【再改訂版】正義公記〜名門貴族に生まれたけれど、戦国大名目指します〜

持是院少納言

プロローグ

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 夕闇の中、篝火が城中の庭を照らしていた。篝火が照らす庭には、幾本かの桜が満開に咲き誇っている。篝火に照らされた桜は、夕闇の中、妖しい美しさを醸し出していた。

 その庭の中で、一人の見事な鎧を身に纏った武者が、桜に魅入っている。周囲には、護衛と思われる武者たちが周囲を警戒していた。

 桜に魅入っている鎧武者こそ、武者たちを率いる総大将である。攻め落とした軍勢の中で、最も立派な甲冑を纏っており、総大将に相応しい威厳を備えた男であった。


「桜は、いつ観ても美しいものだ。京の桜を思い出させられる。生家の桜が恋しくなるのは不思議な心地だな」


 総大将は故郷である京の生家の桜を思い出し、郷愁に耽っている。


「どうせなら、この桜も戦装束では無く、宴の席で観たかったものよ」


 独り言を呟き終えた総大将は、僅かながら淋しさを湛え、庭の桜とは反対の城中へと目を向ける。

 庭の風雅な雰囲気とは打って変わって、城中は血臭が漂い、死体が転がっていた。

 城の館の中には、宴の席の用意がされていた様だ。総大将が宴の席で桜を観たかったと言ったのは、この日に花見の宴が予定されていたからであろう。

 しかし、その宴が催されることはなかった。

 攻め方の奇襲と城内に潜入させていた間者たちによって、迅速に城を落としたが、死体の中には明らかに武装した兵の数が多い。奇襲の前から戦支度をしていたことが見受けられる。

 本日は宴であったはずなのに、城中の兵たちが戦支度をしていたのは、おかしいと思うはずだが、攻め落とした側の者たちは、宴であって宴ではないことを知っていた様子であった。

 総大将の男は、護衛に囲まれながら館の庭にて、桜を眺めていたが、そんな一時も慌ただしく終わりを告げる。

 総大将の元へ甲冑を身に着けた武者が現れたのであった。武者は、片膝を着くと大将に対して報告をする。


「亞相様、久々利悪五郎めを捕らえました」


「甚六、大義であった。よくぞ悪五郎めを捕らえた。されど、悪五郎のやつも自害せぬとは意外であったのぅ」


 亞相と呼ばれた総大将は、報告に参じた甚六と呼んだ武者を労う。そして、報告された内容に対して意外であると、少し困惑していた。


「亞相様、悪五郎めは往生際が悪く、申し開きしたいと申しておりまする。如何なさいますか?」


「悪五郎め、申し開きも何もあったものでは無いと言うに、往生際の悪い奴だ。あやつが、私を宴に招いて殺そうとしていた証など、忍ばせていた間者たちが集めておる。まぁ、良い。悪五郎めが、どの様な申し開きをするつもりなのか聞いてやろうでは無いか。悪五郎をここに連れて参れ」


 亞相は、甚六に捕らえた悪五郎を引き出すよう命じる。

 亞相と呼ばれた総大将は、斎藤大納言正義と言う部将であった。亞相とは、大納言と言う官位の唐名ある。

 斎藤大納言は、美濃国を国盗りした乱世の梟雄「斎藤道三」の養子であった。そして、時の関白近衞稙家の庶子である。

 その貴種の血筋を考えれば、大納言を自称していても、多くの人々は許容せざるを得ないのかもしれない。

 甚六と呼ばれている武者は、弓の名手と名高き大嶋甚六光義である。甚六は力強さを感じさせられる立派な武者であった。


 暫くすると、大嶋甚六とともに兵に両脇を抱えられながら、縛られた男が連れて来られる。

 城の庭に引き出され、跪かされた男こそ、斎藤大納言の配下である久々利城主の久々利悪五郎頼興であった。その姿は、所々に傷を負い、甲冑にも数多の破損が見受けられる。

 その様な惨めな姿で引き出された久々利悪五郎は、斎藤大納言の姿を見ると、大納言を睨みつけ、怒鳴り散らす。


「亜相殿!宴席に招いたのに、いきなり奇襲を仕掛け、当家の城を攻めるとは、如何様な御積りか!?」


 斎藤大納言は溜息を吐き、呆れ果てた様子で応える。


「悪五郎よ、酒宴に招き、私を謀り殺そうとしたことは、分かっておるのだぞ?」


 久々利悪五郎は、斎藤大納言の言葉に少し狼狽えたものの、再び大納言を睨みつけ、怒鳴り散らす。


「亞相殿ともあろう御方が、その様な偽りを申されるとは!亞相殿は、誰ぞに誑かされたか、わしの所領を欲したのでは無いのか!?そもそも、わしが亞相殿を討とうとその様な証はあるのか!?」


「証か……。証ならあるぞ。この者を存じておろう?」


 斎藤大納言は、久々利悪五郎の態度に呆れつつも、側に控えていた武者に声をかける。その武者は館の方へ走ると、1人の男を連れて戻った。その男は、斎藤大納言の前に跪くと、幾つかの書状へと差し出す。

 斎藤大納言に書状を差し出した男の姿を見た、悪五郎は目を見開き、驚きに顔を染めることとなった。何故ならば、その男が自身に長らく仕える家臣だったからだ。男は斎藤大納言の調略を受け、寝返っていたのである。


「これらの書状を読むと、其方と養父上斎藤道三の遣り取りが書かれておる。その内の一通には、私を殺すように書かれておったわ。申し開きはあるか?」


 斎藤大納言が久々利悪五郎を問い詰めるが、悪五郎は戸惑い怯み、反論出来ずに押し黙るしかなかった。


「私は、其方のことを初めから信じてはおらなんだ。故に、其方の家に間者を入れ、家臣たちの中にも内通する者を増やしておいたのよ」


 斎藤道三からの斎藤大納言を暗殺する様に指示された書状と大納言方に内通していた家臣を見せつけられ、久々利悪五郎は顔色を悪くさせている。しかし、斎藤大納言から、最初から信用させておらず、家中に間者を入れ、調略を行っていたことを打ち明けられると、久々利悪五郎は観念したのか、開き直った様に語り始める。


「ふっ……。初めから信じておらなかったか…。よもや、間者を入れられておったとは…。家臣たちも調略を受け、内通した者たちによって、この様か…。其の通りよ!御主の養父である山城守殿斎藤道三の命で、御主等を始末するつもりであったわ!」


 饒舌に語り始めた久々利悪五郎に、斎藤大納言は顔を顰める。間者の報せの通り、養父の斎藤山城守斎藤道三は、久々利悪五郎に命じて、斎藤大納言を殺す手筈であった様だ。

 斎藤大納言は、久々利悪五郎が語るのを手で制し、家臣たちに黙らせる様に合図をする。養父の斎藤山城守とは表面上の関係は悪くは無い。このまま、久々利悪五郎に語らせて、斎藤山城守との不和を家中に広める訳にはいかなった。

 そのため、斎藤大納言は、久々利悪五郎に裁定を告げる。


「悪五郎よ、それ以上は何も語らずとも良い。甚六、悪五郎の首を刎ねよ」


 斎藤大納言は、口封じを含めて久々利悪五郎の首を刎ねるよう、大嶋甚六に命じた。久々利悪五郎は最期の悪あがきか、大声で叫ぶ。


「亞相よ、御主の力は大きくなりすぎた!山城守殿は、御主の血筋と才覚を恐れられたのよ!山城守殿が生きておられる限り、御主の心が安んずることはあるまい!」


 それが、斎藤大納言が耳にした久々利悪五郎頼興の最期の言葉であった。久々利悪五郎は、大嶋甚六と兵たちに引っ立てられ、首を刎ねられた。久々利悪五郎の処刑を終えた大甚六から、悪五郎の辞世の句を知らさせる。しかし、斎藤大納言が興味を持つことはなかった。

 斎藤大納言の頭の中には、久々利悪五郎が最期に放った言葉が残り続けている。斎藤山城守が恐れる斎藤大納言の血筋と才覚とは。そのどちらか無ければ、斎藤山城守は大納言を殺そうとしなかっただろうか。

 特に、斎藤山城守が持ち合わせていなかった名門の血筋は、潜在的脅威であった。斎藤山城守は、父である長井豊後守長井新左衛門尉から始まる、油売りからの成り上がりの出自と言われている。斎藤山城守が美濃守護の土岐氏を追放し、美濃国を実質的に手中に収めたいた。しかし、名門出身の国人が多い美濃国の統治が上手くいっていないのが実情であった。

 美濃国の有力国人たちは、守護の土岐氏が追放されると、斎藤山城守を疎んじる様になっていた。

 斎藤山城守にとって、美濃国の有力国人たちが、自分たちに取って代わろうとするか。また、斎藤大納言を神輿に担ぎ上げる可能性も皆無とは言えなかったのである。

 斎藤大納言が斎藤山城守の意向に反したり、勢力を大きく拡張していることも、山城守にとっては不安材料となっていた。

 斎藤大納言は、名門中の名門である攝家近衞家の生まれである。天皇に次ぐ貴種の家の血筋でありながら、大きな力を付けていく様は、斎藤山城守にとって潜在的脅威となっているのである。


 斎藤大納言は、久々利悪五郎の最期についての報告を受け終えると、身体の力が抜けた様に、庭に用意されていた床几に腰掛けた。


「これで、私の死は遠ざかったか……」


 この日、久々利悪五郎頼興は死んだ。

 本来であれば、斎藤大納言が死ぬはずであった。しかし、斎藤大納言は死ななかった。

 何故なら、斎藤大納言が久々利悪五郎によって殺されるのが分かっていたからだ。その死を回避するため、斎藤大納言はあらゆる手を尽くしてきた。その成果が久々利悪五郎の死と斎藤大納言の生存である。


 久々利城の庭に咲く桜が風によって、舞い散る。桜の花の様に散ったのは、久々利悪五郎の生命であり、斎藤大納言の生命ではなかった。

 こうして、死の危険から逃れた斎藤大納言正義は、自身が知る未来の知識と知らない未来へ向けて、歴史を大きく塗り替えて行くこととなるのである。

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