第6話 新撰組とゴブリンの群れ

「課長、立てますか?」


 そういって、電脳の地面にへたりこむ充に手をさしのべる新撰組のダークエルフ……もとい優輝。


「お、おお……すまん」


 思わず一、二秒静止した後、彼はここがフルダイブ技術による仮想現実であることを思い出し、大人しく差し出された手を取り立ち上がる。

 すべすべとして柔らかい(彼とは既に縁が切れて久しい)女性の手、人肌の温もりが、全くリアルな感覚として充の手の平に伝播する。


「課長、どこかお体の具合が悪いですか?」

「あぁ、いや。ヨルムンガンドはこんなにリアルなのかと思ってな」


 大学の研究所時代にプロトタイプの試験を行ったことはあるが、それから実に七年の月日が経過している。

 あの頃は感度もまだまだ鈍く、まさに技術革新の第一歩、と言った感じであったが、時代は既にここまでリアルに近づいたのだ。

 ふわり、暖かなそよ風が髪を揺らす。優しい若草や太陽の香りが鼻をくすぐる。嗅覚への接続も、どうやらバッチリのようだ。


「課長。そのアバター、良く似合ってると思いますよ。声の雰囲気とギャップがあります」

「お、そうか? 実は俺まだ見てないんだよ、って伊藤! お前俺の事が……」


 あっさりとそんな重大なことを告げる彼女に、充は仰天してしまう。

 確かに身障者用に手足や視聴覚神経系についての実験を行っているとはいつぞやの飲みの席で聞いてはいたし、総務省時代に報告に上がっていたが、まさかこれほどとは。

 そう彼が感心していると、


「ま、まだまだ開発途中だから完璧って訳じゃないんだけどねぇー」


 そう、またまた聞き覚えのある声が聞こえた。それも、脳に直接。信也の声だ。


「やぁやぁ技術の進歩に置いていかれている我らが親友の北条充よ」

「てめぇはっ倒してやろうか」

「現実世界にいる俺を倒せるんならやってみなぁ。っと、そんな下らんこと言ってる場合じゃねぇ。まずお二人さんにそのアカウントの説明せにゃね」


 軽快かつ緊張感に欠けるいつもの声でそう語りかける信也。どうやら彼の声は、優輝にも聞こえているらしい。


「まず、左手を体の前で横に払ってみてくれ。そしたらメニューが表示されるから」


 充は言われた通りに腕を横に払ってみる。すると、


「おお! なんかいっぱい出てきたぞ!」


 彼の指先辺りのところに、青い半透明の丸達がズラリと縦に現れた。

 丸の中には黒字で『ステータス』やら『アイテム』やらと書かれており、どうやらその名の通りの項目が閲覧できるらしい。


「それがメニューだな。伊藤さんはわかるよね?」

「はい。でも見慣れないものが幾つか……」

「俺にとっては全部見慣れないものなんですが」

「まぁ待てまぁ待て。取り敢えずみつるんはステータス画面開きな。タップすりゃ出るから」


 ボソリと呟いた一言すらバッサリ切り捨てられ、充はしょぼんとしながら言われた通りにステータスの丸を指でつく。

 丸が指に触れた瞬間、まるでシャボン玉が弾けるかのように形が崩れ、視界に真四角のホログラムが現れる。これが、ステータス画面らしい。


「そこにはユーザーネーム、ID、登録国籍、各種能力値、スキル、そんで――」

「おー! すっげぇ……俺今こんな見た目なの!?」


 信也の説明を遮るように、充は大きな声でそう叫ぶ。指差す先は、各種ステータスが表示されている画面の左半分、自身のアバタースキンだ。

 大柄で筋肉質なガタイに強面な顔と、後ろ手に一つくくりにした黒いボサボサ髪と黒い瞳。

 ズボンやらは先ほど見たのと変わらず、上半身はノースリーブの黒いタンクトップに鉄製の胸甲を装備。そして背中にはボロ布のマントをつけている。

 これがこの世界の充……もといユーザーネーム《ミツル》の姿だ。


「……お前こう言う見た目のキャラ昔っから好きだろ? 作る時間もねぇだろうから先手をうって作っといたんだよ」

「しんちゃん、やっぱりお前は心の友だ! 俄然モチベ上がってきた!」


 喜び勇んだ充は思わずその場でガッツポーズを決めていく。飲み会以外では、ここ数日最高潮のテンションだ。と、そんなとき……


「あの、課長。喜んでおられるところ申し訳無いのですが」

「んぁ?」

「ゴブリンの群れに、囲まれてます」


 いたって冷静沈着で、静かな声がその場に響く。現実の常識から逸脱した、聞き慣れない言葉でもって。

 だが、彼女の上司は北条充。乗せられやすく単純で、そして果てしなくアホである。更に言うと、本日ほぼ初めてのフルダイブ経験者。

 彼は今、目の前の好奇心に夢中になり、現実との区別がついていないのだ。現実世界の信也はきっと、頭を抱えているだろう。


「何を言っとるか伊藤君。ゲームでもあるまいし、そんなことあるわけないだろー」


 優秀な部下からのそんな的確かつ重要な報告をそう鼻で笑って一蹴し、次の項目を開こうと、ステータス画面から一つ戻る。

 四角い画面が収束して丸に戻り、視界がいささか開けたそのとき、彼は全てを思い出した。


「……ここ、ゲームだわ」


 眼前に広がるのは、粗末な武器防具を身につけた、緑の肌のゴブリン達。その数ざっと十体弱。

 そう、ここはヨルムンガンドオンライン。世界初のフルダイブ型MMORPGゲームの仮想空間。

 充自身が、彼の青春を捧げて作った技術によって作られた、全く新しい先進技術。そんな、我が子同然の世界で今、彼は、


「これ、ヤバくね?」

「はい。ヤバいです」


 早速危機に瀕している。

 額を伝う冷や汗。大きくなる鼓動。

 だが、横には守るべき部下が居る。出会ってまだ初日だが、それでも大事な人材だ。

 おとこ充は覚悟を決めて優輝に言う。


「伊藤。俺が上司として、最初の指令を君に出す。良いか、良く聞け……」


 神妙な面持ちで語る彼に、彼女は固唾を飲んで小さく頷く。

 きっと彼女は、言葉の続きが分かっている。刀の柄に右手をかけ、ゴブリン達をキッと睨み腰を落とした。


「はい、何なりと」


 北条充三十一歳。ユーザーネーム《ミツル》

 伊藤優輝二十六歳。ユーザーネーム《雪見茶々丸》

 人々が夢見た第二の世界で、彼らの新しい生活が、今――


「に、逃げろぉぉぉぉぉ!!!!」

「……はぁ!? ちょっ、課長ー!!」


 始まろうとしている。

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