第28話 いっこくいちじょうの主(あるじ)

「じゃあ、用事はもうすんだから俺は降りるぜ」


 サブロウはそう言うなり自分がかけていた【吾輩わがはいが美濃国守護である】のタスキを外して、兄の土岐次郎頼武にかけた。


「「「「へ⁉︎」」」」


「堅苦しい芝居はもう飽きた。みんな、俺は守護を辞めたぞおおおおお!」


「「「「なんだとおおおおおお!」」」」


 土岐家の二人と大和守、越中守の絶叫が響き渡った。


「俺は堅苦しいの嫌いだし性に合わないから。守護になったのもヨシノを人質に脅迫されて仕方なくだよ。そのヨシノも無事帰ってきたことだし、よく考えたら俺が守護をやる理由がもうないじゃないか!」


「サブロウ、お主は先ほど、あやかしに取り憑かれた豊後守を果断に処分して、守護所の移転など見事に美濃の行く末を指し示したばかりではないか! 儂の跡を継いでお前が守護をやらんでどうする!」


「だから、跡は継ぎましたって! 折角だから守護の地位を利用して、大掃除と整理整頓もいたしました。けれど用事は済みましたから、これ以上守護でいるのはもう御免です」


「サブロウさまは守護の座に未練は?」


 斎藤大和守がたずねれば


「かけらもないよ。俺は国盗りをしたいんじゃない。成り行きでちょっと借りただけだ。借りたものは返さないと泥棒になるじゃないか。そうだろう?」


 と本当に嫌そうに答えた。


「美濃国守護の座は本来継ぐべき嫡男の兄上こそ相応ふさわしい。だからタスキと一緒にこの通り、兄上にお返ししましたぞ」


 サブロウはニヤリと嬉しそうに言う。


 だが、兄の次郎頼武は不満気だ。苦虫を噛み潰したような顔で言う。


「俺は今のお前の才とうつわを認めておるのだ。うつけぶりもこじれて一抹の不安はあるにしてもだ。弁天さまの加護があるお前が守護の方が土岐家のためにも、美濃国のためにも良い。そもそも守護の座はそんなに軽くほいほいと投げ出したり、他人に譲ったりするべきものではないわ、このたわけ者が!」


「だーかーらー、父上も兄上もよく聞いてください。ヒトには向き不向きがございますってば。俺がいつまでも真面目腐った顔で守護だなんてつとまるものですか。だからこそ、前にお会いしたときに、なにかの間違いで自分が守護になっても、すぐに兄上に譲るからよろしくって約束したではありませんか」


「約束もなにもお前が一人で勝手に喋りまくっておっただけであろうが!」


「そうでしたっけ?」


「そうだろうが! だいたい半日も経たぬうちに、守護の座を投げ出すだなんて誰が予想できるか!」


「いやいや、これは最も短い守護在職として歴史に名を刻むかも。一国一城のあるじではなく、たった一刻の間、上座の畳一畳に座っているのがやっとだった『一刻一畳のあるじ』の大うつけとして。うひゃひゃひゃひゃひゃ」


 そう言うとサブロウは真底愉快そうに笑った。


「サブロウ、まさかお主は最初からそれをねろうておったのか!」


 父の土岐美濃守が顔を真っ赤にして怒る。


「その通り! 守護なんて嫌な仕事はさっさと片づけて終わらせるに限ります」


「父上!」


 兄の次郎頼武が目配せをする。


「うむ。次郎! 大和守! 越中守! サブロウを取り押さえろ!」


「「「ははっ!」」」


 サブロウの両腕を斎藤大和守と長井豊後越中守がそれぞれ抱え込み、背後から兄の次郎頼武が襟首を掴み捕獲されてしまった。


「なっ! 何をするだァーッ!」


 サブロウがジタバタと暴れる。


「なぜ、そこで遠州弁になるのかわからぬが、ちょっと、向こうで話をしようではないか。のう? サブロウ!」


 父の美濃守がにこやかに話しかけるがこめかみに青筋が立っているし目も笑っていない。


「嫌だ〜っ! 俺は行かない!」


「「往生際が悪いぞ!」」


ドタドタドタドタドタドタ


「申し上げます!」


「「「「今度はなんだ!」」」」


「ははっ。箱根権現の修験者五十人と」


「あ、俺のところだな」


 幻庵宗哲が頷く。


「他に誰か来たかい?」


「大桑から来た雑多な老若男女の集団、百五十。それぞれサブロウさまとの面会を求めております」


「ウチの連中だな。でもそれだけ?」


「い、いえ。それに加えて、その・・・・・・」


「なんだい?」


「ははっ! 仮面をつけた裸の若い女子おなごが五十人と用心棒らしき牢人ろうにん百人が、多数の野次馬を連れて練り歩きながら福光にまで辿たどり着いておりまする!」


「「「「裸の女子が五十人⁉︎」」」」


「よおおおおし! キターーーーーーッ!」


 サブロウは甲高い声で絶叫すると父、兄、重臣二人が唖然としている隙をつき、するりするりと抜け出した。


「「ああっ! こら待て! サブロウ!」」


「待て言われて誰が待つかい!」


 サブロウはさっさと遠ざかる。


「みんな! 強生連蛇スネイクレンジャー、撤収だ!」


「「「「「了解!」」」」」


「ハルさん!」


「わかってる。僕も行くよ」


 弟の三郎治頼はるよりが応える。


「爺! 悪いが言伝ことづてを頼む」


「御意!」


 傅役もりやくの林四郎二郎が応える。


「稲葉彦次郎・彦三郎!」


「「ははっ!」」


「六兵衛たち三馬鹿を連れて逃げてくれ!」


「「御意!」」


 彦次郎、彦三郎は一足先に部屋を出る。


「森小太郎! お前も一緒に来い!」


「ええ? わたくしもですか!」


「そうだ! 佐助、仕込みは!」


「おらの仕込みは完璧」


 天井裏から声がした。


「よし、みんな逃げるぞ!」


「「「「「「「応!」」」」」」」


「「待て! 待つのだ! サブロウ!」」


 美濃守、次郎頼武、大和守、越中守が追いすがる。


「よし、佐助落とせ!」


どさささささささささささーーーーっ


 天井裏から大量の灰が投げ込まれた。巻き上がった灰が辺りにもうもうと立ち込め視界を遮る。


「ぶわっ。なんだこれは!」


「くそ! 目に入ってしまった」


「これでは何も見えぬ!」


「出口の場所はわかっておろうが! 者ども、落ち着いてサブロウを追いかけて捕まえるのじゃ!」


「「「ははっ!」」」


 何人かの侍が速やかに出口に向かうが・・・・・・


「うわっ!」


だたん! 


 足元が掬われるように仰向けにひっくり返る。


「なんだ? あああっ!」


がらがらがらがら、だん!


 足が滑って股裂またさきのようになって尻もちをつく。


「どうした? うぐっ!」


ぐりっ、ごすっ!


 滑って足を取られて、前のめりに頭から突っ込んで床に激突する。


 サブロウたちの後を追った者は何かに足を取られて次々と転倒した。


「いったいなんなのだ!」


「豆です! 多量の炒り豆が板の間や廊下に撒かれておりまする! 皆さま方お気をつけ下さい!」


「「おのれ、サブロウめ! 小癪こしゃくな真似を!」」


 美濃守と次郎頼武が歯噛はがみする。ともかく、視界が開けるまで迂闊うかつには動けない。





*   *   *   *   *





 彼ら親子や重臣たちが福光の守護所の正面に出た時には、サブロウたちは有象無象の人垣の遥か向こうにいた。


「くそっ! あんな遠くまで逃げおって!」


 美濃守や次郎頼武、土岐家の重臣たちがサブロウに近づこうにも、百姓、職人、商人、旅芸人、修験者、僧侶に僧兵、そして牢人。とりわけ目を引くのは顔の上半分を覆うマスクをつけたビキニ姿の女性たち。ここまで肌色成分が高ければ、この時代では裸としか言いようがない。そんな雑多な人々の群れがサブロウには近づけまいと彼らをさえぎる。


「まさかこの群衆を集めたのはサブロウ、貴様自身かああああああっ!」


 次郎頼武が吠えるように叫ぶ。


 見ればサブロウが高い台に乗ってこちらの方を向いてニタニタしている。そして手に持った紙のメガホンを口に当てて答える。


「左様でございます、兄上〜! みんな〜あのお方が新しい美濃国守護の土岐次郎頼武さまだ〜! はい、みんな拍手、拍手!」


ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち👏

ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち👏

ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち👏

ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち👏

ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち👏

ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち👏

ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち👏

ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち👏



 群衆が一斉に拍手をする。


「兄上〜! 守護就任、おめでとうございま〜す」


 そう言うと折り畳んであった渦巻き模様の蛇の目傘をパッと開いてクルクル回してみせる。


おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!


 群衆がどよめく。


 それもそのはず、本来の歴史なら、油紙を使った和傘の登場は安土桃山時代だから五十年以上先、ましてや蛇の目傘の登場は江戸時代で十七世紀後半だから百年以上先の意匠だ。


 この時代では渦巻き模様の蛇の目傘は時代を先取りしたオシャレなアイテムである。


 更にだ。


「おーい。チカ、手鞠てまりをおくれ」


「はいよ〜! 師匠どうぞ!」


 チカがそうっと放った手鞠を、サブロウは開いた蛇の目傘で受け止める。そして傘を回してその上で手鞠をコロコロ転がし始めた。


おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!

おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!


 群衆が再びどよめく。


「おめでとうございま〜す! いつもより多めに回しておりまする」


 かの有名な曲芸をいつの間にやら身につけていたサブロウ。しばらく手鞠を転がしたあと、ぽんと上に跳ね上げて片手でキャッチして、言い放つ。


「改めまして、兄上さま、美濃国守護就任、おめでとうございま〜す!」



 サブロウの曲芸に群衆は大喜び。


おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!

おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!

おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!


ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち👏

ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち👏

ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち👏

ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち👏



 大歓声に拍手喝采でこれを讃えた。


「ふざけておる場合か! お主は守護の座を投げ出して逃げる気か! サブロウ!」


 兄の次郎頼武が怒鳴るが、サブロウは気にしないで開き直って言う。


「三十六計、逃げるに如かず! 守護をやめても、ええじゃないかあ!」


 そしてサブロウは突然、メガホン片手に大声で歌い始めた。





ええじゃないか、

ええじゃないか、

ええじゃないかあ!


三十六計、逃げるに如かず。

守護をやめても、ええじゃないかあ!


そうれ!


ええじゃないか、

ええじゃないか、

ええじゃないかあ!





 すると八百を超える群衆も繰り返すように声を揃えて大声で歌い出した!まるでシュプレヒコールだ。





ええじゃないか、

ええじゃないか、

ええじゃないかあ!


三十六計、逃げるに如かず。

守護をやめても、ええじゃないかあ!


そうれ!


ええじゃないか、

ええじゃないか、

ええじゃないかあ!





「「これはなんなのだ、いったい?」」


 美濃守と次郎頼武、土岐家の重臣たちが唖然としている。


 そこへ構わずサブロウが歌を畳み掛ける。





ええじゃないか、

ええじゃないか、

ええじゃないかあ! 


次郎さまは嫡男でござる! 

守護になられてええじゃないかあ! 


そうれ! 


ええじゃないか、

ええじゃないか、

ええじゃないかあ!





 すると群衆もそれを繰り返して歌い出す。





ええじゃないか、

ええじゃないか、

ええじゃないかあ!


次郎さまは嫡男でござる! 

守護になられてええじゃないかあ!


そうれ!


ええじゃないか、

ええじゃないか、

ええじゃないかあ!





 サブロウは台からカズマによじ登って肩車してもらった。そして歌いながら、移動を始めた。





ええじゃないか、

ええじゃないか、

ええじゃないかあ!


家督争い御免でござる! 

みんなで仲良くええじゃないかあ!


そうれ!


ええじゃないか、

ええじゃないか、

ええじゃないかあ!




 群衆も繰り返して歌いながらゆっくりとある方角に移動を始める。まるで祭りの行列だ。




ええじゃないか、

ええじゃないか、

ええじゃないかあ!


家督争い御免でござる! 

みんなで仲良くええじゃないかあ!


そうれ!


ええじゃないか、

ええじゃないか、

ええじゃないかあ!






 今度はヨシノとチカが彦次郎と彦三郎に肩車され、並んで歌いながら遠ざかって行く。





ええじゃないか、

ええじゃないか、

ええじゃないかあ!


サブロウさまは絵師でござる! 

大桑おおがで絵を描きゃええじゃないかあ!


そうれ!


ええじゃないか、

ええじゃないか、

ええじゃないかあ!





 野次馬も含めて歌う群衆たちの行進はもはや誰にも止められない。群衆たちは歌いながら大桑に向かっ行進し遠ざかって行く。





ええじゃないか、

ええじゃないか、

ええじゃないかあ!


サブロウさまは絵師でござる! 

大桑で絵を描きゃええじゃないかあ!


そうれ!


ええじゃないか、

ええじゃないか、

ええじゃないかあ!






 土岐家中は呆然と立ち尽くして去りゆく群衆を見送ることしかできなかった。





*   *   *   *   *




 福光守護所の奥の部屋で美濃守と次郎頼武親子が声をひそめて話をしている。


「次郎よ。儂らはすっかり嵌められたのう。やはり、美濃国の守護はお前がやるしかあるまいて」


「しかし、父上!」


「もはや既成事実という奴だ。あれだけの人間の前でお前が守護であると宣言、祝福されたのだ。しかもお前がそのタスキをかけた状態でだ。今さら違うとは言えぬ」


「あっ!」


 次郎頼武は例の【吾輩わがはいが美濃国守護である】のタスキをかけたままなのをすっかり忘れていた。


「それに、あそこまでの大うつけっぷりを見せつけられて、あ奴が今も本物の美濃国守護だなんて言えるものか! 土岐家が恥をかくことになる!」


「たしかに・・・・・・」


「あれを見ておった者はこの福光界隈のものだけではない。裸の女子を見て鼻の下伸ばしてフラフラついてきた野次馬もおる。おそらく革手や井ノ口か辺りを練り歩いてからこちらに渡ってきたな。渡河用に船の橋でも用意しておったか」


「サブロウがあらかじめそこまで手配しておったとは・・・・・・」


 興奮したのか美濃守も次郎頼武も次第に熱が入り声が大きくなる。


「加えて伊勢長島願証寺の実恵殿に比叡山延暦寺の慈英殿、美濃常在寺の日運さまに、箱根権現社の幻庵宗哲殿が証人だ。この話は面白おかしく他国にも伝わる。また、それぞれからその本山にも伝えられ、そこから各地の末寺にも伝わるだろう。もはや美濃国だけの話に留めておくことはできぬ」


「サブロウの奴、そこまで計算しておったのか」


「そうだ。儂らはなにからなにまでサブロウの手のひらの上で踊らされておったのだ。どうやったのかは分からぬが、おそらくあの豊後守でさえもだ!」


「なんと! そんなまさか!」


「さすがは美濃守さま。ご慧眼、恐れ入りまする」


 部屋の外からよく知った声がする。


「聞こえておったか林四郎二郎。入るがよい」


「はい。失礼いたします」


 サブロウの傅役、林四郎二郎がにじり入る。


「サブロウさまから、言伝を預かっておりまする」


「申すがよい」


「ははっ。では・・・・・・」


 サブロウの傅役、林四郎二郎通村は託された重大な言伝を話し始めた。





というところで次回に


つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る