第2話 辞令は直接手渡しで

 それは、なんの前触れもなく訪れた。


「北条課長。お外で大江おおえ大臣と和田わだ大臣がお待ちです。……何かしたんですか?」


 いつもの朝、いつものように自分の持ち場である総務省情報流通行政局フルダイブ技術監督課の課長席で、積み重なった書類を整理していた北条充三十一歳。

 一年前に突如陸上自衛隊から出向させられてきた席ではあるが、それでもそこそこ上手くやって来た。そのつもりである。だからこそ、


「……何がバレた?」

「知りませんよ!」

「そうだよな……」


 大臣などと言う国家公務員のトップ的ポジション二人に呼び出される理由がわからない。否、わからないわけでもない。だが、わかりたくない。

 充の脳裏に蘇るのは、一年前のあの日の記憶。何とか結果を残し、自衛隊で一等陸佐いっとうりくさの座に登り詰めた半年後の事。

 そう、あのとき呼び出してきたのは、出向を命じてきたのは、先に名の上がった両大臣。すなわち大江静おおえしずか総務大臣と、和田正義わだまさよし防衛大臣だ。


「くそぅ、ひょっとしてまたそのパターンか……すまん仁田にった、ありがとう。業務続けててくれ」

「は、はぁ……」


 伝令役を担ってくれた若き部下に礼を言って下がってもらい、充は一人デスクでため息をついた。

 正直、行きたくない。このイスから腰を上げたくない。出来ることなら陸自に戻りたい。だが、だが……


「わっ、大臣!?」

「よーっす! 皆、元気にやってる? あっ、北条くぅーん! はやくはやくー!!」


 このおちゃらけ総務相は、それを許しちゃくれないらしい。


「皆……ほんとごめんな」


 充は肩をガックリ落として、大声で手招きする静の方へ向かった。



 *



「いやぁ……ほんとすまん、北条一佐。許してくれ。俺にはこの人を止められなかった」


 そう言って心底申し訳なさそうに手を合わせ、充に頭を下げる筋骨隆々とした厳つい顔の男が、和田大臣だ。元は彼も、自衛隊員だったらしい。そしてその横で、


「あー、そうやってまた私を悪者みたいに言うー! あんまりそんなこと言ってると、失脚させるぞぉ?」


 こんなトンチンカンな事を言う、栗毛ロングヘアーの見た目だけキャリアウーマン中身抜きの空芯菜みたいな女性が、大江大臣。充の天敵だ。

 彼女がこれほどガタイの良い和田大臣にマウントを取れる理由はただ一つ。彼の中学・高校時代の先輩にあたるからである。


「和田さん、お互い苦労しますね……」

「一佐、すまん。不甲斐ない俺を許してくれ……!」

「ちょっとー? 私だけほっぽって自分達の世界に入るのやめてくれるかなぁー?」


 男達の熱い友情も、彼女の前には意味をなさない。水、もとい鉄砲水を差された二人は渋々、大江の方を向き直り、話を聞くことにした。


「結論から話すわね。北条充課長、君の出向が決まった――」

「お断りします! 自分よりもっと適切な人材がきっと居るはずです」


 彼女が言い終わるのを待たずに、充は自衛隊で鍛えられたキレのある敬礼と声を用いて拒否をする。

 大江大臣のことだ。きっとろくでもない面倒な仕事を押し付けるに違いない。大学時代から彼女と親交がある充にとって、そういう信頼で言えば、日本において彼女と比肩する存在はいないと言っても過言ではない。


「えー、そんなことないわよ。だって貴方頭も良いし、常識人だし、その上フルダイブ技術発明の功労者でしょ? それに……ユメカガク、ユメミライと共にパイプも太い」


 ユメカガク――正式名称は株式会社ユメカガク研究所。フルダイブ技術発明の直後設立された、日本屈指のベンチャー企業だ。

 発明に携わった中核メンバー十一人の内殆どがここに籍を置き、フルダイブ技術について日夜開発や研究を行っている。

 そしてこの企業を中核に様々なゲーム関連企業等が出資して出来たのが、フルダイブゲーム開発企業、株式会社ユメミライだ。


「最大の功労者である主任研究員の足立君、メディカル部門チーフの三浦君とは幼馴染みだし、そもそも両社の社長である北条繁ほうじょうしげる教授は、貴方のお父君。これを活かさない手はないでしょ?」


 充は心の底から、自らの血を恨んだ。可能であれば即刻役所へ行って戸籍謄本をことごとく焼き尽くしたかった。


「あの人の名前は出さないで下さいよ、大臣。元々ソリが合わないの、知ってますよね?」

「ええ。でも、その辺は仕事と割り切って欲しいなぁーと……ね? 十一人の中核メンバー、唯一のである君に」


 結局充は給料増額と残業代の保証を条件に、(和田大臣の顔を立てて)出向を受け入れた。その出向先と言うのが、



「……空っぽなんですけど?」


 霞ヶ関某所にあるビル五階の空きオフィス。事務机とパソコンが幾つか置かれた広い空間。そして何故か学校の保健室のごときベッドが数床。

 開いた口が塞がらない充に、大江はたった一言、こう告げた。


「ええ、だって今日作ったもの」


 彼の出向先、その名は公益社団法人全日本フルダイブ技術統合会議所。直接監察課と書かれた札の掛かる無人のオフィスのど真ん中で、充は目の前が真っ白になった。



 *



「お待たせしました! ご注文のーってお客様、どうなさいました……?」

「……いえ」

「……なんでも」

「……ないです」


 空になった大量のグラスと、新しくやって来た二種類の酒を見つめながら、三人はお通夜顔負けの雰囲気でテーブルを囲んだ。大江静、恐るべし。


「ま、まぁ……なんだ。全額とは言わないが、二人でプラス三千円分ぐらいまでなら払ってやるよ」


 信也がそう、哀れみの目で充を見つめる。


「そ、そうだな……! 俺達けっこう金あるし、一応公務員からの出向だからそんなに払ってやれねぇけど、そんぐらいならセーフだからな!」


 ほら、酒がぬるくなる前に飲もう飲もう、と、大誠がグラスに酒を注いで充に渡す。

 その数十分後。三人は、失意の内に華金を終えた。


「「「ご馳走さまでしたー……」」」


 公務員の世知辛さと、自身、或いは友人の境遇・不遇に肩を落とし、ため息をつき、三人は揃って店を出る。


「まぁ、みっちゃん。何かあったら、いつでも相談しろよ?」

「そうそう。連絡してくれたら、いつでもベンツ電動車椅子で駆けつけるからな。そんなにスピードでねぇけど」

「おう……ありがとな……」


 必死に励ます親友達の優しさが、今の彼には痛かった。

 三人の間に、どんより重い空気が漂う。そのとき、その瞬間、


「貴方が、北条充課長でしょうか?」


 背後から、若い女性の声が聞こえた。咄嗟に振り返る三人組。その先には……


「夜分遅くに申し訳ありません。わたくし、警察庁サイバー警察局より本日付で直接監察課に出向して参りました、伊藤優輝いとうゆうきと申します」


 スーツ姿で白杖を握る、細身の女性が立っていた。

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