第17話

「なあ、お前。山瀬やませのやってること、知ってんのか?」


 ヒサシ君の言葉の意味が全く理解できず、ジュースのストローをくわえたまま彼を見る。

 ヒサシ君はテーブルに肘をつき、手に顎を乗せた。

 呆れたような表情をこちらに向ける。


「ま、知るわけねぇよな」

「……山瀬やませさんがやってるって、なに?」


 ヒサシ君は窓の外に視線を向けた。

 ちゅぅと音を立ててジュースを飲むと、反対の手で頭をがしがしと掻く。

 コンッ。

 音を立ててカップを置いてすこし気まずそうにしながら話し始めた。


「俺さぁ、昔やんちゃしてたって言ったじゃん?」

「うん。中学の頃ケンカばっかしてたって」

「親にも迷惑かけたと思うし相手をケガさせたりもした。けどよ。それには俺なりの理由? カッコつけて言えば正義ってヤツ。そんなもんがあったわけ。威張り散らしてるヤツとか弱いヤツをいじめてるとか。そういうの見てるとすげぇムカついてさ。だから暴れてたんだ」

「そうだったんだ……。聞いてる限りだと正義の味方みたい。やっぱヒサシ君、いい人って感じ」

「ははっ。んなわけねぇだろ。自分の気に食わないヤツにケンカ吹っ掛けてストレス発散してただけだっての」


 ヒサシ君が自分の昔し話をするなんて珍しい気はした。

 が、それにしてもこの話が山瀬やませさんとどう関係があるのか、それがさっぱりわからない。


「でも高校に入ってユウヤ君に会って。こいつはすげーってマジで思えたんだよなぁ……。こういうのをカリスマ性って言うんだろな。同じ年齢なのにこんなヤツがいるってことに驚いたんだよ」

「うん、それも前に言ってたね」

「だからよ、お前がボコられたり、パシリ扱いされてるの見ても、まあお前にも悪いところあるわなって思えちまってたわけだ」

「確かに……僕が余計なこと言ってるってのはあるかも……」

「けどよぉ、そうだったんだけどよ……」


 ヒサシ君はまた窓の外の視線を投げる。

 座りながらズボンに手を突っ込んで、空を見つめた。

 どこかやりきれないような口調で言った。


「いまユウヤ君がやってること。あれはさすがに認めらんねぇわ」

「……え? ユウヤくんがやってること? 山瀬やませさんとの関係があるの?」

「大ありだよ」

「……全然わからない、なんのことだろ……」

「お前さ、最近学校くるの楽しいだろ?」

「うん、そうだね。すっごく楽しい」

「それに、山瀬やませとも仲良いらしいじゃん?」

「………うえっ!? なんでそれ知ってるの!?」

「ああ、茂部もべから聞いた」

茂部もべさん!?」

「あいつよぉ、この間突然俺のとこきて『LAIN交換してよ』とか言ってきたんだよ。意味わかんねーけど、やたら睨んでくるし、拒否したら何されるかわかんねぇし、なんか怖えーじゃん」

「あはは、そうだね。ちょっと怖い感じあるね……」

「でも、あの超絶ギャルの見た目に反して結構マメなんだよなぁ。どうでもいいこと毎日LAINしてくんだよ。めっちゃ可愛い絵文字使ったりして、なんなんだろな」

「……そうなんだぁ……それは意外だねぇ……あ、あはは……」


 それはですね、茂部もべさんがヒサシ君を好きだからですよ……とはさすがに言えず、笑ってごまかした。

 しかし、ヒサシ君にLAIN交換を直接申し込むとは、その行動力、驚きだ。


「まあ、茂部もべのことは別にいいんだけどよ。お前がいま楽しく過ごせてるのが、山瀬やませのおかげだって言ったら、どうよ?」


 何かとても大事なことを、さらりと言った気がした。


「うん? どういうこと?」


 だから僕はすこし身を乗り出して聞き返していた。

 ヒサシ君はまあまあ落ち着け、と言わんばかりに手で僕を制す。


「なんで僕が学校に来るのが楽しいことと山瀬やませさんが関係あるの? 全然わからないよ」

「だからよ。山瀬やませがユウヤ君に言ったんだよ。時枝ときえだをいじめるのやめろって。だからユウヤ君も俺たちもお前を普通の仲間として受け入れるようにしてるんだよ」


 ヒサシ君が何を言っているのか一瞬理解が追い付かなかった。

 僕が楽しく学校生活が送れるように、山瀬さんがユウヤ君にお願いをしてくれたってことか?


 たしかに僕は、少し前までクラス内では下僕のような扱いだった。

 とてもではないがクラスメイトのことを友達と呼ぶことなどできる関係性ではなかった。


 その関係性が、1か月くらい前から激変した。

 そう確かそれくらいからだった。


 1か月前という響きに僕はふと思い当たった。

 茂部もべさんの画策によって山瀬やませさんとカフェで会ったのが、ちょうどそれくらいの頃だ。


 そこで僕は山瀬やませさんと何を話した?

 彼女は僕に何を言った?


 そうだ、こう言っていた――。


時枝ときえだ君。クラスですごく嫌な思いしてるよね。たぶんそれ、私のせいかなって』


 山瀬やませさんは自分に原因があると思い込み、僕をいじめるのをやめろとユウヤ君にお願いをしたってことなのか。


 確かにユウヤ君は山瀬やませさんに好意を抱いているはずだ。

 だからといってユウヤ君がそんなお願いを――僕を擁護するようなお願いをさらっと受け入れてくれるとは到底思えなかった。


 その考えが的中したことを、ヒサシ君の次の言葉で知る。


「でもお前ならわかるだろうけど、ユウヤ君がそんなお願いをタダで聞くわけねぇよな。実際、交換条件として、山瀬やませに恋人になれって言ったらしいぜ」

「えっ……恋人……?」

「さすがに断られたみたいだけどな。じゃあ毎週土日は俺とデートしろってことで手を打ったらしい。期限付きで山瀬やませはそれを了承したんだってよ。ユウヤ君、嬉しそうにLAINしてきたから間違いねぇよ」


 この一か月の不自然なまでに楽しい日々は全て山瀬やませさんのおかげだったというのか。

 愕然として声が出ない。


「なに、それ……そんな事って……」


 あまりに衝撃的な事実を聞かされ、どう答えたらいいかわからず狼狽うろたえる僕に、ヒサシ君は追い打ちをかける言葉を放った。


「でも、俺が本当に許せねぇのはそこじゃない。その契約的なデートの期限がそろそろ終わるらしくってよ。ユウヤ君、最後にキメてやるってかなり意気込んでんだ。さすがにそれ聞いて引いたわ、マジで」

「……キメる……?」

「ああ」

「……なに? 告白するとか……?」


 薄々そんなことではないだろうと思いながらも、僕なりの恋愛観で精一杯の言葉を口にした。

 けれどヒサシ君からはやはりといわざるを得ない答えが返ってきた。


「アホか。女なんか腐るほど寄ってくるユウヤ君が告白することをキメるなんて言うわけねぇだろ。それに山瀬やませには付き合うことは断られてんだ」

「……じゃあ、どういうこと……?」

「……ったく、言わせんなよ……。ヤルってことに決まってんだろ」

「……へ? ……いや、だっておかしいよ! 今の話を聞いている限りじゃ、山瀬やませさんとユウヤ君って付き合ってるわけじゃないし、山瀬やませさんがそんなことに同意するなんて、僕にはとても思えないんだけど!」

 

 いままで僕を痛めつけてきたユウヤ君のことを思うと、こんなものは僕の希望に過ぎないとはわかっていた。

 けれども僕の常識の中では、これ以上の解釈はしようがなかった。

 ヒサシ君は僕の甘い考えに呆れたように首を振る。


「同意? おいおい……そんなもんユウヤ君に関係あるかよ。ユウヤ君は自分がしたいことをする、それがユウヤ君だってお前も知ってんだろ? そういうところがプラス面に働いている時は本当にかっこいいんだけどな」

山瀬やませさんの意思は関係ないってこと……? それってもう犯罪じゃないか……っ!」

「ユウヤ君の親。お前も知ってんだろ。だからなんとでもなるって思ってんだろ」


 有名代議士を父親に持つユウヤ君。

 だからって……そんなことが許されるわけない! 許されていいわけないだろ!


山瀬やませさんだって、自分が嫌なことは断るはずだし、簡単にそんなことになるわけないよ……!」

「……そうなりゃいいけどな。でも俺にはユウヤ君の思い通りになっちまうんだろうなって思えてるって話さ。……くっそ。話しててなんかムカムカしてきたわ」


 ヒサシ君がこんなことを僕に教えるだなんて、やりきれない思いが相当に溜まっていたのだろう。

 しかし僕は、それを聞かされても身動き一つできないでいた。


 ――ユウヤ君ならやりかねない。


 そう思えてしまうからだ。

 いや、かなりの確率でヒサシ君の言うとおりになるだろうと考えてさえいる。


 ヒサシ君の話では、契約的なデートは期限を迎えると先ほど言っていた。となると、ユウヤ君が山瀬やませさんを無理やりに『何か』してしまうとしたら、今週か来週になる……のだろうか。


 どうすればいい――?

 僕にできることは何かないか――?


「それ、止められないのかな……」


 意識せず、口から言葉がするりと零れ出ていた。


「あん?」

「僕のせいで山瀬やませさんが……そんなの絶対ダメだよ……」

「つってもなぁ……俺もそういう話を聞いただけだから、現時点では可能性に過ぎないだろ。山瀬やませだってデートを了承してる以上、そこは止めることはできねぇし。それに実際のところ何も起こってもいないことをユウヤ君に言うわけにもいかないだろ。んなこと言ったらどうなるか、お前ならわかるよな」


 ユウヤ君の機嫌を損ねる。

 それがこれからの高校生活にどれだけ影響を与えるかを、ヒサシ君も十分に知っている。

 ユウヤ君という存在は、クラス内、いや学校内でそれほどに大きい。

 

「でも何かあってからじゃ遅いよ……」


 以前のことを思い出すと恐怖が襲ってきた。

 それでも太ももの上に置いている拳に自然と力が入っていた。


 どうにかしたいという思いだけが先走る中、ヒサシ君は思い出したように口を開いた。


「そういやちょっと前……ホテルのディナーに山瀬やませを連れて行くって自慢してたか……。何時とかどことかは、さすがにわかんねぇけど」

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