第7話 逃げ上手の狂戦士《ベルセルク》
――兵庫県神戸市中央区港島・株式会社ユメカガク研究所本社
薄暗い電灯と、静かに響くモーター音。巨大な機械が列をつくって連なり、筋を作る。
株式会社ユメミライ。
その中核企業であるユメカガク研究所の本社敷地内に、それはある。
人類初のフルダイブ型MMORPGゲーム、ヨルムンガンドオンライン。その中央制御サーバーが。
「……花」
黒く輝くその機械に、一人の男が手を触れ、刻印された文字を指でなぞる。
ANAH
名前のように刻まれたそれを、まるで愛する人にするように、その男は優しく、優しく撫で、左の手のひらを当てる。
「あと、もうちょっとだな……」
しわくちゃになった白衣を揺らし、男は印された名にささやく。
そしてまた、それを右から優しく撫でた。
*
――ヨルムンガンドオンライン内・王都ワーディス近郊
「伊藤ー! 足を止めるなぁぁぁぁぁ!!!!」
物語の始まりを彷彿とさせるこの暖かな平原に、そんな鬼気迫る轟音が土煙と共に広がる。
充だ。
「課長ー! ご自分の前職思い出して下さーい!!」
そんな彼の数歩後ろから、優輝が彼に提言する。
そう、ここはゲームの世界。それもRPGだ。そして、二人の背後には追いすがる無数のゴブリン達。
二人の頭上に表示された、黄緑色の
「前職も何も、もはや俺は
前職は自衛官。それも若くして一等陸佐にまで登り詰めたこの男は、今や敵に背を向け、部下を置いて、一人脱兎のごとく平原を駆け抜ける。
自身が幼少からやってきた、得意の武道がなんたるかを忘れて。
そのときだった。
「あっ、課長、前!!」
「へ?」
優輝の言葉で、充は咄嗟に前を向く。するとそこには、
「「「グゲゲゲゲギギィ!!」」」
「げぇ、ゴブリン!?」
貧相な防具と混紡を持ったゴブリンが三体、長く青い舌を伸ばして待ち構えていた。
逃げるを選択したこの男は、見事に回り込まれてしまったのだ。
「課長ー! 一旦止まって、道具欄を見てくださーい」
優秀な補佐官は、的確に(無能な)上司に指示を出す。だが、当の本人は……
「ちょ、無理無理無理無理ぃー!!!」
勢いがつきすぎて、急に止まれないのである。
「やばいやばいやばいやばい」
「あっ……。課長ー」
眼前に迫るゴブリン。止まれない充。半分諦めたように、それでも一応体裁のために声を出す優輝。
間合いに入ってきた彼に、ゴブリンは無情にも剣を振り上げる。そして、
「え」
――ゴブリンは、宙を舞った。
思わず足を止め、その信じられない光景を見つめる優輝。
空中に投げ上げられたゴブリンは、物理法則に従い、放物線を描いて落下する。着弾点は、もう一体のゴブリン。
衝突した二体は、パチンと弾けるように、砕け散ったガラスのような青い粒子となって消滅した。
最後に残ったゴブリンが、仲間の仇と充に迫る。この個体だけ、こん棒ではなく剣持ちだ。
陽光に煌めく刃が、充の頭上に降り上がる。
刹那、その手に大きな左腕が伸びた。充だ。
「グギェ!?」
虚を突かれたゴブリンが、思わずそう声を漏らしてピクリと止まる。その隙を、この男は見逃さない。
革の鎧に右手が迫り、指がかかる。
両足の後ろに、右足が回る。
「てぇぇい!!」
再び、土煙が立ちのぼった。
大きく跳ね上げられた彼の足。
煙に姿を消すゴブリン。
背後に引き抜かれた充の左手に、逆手で握られる剣。
その手がスッと前に延び、青い粒子が見えたとき、翻るマントの下の大きな背が見えたとき、優輝は納得することになる。
あぁ。やっぱりこの人は、本当に――
「伊藤、後ろ!!」
「あっ……!」
優輝が振り返るのとほぼ同時に、辺りに鈍い音が響き渡った。
*
熱い熱い熱い。
額が、両目が、焼けるように熱い。
自身の叫び声と、誰かの嘲笑が聞こえる。
熱い熱い熱い。
視界はかすれ、ボヤけ、外気に触れるだけで耐え難い。けれど閉じてもなお痛い。
そんな彼女が最後に見たのは、見覚えのある大きな背中。
どんなときも見捨てずそばにいてくれた、ある上官の背広姿だった。
*
……い…………おい……
「……おい、大丈夫か?」
「……あ」
優輝が目を覚ますと、そこには焦った顔の充がいた。辺りに敵の気配はない。平穏そのものだ。
ここは付近の森林地帯。開けた平原から充はここまで、頭を殴られ気絶した優輝をおぶって
「ゴブリン、は……?」
「撒いた。安心しろ」
彼女の返答に、充はほっと胸を撫で下ろす。どうやら問題ないようだ。
「お、目覚めたかい?」
二人の脳裏に、久々に信也の声が響き渡る。優輝は上体を起こし、小さく頷いて返事した。
「もう大丈夫です」
「あんま無理すんなよ。あれだったら今日は切り上げるか?」
「いえ、問題ありません。ご心配おかけして、申し訳ありませんでした」
腰帯に差した刀を鞘ごと引き抜き、杖のようにして彼女は立ち上がり、万全であると示して見せる。
そんな彼女に充も「そうか」と一言頷き、横に並んだ。信也の方も「無理は禁物だからね」と便乗。優輝は恥ずかしげに笑って、また頭を垂れた。
「いやぁー、それにしてもみつるん流石だな。まさかこのゲームの中であんなに綺麗な投げ技を見ることになるとは……流石国体選手」
ふと、信也が溜め息混じりにそう呟く。
充は小学校に入る前から、近くの柔道場に入って稽古をしてきた。
腕前は普段の何の特徴も無いモブ三号のような風体からは想像もつかないもので、過去には国体にも幾度か出場した経験がある。
自衛官時代にも、得意の柔術を活かして自衛隊格闘でブイブイ言わせていた……と、信也は飲み会で充が酔う度に聞かされていた。正直、うんざりだ。
「どうした伊藤。意外か?」
信也の言葉に目を見開いた優輝に、自慢げな笑みを浮かべて充は聞く。
「はい。凄く意外です」
即答だった。
「すぐさま敵前逃亡を考えるような人が、あんなに強いとは……しかも、それ関連のスキル持ちでもないのに。確かに指はごつごつしていましたが」
「そんな神妙な顔で言われると、流石に俺傷つくぞ……」
優輝に分析されて項垂れる彼は、そう言えばと思ってメニュー画面を開き、ステータスを確認する。
先程は自分の見た目のことで舞い上がってしまったが、肝心のスキルやら何やらに目を通していなかった。
「どうしたんです?」
「ショックで声も出せねぇか?」
「いや、スキルの確認してなかったなと思って……お、あった」
《スキル》と書かれた欄を見つけた充は、早速それに目を通す。
『ベルセルク』
『忍び足+3/10』
『盗み聞き+4/10』
『剣術+3/10』
『早足+5/10』
……パッと見て、大体どのようなスキルかは大雑把に把握が出来た。
忍び足は足音がしずらいだとか、さっきあんなに足が早かったのは早足スキルのせいだろうとか。
そして横の数字はそのレベルだろう。書き方的に、どうも十段階あるらしい。
だが一つ、名前を見てもピンと来ないスキルがあった。このスキルだけ、レベルらしき表示もない。
ピンと来ないどころか、どことなく不穏な雰囲気を持つそのスキル。充は信也に声をかけた。
「おいしんちゃん。この『ベルセルク』ってスキルなんだ?」
額面通りのスキルなら、かなり危険なように思う。
ベルセルク
熊の戦士の意味合いを持つとされる、北欧神話の狂戦士。
戦時にはその凄まじい戦闘力を発揮するが、目に写るものは肉親にさえ襲い掛かる狂暴性を併せ持ち、戦闘が終わると虚脱する。
もっとも、流石にそれ通りでは無いのだろうが……
「あーそれね、スペシャルアビリティ。超激レアでつよつよなチートスキルだと思ってくれれば良いよ。ようはお二人さん用に付与したプレゼントだね」
「チートて。んで、効果は?」
と言うかそもそも、いくら官品とは言え公式が個人を優遇しても良いのだろうか?
疑問は絶えないが、ひとまず彼はそれを置き、信也の説明に耳を傾けた。
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