第2話 名前

 支柱の外側に階段が設置されていたので、ひたすらにそれを下るだけで良かった。自分の基礎的な体力は、そうあるほうではなさそうだ――と迷宮守りは認識する。途中で何度か休憩を挟みながら下まで降り、隣の支柱の根本へ行くまで、また何度か休息する必要があった。


 数人の迷宮守り同業者と思しき集団が野営をしている。食事をしている最中だ。敵意がないことを示すために武器を収めようと思ったら、手に持っていたはずの折れた剣が消えている。落としたはずはない……と辺りを見ていると、子供のような見た目をした種族、風生まれウィンドボーンの斥候らしき人物がこちらを認め、話しかけてきた。


「こんなところで何をしているのさ」怪訝そうな顔でそう彼は言った。「町娘がふらっと来るような場所じゃないぜ、エルフのお嬢さん」


 どうやら自分がエルフの女性で、まだ歳若いということが今さらながら判明した。我が身を振り返ってみれば、確かにそこいらの町人が纏うような普段着だ。間違っても迷宮に入るような恰好ではない。


 望んでこの場所に踏み込んだのではなく、あるいは、転移させられたのではないだろうか――迷宮探索とは無縁な町娘が。だが同時に、自分は確かに迷宮守りなのだという確信がある。どうにも妙な状況だ。


 迷宮守りは自分は転移したのかも知れないという推測と、記憶がないという点を相手に伝えた。曖昧に頷いて、斥候は仲間たちを呼び集めた。


「転移したショックで記憶喪失ってわけか? いや、確かにそういった例を聞いたことがある。大抵は時間経過で記憶を取り戻すことが叶うそうだが……さしあたって君はこの場所から出なければいけないな。幸いこの階には大した脅威はない。まずは上の階層に向かうことだ、そこに街がある」


 野営していた徒党クランのリーダーである、赤銅色の肌をした大男がそう説明した。街は迷宮内だが魔物が出ず、水と食料が生産されていて、そこから昇降機で地上まで脱出することができるそうだ。


 道を聞き、一人でそこに向かうと告げて立ち去ろうとすると、彼は最後にこう尋ねた。


「君、名前は覚えているのかい? それすら忘れてしまったのか?」


 そうだ。それを思い出すことはできないが、名前が必要だ。だが、この生業は本名を名乗る必要もない。その人物を象徴しさえすれば。空白となった記憶を端的に表す呼称を名乗った。


「私は迷宮守り、〈ブランク〉」

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