第9話 親子の会話は鉛のようで
「総理大臣が、やって来る」
脳裏に響き渡る信也の声に、充はおろか優輝までもが静止する。
「今、何て?」
「三浦部長、もう一度言って頂いても……?」
「だーかーらー! 総理大臣が今から視察に来るんだって!
思わず聞き返した二人に、信也は音割れ寸前の声で繰り返す。
そこでようやく、二人は現状を受け入れ――
「「はぁ!?!?」」
――られるわけが無かった。当然だろう。日本の国政を担う人間である総理大臣が、よりにもよってアポ無しで突如視察に来ると言うのだ。
常軌を逸してる。充の脳裏に、そんな言葉がよぎった。
「あのクソ教授、やってくれやがったな……」
「いや、女王様の差し金かも知れんよ……」
仮想世界と現実で、二人の男はそれぞれ同時に頭を抱える。
「目的は多分実際にプレイしてる場面の視察だろう。取り敢えず伊藤さんはここで待機。みつるんはログアウトしてこっちの対応を」
「かしこまりました」
「りょーかい」
信也の声に、二人はそれぞれ返事する。
直後、充の視界が漆黒に包まれた。そして……
「……うぉっ」
数秒後、その視界に光が差した。出てきたようだ。
寝覚めは最悪。気分も悪いが、どうやらそうも言ってられないらしい。
「ログアウトは無事に成功だね。それと悪いニュースだ」
苦笑いしながら、信也は頭をかいて充に言う。
「総理大臣ご一行、もう玄関先まで来ちゃったみたいだ。すぐにエレベーターでここに来るってさ」
「……くそったれ」
思わずため息がこぼれる。まったく、お上の連中と言うのは下々の者のことまで全く考えていないらしい。
「接待料は教授持ちだね」
「当然だ。あの野郎、はっ倒してやる」
DDを頭から取り外し、充はベッドから降りる。
画面酔いならぬ、仮想酔いと言うべきか。足元が微かにふらつく。
「大丈夫?」
「
頭を数度振って酔いを覚まし、充はエレベーターホールに足を向けた。
*
「おー、君が北条充君だね! 和田君や大江君から話は聞いているよ。もちろん、北条社長からも」
エレベーターの扉が開き、互いの視線が交差する。
源はそんな大きな声を出しながら歩みより、半ば強引に充の手を取った。
「総理に知っていただけているとは思いもよりませんでした……いやはや、ありがとうございます」
充は形だけの爽やかな笑顔と、自衛官時代に鍛えられた会釈でもって、この迷惑客を出迎える。もちろん、脇に控える大江と繁を交互に睨んで。
「いやいやこっちこそ、これからの日本を牽引していく君のような人材に出会えて光栄だよ。ささ、それじゃ中も見せておくれ」
「案内は私が。総理、どうぞこちらへ……」
一行は繁の手引きで、オフィスの中へ向かっていく。
その後総理は、フルダイブ世界で活動する優輝のモニタリングや、メディカル面での意見を繁や信也と交わし、二時間程度で官邸へと帰っていった。
「……それで? どうして教授はまだここに?」
総理も大江も、信也も去った本社ビルの談話室で、充は上座の方へ目をやった。
「ここは私の会社だ。お前こそ、なんでまだここにいる?」
充の問いかけに、繁は目を合わせること無くそう返す。
しばらく顔を会わせない内に、髭やら髪に白いものが増えたらしい。声も少し、しわがれたように充には思えた。
「俺はただ、部下を待っているだけです。信也にここで待ってろと言われましたので」
充はスマホをつけ、メッセージアプリを確認する。
データの整理が終わり次第向かう。
二分前、信也からそう連絡が入っていた。
「部下……あぁ、伊藤さんか。そう言えば、お前んとこに配属されたんだったな。彼女には良く助けられてるよ。どうだ、美人さんだろ?」
「孫ならもう居るでしょう。俺は生憎公私混同しない主義ですし、そもそも恋は捨てました」
繁の言葉に、充は下らないと言うかのごとく冷たく笑い、白い天井を仰ぎ見る。充の恋は、もうとっくの昔に終わっている。
「……まだ、忘れられないか」
「貴方には分かりませんよ。研究熱心で自分の息子の葬式にも、婿の葬式にも出なかった貴方には」
皮肉る充の言葉に、繁は苦虫を噛み潰したような顔をして、彼の方から目をそらす。
「なにも、言い返せないですか」
「……行かなかったのは、事実だ」
「お陰で姉さんからは絶縁されてますもんね。良いじゃないですか。これでまた、余計なこと考えずに研究に没頭できますよ」
到底親子の会話とは思えない、酷く重苦しい空気が流れている。
充は心底、繁のことが嫌いだった。
「次の
フルダイブ三法。フルダイブ技術の取り締まりや取引などに係る法律だ。
源内閣成立初期に作られた総理肝煎りの法だが、ヨルムンガンドオンラインのサービス開始、そして発展を期に、この度改正されることになった。
そしてこの件を大江を通じて強く進言したのが、充だ。繁はそれを、知っている。
「…………そんなに俺が嫌いか?」
地鳴りのように低い声で、繁が充に投げ掛ける。
充はパイプ椅子から腰を上げ、大きく頭を縦に振った。
「ええ、もちろん」
この日初めて、充は実の父と目を合わせた。
充はすぐに繁に背を向けて、出口の方へ歩いていった。
*
「いやー、今日は初日なのに散々だったなぁ……」
「ええ。結局、お昼も食べ損ねてしまいましたし」
二人が信也から預かった諸々の備品を、あの殺風景なオフィスに設置した後、二人は定時ぴったりに退勤した。充にとっては、久々のことだ。
「なんなら今から、どっか食べに行くか?」
夕日が沈みかける東京のオフィス街。車道側を歩く充が、そう言いながら財布の中身を確認する。
電子マネーではなく、未だに現金を使いたがるのは、ちょっとした彼のこだわりらしい。
「そうですね……そうしましょう」
「よし! なんか食いたいもんとかあるか? 何でも良いぞー」
「なら課長、ハンバーグなんてどうですか?」
「おっ、良いねぇー」
二人は和やかに道を行く。
こうして彼らの勤務初日は、幕を閉じた。
「もしもし、私です。ええ、はい。無事に初日は終わりました。数日中に、報告書を提出します。……北条充、あの三人でもっとも危険かと――」
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