アンタは私が守る」

『次に』と、師の声が言う。『殺せ』

 その幻に頷く。ああ、教えに従って、すべての竜を殺してみせる。

 これはその最初の一歩だ。

「私はネイ。私は、〈殺竜〉ダミデウスの弟子だ」

 瞬時、視線の先でワイバーンの羽ばたきが止まる。揚力を失った亜竜の身体は沈み、ともなって両翼は大きく、限界まで振り上げられる。その一打ちで亜竜の牙はネイまで届く。

 息吹ブレスが受けられたのを見て白戦に切り替える狙いだ。

 ネイは戸板を手放すと、腰元の柄に手を伸ばした。足を一歩踏み込む。

 シゥ――

 蛇のうなり。接近と見せかけて、本命は息吹ブレスでの一撃。

『かすめただけで死ねる息吹ブレスがある以上、亜竜との戦いでは、二秒以下の判断が生死を分かつ』

 いつだって思い浮かぶのは師の教えだ。一秒。思考しろ。長く引き伸ばされた時間の中でネイは目を動かす。戸板はまだ空中、拾い上げれば間に合う位置にある。

 手を伸ばす。一秒。白光が視界を埋め尽くした。

「ぐう……ッ」

 戸板で受け止めてなお、放散した余波が大気を焦がし、陽炎が円形に広がる。盾自体の強化と同時、魔術によって周囲に熱をかき捨て続けなければ保たない。掴んだ金属のノブがジワジワと熱を帯びるのを感じ、ネイは声を上げずにうめいた。防御が貫通されつつある。

 長い、永遠とも思えるあいだ続くワイバーンのひと息――突然、光が消えた。

 亜竜のあぎとは目前にあった。

 息吹ブレスもまたブラフだった。防御を貫き殺せればよし、視界を失って接近への対応が遅れれば、牙で雌雄を決すればよし。敵がとったのは二段構えの堅実な手だ。骨身がバラバラになるような衝撃を食らいながら、ネイは思う。

 ――読み通り。

 髪を焦がす熱を浴びつつ、ネイは横向きに吹き飛ばされていた。転がって受け身を取る。「ぐにゃふっ」というのは一緒に飛ばされた女の声だ。受け身には失敗したようだ。

 回転の勢いのままふり返った先では、衝撃と共に土砂と土煙が噴き上がった。

 亜竜が地面に激突したのだ。突進の勢いのままもんどり打って前転し、背中から地面に叩きつけられた格好だ。ワイバーン自身はあのくらいなら無傷でも、乗り手は即死だ。

 乗り手なしに亜竜は人間を攻撃しない。はぐれ個体の暴走を防ぐために、訓練と魔術による厳格な調教が施されているからだ。仮に転倒のショックで暴れても、乗り手のいない暴走亜竜など図体が大きいだけの野獣だ。脅威ではない。

「なかなかやるのう」

 女が寄ってくる。全身土埃まみれである以外は怪我もなさそうだ。視線は二人が一瞬前まで立っていた場所に向けられている。そこには土で出来た小山が忽然と現れていた。

「ドヴェルグ魔術じゃな」

 ネイは頷く。現存する魔術三系統――ドラゴン、アールヴ、ドヴェルグのうち、土や鉱物に干渉するドヴェルグ系統には、こうして地形を変化させる術が豊富だ。

「自分を息吹ブレスと突進の軌道から外しつつ、あのを躓かせられる位置に調整して土山を築く――魔素はこっそり足裏から流しておったな。読み切っていたわけじゃ」

 息吹ブレスの充填を終えた後でのホバリングの中断。その挙動に続く息吹ブレスと突進の二段攻撃は、中距離かつ機動力の乏しい相手に対するワイバーン科亜竜の基本戦闘機動マヌーバの一つであり、つまり、ネイにとってはとうの昔に対策済みの攻撃だった。

 ネイは女を横目でうかがう。生涯ネイのみを弟子とした〈殺竜〉ダミデウス直伝の、「人の身で竜を殺す技」だ。師匠の知人とはいえ、それを一見で『土塁バンク』の微調整まで見抜くとは、単なる様子のおかしい女というわけでもないらしい。

「だが甘いのう。チャムチダのホンカの実のケーキくらい甘い」

「……なんだって?」

「チャムチダのホンカケーキじゃ」

「私の戦いが甘いって言ったよね」

 未知の菓子との比較はともかく、師から学んだものを軽んじられるのは看過できなかった

「ん。そっちか」女は呑気な顔で言った。「尾じゃよ」

 回答は端的だったが、それで足りた。ネイは『土塁バンク』から自分たちまでの距離とひっくり返ったワイバーンの尾長びちょうをすばやく目算する。尾棘びきょくまで加味すれば尾のほうが長い。つまり、転倒の瞬間に亜竜が尾を振っていれば、二人を殺せたことになる。

「だけど当たるとは……」

「母なら当てていたぞ」

 当たるとはかぎらない、と言いかけたネイを女は遮った。

「勿論、実際にはあのは尾を使わなかった。原因は乗り手の未熟とあの自身の未熟、どちらでもあろうし、たとえ尾を振るっていても外れることもあるじゃろう。しかし、予測していなかったのは落ち度じゃ。小僧っ子ならそう言うのではないか?」

 その通りだ。師匠なら間違いなくそう言った。

『人間は生まれつき竜に負けている。だからこそ勝機は、人間は竜を殺す方法を考えるという一点にある。逆はあり得ない。竜は俺たちの殺し方を考えない。考えなくても殺せるからだ。だから重要なのは、予測と準備、そして知識だ。それが俺たちの武器になる』

 耳の奥に老いてなお整然とした師の声を聞く。羞恥に首筋が熱を帯びるのを感じた。しかしネイは、女の言葉の中に一点だけ引っかかりを覚えた。

「母……あー、わたしなら当てていた、というのはどういう意味。それは、なんだか、まるで自分が竜だって言ってるみたいだ」

 口にしてからどきりとする。自分の言葉が、あまりにもしっくりきすぎたからだ。

「そうじゃよ」

 ネイは沈黙で答える。

「えー、だからそうじゃって。つまり、わかった。名乗ればいいんじゃな」

 咳払い。

「母の名はヨルネル。一切衆生の母、〈大地母竜〉ヨルネルじゃ」

 そう言って胸を張る女を、ネイは信じがたい気持ちで眺めた。

『人竜大戦』以来の古竜信仰においては、〈大地母竜〉ヨルネルは生命の創造主だ。大戦から千年後の現在も五頭の竜が君臨するこの大陸においては、まさしく王や神を僭する妄言だが、ネイが信じられないのは、そのたわ言を信じかけている自分自身だった。

 戸惑いながら、まだ胸を張っている女を見て思い至る。

「匂い」

「はて?」

「アンタからは匂いがする。竜の匂いだ」

 ダミデウスはネイに「戦利品」を見せた。彼が殺したドラゴンの一部だ。竜鱗りゅうりんにはじまって牙や爪、骨、尾棘びきょく脊椎棘せきついきょくに頭部の竜角。珍しいものなら眼球や舌までもが、ネイの前に教材として並べられた。当然ながら「戦利品」のほとんどは亜竜のものだったが、その中にごく少数、他から隔絶した魔気を放つ品があった。

 それらこそ、〈騎手ライダー〉のまたがるドラゴンのものだった。「出来損ない」の亜竜とは比にならぬ戦力を持ち、『人竜大戦』の惨禍を生きのびた竜たち。〈大地母竜〉を名乗った女からは、それらの品々と同じ匂いがした。魔気はあまり感じられなかったが、魔気の隠匿というのは魔術を使う者にとってさほど難しい技術ではない。

「だけど、ヨルネルは死んだはずだ」

 巨人と古竜の決戦、『人竜大戦』の終盤において、巨人たちの奸計によってその美しい白竜は墜ちた。細部に違いはあれど、どの史書も同じように語っている。

「ネイ」

 知識と直感のどちらを信じるべきか迷っていたところで、名前を呼ばれた。

 女の視線を追いかけると、ワイバーンが身を起こすところだった。予想通り気を失っていただけらしく、頭をぶるぶると振りながら両翼を広げる。魔力が渦巻いて翼膜を膨らませる。

「逃がすよ。さっき『追跡マーク』もかけたし、アイツが戻る先がわかればそれで十分。下手に手を出さずに泳がせたほうがいいと――」

「違う。背中じゃ」

 女の言葉に、ネイは瞠目した。

 ワイバーンの背には圧死したはずの乗り手の姿があった。

 こちらに背を向けた竜兵はどう見ても五体満足だ。鞍から伸びるストラップは脚と胴に回されたままで、転倒の際に脱出したとも思えない。どのみち、あの一瞬での脱出など不可能だ。

 もはや追撃が間に合う距離ではなく、ネイは飛び立つワイバーンを呆けたように見送った。すぐに位置感覚が途絶え、『追跡マーク』にも気づかれたことがわかった。

 しばし二人で呆然とした後、

「どうしようか」「どうするんじゃ」

 言葉が重なり、ネイはため息をついた。

「どうしようって、自分から押しかけて来たんでしょ」

「そうじゃったか?」

「そうだよ。ドアまで壊して――というか、家ごと壊れてるんだけど」

 おう、すまんのう、と女は申し訳なさの欠片もない口調で言う。

 ネイは上半分が焼失した家を眺めた。物心ついた頃から育ってきた家であり、師匠のいちばん大きな形見でもあった。〈殺竜〉の家が木造とは。内心で師に恨み言をつぶやきつつ、思ったよりもショックの薄い自分に気づいた。家を失ったことも、初めての実戦が失敗に終わったことも。なんだか不思議だと思った。

「まずはアンタの話を聞かせてよ」

 ネイの心臓は鼓動を早めていた。

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