不正を行う者には、なお不正を行わせ、

@MasatoHiraguri

第1話 汚れた血

   いろいろな血が混ざると、不確定要素が爆発的に大きくなる。

   それを抑えてコントロールするために、法や制度、そして宗教が生み出された。


  (韓国人や台湾客家のような混血人たちと違い)日本人は、10万年以上の昔からその純血のおかげで、法や制度ではなく文化によって、自分たちの精神を穏やかに保つことができた。

  宗教すら不要だった。

  宗教とは、血が混ざり、精神的に不安定な人間が「揺るがぬもの・確固とした普遍の教え」によって、心の安寧を得ようとする「薬」です。仏教における「金剛経」というお経(教え)は、黄金のように永遠不滅で、鋼鉄のように頑強である、という「箔をつける」「威厳を与える」ために、そう命名されたのです。


  日本固有の神々は、地道に・辛抱強く・神と付き合うことのできる、そういう穏やかな人間を好む。日本の神々と縄文人は相性が良いので、穏やかで豊かな一つの血は、柔らかく自由で伸び伸びとした平和な文化を生み出し、長く平穏な縄文時代が続いた。

  

  やがて、そこへ汚れた血が入ってくることで、文化ではなく法や制度で人々の心を縛るようになり、混血民族(弥生人)の血が、きれいな日本の水と空気を穢しはじめた。

  2022年の今、この日本という、美しい水と空気と心の世界は、創価学会とか統一教会、更には台湾客家という、穢れた血に染まった社会となってしまった。

  明治維新の頃から強まったこの「魂の汚染」は、約100年かけて、今や最高潮に達した感がある。

  10万年という大きな食パンの全面に広がったカビは、しかし、その表面から中へは浸透できない。黴は黴でしかないから。


  波長が合わず、位相もズレ、次元も異なる穢れた魂はやがて消え去り、元から居た日本(縄文人)の魂は、再び元の美しさを取り戻す。

「(神)さまの情けを傘にきて 散りゆく花は根に帰る 再び花が咲くじゃない」

  


  魂の汚れた者たちは、畢竟、何処へ行っても、その地の神とうまく行かない。三国人(台湾客家・韓国人・ユダヤ人)として永遠にさ迷う。何時でもどこでも何をやっても「よそ者・異物」であり「(招かれざる)客」という「黴」だから。


  彼らの文化とは、文化という名の便宜的・一時的な習慣でしかない。

  文化というものは、少なくとも1万年くらい「醸造・醗酵」の期間がなければ、熟成しない。日本の宮崎駿や新海誠に象徴される日本(のアニメ)文化とは、それくらい長い日本人の魂の醸造期間を経て、生み出されてきたものだ。


  三国人の汚い血は、いくら日本人や中国人・ゲルマン人のような純血と混ざることで一時的に薄まり、消えたように見えても、やはり、その元へ帰る。エントロピーの法則で、汚い血は汚い血同士で集まるのは必然・当然だから。


  だからこそ、三国人は新しいもの・奇異・奇抜・奇矯なものばかり追い求める。男か女かわからない人間を「貴重」とし「文化」とさえ呼んで賞賛する。自分たち三国人の血が、正ではなく異、純ではなく濁、吉ではなく凶であることをよく知っているから。しかし、彼らは、それが異・濁・凶という奇形を隠すための心の化粧であり、自分たちの魂を一時的に安堵させるための麻薬でしかない、ということを知らない。


  「要領よく生きる」「その場その時、見かけだけ辻褄を合わせるための技術の繰り返し」が、ますます魂の奇形を生み出していく。



  不正を行う者には、なお不正を行わせ、

  汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。

  正しい者には、なお正しいことを行わせ、

  聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。



*** 穢れたとか・汚れた血というのは、早い話が純粋な恋愛ではなく「金や地位・肩書き目当て」で行われる政略結婚の繰り返しによって「精神という血」が汚されていく、という意味です。


  西洋(の金持ち)社会では、白人の息子を原住民の娘と結婚させ、生まれた子を数十年後に原住民の王にする。そういう政略結婚というのは日常茶飯事であったといいます。日本でも、財産の分散を防ぐために血族結婚したりなんていう話は(田舎では)よくあります。

  そして、そういう結婚・婚姻を繰り返していれば、自然と人間としての愛情などなくなってくる。もともときれいな血であったものが、親から子へそのまた子へという教育の中で、次第にその純粋さを失ってくるのです。

  ユダヤ人の有名な話に、3歳になった子供を台の上に座らせ、父や母がおいで、おいで、と笑顔で呼びかける。子供が台を蹴って飛ぶと、親はサッと逃げてしまい、子供は床に落ちて大泣きをする。その子供を抱いてユダヤ人の親は言うそうです「決して人を信用してはいけない」と。異民族の中を要領よく生き抜くには、それくらいの人間性でなければ金は貯まらないのです。


  日本では「旅は道連れ、世は情け」であるが時と場合によっては「人を見たら泥棒と思え」でもある、と教えますが、彼ら三国人は、子供の時から嘘や演技が当たり前なのです。

  韓国ことわざ集という本には、日本人には信じられないような恐ろしいことわざ満載です。「おぼれた犬を見たら、棒で叩いてもっと苦しませろ」なんてのが、彼らのことわざ(教訓)なのです。韓国人は犬を食いますが、苦しませて殺すほど旨味が出るのだそうです。

  統一教会における「日本人と韓国人の結婚」というのは、純血日本人の血に韓国人の血を混じらせるという意味があったそうです。犬や人間を苛めたり、日本の文化を破壊することに生きがいを感じるという「変態」なんですね。


  「血が濃いと異常な子供が生まれる」と言われますが、「血が混ざり合って薄い人間は精神分裂症が多い」とも言われます。私の台湾生活の経験から言うと、原住民というのは皆、精神が安定しているが、台湾客家には不安定な人が非常に多い。


  故大宅壮一は「(50歳過ぎた)男の顔は履歴書である」と述べたそうですが、私が台湾客家の街に10年近く住んで、「きれいな顔」と感じたのは、ここからさらに山奥へ入った集落の原住民たちの顔でした。男も女も、老いも若きも、皆、すっきりした目鼻立ちをしている。「これが、本当の純血種というものなんだなぁー」と感じました。

  何万年もの長きにわたり、この台湾島の中だけで、十数種の部族だけで純粋培養された人たちです。日本人も、約2,000年前に弥生人が来るまでは、こんなすっきりとした、彫りの深い、ピュアな顔をしていたのでしょう。

  

2022年8月11日

V.1.1

平栗雅人

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