家出したら陽キャに拾われて「前の時間軸では恋人同士だった」と迫られる話

犬甘あんず(ぽめぞーん)

第1話

 電波ちゃんだ。

 そんな失礼な感想を人に抱いたのは、これが初めてだった。


「ん、と……」

「驚いた?」


 確かに私はとても驚いている。発言の内容にも、発言してきた相手にも。

 稲月水空いなづきみそら。つい一ヶ月前に私を拾ってくれたクラスメイトであり、今しがたやばめな発言をしてきた電波ちゃんでもあった。


 いくら考えても意図がわからない。

 私はただ、一ヶ月も無償で泊めてもらっていたことに後ろめたさを抱き、何かお礼をしようと思っていただけだ。

 それがこんなことになるなんて、思ってもみなかった。


「えっと、それ、本気で言ってる?」

「うん。本気」


 稲月は楽しげに笑っている。

 まるで私が悪いみたいだ。

 え、私が知らないだけで、これって近年の女子高生の間では常識だったりするの?


「前の時間軸では、私と彩春いろはは恋人同士だったんだよ」


 もう一回言われてもわからないったらわからない。

 混乱している。とても。


 私の中の稲月像はおしゃれで明るくて、誰とでも仲良くすることができるいい人だったのに。がらがら音を立ててそれが崩れ落ちていく。

 残ったのは電波発言をする不思議ちゃんな稲月のみだった。


「だからね。それを思い出してほしいんだよね」


 泊めてもらっているお礼の話からどう飛躍したらこんな話になるのか。私は何を言っていいのかわからなかった。


 ぼんやりしているとか天然だとか言われることはあるが、稲月には負けると思う。私は彼女ほど突き抜けてはいない。

 ……多分。


「思い出すって、どうやって?」

「思い出を追体験するの」

「……?」


 私は首を傾げた。未だ頭も心も混乱が渦巻いていて、どうにもこうにもまともな思考ができそうにない。


「つまり。前の時間軸と同じようにお出かけして、同じことをするってわけ。泊めてるお礼は、それでいいよ」


 稲月は黒めがちな大きな目で私を見ている。化粧をしていなくてもはっきりとした目鼻立ちなのが、少し羨ましい。でも、今はそんなことを考えている場合でもない。


 どうしたものか。

 稲月に泊めてもらう前みたいに、友達の家を転々としてもいい。しかし、あまり友達に迷惑かけるのもなぁ、と思う。


 稲月にだったら迷惑かけてもいいわけじゃないとは思うけれど、彼女は元々一人暮らしだから、私がいても邪魔にはならない、らしい。


 家には帰りたくない。両親は数ヶ月に一度しか帰ってこないから、家に帰ったって私はずっと一人だ。


 一人乾いた家に帰るくらいなら。

 だったら、電波発言に付き合ってでもここにいさせてもらった方がいいに決まっている。


「それって、キスとかしたりする?」

「したいならしてもいいよ」


 彼女は自分の唇に人差し指を当てた。今はリップなんて塗っていないはずなのに、彼女の唇は潤っていて、触り心地が良さそうだった。


 ぷにぷにして遊んだら楽しそう、とは思う。

 だけどキスしたいかと言われると、よくわからない。そもそもファーストキスをまだ済ませていない私は、どういうタイミングで、どんな気分の時にキスっていうものをするのかもわからないのだ。


 まして相手は同性の稲月。

 同棲してる、同性の稲月。


 あれ、ちょっと面白いかも。私は思わず微笑んだ。実際は、同棲というよりは同居だろうけれど。私はかぶりを振った。


「んにゃ、遠慮しとく。……キスしないってことは、それより先のこともしないよね」

「しない。私たち、そこまではしたことないしね」


 そうですか、と思う。

 実際前の時間軸なるものがあったとしても、そこまでしていないなら少し安心だ。流石に、今の私は何も知らないのに、彼女だけが私の全部を知っているという状況は勘弁してほしいと思う。


 ……うん?

 でも、キスもしない、それより先のこともしないってことは。ただ単に、普通の友達みたいにお出かけするだけってことだ。なら別に、拒む必要もないと思う。


 稲月とはこの一ヶ月でそこそこ仲良くなったし、電波発言に付き合うついでにお出かけして、それで彼女が満足してくれるならいいはずだ。悩む必要なんてなかった。


「一ヶ月間泊めたことに感謝してくれてるのなら。私のお願い、聞いてくれると嬉しいなー」


 彼女は甘い声で言う。そう言われて断れる人なんているのかな。いたらきっと、その人は恩とかそういうものを感じないに違いない。


 私は普通に恩を感じているので、断れない。断るつもりもなかったけれど。


「わかった。思い出せるかはわかんないけど、やってみようか。追体験ってやつ」

「よし! 決まりね! 明日からやるから、今日は早めに寝よう!」


 稲月は夜なのに元気だ。本当に楽しそうに笑っているから、私も思わず微笑ましくなって、にこにこしてしまう。


 こうして無邪気に笑っていると、やっぱり顔が整っているし、可愛いと思う。わけのわからない家出娘の私を拾ってくれたことにも感謝している。

 総じて考えるに彼女はとてもいい人で、なおかつ顔もいいのだから、嫌いになる要素はない。


 でも、恋人になりたいかどうかはまた別だ。

 私は多分同性を好きになるようなタイプでもないだろうし、もし本当に彼女と私が恋人同士だったとしたら、前の時間軸とやらの私には何があったのだろう。


 多分冗談だろうし、考えても無駄だろうとは思うけれど。

 何か、少しだけ引っかかるものがある。


 冗談にしてはあまりセンスがないし、私にそんな冗談を言うだろうか、という疑問があった。しかし、考えても結局疑問は解消されないので、私は大人しく彼女の言う通り寝ることにした。

 明日からどんな生活になるのか、思いを馳せながら。

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