第19話
『ホテルのレストランで夕食をとった後、
ミライは断言した。
しかもそれはヒサシ君から聞いた話とも合致しているところがある。
偶然にしては出来過ぎだ――。
そんな事件じみた話しをまるっと信じているわけではなかったけれど、居ても立っても居られない心持ちなのは、僕にだって意地というものがあるからだ。
ミライにあんな言われようをされて黙っていられるほど、低いプライドは持ち合わせていない。
厄介なことに陰キャってヤツは、プライドだけは高かったりするのだ。
それに『いま何もしなかったら、後で絶対に後悔する』と言われたことがどうにも引っかかっていた。
「ちょっと出かけてくる。夕飯はいらないかも」
土曜の夕方。リビングにいる母にそう言って家を出た。
小言の一つや二つは覚悟していたが、「そう」と適当な返事が返ってきただけだった。どうやら今日は機嫌が良いらしい。
それでも
それは妹よりも僕のほうが母からの信頼が高いからではないし、もちろん甘やかされているからでもない。
単に、父親似の僕に対してさほどの興味も期待もしていないからだ。それくらいはわかっている。
行く先はもちろん帝国プリンス。
海外の要人が来賓した際にも使われるという、僕ですらその名を知っているいわゆる五つ星認定の超高級ホテル。
念のため、上は白シャツ、下はスラックスといったそれなりに気を使った格好をしてはみた。が、所詮は安物の服であり、それを着用するは庶民の僕。
より一層学生感が出てしまっただけだった。
学生らしき青年がホテル前でうろうろしていたら余計怪しまれそうだ。
いっその事ホテルの中で待つか。と考えたが、そもそも客でもない人間がホテルに立ち入る事ってできるのか? それすらわからなかった。
ううむ……二人が来るかどうか、それを見張るだけだというのに。
緊張と不安しかない。
電車でホテルに向かった。
ホテルの最寄り駅で電車を降り地下道を通って地上に出た。
駅前は勢いよく車が行き交い、通りには人がごった返していた。
スマホ調べによれば、ホテルまでは一本道。ここから徒歩5分もかからない。
緑の多い大きな公園を右手に進めば着くはずだ。
一応スマホのマップアプリを頼りに進んでいくとすぐにそれらしき建物が視界に飛び込んできた。
他とは明らかに違う偉容の高層ビルが目の前にそびえ立っている。
「……たっか……」
見上げながら独りごちた。最上階が空の先だった。
場違い感が一気に襲ってくる。
その威容に少々気おされつつもホテルの入り口近くまで歩いていく。
するとガラス扉の向こうに巨大なシャンデリアや重厚感のあるフロントが見えた。
見える何もかもが、ぎらんぎらんに輝いている。
「どうだ! これが最高級だ!」といわんばかりに。
これはある種、脅しではなかろうか。
押し寄せる敗北感。僕は無駄に悩んでいたことを悟った――。
僕のような高校生が一人でこのホテルに入るなんてできるわけがないと。
というか、入り口には制服を着たホテルマンが、まるで城門に立つ衛兵のようにぴしりと背を伸ばして客が来るのを待ちわびている。
彼らに見つかろうものならすぐにでも御用のごとく声をかけられてしまうだろう。
僕はくるりと体を翻すしかなかった。
これ以上の接近は無理だ。撤退――。
本丸に近寄れないことはわかったが、まだ勝利の女神は見捨てないでいてくれた。
駅から歩いてくるにしても、対向車線側の公園から横断歩道を渡ってくるにしてもだ。このホテルに辿り着くには、今僕が立つ場所。
ホテル近くの歩道は必ず通るしかないということだ。
だから僕は、公園へと続く横断歩道の近くで待つことにした。
歩道はそこまでの広さはないし、ユウヤ君は背が高い。
それに山瀬さんと一緒ならすぐに見つけられる自信はあった。
駅と公園にちらちらと目をやりながら待つ。
20分……30分経過。
二人は現れない。まあそんなすぐに来るとは思っていない。
スマホで時間をつぶしながら、さらに1時間が過ぎた――やはり現れない。
足の裏にはじんわりとした痛みが蓄積されてきた。
それから待つこと15分。
そこで僕は至極当たり前の疑問に思い当たった。
――いつまで待てばいいんだ?
そもそもだが、ミライの言っていることが間違っていたとしたら、いつまで待とうとも二人がここに来ることはない。
陽は傾き始めている。
よし……あと30分。それを限度と決めた。
心も新たに視線を公園に向ける。
その時だった。
公園の緑の間に上背のあるすらっとした体格の男と明るい髪色をした女の子が並んで歩いているのがちらりと見えた。
かと思うとすぐに人ごみに紛れてしまった。
僕は少し場所を移動して覗くようにそちらを見やる。
すると先ほどの二人組が人影の隙間にしっかりと確認できた。
瞬間、心臓が高鳴った。
――嘘だろ。
その二人組はユウヤ君と山瀬さんに間違いなかった。
彼らはこちらに渡るため、信号が変わるのを待っていた。
ユウヤ君はネイビーのジャケットを羽織っており、細身のパンツを履いていた。
一見しておしゃれしてますと言った格好だった。
山瀬さんは少し俯き加減でユウヤ君の隣に並んでいる。
ユウヤ君とは対照的にパンツを履いた少しラフなスタイルだった。
ミライの言っていたことが的中したことに、その事実を目の当たりにしたことに、手が震えた。
身動きできずに僕はただその場に立ち尽くした。
内心、二人がこの場所に現れるなんてあり得ないだろという思いがどこかにあった。
どこぞの有名な予言者だとしたって、こんなにもピンポイントの情報を当てることはできないだろと思っていた。
いわば僕は「やっぱり二人は来なかったじゃないか!」とミライを責める為にここに来ていたところがあった。
けれども間違いなく二人が目の前にいる。
信号が青に変わった。二人は横断歩道を渡ってくる。
渡り切った二人は、すぐ傍にいる僕に気付かずホテルのほうへ足を向けた。
それほどに近くを通ったにも関わらず、僕はただそれを凝視し、立ち止まっていることしかできなかった。
それはこの状況に動揺していたこともあるが、もう一つ理由があった。
やはり二人はお似合いのように思えてしまったのだ。
先天的ルックスだけじゃない。そのファッションセンスも僕とは格段に違うユウヤ君。カジュアルスタイルでもとても可愛らしい山瀬さん。
僕と山瀬さんが並んで歩くよりも、二人が並んで歩く姿は明確に均整がとれていた。
自分の服装をみすぼらしく感じ、情けなさに包まれた。
その劣等感が僕の足も心も地面に縛り付けていた。
だが、二人が僕の前を通り過ぎた数秒後だった。
突如ユウヤ君がこちらを振り向いた。
一瞬視界に入った物があとから気になりだして確認した、というような何気なく見ただけの彼だったが、そこに僕を認めた時、彼はびたりと動きを止めて固まった。
そしてこれでもかという程に目を大きく見開いた。
口をパクパクと虚空を噛むように動かした。
「は? え? な、なんで
ユウヤ君につられて山瀬さんも僕のほうを見た。
「と、
山瀬さんは手を口に当て上ずった声を出した。
そして一瞬だったがどこかほっとしたように口元を緩めた。
何も根拠はなかったけれど、それを見た僕は少しだけ勇気が湧いた。
「や、やあ……ぐ、偶然だねぇ……」
その割に何とも気の抜けた声しか出なかったのだが。
「は? はあっ!? な、なに? お前何してんだよ!」
「いや、だから偶然……だね……って」
「んなことあるわけねぇだろっ!」
ユウヤ君は突然のことに動揺しているのか、やたらと早口で僕をまくしたてる。
「山瀬っ! お前か! まさか
「…………」
感情的になって問うユウヤ君。だが山瀬さんは答えなかった。
3人の間に沈黙が降りた。僕がかわりに答える。
「山瀬さんからは、何も……聞いてないよ」
「じゃあ、なんでお前はここにいるんだ!」
「いや、なんで……って言われても……だから偶然……」
「……ふざけっ……! おい、行くぞ! こんなヤツに構ってられっか!」
強い語気で言うと、ユウヤ君はこの場を足早に立ち去った。
だが呼ばれた本人である山瀬さんは、立ち止まったまま動かなかった。
すでに数歩進んでいたユウヤ君はそれに気づくとずかずかと戻ってくる。
「山瀬っ!!」
「……あ……うん。でも……」
山瀬さんは何度もユウヤ君を見たり僕を見たりを繰り返している。
ユウヤ君はそんな山瀬さんにイラつきを隠さなかった。
先ほどよりも鋭い声で呼ぶ。
「早くしろって!」
山瀬さんは体をびくりとさせた。
僕もユウヤ君の気勢に
「二人とも……ちょっと待ってもらえないかな……」
勇気を出し、声を絞り出した。
「あ?」
「あの、もうこういうのはやめて欲しいんだけど……」
「は?」
短くかつ単調に答えるユウヤ君。
敵意を持った眼で僕を睨みつけてくる。
「こういうのってなんだ?」
「だから……山瀬さんがユウヤ君とデートしてるのって、僕へのいじめ――。それを止める為なんでしょ……」
それを聞いた山瀬さんは口の中で「えっ」と小さくつぶやいた。
ユウヤ君は驚きの表情を浮かべていた。
しかし少しだけ間をおいてから、とても冷たい声音でいった。
「お前、それ誰から聞いた」
「……」
「誰に聞いたんだっ! 言えよ!」
怒鳴り散らすように叫び、僕の胸を右手でドンっと強く押した。
「――ッ!」
数歩後ろによろめいた。が、なんとか倒れずには済んだ。
しかしぎょろりと目を見開いたユウヤ君は足早に詰め寄ってくる。
「ヒサシかっ!? あいつが言いやがったのかっ!?」
「ち、違う……ヒサシ君じゃないよ」
本当のところはミライとヒサシ君だが、ミライのことは説明のしようがないし、ヒサシ君を売るような真似だけはしたくなかった。
「じゃあ、誰だよ!?」
「それは……偶然だって……」
「テメッ……! 偶然偶然って! さっきからふざけてんのかッ!」
胸倉をぐりっと掴まれた。
ユウヤ君の顔が一気に近づいてくる。
僕を睨みつける彼の眼は以前にも見たことがある殺意のこもった眼だった。
確かに偶然というのは大嘘だ。そんなことを言えば僕がふざけた態度をしているように受け取られても仕方がない。
だが冷静に考えれば、この状況はデート中に僕とばったり出会ったに過ぎない。
それにもかかわらずユウヤ君は、異常ともいえるキレ方をしている。
最近目にしたニュースを思い出す。
粘着質で悪質な煽り運転者。
気に入らないことがあるとカッとなって怒鳴り散らす高齢者。
威圧的な態度をとって相手をねじ伏せようとする者たちと同じだった。
やはりこれが彼の本来の姿であり、本来の性質なのだ。
疑惑だったものが確信へと変わっていく――。
――彼は山瀬さんを襲う気だ。
だからなのだ。その下心がこんなにも彼を焦らせ、イラつかせ、動揺させているに違いない。
話してわかる相手じゃない。
かといって歯向かっても勝ち目はない。
……だとしても……だ……。
ここで引くわけにはいかない――っ!
僕はユウヤ君を睨み返す。
「誰に聞いたとか、なんでここに居るとか、そんなの別にどうでもいいことじゃないかな。こういうのはやめてって僕は言ってるだけだよ」
まさか僕が歯向かってくるとは思いもしなかったのだろう。
ユウヤ君は一瞬呆気にとられたように口を開いた。
直後、双眸がカッと見開かれた。
「んだとッ!?」
「山瀬さん、僕のためにユウヤ君とデートしてるんでしょ。こんなのはやめて。そんなの嬉しくないよ……」
「
「山瀬は黙ってろッ!」
ユウヤくんの恫喝に山瀬さんはビクッと震えた。小動物のように身を小さくしている。
きっとユウヤ君のこういう姿を見るのは初めてなのだ。
男の僕だって怒っているユウヤ君は怖い。
女の子である山瀬さんなら当然だろう。
「うん。知ってた。だからもうやめて欲しいんだ……」
言ったとたん、胸倉にあったユウヤ君の手に力が込められた。
彼の拳が胸から喉に突き刺さってくる。
その力の入れ方に手加減はない。僕は押されて2歩ほど後ずさる。
「時枝ごときが! 何勝手なこと言ってんだ!」
ごとき……?
じゃあユウヤ君は何様なんだろう?
山瀬さんをこれからどうしようっていうんだ?
どうして山瀬さんはこんなにもおびえているんだ?
『女の子は何があっても守ってあげろ。どんな事情があってもだ』
昔、お父さんに言われた言葉が突如として思い出された。
そうだ。山瀬さんを守らなければ――。僕が守るんだ。
意識せずに僕の手は動いていた。
締め上げるユウヤ君の手を掴んでいた。
両の手に力を込め抵抗をしていた。
「いっ、言うさ!
「お前の意見なんざどうでもいいんだよ! これは俺と
「
「
「それはユウヤ君が決めることじゃない!」
「
ユウヤ君は大きな拳を振り上げた。
やはり恐怖が勝る。体が竦んだ。
「大野君っ!」
まさに殴りかかろうとするユウヤ君の前に、
「んだよ! どけッ!
「……約束したじゃん!」
「どけって言ってんだ!」
「その手、おろして……!」
「
「
だが、震えながらもしっかりと自分の意思をユウヤ君に伝える。
「さっきから私との約束守ってないじゃん……殴るってことだけじゃないよ……」
二人の間に無言が訪れた。
そしてユウヤ君は脱力したように振りあげた手を下ろす。
僕の胸からも手を離した。
山瀬さんは女の子だ。
ユウヤ君との力の差は歴然であり、彼から発せられる威圧的な力は同年代の男でも委縮するほどに強力だ。
かつ山瀬さんは今、契約的なデートをしなければならないという状況にもあり、立場的に非常に弱い。
けれども彼女は、強かった。
震えながらもしっかりと伝える山瀬さんは、間違いなく僕よりも強く、ユウヤ君よりも大人だった。
それに応えられないなんて、男じゃないだろ――。
「ユウヤ君……。僕をいじめたり仲間外れにしたいならそうしたらいい。でも
本当は恐かった。怖くて仕方なかった。
また前みたいに下僕扱いされるのは本当に嫌だった。
けれども
「
「
呟いた
そして引き寄せた。
「山瀬さんこっちに」
自分でもこの大胆な行動には驚いた。
「お……おいっ! 何やってんだ!」
ユウヤ君も驚いて叫んだ。
僕の肩につかみかかり、山瀬さんと僕を引き離そうとする。
彼の体格から繰り出されるその力は、圧倒的な力強さだった。
だがこの時の僕は、彼女を渡す気など毛頭なかった。
つかみかかる彼の手を叩くようにして思い切り引き剥がす。
同時に彼の体を強く押し返した。
「テ、テメエ……ッ!!」
「こんなのおかしいって! 山瀬さんは絶対に渡さない!」
「お前にそんなこと言う権利はねぇんだよッ!!」
雄叫びのような声だった。ユウヤ君はまたしても大きく腕を振り上げる。
だがこれが周りにいた人たちの視線を多く集める結果となった。
体格の大きなユウヤ君。周囲の人達からは恐喝でもしているかのように見えたのかもしれない。
明らかに非難と迷惑の意味を帯びた視線がユウヤ君に向けられた。
体裁には人一倍敏感なユウヤ君だ。
これほどの注目を浴びていた今、それに気づかないわけがなかった。
機械仕掛けの人形のゼンマイが切れた時のように、動きをぴたりと止めた。
そして振り上げられた腕がゆったりと下がっていった。
だが、僕に向けられた視線は鋭いままだった。
「チッ。胸糞わりぃぜ」
声を潜めてつぶやいたユウヤ君はくるりと体を翻す。
「時枝……覚えとけよ」
そう言い残し先ほど渡ってきた信号を今度は一人で戻っていった。
その背はとても大きく、いびつに歪んで見えた。
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