第16話 二度目の遭遇

 午前中の執務室。フィンは寝不足の重い頭を振って、目を擦った。


「今朝もお早いですね」


 そして、ニコニコと執務室に入ってきたケネスを一瞥して毒づく。


「……普通、主君が朝4時から執務中だと知っていたら、側近のお前も起きてきてもいいんじゃないのか」

「ああ、平気です。我が君は非常に優秀ですから。衛兵もきちんと仕事してますし」


 肩につく長さの漆黒の髪を持ち、胡散臭い笑顔を浮かべる彼はフィンより8歳年上の26歳である。王太子として即位する前からの付き合いで、フィンが気を許せる数少ない人物の一人だった。


 フィンは、夜はほとんど寝ない。スケジュールの都合上、ベッドに入ることはあるけれど、悪夢のせいで眠れないのが常だ。そしてそれをケネスも知っている。


 ケネスの飄々とした物言いにフィンは苦笑した。


(……そうか。あれは普通ではなかったか。確かにそうだな)


 心には、前世でアレクシアの勉強に夜通し付き合わされた思い出が浮かんでいた。


「ご機嫌のようですね。お昼寝はもう済ませましたか」

「……先日入った、4人目の側室だが」

「はい、キャンベル伯爵家のシェイラ様ですね」


 すぐに答えたケネスに、フィンは心の中で舌打ちをする。


「ここ数年で成長した、魔法陣を専門に扱うキャンベル商会のご令嬢でもあります。ご自身でも良質な魔法陣が描けると評判のお方です。陛下とお話が合うのではと思い、リストアップいたしました」


「……そうか。だから」


「シェイラ様にはどちらでお会いになったのですか。後宮に行かれるのでしたら、一言いただきたかったですねえ。心配で気を揉んでいる重鎮たちの寿命が延びるはずですよ。それに、向こうの準備もあるでしょうし」


「……偶然会っただけだ。ただ、あれほどの才能がある者を後宮に入れるのはもったいないと思った。勘違いをするな」


「才能がある方には、ぜひ未来の国王陛下のお母上になって欲しいものですねえ」


「……」


 相槌を打つことすらせず、フィンの興味は既に手元の書類に移っていた。


 ◇


 シェイラの頭の上に、猫のクラウスが乗っている。


 恐らく、シェイラの頭の上でピシッと背筋を伸ばして座り、何かを見ているのかもしれなかった。


 猫なのだから、きっとシェイラの身長ほどの高さからなら上手に着地できるだろう。むしろただの遊びなのかもしれない。


 けれど、彼は精霊の使いである。絶対に落としてはいけないと思うと、シェイラは一寸も動けなかった。


「ね……ねえ、お願い。下りてくれないかしら?」

『みゃーん』


 表情は見えないけれど、明らかなかわいい拒絶だった。


 今日はティルダ主催のお茶会がない。4人でのほほんとお茶を飲む時間が一日の楽しみだったのに、それがなくなってしまったので、シェイラは後宮の奥まで来ていた。


 アレクシアとして生まれ育ったこの場所は、シェイラにとってもまさに庭である。


(この前、陛下に会ってしまったのは午前中のまだ早い時間だったわ。午後ならいないかもしれない)


 そう思ってやってきたところで、目論見は当たった。城壁の上には誰もいない。手には魔法陣ケースがある。今日は自分があの場所によじ登り、あそこでジョージからの依頼をこなそう、そう思ったところでこれである。


「お願い。あなたを頭の上に乗せていては、私は一歩も歩けないの」

『みゃー』


 クラウスはこの場所についた途端、器用にシェイラの頭の上に乗ると、なぜか全く動かなくなってしまったのだ。


「……ここで何を?」


 その声が聞こえた瞬間、頭の上に居座っていたはずのクラウスは、サッとシェイラの肩に移動した。


「へ、陛下」


 振り返ると、そこにはフィンがいた。残念だった。


「ご機嫌麗し……」


 シェイラは膝を曲げ、仕方なく定型通りの挨拶をしようとしたところで気が付く。彼の顔色が真っ青だということに。


「……フィン陛下、顔色が」


「この前、俺は君に名乗ったか?」


 この前のやり取りでも思ったことだったけれど、この若き国王は人の話を聞かないタイプのようだ。でも、どちらかと言えばシェイラ――いや、アレクシアも同じだった。それに、やはり彼に嫌な感じはしない。


(ううん。人の話を聞かないというのも違うわ。他人に踏み込まれることを酷く恐れているような、そんな感じ)


「いいえ。ですが、高貴さが滲み出ていらっしゃいますから」


 その偉そうな言動が何よりの証拠だ、というのをやんわりと伝えるシェイラを、フィンはじろりと睨んだ。冷たい視線を受けつつも、すぐに真意を理解した彼に好感を覚えたシェイラは続ける。


「薬師や医務官はどうなさったのですか。貴方にそのような顔をさせていては、彼らの首が飛びそうですが」


「……やることはやった。だからいい」


 簡潔な回答に、シェイラは押し黙る。


(きっと……薬師や医務官の立場も考えてのこと。必要以上に踏み込んではいけない)


 少しだけ沈黙が流れた後、口を開いたのはフィンだった。


「……その猫はキャンベル伯爵家から連れてきたのか」

「はい、そうですわ」

『みゃー』


 シェイラの肩の上で、クラウスはまるで『撫でて』というかのように頭を低くしている。一瞬、フィンは手を伸ばそうとしたように見えたけれど、シェイラとの距離が近くなりすぎると気が付いたのか、撫ではしなかった。


「……似た猫を知っている」

「白い毛に、金色の目なんて珍しいですね」

「ああ。俺も、その猫には一度しか会ったことがない」


 フィンはそう言うと回廊の隅に腰を下ろした。シェイラも一瞬迷ったものの、少し間をあけて座る。一応は、自分が仕える相手である。その相手が会話の意志を示しているのだから、従わねばなるまい。


「今日もそのケースを持っているのか」


 フィンが、シェイラの手元を見て言う。クラウスはいつの間にかシェイラの肩を下り回廊内の日当たりが良い場所に移動していた。ゴロンと伸びて、しあわせそうに微睡んでいる。


「はい。私は、兄が経営する商会の手伝いをしています。お天気もいいですし、城……ええと、静かな場所でゆっくり描こうかと」


 危うく『城壁の上で』という淑女としてはありえない言葉が出そうになったシェイラは、慌ててごまかした。


「この前見た高位魔法の魔法陣は恐ろしく良い出来だった。どうして正規の魔導士として登録しない」

「私には魔力がないのです」


「魔力が?」

「はい。ですが、きちんとキャンベル伯爵家の生まれですのでご安心くださいませ」

「そうか」


 貴族に生まれても、魔力を持たない者は稀に存在する。シェイラの場合は明らかに前世絡みだったが、フィンは納得した様子だった。


「……かつて、この国を治めた王の中に高名な魔導士がいた」

「……」


 徐に話し始めたフィンに、シェイラは何も答えない。


「治めた期間はわずか1年足らずだったが……。統治者としてはもちろん、魔導士としても非常に優秀だった。魔法陣を専門に描く者として、君も名前を知ってるだろう? 彼女の名前は……」


 まるで見てきたかのように話すフィンに、シェイラは苛立ちを感じていた。心の奥が冷えていく感覚と、喉の渇き、どうしようもない胸の痛み。


「……どうか、それ以上は」

「どういうことだ?」


 さっきまで従順だったシェイラが急に口を挟んだので、フィンは怪訝な表情を見せている。


「私は許せないのです、その王を。慢心で多くの人の命を危険に晒した、愚かな存在だわ」


 途端、シェイラの世界は反転した。

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