サンタクロースの初恋

南部りんご

サンタクロースの初恋

 魔法使いに人気のアルバイトは、サンタクロースだ。


 割り当てられた子供の生活を鏡や水晶で覗き込んで、その子供が好きなものを用意する。

 クリスマスイブに転送魔法で家を訪れ、姿を消した状態で部屋に入ってプレゼントを置いて帰る。

 実働時間が短いのはもちろん、何よりも夢があるということで、老若男女から応募が殺到するアルバイトだ。

 人口が増えて、本物のサンタクロースがひとりで世界中の子供を担当するのが難しくなった。徐々に魔法使いが代行するようになり、今や、プレゼントの三分の二以上は魔法使いによって運ばれている。

 十月。

 応募要件である十八歳と、転送魔法・消失魔法を習得したシグレは、さっそくサンタクロース選考に応募した。

 倍率が高いので受かるとは思っていなかったが、まさかの合格だった。

 担当の子供は三人。初心者にはちょうどいい人数だ。ちなみに、アルバイト代は人数に比例する。


「シグレ、どんな子が担当だ?」


 学校の寮の談話室で、ひとつ上のアレンが鏡を持って話しかけてきた。

 アレンは去年からサンタクロースをやっていて、どこからかシグレが合格したと聞いたらしい。確か去年は、俺の担当の子は三桁の掛け算ができるとか、走るのが早いとか言っているのが聞こえた。


「まだ見てないんだ。男の子二人と、女の子ひとりらしい」

「早く見ろよ、俺も見たいし」


 アレンがふたりがけのソファーの隣でべったりくっついてくる。これは見せないと離れないなと思い、シグレは仕方なく自分の手鏡を出した。母から譲り受けた、持ち手が真鍮のものだ。

 鏡に向かって子供の名前と住所を呟くと、鏡の像が一瞬ぐにゃりと歪んでから、子供部屋の中が写し出される。

 ベッドの中では十歳くらいの女の子が眠っていた。


「可愛い子だな!良かったなシグレ!」


 アレンの無駄に大きい声が談話室に響いたが、シグレの耳には届かなかった。鏡の中の女の子に目が釘付けになっていたからだ。

 女の子は長い髪を枕に広げて、すうすうと眠っている。

 顔は色白で陶磁器みたいだし、唇は雨上がりの花のように潤っている。シーツの上に置かれた手はずいぶん華奢で、そこについているピンク色の爪は小さくておもちゃのようだった。

 この世の愛しいものを全て詰め込んだような姿に、シグレは息ができなくなる。

 アレンがその様子に気づいたのか、シグレを揺さぶってきた。


「おい、シグレ、しっかりしろ。どうしたんだ」

「え?ああ…」


 シグレは熱に浮かされたようなぼんやりとした頭で、最初に思い浮かんだことを言った。


「この子が、あんまりに可愛いから。不思議な気分になったんだ」


 それを聞いたアレンはポカンとしてから、にやぁっと笑みを浮かべた。

 やがてシグレの背中をばんばんと強く叩きながら、大笑いする。


「おいシグレ、聞いたことないぞ!サンタクロースが子供に恋しちまうなんて!」

「恋? 僕が?」


 ぎょっとして聞き返すと、アレンはにやにやしながらシグレの顔を指差してくる。


「そんなぽーっとした顔して、よく言うよ!」




 その日からシグレは、アルバイトの調査にかこつけて、頻繁に女の子の生活を眺めるようになった。

 女の子の名前はユリア。担当表を見ると十二歳らしい。

 彼女は毎日学校から帰ると、学校であったことを話しながら、リビングのテーブルで宿題をしたり、母と料理をしたりする。

 彼女の母は体調を崩しがちのようで、ユリアが母を気遣って手伝っているのがわかった。優しい子なのだ。

 シグレは、鏡を通じてユリアの姿を見るたびに、胸の奥がきゅうっと絞られるような、それでいて満ち足りたような不思議な気分になった。いつの間にか、彼女のことがいつも頭から離れなくなっていた。

 授業を受けている時も、窓の空を見上げては、ユリアのいる街につながっていることを思った。こんな気持ちになるのは初めてだった。

 ある日、シグレが学校の中庭のベンチで手鏡を見ていると、隣にアレンがやって来た。


「よう。サンタクロースの首尾はどうだ?」


 シグレはなんとなく手鏡を隠した。


「ぼちぼちかな。三人のうち、二人はプレゼントを決めたよ。欲しいものが分かりやすくて」


 担当の子が、欲しいものを紙に書いて、暖炉の上に隠していたのを思い出した。

 親がそれとなく欲しいものを聞いても、「サンタさんに直接お願いしたから大丈夫なの!」と言い張っていた。思い出すと笑みがこぼれる。


「サンタクロースを信じていて、可愛いかったよ。僕もああだったなぁ」

「俺もだよ」


 アレンは頷いてから、言いにくそうに少し声のトーンを落とす。


「それで…。あの子のこと、大丈夫なのか? この間は面白いと思ったけど、よく考えたら来年には忘れなきゃいけないわけだし、気の毒になってな」


 アレンの顔を、シグレは困惑して見つめた。忘れる?


「え、なんのこと? 来年って?」


 アレンがぎょっとする。


「お前、規約見てないのか?」


 アレンが袖から杖を出してひと振りすると、空中に丸まった紙が出てくる。アレンはそれを開いてシグレに見せてきた。

 一番上には、「サンタクロースを務める者への規約事項」とある。


「ここ、九番目のとこだよ」

 アレンが指さしたところには、こう書かれていた。


『子供達のプライバシーに配慮するため、サンタクロース担当者はクリスマス以降、年内に当局による忘却魔法を受けなければならない。

 忘却対象は以下の通り。対象となった子供の名前、顔、居住地、生活環境、家族構成』


 シグレはその文字を凝視した。凝視したところで、文字が変わるはずもない。

 来年には、彼女の名前も顔も忘れてしまう。

 シグレは愕然とした。




 シグレはユリアのことを忘れたくなくて、アレン以外にも、複数の同級生に話を聞いてみた。

 顔や名前を忘れるということだが、きれいさっぱり忘れてしまうのか。サンタクロースをしていたことはどこまで憶えていられるのか。忘却魔法を防ぐ魔法はないのか。

 尋ねた全員の回答は、「顔や名前は本当に全く忘れてしまう」というものだった。

 そして、防犯上の理由で、忘却魔法は当局の中でもとびきり腕のいい魔法使いから受けなくてはいけないので、防ぐ術はないということだった。

 ただ、彼らはサンタクロースのアルバイトをしたこと、何をプレゼントしたかははっきり憶えているという。

 買いに行った店の名前や、どんな包装をしたか、喜んでもらえるかどきどきしながら品物を選んだことまで。

 サンタクロースを心待ちにする子供たちにも、その夢を叶える大人にも、決して悪意が介入しないように優しい感情だけを残す。

 それが、サンタクロース協会の魔法使い達が長年かけて作り出したシステムだった。

 シグレは、ユリアのことを忘れてしまうということを、受け入れざるを得なかった。

 けれど――

 彼女を好きだったことを残したくて、シグレはサンタクロースとしてだけではなく、個人的にも彼女にプレゼントを用意した。

 規約で禁止されているわけではないが、普通に考えればあまり褒められたことでもない。

 アレンだけにこっそり話してプレゼントを見せたら、アレンは大笑いした。


「それ、十二歳の女の子に? お前、重いな!」




 七年後。

 学校を卒業してから、シグレは魔法役所に勤めるようになっていた。アレンの勤務地も近かったので、卒業してからもたまに会っていた。

 十二月の仕事終わり。

 クリスマスマーケットで賑わう街中で、アレンとスタンドでホットワインの立ち飲みしていたら、アレンが「俺の子供のところにも、来年くらいにはサンタクロースが来るかなあ」と言い出した。

 アレンの子供たちは二歳と三歳になっていたから、確かにもうじきかもしれない。シグレは未婚なので、まだまだ先の話だ。


「そういえば昔、アルバイトしたな。憶えているか?」

「もちろん。君がプレゼントを見て、重いって笑っていたのも、よく憶えているよ」

「だって、宝石がついたネックレスだぞ?」


 アレンも憶えているらしい。シグレは半笑いで濁した。

 まだ彼女を好きな気持ちが残っていると言ったら、アレンは笑うだろうか。もしかしたら引いてしまうかもしれない。

 彼女の顔や名前は忘れても、周囲を気遣う心優しい子だったこと、その姿を愛しいと思ったことは、今でもシグレの中にはっきりと残っている。

 女の子に渡したのは、ブドウをモチーフにしたネックレスだった。銀製の葉や茎に加えて、実をかたどったブルームーンストーンをあしらったものだ。

 ジュエリーショップに特注して作ってもらった。しかも、ネックレスには幸運を引き寄せるまじないまでかけた。

 あの女の子は、今は十九歳なはずだ。きっと、ネックレスの似合う素敵な女性になっているだろう。


「なんだか、えらくいい造りをしていたのは憶えているんだけど、どんなのだったっけ?」

「ああ…」


 人混みの中に、想像していたネックレスと同じものが視界に入ってきて、シグレは「ちょうど」と言う。


「あの女の子が着けているようなのだよ。ブドウの…」


 言いかけてから、「これ、頼む」シグレはホットワインの容器をアレンに押し付けた。

 そのまま、彼女を見失わないように走り出す。



 ブルームーンストーンの石言葉は「希望」。

 どうか再会できますように――。

 七年越しの願いが、叶おうとしていた。

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