美少女騎士(中身はおっさん)と殿下(ちょっとお疲れ気味)


「ふう……」


 公王家の専用車。後部座席。少年はひとつため息をつくと、柔らかいシートに身を深く埋めた。


 時刻は深夜の入り口といった頃合い。車は公都中心部のはずれ、少年が通うハイスクールの敷地まで十五分ほどの位置。


「殿下、お疲れのようですね」


 少年の隣に座る護衛がねぎらう。彼は公王府直属の騎士だ。しかし、騎士といっても帯剣はしてはいない。地味なスーツに身を包み、懐にひそませているのは拳銃だ。シートの奥には自動小銃も隠されている。彼は、公国騎士団公王宮守備隊に所属する要人警護のプロだ。


「いえ、いえ、大丈夫です。心配いりません。……気を使っていただいてありがとうございます」


 少年は背筋を伸ばし姿勢を正す。が、誰の目から見ても、彼が無理していることはあきらかだった。





 ……公王太子だからといって、こんなか細い少年をこんなに働かせて大丈夫なのか?


 騎士は、あらためて自分の護衛対象であるルーカス殿下を横目でみる。


 さらさらの髪。長いまつげ。長い耳。まるで少女のような線の細い少年。


 であるのに、この一日で殿下がこなしたスケジュールは、過酷なものだった。肉体を鍛える事が仕事であり趣味でもある騎士の目からみても、かなりハードなものだった。


 ハイスクールの授業が終わったあと、公都郊外の国立大学へ直行。世界的にも有名だという物理学の教授(騎士は顔も名前もしらなかったが)の研究室にて、夕食をとる間もなく数時間にわたり次の論文について激しい議論。


 ……ちなみに、殿下と教授の議論について、騎士はまったく内容を理解できなかった。黒板一面に描かれた図や数式らしきものは、魔法陣、あるいは気味の悪い抽象画にしか見えなかった。


 その後、緊急の用件とやらで急遽むかったのは公王宮だ。食事は車の中で簡単なサンドイッチを食べただけ。もちろんご自身の寝室で休む時間などない。陛下とともに会議室に首相と国防大臣を迎え、なにやら重要な報告をうけたらしい。騎士は同席を許されなかったため内容は想像もつかないが、殿下の顔色を見るにどうせロクでもない国家機密なのだろう。


 で、やっといますべての公務から解放され、寄宿舎に帰るところだ。門限どころか消灯時刻もとうに過ぎている。


 今日だけのことではない。ここしばらく、いやハイスクールに入学してからずっと、殿下は日常はだいだいこんなものだ。


 ルーカス殿下が公国の未来を背負って立っているのは、騎士だけでなく公国市民すべてが知っている。殿下は公国の誇りだ。しかし、……彼は同年代の少年と比べてもあまり体格の良い方ではない。はっきりいってしまえば、ひ弱だ。あまり無理をして身体を壊しては元も子もない。


 それになによりも、彼はまだ少年だ。一般的には、遊びたい盛りといわれる年齢だ。


 騎士は、呑気に過ごすだけだった自分のハイスクール時代を思い出す。


 公王太子としての公務が多忙なのは仕方が無いとしても、少年にはもう少し遊ぶ時間があってもよいのではないか? 青春時代は一度しかないのだ。たとえば、恋人といちゃいちゃ過ごす時間だって必要なはずだ。


 そうだ!


 彼は膝をたたく。


 いっそ護衛役を、噂のお妃候補の女性魔導騎士にかわってもらおうか。


 彼女とは、駐屯地で何度か会ったことがある。騎士団の中でも目立つ存在だ。大聖堂をまるごと叩き切ったとか、ドラゴンを群ごとミンチにしたとか、もともと非常識な連中がそろった魔導騎士小隊の中でも際だっている。


 しかし、見た目だけならばたしかに可憐な美少女だ。殿下だって、自分のようなむさ苦しいおっさん騎士が側に居るよりも、常に手を伸ばせば触れる距離に彼女がいた方が嬉しいに決まっている。


 ……もちろん彼はわかっている。そんな事は不可能だ。お妃候補が常に殿下の側に居るなど、内外のマスコミにネタを与えるだけだ。ますます公務が滞り、殿下が忙しくなるだけだから。







「プロジェクト責任者より起爆実験の日程について以下の通り提案がなされました。連合王国ならびに皇国政府の同意はすでに得ておりますので、陛下のご裁可にて最終決定となります」


 それが、ルーカス殿下が陛下とともに内閣からうけた報告だった。もちろん最上級の国家機密だ。


 起爆実験、……か。


 ルーカスの頭の中、同じ単語が何度も何度も繰りかえされる。


 公国政府とお父様、そして同盟国である王国と皇国の政府が決めたことだ。いまさら私が何を言おうとかえられるものではない。


 途方もない費用が投じられた前代未聞の巨大プロジェクト。しかし、参加してくれた各国の科学者達、現場のエンジニア、管理した海軍、みなとんでもなく優秀で、しかも昼夜を問わず全力を尽くしてくれた。よっぽどの事がない限り実験は成功するだろう。


 ついに我々人類は青ドラゴン、……いやどんな転生者や守護者に対してでも対抗できる力をもつことになる。それだけではない。実験の成功を知れば、大陸の帝国や連邦も露骨な領土的野心を収めてくれるかもしれない。なんにしろ当面の平和は保てるだろう。なんとかギリギリで開戦に間に合ったのは僥倖だ。……僥倖? 本当に?


 ルーカスは首を振る。


 各国の政治家も、軍人も、計画に参加した科学者でさえも、いまだにアレを単に威力が強力なだけの大きな爆弾だと思っている。


 この世界の多くの人々はまだ気づいていないのだ。アレは、世界のあり方を永久に変えてしまうものだということに。


「私の名は、世界史に刻まれるかもしれない。……悪魔として」


 ぞくり。背筋に冷たいものがはしる。


 本当にアレが必要なのか? 他の方法はなかったのか? 計画が始動して以来、何度も何度も何度も自問してきた。


 レンと自分を執拗に狙う青ドラゴンに、どうやって対抗するか? 世界の法則すら支配する力をもった転生者や守護者から、未来の選択肢をこの世界の人々の手に取り戻すためにはどうすればいいのか?


 そして、近い将来確実に世界大戦に巻き込まれる公国を救うため、公王太子である私は……?


 しかたがない。アレしか方法はない。そもそも、私がこのプロジェクトを提案する前から、この世界の科学者達だってあの莫大なエネルギーを発生する物理現象の可能性を知っていた。たとえ私がなにもしなくたって、数年後には必ずどこかの国が完成させるだろう。


 ……今となっては、そう考えるしかない。





 ふと脳裏に顔が浮かぶ。ふたりの少女の顔。


 みき、……じゃなくて、転生後の名前はレン。多少捻くれてるが、基本的に呑気で人のいい妹。


 前世ではケンカばかりしていたけど、家族と共に過ごした日々は、いまとなってはかけがいのない時間だった。姉妹でまた、なにもかもわすれてお菓子を食べながら馬鹿話をしたいなぁ。


 そしてもうひとり。


 レンよりも幼くて小さくて頼りがいのある人。何があっても私を護ってくれると言ってくれた、中身おじさまの少女。……ウーィル。


 あのひとと一緒に居ると安心できる。なによりも、あの人なら私を赦してくれる。重圧を分かち合ってくれる。


「あいたいな……」


 ポロリと口にでてしまった。


 しまった!


 車の中。真っ赤になってあわてて左右に視線をふる。護衛の騎士と運転手さんは、聞こえないふりをしてくれた。


 こほん。


 ひとつ咳払い。背筋を伸ばし、シートに深く座り直す。


 ……ていうか、なぜ私は、レンとウーィルになかなか会えないのだろう?


 ふたりの事を考えているうち、いつの間にか深刻な問題は頭の中から消えてしまった。


 レンの顔は毎日のように学校で見かける。しかし、公王太子と留学生。男と女だ。同級生達の手前、なかなか話す機会はない。昔のような馬鹿話など不可能だ。


 それはわかる。理解できる。


 でも、でも、……ウーィルと会えないのはなぜ? ウーィルは私の騎士だ。私は彼の主だ。どうして一緒に居られない? おとぎ話では、お姫様と騎士はいつも一緒にいるはずなのに……。


 ……なんてことをボーッと考えながら、一方でルーカスは自分が子供のように屁理屈をこねているだけであることをわかっていた。深刻な問題から逃げているだけなのを自覚していた。でもやめられない。彼女なら、ウーィルならば、それすらも許してくれると確信している。


 そもそも、彼は私の守護者だ。いつも護ってくれるって言ってくれたじゃないか。騎士団のお仕事の都合があるのだろうけどさ、もう少し私の気持ちもわかってくれてもいいんじゃない? レンは守護者のネコちゃんといつもいっしょなのに、同じ転生者としてこれは不公平というものだ。ずるい!


 そうだ。ウーィルを私の護衛役にしてくれるよう、騎士団のバルバリさんに、……いいえ、お父様にお願いしてみよう!


 唐突にそんなバカなことを思いついた自分にあきれ、おもわず笑ってしまう。


 うん。うん。やっぱりウーィルだ。彼女の顔を思い浮かべるだけで、心の重荷が消えてしまった。私には彼女が必要なんだ。







 運転手がブレーキを踏んだのは、その時だった。殿下の顔から笑みがこぼれ、それに気付いた護衛の騎士が目をそらしてふたたび見て見ぬふりをしたちょうどその瞬間、かん高い音とともに車が急停止したのだ。


 寄宿舎まであと十分ほどの地点だろうか。公都中心部の官庁街を過ぎ、周囲は緑に覆われた広い林。門はまだ先だが、すでにハイスクールの敷地の中だ。この時間、人通りは極端に少ない。


「なにがあった!」


「女の子が……」


 騎士に問われた運転手が答える。


「女の子、だと? こんな時間? こんなところに?」


 窓を半分あける。停止した車の前方、ヘッドライトの中に女子の制服の人影が座り込んでいる。


 こんな時間に、ハイスクールの女子学生が?


「……絶対にエンジンを切るなよ! 私に何かあったら問答無用で発進するんだ、いいな! 殿下は伏せていてください」


 騎士は自動小銃を手に、用心深く車の外にでた。






 このあたりは街灯も少ない。しかし、金色の満月の輝きが眩しいほど足元を照らしている。


「お、おい。大丈夫か?」


 座り込んでいる女の子の顔を覗き込む。そして、彼は息をのんだ。白い瞳はこちらを向いているが、口を開く気配はない。表情というものが一切ない。まるで死人のような顔。


「君はいったい……」


 後ろから叫び声。運転手の声だ。


「な、なんだ貴様!」


 とっさに振り向けば、エンジンがかかったままの車の横、制服姿の男子学生がドアを開け運転手に殴りかかっている。


 学生を装ったテロリスト? いつのまに、どこからあらわれた! ……殿下は?


 護衛対象を護るため、騎士は踵を返す。しかし走れない。さきほどの女子学生が脚にすがりついているのだ。


「はなせ! ……殿下!!」







「こっちよ」


 言われたとおり後部座席で伏せていたルーカス殿下は、いきなり耳元から声をかけられた瞬間、心臓がとまるかと思った。


 おそるおそる顔をあげると、いつの間にか隣の席に人が座っていた。


 ……仮面の少女?


 同じハイスクールの制服の少女。眼だけを隠す仮面を付けている。細い二本の腕が、いきなり殿下の首に絡みつけられた。そして、顔が近づく。正面から見つめ合う。


 !


「声を出したって無駄よ。護衛も運転手ももう寝てるわ」


「き、君は……」


 この瞬間ルーカス殿下にはわかってしまった。これから彼にどんな不幸が降りかかるのか。


「殿下。心配しないで、同級生のよしみで殺しはしない。あなたには私たちの仲間になってもらうわ」


 仮面越しにみえる少女の瞳は真っ赤だ。可愛らしい唇の端から、白い二本の牙が覗いている。彼女は、ヴァンパイアだ。



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