第8話 アランの本当の姿
空気がとても澄んでいる。
風がとても気持ちいい。
馬車から降りてから、ソフィアは思わず目を閉じた。
閉じている間に、実家から持ってきた二つのトランクをさっさと外に放り出された後、馬車はさっさと引き返してしまった。
なんとも淡白な見送りである。
ここは、国の外れのとある丘の上。
国境の山脈が見渡せて、視界はとても開けていた。
「遠路はるばるありがとうございました」
先に待っていたシエルが言う。
彼女はパーティの時と同じ、神官のようなドレスを着ていた。
相変わらず、この世に存在しているのか疑わしいほどの美貌だった。
「よ、よろしくお願いいたします……」
王女に相応しいオーラにとてつもない圧を感じたソフィアがおずおずと頭を下げる。
「そんなに畏まらなくていいわ。これからソフィアちゃんは私たちの国の一員になるんですもの。仲良くしましょうね」
にこりと笑って握手を求めてくるシエル。
普通、一国の王がただの貴族令嬢にこんなにもフランクに接するなどあり得ないことだが、これもお国柄の違いだろうか。
おどおど恐縮しながら、その手を取る。
シエルの細くて美しい手を、自分のボロボロの手で握るのはひどく罪悪感が沸いた。
そんなソフィアの内心とは裏腹に、シエルの手はひんやり冷たくて気持ち良くて、思わず口元が緩ませてしまう。
「ハナコちゃんも、よろしくね」
『きゅきゅーい』
ハナコもシエルに好感を持っているのか、嬉しそうに鳴いた。
……シエルがハナコの名前を口にする前に、少しおかしそうに笑ったように見えたのは気のせいだろうか。
「荷物それだけか」
シエルのそばに控えていたアランが、ソフィアの私物の全てである大きなトランク二つを見て言う。
アランの姿もパーティで見たのと同じ、人間の容貌をしていた。
こちらも相変わらず、社交会にいたら求婚の手紙が止まないほどの美丈夫である。
「あ、はい、これで全部です」
「少ないな」
「あはは……意外とこのくらいに治りました」
無理はない。
普通、嫁入りとなればトランクなぞには収まりきらないほどの荷物がある。
しかし、私物なぞロクに買い与えられ無かったソフィアの荷物はなんとも寂しい量に収まっていた。
アランは一瞬、眉を顰めたが。
「貰おう」
そう言って、アランがトランク二つを手に取った。
「そ、そんな、悪いです! 私が運びますっ……」
「そんな大きな荷物を運ばせるわけにも行かんだろう。それに……」
じっと、ソフィアの目元のクマを見てアランは言う。
「随分と疲れているようだからな、無理はさせたくない」
その言葉に、ソフィアの胸がきゅうっと締まった。
さりげない気遣いもそうだが、何よりもこの人は自分の身を案じてくれている。
(優しい人……なのかな……)
そもそも人じゃないのでは、という話はさておき。
アランに対して、ソフィアはそんな印象を抱いた。
「やれば出来るじゃない、アラン」
「契約とはいえ、妻となるお方ですので」
「契約……?」
なんだか聞き覚えのないワードに、ソフィアは首を傾げる。
シエルは、人の警戒心を溶かすような笑みを浮かべて言う。
「その辺りの話は我が国に到着してから話しましょう。さあ、出発するわよ」
「出発って……」
あたりを見回しても、馬車など移動できる手段は一つも見当たらない。
「まさか、この山脈を超えるのですか……?」
果てしなく続く山脈を見渡して、ソフィアはさーっと血の気が引いた。
人並みに体力には自信があるが、山越え×???回となると話が変わってくる。
とてもじゃないが走破し切れる自信がない。
精霊王国に着く前にソフィアが幽霊になってしまうかもしれない。
そもそも、今日は長距離を歩くような履き物で来ていな……。
「俺の背中に乗って帰る」
「え、背中……?」
アランの言葉に素っ頓狂な声を漏らすと。
「あら、言ってなかったかしら?」
瞬間、アランの身体が眩く光を発した。
思わず目を閉じてしまう程の光。
この光は、似ている。
ハナコが放つ光に──。
「わわわっ……!!」
目を開けて、ソフィアは思わず声を上げた。
『きゅきゅきゅい!!』
ハナコは目を輝かせ、興奮したように鳴いている。
目の前に人型のアランはいなかった。
恐る恐る首を上げる。
そうでもしないと、本来の姿のアランを視界に収めることができなかった。
どどどーん!
と、効果音がつきそうなほど巨大な体躯は建物の五階建ての高さはあるかもしれない。
身体を彩るのは雪のように美しい白
一つ一つが両手を広げたくらいのサイズの鱗がびっしりと全身を覆っている。
煌めく眼光、鋭く光る爪、牙、ひと薙で建物を吹き飛ばせそうな尻尾。
そして、大空を翔る事を約束された大きな大きな翼。
このシルエットの生物を、ソフィアは知識で知っていた。
「竜神アランは、我が国の軍務大臣にして最大兵力……白竜よ」
あまりにも逞しい婚約者様の姿に、ソフィアはシエルの説明も耳に入らず呆然とするのであった。
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