不備

「今月も物資が届かないんですか?」

 赤髪の少年、アイニはやや焦ったようにそう口を開いた。

 線が細く、わりと軟弱そうにも見えるが、黒い目には芯がすっと通っているように見える。

 アイニは学校に通いつつ、バイオファームでアルバイトをしていた。

 バイオファームは厳重に衛生管理された上で、高カロリーの栄養を誇る固形食料や、飲料水を確保するための生産工場プラントを管理している区域になる。

「先月でここの畜産施設は閉鎖したしな。参ったよ」

 施設長の男――数ヶ月前よりはだいぶせたように見える――がそう口を開いた。もっと恰幅が良かったはずだが。簡素な折りたたみ式の椅子に座り、ホログラムスクリーン投影式の管理用端末をチェックしている。

「鶏を全部冷凍肉に変えて、空いた部分を水か作りやすい栄養ブロックの増産に当てろ、と。

 上は簡単に言ってくれますね」

 アイニの声には、若干の非難の声音が混ざっていた。目の前の施設長ではなく、もっと遠くに向けられた声と目だった。

「元々鶏しか扱っていなかったのにな。まあ……上にも、さらに外部の圧力があるのかもな」

「僕はバイトですが、施設や周辺地域の状況については、中央議会よりも詳しいですよ」

「施設長の私に言うか?」

 わからないとでも? という困った雰囲気で施設長はそう言った。

 アイニも肩すくめて、いや落として応じた。

「時間だ。今日はもう帰っていいぞ」

 もともと、普段より仕事が早く終わりすぎたので、会話をすることになったのだった。

 複雑な調整や工程が必要な畜産施設が閉鎖されたため、黄金色の麦の畑を見ていたのだが。

「明日以降には空いた施設、畜産のな。あれに栄養ブロックの生産設備が入る。

 今日よりは忙しいはずだろう」

 ため息を混じらせ、施設長はそう言った。


 アイニの帰り道バイオファームの『三番出入り口』の付近で、金髪を控えめに伸ばした少女が手を挙げてこちらを迎えてきた。

「アイニー、忙しかった?」

「レインは畜産施設の後片付けか、大変そうだなー」

「あ、ってことは楽だったのね」

「割り当てに文句を言うなよ」

「だってー」

 レインという少女は、頬を膨らまして、舌を出す。アイニより二歳年上とは思えない子供っぽさが垣間見える。

 アイニは肩をすくめて、

「で、わざわざ待ってくれた理由は?」

「施設長が見えたから、お話してたんでしょう?」

「それか。燃料が今月も届いていないらしいってこと。

 ひょっとしたら、もうニュースになっているかもね」

「あら、一応さっきから更新しているけど、特に情報はないわねー」

 腕に取り付けた、腕時計型の多機能時計から投影されるホロ画像を見ながら、レインは言った。

「軽いな。けっこう重い話のはずだけど」

 そうやって話を続けながら、アイニとレインは、帰路の途中までを一緒に歩いた。


 翌朝。

 アイニが地下集合住宅の中で起きて、朝のオンラインニュース動画(LIVE)を開くと、コロニーに毎月来るはずの補給船団が、戦争の影響により三ヶ月間連続で到着していないとおうニュースが流れ込んできた。

 就寝したあたりから、すでに話題に上がっていたそうだが、護衛船団は何をしているのだろう。そうアイニは思った。

 定期便ではなく、非常便を急遽出すようと『ロック』の中央議会は外部と通信を取っているとのことだった。

 アイニの通っている学校は、地上にある。

 といってもロックは本来、宇宙空間の只中だ。

 宇宙船の動力源である核融合炉を転用して(それこそ、小惑星に宇宙船を突っ込ませるような形で挿入されている)、太陽にはほぼ敵わない申し訳程度の人工灯が、隔壁・シェルターの内部で点灯しているのだった。

「宇宙港は暇そうだな、三ヶ月も仕事がないなんて」

 アイニはぼやく。彼の父は運輸管理局に勤めていて、家庭の話から暇なのは明らかだった。

 ロックは全体で三〇万人ほどの人口だ。交通網はよく設計されて整備されているので、人が生活できる範囲にはすぐに移動できる。

 アイニの学校に至っては大型の共用エレベーターが定刻に動き出すので、遅刻しなければちゃんと上昇してたどり着ける仕組みになる。集合居住区画から徒歩で行き、ただ時間通りに乗り込むだけで良い。

 電力供給の観点から、稼働時間は限られている。遅れれば確定で遅刻となるのだ。

 同時に数百人が乗り合わせるエレベーターだ。

 良いやつも、嫌いなやつも一緒。それがアイニにとっての普通だった。

 学校は非効率を嫌い、学習速度に合わせてカリキュラムが組まれている。

「アイニー。今日は数学教えてよ」

 上昇中のエレベーターで、いつの間にか近くに寄っていたレインが言う。

「今日も……の間違いじゃないかな?

 十五歳向けの内容じゃないか」

 レインの周囲の少女も笑う。アイニは十五歳。年齢相応の学習内容をこなしていた。十七歳のレインは数学が苦手なようで、今年は履修成績が危ういらしい。

「アイニ君、教えてあげてよ」

 レインは活発な少女で、いつも女友達と一緒にいる。

 何人かの少女や周辺の少年らから衆人監視を受けると、黙して頷くしかない。

 エレベーターが上昇しきり、安全と共に開門。学校の通学路に出る。

 あまりに大勢の生徒が一度に歩くため、一本道の比較的短めの道路には、交通規制が敷かれているほどだ。合成された酸素、空気。風はほとんどない。見上げれば、莫大な電力から暗めの電力がこちら見下ろしている。お天道様、などとはとても言えない。

 そこでは自由なカリキュラムが待っている。

 教員の数も少なく、どちらかというと少年少女らが問題を起こさないかを監視するか、実際に問題が起きたときに仲裁したり、あるいは罰則を与えたりする役割になっている。

 潤滑な社会維持を目指すため、とのことで時間や規則にこそ厳しいが、それ以外は生徒の行動の自由度合いは広い方だった。

 ただ、クラブ活動では運動系は下火。重力制御装置は問題なく働き、小惑星上に一Gを提供してくれてはいるものの、本国――各惑星のような余裕があるわけではない。

 人的資産はなるべく有意義に、ということで興行めいたものはあまりなく、はっきりいって味気ない。

 データベース上には娯楽メディアの類はぎっしりと詰まっているのだが、年齢に応じたアクセス制限が掛けられている。

 一般には、ロックコロニーそのものの運営職に、生徒が将来的に就けるように教育を行うのが重要だと、コロニーを指揮・運営する中央議会が指針を打ち出している。

 基礎的な学習カリキュラムの中には、車両の運転や宇宙船の操舵技能シミュレーションにエンジニア学習、食料の生産管理者を目指す実習なども含まれ、基準さえ満たせば生徒は任意でその内容を選ぶことができる。

 アイニやレインのアルバイトも、単位になる上にそう時給も悪くない、学業の延長線上の社会実習なのだ。

 カリキュラムの中には、昨今の事情で全て屠殺とさつされた鶏の管理方法が未だにあって、アイニはあまりそれを学ぶ気が起きなかった。

「そう? 私、鶏肉は好きよ。他の動物はあまり知らないけど。豚ちゃんの肉くらいかしら?」

 アイニが隣の学習席のレインにカリキュラムへの愚痴を言うと、ちょっとずれた返答が帰ってきた。

 ロックでは試験的に豚を育てていたことがあったが、鶏よりも生育・生産の効率が悪かったらしく次第に廃れていった。肉は基本的に高級な輸入品になっている。

 彼らの学習施設は、すぐに電子端末にアクセス可能な大型の図書館、一般にはメディア・センターと呼ばれる場所になる。

 そこまで蔵書量は多くないものの、紙の学習書籍もある。電子書籍に至っては宇宙の歴史、とまでは言わないが、人類の歴史が詰まっている膨大さだ。

 ほとんどの人間は、その膨大さを無視して生きているものである。

 比較的読書が好きなアイニでも、蔵書量の億分の一も読めていないはずで、人類の叡智えいちには気後れを覚える程度には謙虚な態度でいる。

 広々とした大ホールのような場所に端末付きの机が配置されており、その全域は、複数の防犯カメラで監視中。

 監視というか、生徒同士で問題行動が起きたときの証拠になる程度だった。

 人を勢いよく殴る動作や繰り返しの不適切な言動などの問題行動が見つかれば、AIの判断も含めて近場の職員などに連絡が行く。

「果実みたいに木から肉がなればいいのにな。肉の培養は、本物の肉を作るより逆にコストが掛かるみたいだから。特に資源。教科書通りにしかしらないけどね」

 ふと思ったアイニが、思いつきを言葉にする。

「優等生ねー。何でそんなに覚えておけるのか不思議だわ」

「その素直さは、美徳だと思うけどね」

 笑って声に出した。自分も大概、素直かもしれない彼自身、言ってから気がついたのだが。

 レインは少し動きを止めてポカンとしたが、すぐに笑って返した。

「ばーかにしてくれちゃってえー……」

 アイニは肩をすくめて冷静に、

「しばらくは、水と冷凍食品だけになるね。段々と、栄養ブロックの供給が増えて、置き換わっていく……」

 怪談話のような雰囲気を出して、アイニはそう言った。

「……やめてよ……」

 心底うんざりしたように、食べ盛りのレインはそう言った。

 そんな彼女のわかりやすい反応を見て、アイニは笑った。

 その時はまだ、ほんの少しの不吉さをはらんだ程度の、悪気のないジョークだったのだ。



 『少し大人びた子どもの喧嘩』だ。アイニは、中央議会の中継やまとめのニュースを見かけるたびに、そんな風に思う。

 思想は自由だろう。

 数十人ほどの議員が派閥を作り、あれこれと言い争う。ロック内部だけでも利権があるし、これからの食料などの統制、外部の戦線・外交状況などの主たる問題だけでも山積している。

 ロックは、人類が住処とする宇宙の範囲では、ある程度以上に辺境の部類に属するものだった。危うい外交のバランスで成り立っている宇宙の経由地点の一つ。

 上部組織の戦線の補給路であるが、弾薬ばかり溜め込んで食料難が起こるようなら、笑い話にもならない。

 今日の午後三時半(時間は二四進法だ)からのアルバイトでは、遺伝子組換え麦のチェックをしていた。害虫の危険はまったくなく、成長速度は自然のものと比べてとてつもなく早いものらしい。

 最低限、そして十分な仕事の報告をした後で、アイニは他の者と一緒に冷凍施設に移った。

 加工済みの食肉や野菜などを計量し、プラスチックの容器に詰めて蓋をしたり包みを閉じたりするなどの、梱包をして行く作業だったのだが……。

 下品なからかいをする同世代の男子どもだ。監視カメラや集音・録音装置の類もないので好き勝手に鬱憤うっぷんばらしを言われる。

 レインとかの関係をあれこれ、その年代の少年に特有のたくましい想像力で、アイニには思いもよらない話ばかり振られて辟易へきえきとする。

 言うほどあなた方は恋愛をしているのかね? と言った気持ちになった。

 レインとはよく話すし、ボディタッチも交わすが、露骨に手を繋ぐとかそれ以上のことをするとかはなかった。

 距離感を測りかねているのかもしれない。鬱陶うっとうしい発言を尻目に、アイニはレインとの関係を考える。

 好意を持たれているのは確かだし、嫌われたくもない。レインの方も踏み込んでこないのは、こちらがまだ幼いと思われているからだろうか?

 他の男とはどうなのだろう、とアイニは考える。彼女は自分を相手にするように、他の男とも同じような態度で振る舞えるのだろうか?

 そう考えると、胸が苦しくなった。

 だからといってすぐに死ぬわけではないし。

 今はこのままで良かった。今は。いつまで続けられるのだろう?

 よくわからない。いつものように母と、遅れて帰ってきた父と談笑して食事をとった。

 今日はみんなでローストチキンレッグとハーブ入りのふかしたじゃがいもなどを食べた。

 肉は、大豆のソースで味付けされた、こんがりとかぐわしい照り焼き。添加物の入る余地のほとんどない、自然な味わいの料理だ。

 最近まとめて潰さざるをえなかった、鶏の脚だろうか?

 注文したそれぞれの家庭に、冷凍で安く届けられている。まあ、何ヶ月も前の冷凍肉の可能性もあったが。

 レインも同じようなものを食べているのかもしれない。

 彼女の姿を思いながら、笑顔でチキンを頬張った。


「昨日はまん丸のチキンを頂いたわ。

 当分の間は、これが最後の贅沢だって」

 いつものようにメディア・センターで教師代わりになっているアイニに、レインがそう言った。科目によってはレインに教えられる立場にもなるので、一応お互い様ということにしている。

「ローストチキン?」

「そうそれ! 料理の名前が思い出せなくてねー、つっかえていたわ!

 解凍に思いの外時間がかかって、食べられたのは午後七時を過ぎちゃって」

「自分はチキンレッグ、あー。脚を食べたよ」

「あー、そういう食べ方もあるのね……。そりゃあ丸鶏だけじゃないか……」

「うん、チキンには詰め物とかしたの?」

「お芋とピラフ! ピラフはマッシュルームが缶詰のじゃなかったから美味しかったわー」

「確かに、贅沢だね。

 これが最後か……」

 レインは目を瞑って「むー」と言って、さらにしばしの間だけ沈黙してから、

「……補給船、いい加減来ないかしら。

 臨時便の入港とかの話はないの? 君のお父さん。確か、そこの人じゃなかった?」

「うーん、見通しは全くないようだね。毎日暇みたい。そのうち別部署に転勤になるかも」

 レインは聞くと、頬杖をつきながら、

「今どき、本当に人にしかできない仕事なんて芸術くらいよね。

 機械を維持するのも機械ができるし。最初と最後くらいは人間だけど」

 憂いげに言ってみせた。目の前の数学のテキストも大事だが、今の生活や未来を考えるのも大事だろう。

「機械に混じって仕事をするのも悪くないよ。

 全ての人間は部品である、ってどこかで読んだ」

「どういう意味?」

 レインの頭が動き、金髪が揺れる。興味を持ったようだ。

「まあ、部品じゃない人間がいたら、その人一人で世界が完成されてしまうから、そんな世界は最低だってことらしいよ。

 ま、それは変な魔法みたいなので、竜とかと戦う小説に出てきた一節だけど」

 べ、と軽く舌を出すレイン。ファンタジー小説を引き合いに出されて、馬鹿にされたと思ったのかもしれない。アイニは、その小説は特段にファンタジックでも子ども向けでもなかった気がしていたが。きっちりアイニの年齢以上にならないと読めない制限が掛かってもいたし。

「自分は政治に参加したいな。

 今回みたいなことが起きないように、補給や軍事の折衝せっしょうみたいなことをしてみたい」

「夢のある男の子ねー。そういうところ、好きよ」

 レインがおどけたようにそう言う。

『好き』という言葉にアイニの鼓動が高鳴るが、落ち着かせる。

「レインは、将来どうしたいの?

 画家にでもなるとか?」

「んー。コミックとかは好きだけどねー。それで生きるには、ロックから出ないと難しそうね」

「出たいのかな?」

「ご飯が食べられなくなるような場所は困る、それだけ!」

「食べられるようにしていきたいけどねー」

「アイニ君が頑張ってくれたら、良いパートナーと結婚したいわねー」

「……夢が叶うと良いね。頑張るよ」

 声が機械的になっている。ぎこちない声を、アイニは絞り出した。

 誰と? と聞く勇気は全くなかった。

「さて、現実に戻ろう。勉強、勉強ー」

 ある意味、それは現実逃避だったが。アイニは勉強以外への考えを、しばらくの間は保留することに決めた。

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