第34話 仕返し
悔しがる茂部さんをなだめて学校をでる頃には、仄暗い空が広がっていた。
視線を遠くに向ける。彼方の地平には赤褐色の筋が横一線。その上を濃藍の空が埋め尽くしている。
その狭間が不気味な曖昧さをもって僕たちを出迎えていた。
「じゃ、僕こっちだから」
三人共どこかに寄って行こうという雰囲気ではない。それもあって、家の方向が違う二人とは早めに別れることにした。
茂部さんとしては、ヒサシ君と二人きりのほうが良いだろう、という僕なりの気遣いをしたつもりでもあった。
「ああ」
ヒサシ君はいつもの調子で軽く手を上げてくれた。
しかし茂部さんはあまり喜んでいるような素振りはない。どころか、普段学校で見せる姿。よく言えば快活な明るさ。悪く言えば喧しく騒がしい元気さ。
そのようなものが全く感じられず、ひどく落ち込んでいる様子で
「うん」
短く答えただけだった。
家に帰る途中。
駅ビル内にあるオーディオショップに立ち寄る。
いくつか気になっていた機器があったので、それらを何ともなく眺めていた。
その後、別フロアにあるゲームソフトのコーナーにも足を向けた。
このまま山瀬さんが学校に来なくなったら。
僕は恋人ではないし、そもそも友達と胸を張って言えるほど彼女の事を知っているわけでもない。
そんな僕でも山瀬さんにしてあげられる事。
どんな事があるだろうかと考えていた。
「ゲームなら一緒にやってくれるかな」
家の中でできるし、ボイスチャットだってある。
ヒサシ君や茂部さんも誘ったら、楽しく遊べるんじゃないか。
それくらいのことなら、僕でも役に立てるかもしれない。
山瀬さんもプレイしていたというオンラインゲーム。パッケージを手に取り、そんなことを考えていた時だった。
がやがやと騒々しく耳に入ってくる電気店特有の雑踏の中。僕はそれに気づけてしまった。
こうなることは、ある程度の予測はしていた。
だがあまりに早く。あまりに唐突だった。
しかしむしろ。
そのほうが都合が良いと僕は思えた。
ズボンのポケットの中を確認するべく。
ぽんと叩いた。
ほどなくして、駅ビルを後する。家路についた。
「ふぅ」
一つ大きく息を吐きだす。
あくまで冷静を保つ。ゆっくりと歩を進める。
空を見上げた。
先ほどよりも随分と雲が出てきている。陽が沈んでいてもわかる程にどんよりと厚みがあって薄気味が悪い。
この時期この時間にしては珍しいくらいに闇に覆われている。
でも僕は敢えて人通りの少ない場所で足を止めた。
横を見ると白いトラックが数台並んだ駐車場。
反対側は工場の外壁だ。
もう少し行けば民家が並んでいるが、これ以上進むのは危険だと思った。
自宅がバレる可能性がある。それが嫌だった。
それに『向こう』もタイミングを見計らっているのは間違いなかった。
不意打ちを受けるより。先手を打つべきだと僕は判断したのだ。
だから振り向く。
「ねぇ……もう止めようよ」
わざとらしくないよう、あくまで自然に手をポケットに突っ込む。
だが返事はない。しんっと静まったままだ。
近くの道路を走る車の騒音が静寂をかき消した。
その走行音が遠くに消える頃。彼はやっと姿を現す。
先ほど僕が通ってきた曲がり角の陰から大きな体が見えた。
「バレてるとはな。……驚いたぜ」
照度の低い街灯に照らされた彼の顔は青白かった。
それとは対照的に見開かれた目。血走っているのかやけに赤々としている。
昔話の絵本に出てくる鬼の形相のそれだった。
「人間って、存在を完全に消すことなんてできないんだ。その場にいるだけで微妙に空気が揺れていたりもする。さっきの電気店から気付いてたよ」
「……マジかよ」
「僕ね。すごく耳が良いんだ」
「そりゃすごいねぇ……さすが
煽るように言う
だが僕は怯むことはない。
「それにね。狙うとしたら僕だろうなって思ってた。君にとって今一番鬱陶しい人間。それって僕だもの」
彼は僕が学校から出てくるのをずっと待ち伏せしていたのだ。
そして一人になるのを。
彼が何をする為にここにいるのか。聞く必要は全くない。
彼自身、隠す気も毛頭ない。
手には鈍く光る銀色のものが握られている。
刃渡りはそれほど長くはない。
だが、彼の身体能力と暴力性をもってすれば、僕を確実に仕留めることが可能なものだ。
そんな危機が目の前にある。
でも僕は不思議なくらい。驚くほどに。
冷静を保ってこの状況を分析していた。
「山瀬さん。大きなケガはないって」
自然と少しだけ口角が上がっていた。
「そうかい。そりゃよかった。まあ、あんな女。どうでもいいけどな。あのレベルなら他にいくらでもいる」
「でも、すごく傷ついてる。心が受けた傷はとても深いよ」
「だから?」
「だから僕は。君を許さない」
彼の真っ赤な目を。強く激しく睨む。
僕が歯向かうことなど彼の世界ではあり得ないことを知りながら。
当然のごとく彼はさらに目を見開く。
顔を歪ませ激高する。
「許さないだと!?」
だが、それは一瞬だった。
流れるような動作でナイフをもった手を胸まで上げた。
見せつけるように。
「庶民風情が。お前にそんなこと言う権利あるわけねぇだろ。相変わらず身の程ってヤツを知らないな」
「そうだね。僕は君みたいなイケメンでもないし、勉強も大した事はない。家も母子家庭で、お金持ちでもない。ヒサシ君みたいにケンカも強くなければ、茂部さんみたいな度胸もないよ」
「は? 俺からしたらあいつらもお前と大差ねぇけどな?」
「それに山瀬さん。僕はあの人みたいな綺麗な心も持ってないし、優しくもない」
「……お前……さっきから何言ってんだ?」
「同じ土俵で戦う必要なんてないって事だよ」
「わけわかんねぇ……。当たり前だろ? 俺は上流階級でお前は庶民。つまり下流だ。同じ土俵なわけねぇだろ。俺は何しても捕まらないし、全てから守られているんだよ!」
「俺は特権階級の人間なんだよ!」
「そうかもね……。そうなんだろうね。……でも君は僕に勝てないよ」
「……は、はは! 耳は良くても目は悪いか!? ああっ!? これが見えてないのか、お前!?」
手首をひらひらと器用に回す。
刃が街灯を反射してちかちかと僕に光りを届けた。
「ううん。ちゃんと見えてるよ。……君の終わりもね」
僕は敢えて煽るような口調で言う。
いくら万能の
この状況に冷静でいられるわけがない。
だから冷静を失えば失う程に。スキが生まれると踏んだ。
その予想は的中する。
「時枝ッ! 時枝ッ!! 時枝ァッ!!」
彼はいきなり声を張り上げる。
獣が威嚇する時に放つ雄たけびのような大声だ。
「うんざりだッ!! 邪魔なんだよ、お前! なんで山瀬はこんなヤツを選ぶっ!! なぜ俺を選ばないっ!!」
言うや大野は一気に距離を詰めてきた。
ゴォと風を切って迫りくる。
その勢いはまさに獲物を狩る猛獣のよう。
彼はたしかに冷静さを欠いていた。
けれども人を刺す事に躊躇いは一切なかったのだ。
剥いた牙をギラギラ光らせて。僕の胸をめがけて――。
「死んどけっ!!」
彼があと一歩踏み出したら危険だというタイミング。
僕はポケットに突っ込んでいた手を素早く引き抜いた。
手にはスマホが握られている。
スマホの背面からは煌々たる光りが発せられている。
それを彼の目に向ける。光を直撃させた。
「ッ! 目がっ!」
ポケットの中でスマホのライト機能を作動させていた。
暗い中で唐突に強烈な光を浴びた
うろたえ叫ぶ。
「どこだっ! 殺してやる! 殺してやるっ!」
だが彼はさすがだった。
一瞬のスキに安全圏まで移動していた僕だったが、野生の勘でもあるのか。しっかりと僕にナイフを向けてくる。
ぶんぶんっと音を立て、ナイフを振るう。
距離を取って。その姿にスマホを向け続ける。
だがこんなものは小細工だ。
ほんの数秒程度しか目眩まし効果は持続しないことはわかっている。
案の定。
「て、てめえぇッ。小賢しい真似しやがってっ!!」
でもそんなことは。
僕だって予測している。
「ねぇ。さっきさ。何をしても逮捕されない。そう言ったっけ?」
「あぁん!?」
新たな殺意を持って対峙する
僕は静かに。冷静な声音で言う。
「じゃあ、こういうのはどうだろう」
彼にスマホの画面を見せたままフリック。ぽんっと押した。
『死んどけっ!!』
きっとスマホの画面には、これをみている本人の姿が映っていることだろう。
『どこだっ! 殺してやる! 殺してやるっ!』
彼の口がだらしなく開いた。
「……お、お前。動画撮ってやがったのか……」
「……それだけじゃないよ。よく見て」
僕は彼に画面を向けたまま言う。
この動画はLAINに投稿済の動画だった。
他人から気持ち悪がられる程のスマホ操作ができる僕にとって。
画面など見なくともこの程度の操作は簡単にできる。
「……な……なにやってんだ……お前」
彼は動揺を隠しきれず戸惑っている。
その隙をついて僕はスマホの画面をちらりと見た。
こればかりはさすがに画面を見ないと僕でもわからないからだ。
でも案の定だ。
この動画付きメッセージには、既読マークが付いていた。
「見て。既読ついてるね。教えてあげる。相手は茂部さんだよ」
「……いつの間に……そんなことを……」
あ、ああ……。
情けない声を
僕はそれを横目にするすると指を動かす。
遠慮なく別のアプリを開いて見せる。
「これはなんだか知ってる?」
トイッターと呼ばれる短い文章を投稿できるSNSアプリだ。
「まだ投稿してないけどね。あと1タップすると全世界にこれ広まっちゃうだろうなぁ」
「ちょ、ちょっと待て時枝……。それはやめろ。さすがにダメだろ……。や、やりすぎだ……」
「へぇ? さすがにダメ? 何が?」
「当たり前だろっ! そんなことしたらどうなるか位わかるだろうが! 絶対投稿すんじゃねぇぞ! やめろっ!」
「そうだね。どうなるんだろう? 僕を殺そうとナイフ向けて襲ってくる同級生。そんな動画、バズるかなぁ?」
「バカなこと言ってんじゃんねぇ!」
慌てるようにスマホに手を伸ばしてくる
「動かないでよ。押すよ」
「――ッ」
面白いくらいに彼はその大柄な体の動きを止めた。
トトッ。スルスル。
僕は指を動かしフリックする。
トン。最後に画面をタップ。
「『殺人現場。撮影成功』……うーん、ちょっといまいちかなぁ。どう思う?」
「やめろって……悪かった。な? 悪かったって言ってんだろ? 冗談だって! ほら。お前ならわかってくれるだろ!? なぁ時枝! 俺たち友達じゃねぇか!!」
「あははっ!!!」
わざとらしく、本当にこれでもかというほどわざとらしく笑ってやった。
「大丈夫だよ。ユウヤくん。僕も冗談だって」
容赦なくスマホの画面をタップする。
スマホから放たれた電磁波は全世界を一瞬にして駆け巡る。
誰でも。何処でも。
僕が投稿した動画は閲覧可能となった。
もしこの投稿が消されたとしたって、世界のどこかの端末にはダウンロードされていることだろう。
もう誰にも永遠にだ。抹消することはできない。
絶望の表情とはまさにこういうことか。
彼はがくりと膝をついて項垂れている。
こんなにも醜い顔をしているとは知らなかった…………いや、前から知ってたか。
その投稿にグッドマークがつくまで5秒もかからなかった。
おめでとう。
世界デビューできたね。
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