第8話 悲しみは雪のように
八月もそろそろ終わりが近づいてきた日、正樹はいつものようにアルバイト先のスーパーでアルバイトに励んでいた。今日は先輩店員とともに、店頭で販売するスイカの陳列を行っていたが、もうすぐ九月だというのに一向に衰えを見せない暑さの中、正樹は汗まみれになりながらもスイカの詰められた箱を開け、一個ずつ丁寧に並べていた。ハンカチで額を拭いながら必死に作業を続けていたその時、後ろから副店長の
「おーい、添田君!聞こえるか?」
「は、はい……」
「さっきから何度も呼んでるんだけど、大丈夫かい?君のことを店長が呼んでこいって。話があるってさ」
「え?僕にですか?」
「そうだよ。今すぐ来てくれって。作業は俺がやるから、早く行ってきなよ」
あまりの暑さに熱中症寸前だった正樹は、ふらつきながら立ち上がると小野田の前で一礼し、店長室へと向かっていった。
正樹の後ろ姿を見つめながら、正樹と一緒に作業をしていた先輩店員と小野田は小声で言葉を交わしていた。
「ねえ副店長、店長が直々に呼び出したってことは、まさか……」
「ああ。ついに決断したんだろうな」
店長室に入ると、店長の
「ごめんな、炎天下の作業で疲れてるのに呼び出してさ」
「いいえ、僕は大丈夫です。ところで、お話って何ですか?」
「ああ、ちょっと言いにくい話なんだけどさ……」
「え?」
正樹は首を傾げながら相沢の様子を伺ったが、相沢はどことなく申し訳なさそうな表情で腕を組み、言葉を続けた。
「添田君、君はここまでがんばって仕事を覚えようとしていた。でも、色々考えた結果、当初の契約に基づいた勤務は今日を最後にしたいんだ」
「ええ?そ、それって……今日で契約終了ってことですか?」
「まあね。雇用契約は半年だったけど、こちらの都合で途中で契約内容を変更することが出来ることになってるからさ。勤務初日に契約書、読んだだろ?」
「いや、そんな細かい所までじっくりとは……」
「とにかく、そう書いてあるんだ。君にも一部写しを渡してあるんだから、あとで読みたまえ。せっかく仕事に慣れた所で本当にすまないが、今日までこの店のためにがんばってくれて、本当にありがとう。今後は不定期になるけど、店の人手が足りない時に連絡するから、その時はまた来てくれよ」
「は、はい……その時にはぜひ!」
相沢はホッとした表情で煙草に火を灯し、一服しながら頭を下げた。
「話は終わりですか?」
「ああ。終わりだ。あ、そうそう。今日仕事が終わったら、ロッカーの荷物は全て持ち帰ってくれたまえ」
「はい……」
正樹は店長室の扉を閉めると、少しうなだれた。店の都合で一方的に打ち切りだなんて、ひどい。そう思いつつも、ここまで仕事をなかなか覚えきれず。未だに先輩店員達に迷惑をかけているのは事実であった。先日、真奈美が正樹に伝えた「警告」は本当のことだったのだ。
でも、相沢の話では、店が大変な時には助太刀を頼むこともある、とのことだった。これで完全に縁が切れたわけではないし、多少は自分を頼りにしてくれているのかな?と思うと嬉しかったし、今後またこの店に戻れる望みがあるように感じていた。
その夜、勤務を終えた正樹は、控室に入ると、ロッカーに入れていた荷物を全て取り出し、リュックの中に詰め込み始めた。
「お疲れ様、添田さん。今日で契約が終わるんだって?」
正樹が片付けをしているすぐそばを、先輩店員の真奈美が通りかかった。
「真奈美さん、今まで僕に付いて色々教えてくださって、ありがとうございました」
正樹が頭を下げると、真奈美は片手を振りながら照れ笑いを浮かべた。
「もうこれで会えなくなるわね。次は何のアルバイトをするか、考えてる?」
「え?さっき店長が、この店が人手が足りず忙しい時にはまた僕を呼び出すって言ってたけど?」
正樹は真奈美から言われた言葉に驚き、相沢から言われたことを真奈美に伝えると、真奈美は明後日の方向を向きながらクスクス笑い出した。
「今まで辞めてったバイトさん何人かいるけど、実際に店長が彼らを呼び出したことは、ほとんど無かったかな?店長は優しいから、辞める人達の心をなだめようとして、そういう期待させるような話をしちゃうのよねえ」
そう言い残すと、真奈美は控室から出て行った。
一人残された正樹は、ショックのあまり持っていたリュックを床に落とし、その場に立ち尽くした。
辺りはすっかり薄暗くなり、仕事帰りのサラリーマン達が続々と地下鉄から地上へと降り立ち、家路を急いでいた。正樹は人の流れに逆らうように、ロッカーに入っていた荷物を詰め込んでパンパンに膨れ上がったリュックを背負いながら、無言のまま地下鉄のホームへと歩いていった。
ホームに着くと、ちょうど地下鉄の車両が目の前を横切り、到着と同時にドアが左右に開いた。
座席に座ると、大きなリュックを抱えたままうなだれていた正樹だったが、車内に次の駅への到着のアナウンスが流れると、顔を上げ、ドアの向こう側を覗いた。
きっと千夏がこの電車に乗り込んでくる。そしたら、きっと仕事を辞めさせられたことへの悔しさを共有し、優しくも前向きになれる言葉をかけてくれるに違いない。
正樹はドアの向こうをじっと見つめていたが、誰も乗り込んでくる様子は無く、やがてドアが閉まり電車は徐々に加速し始めた。
「今日は違う車両に乗ったのかな?」
正樹は立ち上がり、最先端から最後尾まで、車両を歩いて回った。きっとどこかに千夏がいるに違いない……はやる気持ちを抑えながら、正樹は全ての車両を見て回った。しかし、千夏らしき女性の姿はとうとう見つからなかった。
「いないなあ。今日は特に逢いたいのに」
正樹は肩を落としていたが、その時、車両の片隅でセーラー服を着た長い黒髪の少女の姿を見つけた。
「やっぱりいたじゃないか!おーい、千夏さん、元気だった?俺だよ、正樹だよ!」
正樹は少女に背中越しに声を掛けると、少女は自分の顔を指さしながら驚いていた。
「千夏?私、みどりって言うんだけど……」
少女は観月ありさというよりは石田ひかり似で、千夏とは似てもに似つかない顔をしていた。正樹は青ざめた顔であわてて頭を下げ、そそくさとその場を去った。
「ちっくしょう、千夏さんは一体どこにいるんだ?」
やがて電車は、いつも千夏が下車している駅に到着した。正樹は千夏がこの先の駅まで乗っていたのを見た記憶がないので、おそらく今日は同じ電車に乗り合わせていなかったのだろう。
「はあ……いっぱい話したいことがあったのになあ」
正樹は頭を抱えて座席に座り込み、歯ぎしりをしながらアルバイトを実質的に解雇されたことへの悔しさをかみ殺していた。
仕事を十分にこなすことができず、解雇という結果になったのは紛れもなく自分の責任である。今回は残念な結果になってしまったが、一時期辛くてたまらなかった時に正樹の心を支えてくれたのは、千夏であった。千夏は不思議な位に正樹の気持ちを理解していた。今日は仕事を辞めさせられたことへの愚痴だけではなく、ここまで支えてくれたことへのお礼も言おうと思っていた。
「まあ、今日はたまたまいなかっただけかもしれないな。明日また来てみようか」
正樹は明日再びこの地下鉄に乗ろうと決意した。アルバイトを解雇された以上、この電車に乗るのは時間とお金の浪費でしかないが、今はもう一度千夏に会いたいという気持ちが勝っていた。
☆☆☆☆
翌日、正樹はわざわざ地下鉄に乗り、いつも千夏が乗り込んでくる駅に降り立った。千夏が事故死したホームには、今日もたくさんの花束が並んでいた。正樹はホームの端から端まで往復したが、千夏の姿は見えなかった。
「駅にもいないか。じゃあ電車に乗るしかないな」
正樹はホームに到着した電車に乗り込むと、車両には制服を着た中学生や高校生であふれかえっていた。その中には、千夏と同じ制服を着た少女達の姿もあった。
「夏休みが終わって、学校が始まったんだな……」
正樹はため息を付くと、車両を端から端まで見て回った。しかし千夏の姿は見当たらなかった。その時、車内では電車が次の駅に到着するとのアナウンスが流れた。それは、千夏がいつも下車する駅だった。
「ここで降りようか。ひょっとしたらこっちの駅にいるかもしれないしな」
正樹は下車すると、ホームを端から端まで歩いた。しかし、この駅でも千夏の姿は全く無かった。
「あーあ、千夏さん、一体どこにいるんだよ……」
正樹は両手で顔を覆うと、千夏との思い出が頭の中を次々にかけめぐった。電車の中の出来事はもちろんのこと、地上で姿が見えなくなった千夏に引き連れられ、おばあちゃんの墓参りにいったこと、マクドナルドで一緒に食事したこと、ゲームセンターで真剣勝負したこと、そしてお別れのキス……。
たくさんの思い出が走馬灯のようにかけめぐる中で、正樹はあることに気付いた。
「あれ?そういえば千夏さん。もうすぐ自分の墓が出来るって言ってたよな?」
正樹は大きく頷くと、駅の出口へと足早に歩きはじめた。まばゆい太陽の光に照らされながら、正樹は全速力で歩道を走った。店が立ち並ぶ繁華街を抜け、やがて鬱蒼とした森に入ると、正樹は沢山の墓が立ち並ぶ一角へと急いだ。
千夏の墓は、確か薄紅色の墓石だったような記憶があった。広大な墓地にたくさんの墓石が並び、正樹は思わず迷いそうになってしまったが、こないだ千夏に連れてこられた時の記憶を頼りに、墓地の一番奥の方に真新しい薄紅色の墓石を見つけた
すでに遺骨の埋葬が終わったようで、墓石の前には白い百合の花やお菓子が供えられ、香炉からは線香の煙と香りが立ち込めていた。
「そうか……やっぱりこれが出来たからなのか」
正樹は墓石を片手で何度も撫でると、墓石の目の前にしゃがみ込み、両手を合わせて祈りをささげた。
「千夏さん、もう会うことはできないよね?俺はすごく寂しいよ。話したいこと、まだまだたくさんあったのに」
正樹はそう言うと、自然に涙が溢れ出てきた。悲しみにくれていたその時、正樹の真後ろからかすかに女性の声が聞こえた。
「すみません、どちら様かしら?」
「え?」
正樹が振り向くと、白髪交じりの中年の女性が、水の入った桶を手にしながら心配そうな表情を浮かべて立っていた。
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