第18話 小太郎の問い掛け

「ここは、どこだ?」


 すっかり夜があけて明るくなっていた。森小太郎が目を覚ますと見知らぬ家で寝かされていた。穴に落ちたあとの記憶が定かではないが、どうやら誰かに引き上げてもらったようだ。


「お父つぁん、お侍さんが気が付いたわよ」


 近くで若い女の声がした。


「おお、それはよかった」


 にこやかだが、姿勢が非常に良い老人が部屋に入ってきた。


「今朝、ウチの犬の栃の嵐を連れて散歩しておったら、急に走り出してな。お主が穴の底で行き倒れておったのを見つけたので、うちまで連れ帰ったのだ」


「そうでしたか。ありがとうございました」


「お主も災難だったが、あのような死地で生命があっただけでよしとせねばな。死屍累々とはまさにあれよ。異龍いりゅうの巣の間近でつどうなど無謀もいいところだ」


「異龍の巣ですか?」


「そう異龍じゃ。夜、山より来たる熊よりも大きな人喰いの化け物じゃ。サブロウさまはオーガと呼ぶがあれは龍のたぐいじゃ。お主も姿を見たであろう」


「はい」


「お前たちがおったところはその異龍の巣の間近じゃ。だから本来はあの家には誰もおらんかったはずじゃ。そんなところで騒げば明るい昼間はいざ知らず、夕方で日の光が弱くなれば奴らに襲われて当然じゃ」


「まったく存じませんでした。私以外に誰か生き残っていませんでしたか!」


「息があったのはお主だけだ。いや、もう一人、弥次郎という者がおったな」


「なんと!弥次郎は今どこに!」


「腹を裂かれて虫の息じゃった。自分の野心に多くの人を巻き込んだことを悔やみながら息絶えたてしもうた」


「・・・・・・そうでしたか。残念です」


「弥次郎から聞いたがお主たち、ヨシノさまをかどわかしてサブロウさまを大桑おおがから引きずり出し、守護に据えて傀儡かいらいにするつもりだったそうだな」


「それは・・・・・・」


「言いたくなければ言わんでもいい。たわけた話だ。あの方を傀儡として操ろうとは身の程知らずにも程がある」


「それはいったいどういうことでしょう?」


「サブロウさまは弁財天さまの加護をお持ちだ。そのお力で乱世に恵みをもたらしつつある。そのお方を俗世にまみれた守護家の家督争いに巻き込むとは実におそれ多い」


「まさか、そのようなお方だったとは」


「福光や鷺山さぎやまの連中は何もわかっておらん」


「失礼ですがあなたは一体?」


わしか?儂はただの鍛冶のじじいじゃよ」


「大変だ!ノサダ師匠、若葉、一大事だ!」


 そのとき、ドタドタとやかましい足音を立て、やたらと肩幅が広く眉毛が繋がった若く毛深い男が駆け込んできた。


「どうしたのだ、金兵衛。落ち着け」


「そうよ、アンタ!」


「これが落ち着いていられるかい!ヨシノさまがさらわれちまったんだ!」


「「なんだと!」」


 小太郎と老人の声が重なる。


「なんてことを!」


 若い女も嘆く。


の手下が今朝、絵を描きに外に出たサブロウさまとヨシノさまを襲って、ヨシノさまを人質に取りやがった」


「長井豊後守とな!やはりお主たちの仲間か!」


 ノサダ師匠と呼ばれた老人が小太郎を睨みつける。


「いや、私たちの仲間はあの化け物、異龍に襲われて殺されたか逃げたかのどちらかだ。生き残りがいても、私や弥次郎抜きでことが成せるとも思えない」


「ふうむ。お主たちのあるじの長井豊後守は、初めからお主たちを異龍の餌にして口封じして、本命は今朝襲撃した連中だったか」


「まさか、そんな・・・・・・」


 呆然とする小太郎をよそにノサダ老人は金兵衛に訊ねる。


「金兵衛、サブロウさまはいかがなさるおつもりか」


「ヨシノさまを人質に取られては是非に及ばずと、長井豊後守の要求を全て飲むとおっしゃっていました。しばらくは大桑に戻らぬと言い残して、もう福光の守護所に向けて出立したとか」


「豊後守のやり口は見え見えだ。サブロウさまはヨシノさまが人質である限りなにもできん。このあとでっち上げの言いがかりで大桑を攻め滅ぼすつもりだ。サブロウさまが大桑に帰れぬようにした上で、飼い殺しにする気だな」


「アンタ、お父つぁん、大桑はもう終わりよ!一緒に逃げよう」


「できるかい!市兵衛も総兵衛も、林の爺さまだってサブロウさまに代わって大桑を守るつもりなんだぞ!俺だけ尻尾を巻いて逃げられるかい!」


「でもどうやって・・・・・・」


「籠城するそうだ。サブロウさまが留守の間、里の皆を大桑のお屋敷に入れて立て籠って豊後守の襲撃に備えるんだと」


「わかった。金兵衛、儂もお屋敷に籠るぞ。武器を手に取るのは久しぶりだが、少しは役に立つだろう。若葉、お前は今すぐ逃げるが良い」


「アタシも覚悟を決めたわ。亭主とお父つぁんを残していけるもんか」


「若葉!」


「アンタ!」


 ひしと抱き合う二人。ノサダ老人が小太郎のほうに向かって言う。


「まあ、そういうわけだからお主もさっさと逃げるがよかろう。大したもてなしもできず、すまなんだな。急な話だから、仕方あるまい。許されよ」


「ノサダ殿、金兵衛殿、若葉殿。私、森小太郎可行よしゆき、助けてもらった恩を忘れて一人おめおめと逃げることなどできませぬ。私も、皆さまと共に大桑の屋敷を・・・・・・」


「駄目じゃ!絶対に駄目じゃ!」


「そうだな、小太郎さん、それは無理ってもんだ。これは俺たち大桑衆の問題だ」


「しかし!」


「気持ちだけ受け取っておこう。小太郎殿。サブロウさまの許可なく、大桑の屋敷に他所の人間を入れる訳にはいかぬからのう」


「そういうこった。小太郎さん。あんたを巻き込んでなにかがあったら、俺たちがサブロウさまに叱られちまう」


「そんな・・・・・・」


「どうせ一度の人生さ。運が悪けりゃ死ぬだけさ」


「そうそう。逆に運が良ければボロ儲け。たっぷりご褒美が貰えるかもしれないからね」


「違いないな」


「「「ははははは!」」」


 三人は声を揃えて大笑いした。小太郎は驚いた。死地に赴くだろうこの者たちには悲壮感が見られない。


「あなたたちは武士でもないのに、どうして大桑のために、サブロウさまのためにそんなに簡単に生命をかけられるのですか!」


「小太郎さん、あんた、ナニ言ってるんだい?大事なモノを守るのには武士もヘチマも関係ないでしょ!」


「そうだぜ。サブロウさまは、俺にとっては身内だ。お互いに生命をかけて守って当然。守られたらば、ありがとうだ。サブロウさまは俺にとっては兄弟みたいなもんだよ」


「アンタたち仲良いもんね」


「守護家の嫡男とただの職人が兄弟付き合いですと!」


「応!そうだよ」


「サブロウさまは普通ではないからの。『殿さま』にはなれても、守護という柄ではない。全く似あわぬ」


「「違いない!」」


「「「ははははは!」」」


「失礼ですが、サブロウさまとは、どのような方なのでしょうか」


「改めて問われると困っちゃうわ」


「これって真面目に答えて良いのかな?本人が聞いたら悶絶するんじゃねえか?」


「この際かまわないであろう」


「そうね。とっても楽しい方よ!どうやったらみんながもっと楽しく暮らせるのか、色々と考えて工夫しているわ」


「面白いお人だな!やることなすこと見てて飽きない。そして、見てるだけじゃなくて一緒に何かをやるともっと面白くなるんだ、これが」


「加えて、身内をとても大事にするお方だ。ただ、その身内の範囲が心配になるほど広い。大勢の仲間と明るい人生を楽しみたいとよくおっしゃる。かと思えば目先のことだけでなく、もっと遠い未来のことも考えていらっしゃる。『身内』の中にはまだ見ぬ儂らの子孫まで含まれているのかも知れぬな」


「左様でございましたか。もう一つお尋ねしとうございます。皆さまは下克上についていかがお考えか」


「サブロウさまもお屋敷の他の方々も身分が下のアタシたちの話をちゃあんと聞いてくれるからねえ。別にそんな必要を感じないかな」


「職人同士で切磋琢磨してその腕前の上下を競うってのは悪くはないと思うけど、そういうのとは違うんだろう?小太郎さんのいう侍同士の下克上ってキリがないんじゃないか?偉くない奴が偉い奴に取って代わって偉い奴になっても、偉くなりたい偉くない奴がいる限りぜんぜん終わらねえんじゃないか」


「儂らのように侍でもない者にとっては、ただの我欲での争いなど迷惑千万。左様な奴輩やつばらばかりだから、儂は争いの元になる武器を作るのをやめたのだ。そうしたら、サブロウさまに声をかけられてだな。武器を作れと脅されるのかと思えば、なんと言ったと思う?『せっかく良い刃物を作れるんだから、これからは武器じゃなくってヒトの生命や生活を助ける刃物や道具を作って貰えないかな?』だと!それを聞いた時の儂の気持ちが分かるか!儂はこう思った。『ああ、人殺しの道具ばかり作ってきた儂はようやく許されたのだ。儂はこのために今まで生き永らえてきたのだと』と」


 ノサダ老は涙を流していた。


「お父つぁん」


「師匠」


「だから儂は、サブロウさまのためなら、言葉通りの意味で何だってやる。今さらこの老ぼれの生命も名前も面子も必要ない。おとこが漢に惚れるというのはそういうことだ」


「まあ、師匠は師匠だ。もう充分に業を重ねてきてるからな。でも俺は俺だ。サブロウさまが求めるのなら、例え千人、一万人の生命を奪うことになる武器だって俺は作るよ。それが、俺たちの家族、身内を守るためになると信じているからな。それにサブロウさまには返しきれない恩がある。サブロウさまがいなけりゃ俺みたいな新米の刀鍛冶が、師匠の娘であるこの若葉と所帯を持つなんてできなかったからな」


「アンタ・・・・・・」


「もう一つだけ、これが最後の問いです。もしご存知でしたらば、サブロウさまが何を目指していらっしゃるのかお聞かせ願えますでしょうか」


「『天下布武』という言葉がある。『天下に七徳の武をく』という意味だ。この『七徳の武』とは、暴を禁じ、戦を止め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにするというものだ」


 ノサダ老が静かに語る。


「素晴らしい!サブロウさまは『天下布武』を目指していらっしゃるのですね!」


「いやいや。それがそうではない」


 ノサダ老は笑っていう。


「サブロウさまは『天下布武、良い言葉だがこれだけでは楽しくないな』とおっしゃった。『武をくよりも皆が楽しく暮らせるような芸をく方が面白そうじゃないか。だから天下布芸がよいな』とな」


「天下布芸とは・・・・・・。なんと優しくまぶしいお言葉だろうか」


 小太郎はしばらくの間両眼を閉じた。そして小太郎は三人に向かって額を床に擦りつけて深く土下座をした。


「小太郎さん!」


「おいおい、アンタ」


「ふむ」


 やがて小太郎は土下座のままつぶやいた。


「我、豁然大悟かつぜんたいごせり」


 そして上げた顔はまるで憑き物が落ちたかのようにスッキリとしていた。


「皆さまには、本当にお世話になりました。今さらですが、ようやくが進むべき道が見つかりました。私が守るべきものはここ大桑にありました」


 そう言って小太郎は立ち上がる。


「私は美濃を騒乱に陥れるべくサブロウさまを操ろうとしていた長井豊後守の元で、ヨシノさまを誘拐しようとした愚かな大罪人です」


「小太郎殿!」


「私自身が生き証人です。私は私にしかできないことを、私が成すべきことを成すために、急いで福光に戻ります。大桑を守り、サブロウさまに大桑にお戻りいただくために身命を賭して長井豊後守の野望を止めましょう」


「・・・・・・お主、死ぬつもりだな」


「どうせ一度の人生です。でも、できればもう少し早くサブロウさまのことを知り、もう少し早く皆さまと出会って共に働き、サブロウさまが目指すものを見届けとうございましたな」


 ノサダ老の言葉に笑って小太郎は答えた。


「しばし待たれよ」


 そう言って老いた刀匠は立ち上がる。奥に入って、刀を手に戻ってきた。


「持っていけ。儂が打ったものだ。切れ味はこの和泉守兼定が保証する。儂が自分で使うよりもお主が使った方が役立つだろう」


「なんと。ノサダさまは和泉守兼定さまでいらっしゃいましたか。しかし、このような立派な物を」


 二代目和泉守兼定の作は切れ味から後世でも最上大業物さいじょうおおわざものと評価されている名品だ。


「いいから、持って行け。これでもお主には少しもの足りぬかも知れぬな。用が終わったら返しにこい。そうしたら、今度もっと良いものを儂が、この和泉守兼定が打ってやる」


「師匠!」


「お父つぁん!」


「この漢にならかまわん。小太郎、死ぬなよ!生きて大桑に戻ってこい。お主はもう儂らの身内だ」


「かたじけのうございます」


 森小太郎は打刀を捧げ持つように受け取った。


「福光はどちらの方かな」


「ああ、こっちの方に真っ直ぐ南に行けばいいわよ」


「本当にお世話になり申した。行って参りまする」


「おう、またな!」


「気をつけて!」


「そちらこそ」


「小太郎、よいか、死ぬなよ!」


「皆さま。運が良ければまたお会いしましょうぞ。では、御免」


 森小太郎は颯爽と福光に向かった。足取りは軽い。例えどんな結果になろうとも、彼は自分の生命を、人生を賭けるべきものを見つけたのだ。和泉守兼定作の刀とともに小太郎は行く。











「行きましたか」


「ああ、行ったぞ。お主が死なせたくないと必死になるわけだな」


 ノサダたちがいた家の奥の間から柿田弥次郎が顔を出した。


「弥次さんもヒトが悪い。あんな真っ直ぐな御仁を騙すなんてな」


「まったくだわ。酷い男だよ。本当にね」


「金兵衛も若葉もそんなにイジメるな。弥次郎もお役目があるのだ」


「そうですよ。あのクソ真面目で空気も読めない堅物は厄介者なんです。国人の嫡男のくせに野心もなく、純粋に世直しのために下克上組に参加したんですよ!豊後守が最初から疑って口封じしようとしたのを使い道があるからと丸め込むのに苦労しました」


「ありそうねえ。目に浮かぶわ」


「かといって馬鹿正直で演技もできないから、こちらの事情を明かすこともできない。サブロウさまの計画を守り抜くには騙し続けるしかなかったんですよ。本当に難儀でした」


「弥次さんが小太郎さんを騙すのは簡単そうだけど」


「こっちの心が罪悪感で一杯で難儀していたんですよ!」


「ふうん。弥次さんに、まだそんな殊勝な気持ちが残ってたとは意外だねえ」


「酷い!ちょっとノサダさまからも言って下さいよ」


「それはお主の日頃の言動が問題だからじゃ。ヒトを引っ掛けるイタズラを散々やらかしてきたから自業自得だ」


「そんなあ」


「でも、小太郎さんと弥次さんて性格が真逆よね。小太郎さんは誠実さが滲み出ているから質問されたら、演技じゃなくて自然と本当のことを話したくなったもの」


「ふむ。たしかにそうじゃったな」


「ああ、俺もそれは思った。だからこの腹黒とウマがあうんだろうな」


「豁然大悟とはよく言った。あの漢、儂らの話を聞いて一気に化けた。迷いが消えたあの漢は頼もしいぞ」


「ええ。アイツは元から大物なんですよ。さて佐助さん!サブロウさまに小太郎が豊後守の屋敷に向かったって大至急で伝えてください!そのまま豊後守には打ち合わせ通りに。私は後で桔梗屋で合流です」


「御意」


 忍び装束の佐助がどこからともなく現れて風のように去って行く。佐助を見送りながら弥次郎はつぶやく。


「『ときをかけた』世直しの第一段はいよいよ山場です。サブロウさま、ヨシノさま、本懐をとげてくださいよ」

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