第3話 初出社は美人な部下と
――翌週月曜日
ピンポーンと、玄関のインターホンが元気に鳴る。時刻は午前七時。朝食や着替え等諸々の準備を済ませ、空いた時間で朝のニュースを見ていた充は、驚いたように玄関の方へ振り返る。
東京都心から少し外れた都市郊外、六畳半間の安いボロアパートに、こんな朝っぱらから一体誰が何の用だろうか。それも、家主は冴えない三十代の男性公務員。
「はいっはーい。今開けまーす」
座布団の上から腰を上げ、充はとことこ玄関に向かい、無警戒で扉を開ける。するとそこには……
「君は……」
「おはようございます、北条課長」
スーツをピチッと着こなした、黒髪ポニテのスレンダー美女。右脇に携えた白杖にも、彼には朧気ながら見覚えがある。確か彼女の名は、
「伊藤優輝です。一昨日の夜、居酒屋の前でお会いした。よくお酒を飲んでいらしたご様子でしたので、覚えておられないかもしれませんが」
「あー、いや、まって……今思い出した」
彼女のその言葉で、充の記憶が引きずり出される。数杯ほどやけ酒決めた後、お会計して店を出た直後に声をかけてきた、あの美人さんだ。
先日は夜で暗かった事と、酔って視界が悪かったこともあってあまり鮮明には見えなかったが、今まじまじと見ると、やはり美人だ。
微かに異国情緒漂うくっきりとした目鼻立ちに、すらりと伸びた背筋。そして、さらりと風に揺れる黒い髪。女性から離れてしばらく経つ彼にはいささか、毒っ気じみたものがある。
「あの……あまりじっと見ないで頂いても? セクハラですよ?」
「あっ! いや、これは申し訳ない……って、何で分かったんですか?」
強い語調で咎められ、咄嗟に目をそらしてあわてふためく充。情けないことこの上ない。
だが、確かに不思議だ。前髪が少しかかった女の瞳はずっと固く閉ざされ、薄目を開けている様子も見受けられない。弱視と言うわけでは無さそうだ。
そんな彼の、少々デリカシーに欠けるような質問に、優輝はハキハキこう答える。
「刑事の勘です。相手がどんな様子かは、何となく勘と雰囲気で分かります」
なるほど、随分生真面目な性格らしい。それに、勘や雰囲気で目に見えない相手の様子も見透かした。刑事として、相当優秀だったに違いない。
「いやはや、流石お巡りさんだ……それで、今日はまたどうしてこんな朝っぱらから、こんな
気になったら質問が止まらないのは、昔からの彼の悪癖だ。しかし、そんな彼にも真面目な彼女は一つずつ丁寧に、かつ事務的に解答してくれる。
「家の場所は事前に大江大臣から。私の家も丁度近かったので、助かりました。本日、私が伺ったのは大きく二つの理由があります」
「ほうほう」
「一つは、このまま一緒にユメミライ本社とフルダイブ技術統合会議所の各部署への挨拶回りと備品受け取りを行うこと。それからもう一つは……」
そこまで口に出して、今まで極めて事務的にやり取りしていた彼女が少し口ごもり、僅かに頬を赤らめ、恥ずかしそうに顔をそらす。はて、どうしたのだろう?
そう思ったのも束の間、やがて意を決したように、彼女は小さな声でこう言った。
「その……ふ、不安だから……道案内、お願いしたいな、と……思いまして……」
その口から飛び出した意外な一言に、充は反応が僅かに遅れる。そしてすぐ、
「あっ、なるほど……すぐ準備しますんで少しお待ち下さいな」
そう言って持ち直し、部屋の奥に引っ込んだ。
「す……すみません……」
堅物そうだと思ったが、根は案外可愛らしいのかも知れない。そう思うと、ひねくれた彼の心がほんの少し、華やいだ。
今日この日から、彼らの新しい日々が始まった。
「すいません、お待たせしました」
「いえ、大丈夫です。では……よろしくお願いいたします」
「……ええ、お任せ下さい」
恥ずかしそうに、小さくぺこりと頭を下げる優輝に、充はそう、微笑んだ。
(そう言えば彼女、なんで居酒屋の前で俺を見つけられたんだろうか?)
二人の間を、そよ風が通り抜ける。
揺らいだ優輝の前髪の向こう、彼女の額やまぶたにかけて、大きな火傷の痕が見えた。
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