第3話 委員長レポート ─坂本きゅん─

Kyo-Rinカップル突然の破局劇。

その衝撃たるや地震で言えば震度6以上のものではあったが、それよりも、お弁当箱に顔を突っ込んだまま、皆の懸命な呼びかけにも全く反応しない坂本君の姿、そして、しばらくしてからムクッと起き上がってからのあの無の表情には、まるで世界が終わるかのような焦燥と、生きた心地のしないような恐怖を覚えた。


この時教室にいて、一部始終を目の当たりにした私達は勿論、かの三人に至ってはあからさまに動揺しており、「おい響っ!しっかりしろ!」と叫びながら肩を揺らす西園寺君、坂本君を後ろから抱きしめ「パパっ!パパっ!」とぐちゃぐちゃに泣いているエリナさん、そして、真理さんは血が出そうな程に強く手を握りしめ、鈴音ちゃんが去った方向を震えながら憤怒の表情で睨みつけていた。


その様子を米粒とケチャップのついた顔で、まるで、『何も分からない』といった感じで不思議そうに眺めだした坂本君。

先程の無の表情では無くなったことに私は少なからず安心したが、どこか様子がおかしい感じがして落ち着かなかった。


正面にいた西園寺君はいち早く異変を感じとったようで「どうした?大丈夫か?」と先程の焦った感じから、一転落ち着いたトーンで話しかけるが、坂本君はそれに答えず、キョトンとした顔でコテッと首を傾げていた。




……どうしよう……すごく…すっごくかわいいんですけど…





たぶん、これがあの時この教室にいた全員の総意だったと思う。

心配そうにしていた西園寺君も、泣き叫んでいたエリナさんも、そしてあれだけ激情の中にいた真理さんも、誰もが目をぱちくりぱちくりさせてポカンとしていた。


なんというか、地獄から急に天国へと場面転換したというか、水風呂が急にぬるま湯に変わったというか……

何にせよ、事態が好転したのは間違いないのだけど、とにかく予想外すぎる展開に誰もが困惑し、どうしたらいいのか誰も分からない状況だった。


そんな中、まず動いたのは、普段から冷静なイメージのある真理さんだった。

先程までの激しい感情は鳴りを潜め、今は慈愛に満ちた優しい笑みを坂本君に向けている。

そして、彼女はおもむろに坂本君の顔についたご飯粒を摘んで自分で食べたあと、ほっぺのケチャップをすくい取って今度は坂本君の口に運んだ。


最初、坂本君は口元に来た真理さんの指をジッと見つめるだけだったのだが、真理さんが指先を唇にツンっと当てると、条件反射なのかすかさず指をパクッと咥え、口の中で遊ぶようにモゴモゴしたあと、グイっと真理さんの腕を掴んで口から指を離した。

真理さんは一瞬名残り惜しそうな顔をした後、濡れ光る指先を愛おしそうに見つめたかと思えば、流れるような動作でそれを自身の口に含み幸せそうに悦に入っていた。


それは、この様子を眺めていた女子、そして男子にとっても非常にうらやまけしからん行為だった。

かく言う私もその一人…っていうかその筆頭であると自負していたが、悔しいことにまだ何か行動を起こせる程の余裕はなかった。

せいぜい「ほわぁ〜♡」なんて感嘆詞が口から漏れる程度だ。

そんな時、いつの間にか現実にカムバックしていた真理さんは坂本君に笑いかけ、優しい声色で「おいしかった?」と訊ねた。

すると、小さくコクンっと頷いた坂本君は、続けてニコッと真理さんに笑いかけたのだった。



ずっきゅーーーーん♡



教室全体にそんな銃声が響いた気がした。



まるで純真な子供…っていうか正に天使の微笑みだった。

その微笑みに真正面から撃ち抜かれた真理さんは、胸を抑えて「ハァ♡ハァ♡」と息を荒げて次の一手を出せずにいた。


これは!と思い、私もすかさず身を乗り出そうとしたその時、素早く坂本君の正面に回り込み、何故かベストを脱ぎ出したエリナさんが視界に入る。


私を含め、誰もがその行動に疑問符を浮かべている間、エリナさんは黙々とYシャツのボタンを外しにかかっていた。

推定Gカップはあるであろうその豊満な胸が徐々に窮屈なシャツから解き放たれようとしていた。



これは……授乳?!


まさか…授乳をさせようとしているのか?!


それともその先端にケチャップを塗って……


などとイケナイ想像で頬が熱くなっていると、「バカ!何しようとしてんだ!」と西園寺君が慌ててエリナさんを止めに入った。

おそらく無我夢中で周りの事が目に入っていなかったエリナさんはその声で正気を取り戻し、「違うの!違うの!」と私以上に顔を真っ赤に染めてボタンを留め直していた。


さて、鈴音ちゃん襲来から始まったこのお昼休みの騒動も、一部の暴走を経てここまでの流れで何となく落ち着きを取り戻した。


相変わらず子供みたいにキョトンとしている坂本きゅんが心配ではあるけれど、悲嘆に暮れるわけでも、怒りで我を忘れて暴れ出すようなこともなく、今の所半端なく母性を刺激されると言うか、最大限に庇護欲をそそられる存在になっただけだ。


害も緊急性もなさそうだけど、坂本君に何が起きているのかが分からないので、一応西園寺君、エリナさん、真理さんらと一緒に坂本君を保健室に連れて行った。

そして先生に事情を話したところ、坂本君の状態を解説してくれた後、しばらく横にして放課後まで先生が様子を見ることになった……のだが、坂本きゅんのあまりの可愛らしさにやられた先生が、私達が保健室から出ようとした所で添い寝をしようとしていたので慌てて連れて帰ってきた。


先程聞いた、保健師であり、精神保健福祉士でもある先生の話では、一応受診をした方がいいが、おそらく一時的な精神防衛反応、所謂幼児退行状態なので、あまり刺激を与えずに見守っていれば早い段階で元に戻るだろう、と言っていた。


そして、教室に戻った私は、クラスの違う三人から放課後までの間坂本君を任された。

そこで私は保健室で聞いた話をクラスメイト達に説明し、今後坂本きゅんが無事に坂本君に戻れるかはまだ分からないけれど、坂本君が坂本きゅんでいる間は皆協力して世話をしよう、と提案した。

皆は快くそれを承諾し、この日からは競うようにして坂本きゅんのお世話にあたった。

その中でも、あの三人から直接託された私、さらにはクラス委員長であり、坂本君の隣の席でもある私はその権力を最大限に発揮して精一杯お世話をする事ができた。


授業中、席をくっつけて肩を寄せ合っていると、私の肩に頭を乗せて眠りにつく坂本きゅんがかわいい。


ヨダレを拭き取ってあげると、ちょっと嫌そうな顔をしてイヤイヤする坂本きゅんがかわいい。


先生に指されて発言する私を見上げ、穢れ無き眼でジッと見つめてくる坂本きゅんがかわいい。


教科書のアニメタッチの挿絵を指さして、ニコニコしている坂本きゅんとかマジ悶絶。


つーかやることなすこと全部かわいいし、髪からフワッといい匂いするし、肩はあったかくて気持ちいいし、見つめていると何十秒でも見つめ返してくれるし……もー何なんですか!マジで最高なんですが!!あーもう!!この勢いで白状しますけどね!実はずっと机の下で手を握ってたし、教科書で隠しながら何十回もほっぺにチュッてしてたんですごめんなさい坂本きゅーん!!


………………コホンッ。



えーと……まぁそんな(どんな?!)私達の献身の甲斐もあってか、あの日から3日経った日には坂本きゅんは坂本君へと立派に成長して登校して来ました(ワシが育てたのじゃ、ふんすっ)。


私はそんな坂本君に安堵すると共にどこか寂しくもあり、なにより、自分のしてきた行いをどう弁明したものか、とヒジョーーに焦っておりましたが、なんと都合のいい事に彼はすっかりとこの2日間の記憶が無い様子で、思わずガッツポーズをとりました。

まぁそれはそれで、二人だけの思い出が私だけのモノなってしまった事にはだいぶ凹みましたけども…。


それはともかく、坂本きゅんは坂本君に戻ってからの方がちょっと大変で、コミュニケーションは取れるものの、あからさまに元気がないし、どこかなげやりで、すぐに泣いちゃうし、自分から話す事もなくなってしまいました。

まぁそれは失恋したのだから仕方がないことなのかもしれないけれど、長年動画を見ていた私達にはその辛さがよく分かり、けして他人事には思えずなんとかしてあげたい気持ちで一杯でした。

特に、現実逃避の果てに幼児退行までしてしまった坂本君を放っておくことなど出来るはずがありませんでした。

いえ、もっとシンプルな話、動画の件は置いといても、元々みんなクラスメイトとして坂本君が大好きなので、坂本きゅんではなくなった今でも、落ち込む坂本君の力になりたい!と素直に思っていました。

なので、クラスメイト達は私が協力を求めなくても、自然に彼の周りには絶えず人が集まっていたのです。


そのおかげか、日を追うごとに少しずつ彼は調子を取り戻していきました。

まだまだ本調子って訳ではないけれど、よく笑うようになったし、ちょっとエッチな話をしている男子達の輪にも混ざることが出来ていて、健全な方向に回復している兆しがあって私は嬉しく思っていました。

まぁ時々思い出したかのように暗い顔をする瞬間があるのだけれど、私達が近くにいればいずれそれも無くなるだろう、と誰もが希望を持てるくらいの回復具合だったのです。


それなのに……そんな希望を打ち壊す存在がまた現れてしまったのです。

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