第5話 求婚
「すみません……落ち着きました」
「いやいや、俺も自分の事を話しただけでこんなに泣いちゃうと思わなかった。なんかごめんね」
奈菜美さんは落ち着いたのかお茶を一口飲み、目元を服の袖で拭った。
「いえいえ、こちらこそ泣いてしまってすみません。それで本題に戻します」
「はい」
「私があなたを探していた理由はさっきも言った通りおばあちゃんに良い人を見つけたと言われたのと会いたいと言われたからです」
「ふむ」
「そして、もし気に入ったら結婚相手にしたいからです!」
「……?」
結婚相手……?
俺の目の前に居る美少女は何を言っているのだろうか。
百歩譲って俺に会いたいのは分かる。
まあ孫の奈菜美さんが来たのも、本人が行けないから代わりに謝礼とか持って行ってほしいとかそういう感じだろう。
でも二つ目の「結婚したい!」は本当に意味が分からない。
俺の脳内は再度?で埋め尽くされ、奈菜美さんの言っている言葉の意味が理解できなかった。
「ごめん、全然意味がわからない」
俺が真剣な表情でそう言うと奈菜美さんは「えっとだから! 結婚相手を探しているんです!」と大きな声で言った。
予想していなかった大きな声。
声が大きかったせいか奈菜美さんの後ろから壁を殴るような「ドンッ」という鈍い音が鳴った。
「ひ、ひぇ……なんなんですか……!?」
「壁が薄いんだ、あまり大きな声を出さないでくれ」
初めて壁ドン(物理)を体験した恐怖からか奈菜美さんは俺の座っている方へハイハイしながらやってきた。
距離が近くて、ドキドキしてしまう。
それもそうか、推しが真隣にいたら誰でもそうなるか。
俺は平静を装いながら話を進める。
「それで、結婚相手にするってなんなんですか」
奈菜美さんは壁ドンの恐怖か、はたまた俺を惚れさせるためか分からないが俺の手のひらを握ってきた。
「おばあちゃんを救ってくれた優しい男性、私は昨日のニュースを見た時この人しかいないと思ったんです!」
目をキラキラと輝かせ、興奮しているのか顔を近づけて来た。
推しの顔が真ん前に。
俺の心臓は破裂してしまいそうなほどに動きを速めていた。
しかし、ふと考えてみると確かに第一発見者は俺だが、俺以外にも中野さんが表彰されていた。
なぜ俺なのだろうか。
「い、いや、俺以外にも居ただろ」
俺がそう言うと奈菜美さんは「あの人はチャラそうなので嫌いです」とドスの聞いた声でそう言った。
チャラく無くて良かった。
もし俺がチャラチャラの陽キャだったら、今ここにななみんは居ないのか。
初めて陰キャであることに感謝しながらも震えた手で彼女の肩を掴み、押し返した。
「なるほど、訳は分かりました。えっと奈菜美さん」
「奈菜美で良いですよ!」
「えっとはい。じゃあ奈菜美」
「何ですか?」
奈菜美はこれから予想通りの回答が返ってくると思っているのか先ほどよりも目を輝かせて嬉しそうにしている。
だが俺はニートだ。
たとえ結婚は嘘でお付き合いから始まったとしても、俺は彼女を養ったり、楽しませることは絶対に出来ない。
だから、こんなにも可愛らしく、元超人気アイドルだった子とお付き合いや結婚することは俺にはふさわしくないし、何より申し訳ない。
「ごめんなさい、俺はあなたとは結婚できない」
俺は立ち上がり彼女に頭を下げた。
怖くて彼女の顔を見る事が出来ない。
しかし俺がそう言ってから奈菜美の反応が無い。
音が全くせず、耳鳴りだけが脳を刺激する。
無音の空間に閉じ込められたような感覚になり、俺はどうすれば良いのか分からなくなった。
戸惑いながらも俺は恐る恐る顔を上げてみると、奈菜美は俺が顔を上げるのを待っていたかのようにニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「ふふっ、やっぱりあなたは最高です! 逆にここで『良いよ、結婚しよう……!』なんて言われたら速攻で逃げてましたし。えへへ、余計に好きになっちゃいそうです!」
奈菜美はそう言うと再度俺の手を握り「決めました。私、絶対にあなたと結婚します!」と高らかに笑いながらそう宣言した。
なんて言ったら良いんだろうか。
生きて来て25年、特に面白い事なんてなかった。
でもこの状況、どう考えても並大抵の人間じゃ味わえない体験だ。
死のうと思っている時に死にそうな女性を助けたら、表彰されてテレビに出て、そして推しだったアイドルから求婚される。
ははっ、人生面白くなりそうだな。
でも、俺はニート。
もしこのまま成り行きで結婚したとしたら、俺はこの子のヒモになってしまう。
それだけは嫌だ、そんなの底辺がすること。
俺は少し気まずそうな顔をしながら奈菜美に言葉をかける。
「ごめん、そう言ってもらえるのは嬉しいけど、実は俺、ニートなんだよね……」
これで幻滅して流石に結婚は無かったことになるだろ。
俺はそんな安易な考えをしていたが、それもすぐに破壊された。
奈菜美はキョトンとした顔で「だからなんですか?」と言った。
「え」
奈菜美は真剣な表情で話を続ける。
「別に真崎さんがニートだからとか部屋が汚いからとか、私は特に気にしていません。私が気にするのはあなたの行動です」
「こ、行動……?」
「はい、おばあちゃんから話は聞きました。意識が無くなる前、苦しそうに倒れたおばあちゃんを真っ先に助けに来てくれたのはあなたしかいなかったと」
まあ、確かにそうだ。
あの時は考えるよりも先に足が出ていて、すぐにそばに寄った。
迅速な対応だったからこそ奈菜美のおばあちゃんは助かったのかもしれない、だがそれと結婚は何も繋がらない。
ここで結婚を切り出すのはいくらなんでも不自然だ。
「だからなんだ、俺は人として当たり前のことをしただけだ。その件と俺が今、結婚を迫られているのは何も繋がらないんだが?」
奈菜美は俺が理解できていないことにイラついたか、整えられた髪をぐしゃぐしゃにして俺の肩を掴んだ。
「だから! 私はあなたの行動に惚れたんです! 私のおばあちゃんの命の恩人、少しは興味を持ちます。それで、どういう人か会ってみたら不審者にしか思えないような私を家に入れてくれて、頼んでもいないのにお茶を出してくれたり、座布団の場所を教えてくれたり、話し方も今でこそ崩れている部分もありますがため口ではなくしっかりと敬語でした」
「そんなの、当たり前のこt――」
「それが出来ない人だっているんです!」
奈菜美は泣きそうになりながらも大きな声でそう言った。
さっきよりも強い壁ドンの音が部屋の中に響く。
俺は肩に合った奈菜美の腕をそっと掴んで肩から降ろした。
高校生からアイドル活動に励み、時には苦労もしただろう。
奈菜美は虹ノ夢49の初期メンバーの内の一人、それこそ考えたくは無いが人気が出る前なんて枕営業やかなり危ない仕事も紹介されている可能性もゼロではない。
だから今こうやって乱れてしまっているのかもしれないと予想したが、実際はどうなのかは俺は知らない。
「そんなに怒んないでよ、可愛い顔が台無しだ」
「うるさいです……」
奈菜美は下を向いたまま顔を上げようとはしない。
目を見て話させるために、顔を掴み無理やり上げさせることは出来なくはないがセクハラで訴えられたら百パーセント負けてしまう。
どうしたものかと思いながら俺は座布団の上に重い腰を下ろした。
「まあまあ、もう一回座って話そう。俺が壁際に座るからそっち座って?」
再度鈍い壁ドンが部屋の中に響き渡る。
しかし、一度経験したから慣れたのか、壁ドンには怯えずに奈菜美はそっと腰を下ろした。
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