私にとっての小説

太田肇

 小説を書くことは、エゴの押し付けであると言っても過言ではないのかなと思います。自分が面白いと思ったことだの、美しいと感じたことだの、醜いと思ったことだの。内容や形、文体はそれぞれではありますが、結局の所、全て作者の世界の中、作者が作り出した世界の中での話です。つまり、小説は作者の伝えたいことだけを伝え、作者の見せたい世界だけ見せることができるのです。世の中には『誰かのために書いた小説』というものが存在するらしいのですが、それも誰かの為に書こうと思ったは作者自身の筈だし、文字を紡ぐのも作者自身です。やっぱりこの類の小説もエゴの押し付けでしょう。


 小説を書く人は皆、エゴイストです。そして、何処か心が壊れているというのか、ネジが外れているというのか、何かしらの異常を抱えている人が多いです。あの村上春樹先生(作品を読んだことはないですが)も言っていることなので間違いではないのかなと思います。


 私は小学生の頃から文を書くのが好きで、読書感想文やら、読んだ本の続きなどを書いていました。特に中国の古典で封神演義という神怪小説があるのですが、それに小学校六年生の時にどっぷりとハマりました。上・中・下巻とあり、結構ボリュームもありましたが学校の図書館で何度も何度も借りて読みました。特に哪吒と聞仲が好きでした。哪吒は西遊記にも出てくるので知っている人は多いと思います。この封神演義のIFを書いたのが、私が小説を書くようになったことの第一歩だったのかなと思います。中学一年生の時にスマートフォンでライトノベルを書いていた時期もあったのですが、あまり思い出したくないので省略します。私が純文学(現代ドラマ)の小説を書き始めたのは中学二年生の時でした。当時は、今のようにパソコンで執筆はしておらず、原稿用紙に書いていました。


 私には、他人の作品の続きや感想ではなく、自分の小説を書き始めた明確なきっかけがあります。今だから言えることなのですが、中学一年生のときの夏休みに、二年生の先輩からぶん殴られるという事があって(殴られて当たり前のことをしていた)、それをきっかけに、いろいろと荒れた生徒になってしまいました(保健室の横山先生にはとても迷惑をかけました。僕が保健室に行くと、彼女は決まっていつもポカリスエットをくれました。そのせいか、今でもポカリスエットが好きでよく買って飲んでいます)。それと同時に、友達ともあまり話さなくなりました。当然、周りから人は離れていくし、ひとりぼっちになってやることもなくなります。その暇な時間を潰してくれたのが小説でした。とにかく、読んで読んで、たくさん読みました。芥川龍之介、太宰治、カフカ、ドストエフスキー、この辺が当時のお気に入りでした。そして、中学二年生の夏休みの課題で読書感想文が出たのですが、私はその読書感想文をカフカの『変身』で書きました。内容はあまり覚えていないのですが、それを国語の教師だった、ゆきちか先生に


 「君の書く文章は癖があって、好き嫌いは出ると思うけど、すごく良い文章を書くね。私は好きだよ」


 と言われた事がすごく嬉しくて、『もっと僕の文章を読んでもらうにはどうしたらいいか』ということを考えた結果、小説を書くという答えに辿り着きました。友達もあまりいないし、やることも部活動の陸上くらいで暇だったし、お金もかからないし、私にはちょうどよかったのかもしれません。


 小説を書くという行為はたいへん孤独で、自分自身と対話(道徳っぽく言うと自己内対話)をし続けなければなりません。ときに自分すらも見失いそうになってしまいます。私は文学賞に応募する小説を書いているとき、何か大きなものに飲み込まれるような感覚に襲われる事があります。落ち込むと言うか、病むと言うのか。言語化するのはとても難しいのですが、突然周りが見えなくなって、何も考えられなくなるのです(私は心が強い方ではないので、そうなるのかもしれません)。


 そういうとき大体は散歩をするなり、筋トレをするなり、何かしら体を動かすと元の状態に戻ります。それどころか、良いアイデアが降ってきたりします。お風呂でもリラックス出来るという話を聞いて試したことがあるのですが、私は返ってより考え込んでしまって逆効果でした。科学的根拠は全くないのですが、体はしっかり休まって元気なのに頭は考え込んで疲れてしまって、上手くバランスが取れないからなのではないかと勝手に解釈しています。なので、運動をして体を疲れさせることで、上手くバランスが取れて調子が良くなるのかな。なんて思ってます。体の健康状態と心の健康状態には何かしらの関係性は存在していると思います。


 そもそも、小説は意思や感情など答えがないものを扱うことが殆どであるため、その性質上、考えれば考えるほど分からなくなることが、私は多々あります。そのような答えがないものに対して、自分なりの答えを用意し、その道筋を描く地図こそが私が目指す小説の姿です。エゴイスティックなことなのですが、私はこの小説を書くという行為以外で自己表現の仕方を知らないので、こうするしかありません。

 

 とまあ、つらつらと語ったわけですが、私はまだ小説家とは言えない存在です。これからも沢山の小説などの本を読み、沢山の経験をして太田肇として成長し、大学生のうちに自分の本を出版できたらいいなと思ってます。

 

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