第16話

 平穏な学校生活が1か月も過ぎようとした頃だ。

 悩ましくもあり、それでいてかなり嬉しいLAINメッセージが届いた。


『今度、コンポ見に行くの付き合ってくれない?』


 山瀬やませさんからだった。

 メッセージの最後にはデフォルメされたキャラクターアイコンがぺこぺことお辞儀をしている。

 そのキャラクターは彼女とのもう一つの共通点となったゲームに登場するキャラだ。

 コミカルに動くアイコン。

 僕の部屋でこのゲームについて話したことを覚えていてくれたのだ。


 カフェでの一件以来、少し気まずい雰囲気になったのではないかと感じていた僕としては、思いがけないこのメッセージに胸をなでおろした思いでもあった。


 自然と頬は緩む。

 だが手放しで喜ぶわけにはいかないのも事実だった。

 もちろん問題となるのはユウヤ君だ。

 彼の山瀬やませさんに対する嫉妬から僕はひどい目に合う羽目になったのだから。

 僕は、内心この買い物デート(ということにしておこう)の実現は難しいだろうと思ってはいたが、


 『もちろんだよ! 放課後でも土日でも! いつでも!』


 と返信する。

 既読マークはすぐに着いた。


『ありがとう! 予定わかったらまた連絡するね!』


 間髪入れずに返事が返ってきた。

 そのメッセージに、にこりと微笑む山瀬やませさんの笑顔が思いだされる。

 思い出しただけでやはり顔はほころんでしまうのだから僕は単純だ。

 

 そして、ユウヤ君の態度にも大きな変化が見られた。

 最近の彼はとても優しく、包容力があり、困っている人には手を差し伸べる。そんな誰からも好かれるであろう魅力を発していた。

 それは、出会った当初に彼から感じていたものだった。


 それだけじゃない。

 なんとしたことか、クラスメイトからは放課後の遊びの誘いも来るようになった。

 といっても何か特別なことをするわけではないのだが、一緒に帰り、ファストフードやゲームコーナーなどで適当に時間を潰し、そして帰宅する。


 一般的な高校生にとってはごく当たり前の放課後だとは思うが、僕にとっては「これこそが青春!」と思えるような、有意義な時間を過ごすことができるようになっていた。


 茂部もべさんからのミッションも、無事に達成できた。

 茂部もべさんと廊下ですれ違う時、ちょうど周りに誰もいないことがあった。

 それでも僕は小さな声で彼女を呼び止めた。


 相変わらず派手な髪色にはっきりとした化粧。

 非常に近寄りがたい雰囲気を醸し出している茂部もべさんは僕の声に足を止めた。

 ツンとした表情で僕を見上げる。それでいて見下したような視線を向けた。


「なに?」


 先日カフェに同行させられた時とは違い、なんともつっけんどんでそっけない返事だった。


 学校内というシチュエーション。それに加えこの態度と容姿。

 僕はすこしの緊張を交えつつ、声を潜め伝えた。


「ヒサシ君の件聞いたよ……彼女、いないって」


 その言葉を理解するまでの短い時間。茂部もべさんはぴたりと動きを止めた。

 すると、自然とそうなってしまったのだろう、嬉しそうに目を細めた。

 化粧ばっちりの顔に笑みが浮んだ。


 だがそれは一瞬。

 すぐに我に返ったのか、はっとした表情を見せた後、すまし顔に戻る。

 そして顔を逸らし言った。


「……あ、ありがと……」


 恥ずかしさをごまかすようにさっと髪を払い、すたすたと去っていく。

 その後姿は心なしか揺れていた。

 それを眺めながら思う。

 ほんとにヒサシ君のことが好きなんだなぁと。

 そして僕は、茂部もべさんからのミッションを無事にコンプリート出来たことに満足をしていた。


 何もかもがうまく回り始めているように感じていた。

 だが、一つだけ心残りがあることには気づいていた。


『ヒサシ君に直接会ってお礼がしたい』


 そう。華子かこのお願いだった。

 これだけは達成できずにいた。というよりも華子から特にその件について何も言ってこないので、僕は敢えて放置していた。


 それに。もし……もしもだ。

 ヒサシ君と華子かこがいい感じになってしまったらと思うと、それはそれで兄としてはなんだかむずむずとした気持ちになってしまう。

 だからこの件については、何も起きないならそのほうがいいや、という本音もあった。


 とにかくこの一か月。

 いままで感じたことのないなんともふわふわとした心地よい時間が流れていた。

 学校に行くことをこんなにも楽しいと感じたのは、高校生になってから初めてだった。

 これが充実した日々、リア充というヤツか。


 気分上々だったこともあって、ユウヤ君に歯向かって以来やる気をなくしていた筋トレも再開した。


 実現は難しくとも、山瀬やませさんからLAINメッセージを貰ったことがトレーニングのやる気を後押ししたのは間違いない。


 例えデートなどできなくとも、これ以上お近づきになることができなくとも、僕たちは同じクラスなのだ。

 少しでも、ほんの僅かでもいいから、かっこいい自分を見せたいという健気な顕示欲が湧いてきたのだった。


 ネットで動画検索するといくらでも出てくるトレーニング方法。誰かに知られたら恥ずかしくて爆死しそうなトレーニングをしたりもした。

 以前よりも厳しいトレーニングを課し自分を磨こうと励む。


 山瀬やませさんのことを考えるだけで、いくらでもやる気が湧いてきた。

 我ながら自分の単純さにほとほと呆れるが。


 しかし以前やっていたトレーニングのおかげもあったのだと思うが、トレーニングの効果は思ったよりも早く表れた。

 腕にも腹筋にも脚にも背中にも、筋肉が着いていくのがわかる。

 やればやるほどがっちりと肉付き動ける体に変化していく。

 この体、思っていたよりも案外運動向きなのかもしれない。そう思えたことは、うれしい誤算だった。

 それは必然前向きな思考にもつながった。


 毎日の学校生活。成長していく自分。もしかしたらという山瀬やませさんとの楽しい未来。

 それらすべてが充実した気持ちを運んでくれた。


 それは別の方向性にも活かされる結果となった。

 今まで生きてきた中でさして服装に興味もってこなかったこの僕が、ついにファッションの改善にも手を出す決意をした。

 といっても知識もセンスもない。何をどうしたら良いのかが全くわからない。


 だから恥を忍んで忍んで、忍びまくって……。

 華子かこに聞くことにした。


「お兄ちゃんやせ型だからなぁ……。んー、清潔感のあるヤツでいいんじゃない?」


 てっきり、『うわっ! おにいちゃんがファッション気にしてるとかキモ!』などと馬鹿にされることを予想していたのだが、案外まともな回答が返ってきて驚いた。


 でも、清潔感ってなんだ?

 たくさん洗濯するって意味じゃないよな……たぶん。


 なんともわかりにくいアドバイスに困ったが、できるだけシンプルな服を選んで買ってきた。

 華子かこに見せて品評をお願いする。


「うん。まあ……甘めに見て65点って感じかな。悪くはないよ。悪くは」


 褒められているような、そうでもないような。

 微妙な採点をしてくれた。


「65……それ高いの? 低いの?」

「んー、普通」

「へぇ、普通か……あとの35点はどうしたらいいんだ?」


 本音としては女子ウケについて聞きたかったが、さすがにそんなことは恥ずかしくて言えない。


「ははは。お兄ちゃんじゃ無理無理。頑張ってもあと10点アップがいいとこだよ」


 失礼なことをさらりと言われた。くっ……。

 しかも本当にそう思っているに違いない。華子かこは真顔だった。


 妹がどうしていちいち僕のことをディスってくるのか不思議でならないが、とりえあずファッションについてはこれからも努力が必要だということだけは分かった。


 これからも成長できる。伸びしろがある。

 今はそれがわかっただけでも良しとしよう。


 山瀬やませさんのことを想えば、ファッションだってなんだって頑張ろうって思えてくるというものだ。

 実際のところ、クラスにいけば山瀬やませさんに会える。

 たったそれだけの理由で学校に行くことに心が躍ってもいた。


 僕の頭の中は彼女のことばかりだった。

 正直なところ、気になって気になって仕方なかった。


 しかし、浮かれに浮かれていた僕は、学校帰りに突如としてヒサシ君から誘われた。


「今日これからどっかよってこうぜ」


 もちろん二つ返事でOKをした。

 放課後の遊びの誘い自体は珍しくなくなってはいたが、今日はヒサシ君と僕だけだという。

 大抵はユウヤ君グループの仲間数名で帰路につき、その途中どこかに寄るという流れが多かった。

 二人きりというのは珍しい。


 以前ヒサシ君に呼ばれて用具倉庫裏でユウヤ君から暴行を受けたことがあった。

 その時のことが一瞬頭をよぎったが、現状を考えれば何か変な誘いであるはずはない、と信じた。


 しかしそれでもやはり気になっていた。

 僕はヒサシ君と二人でも問題はない。というのも、学校から直接家に帰るのではなく、どこかで時間を潰すという放課後ライフ。それ自体を楽しんでいるところがあったからだ。


 だがヒサシ君は僕と二人でいて楽しいのだろうか?

 その疑問が拭えなかった。


 しかしこれはヒサシ君の気遣いだったことをすぐに知る。


 ファストフード店に立ち寄った僕らはポテトとジュースを前に適当に話をしながら時間を潰していた。

 たわいもない話をしている中、話が途切れた時だった。


 ヒサシ君は何気なく、それでいてこれが核心だとわかるくらいはっきりとした口調で言った。


「なあ、お前。山瀬やませのやってること、知ってんのか?」


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