第拾陸話 隣の縁結び
「あーあ! めんどっちーな! 俺たちはこんなことしてる場合じゃないのに。俺、今日の課題まだ終わってねーんだよ」
「屋敷の穢れを祓い清めることも、俺らの役目さ。みんなでやれば早いよ。文句言わずにやろうぜ」
「ウブフフフ! アタシ、くっさい雑巾って大好きなの。お掃除好きの証よね。ムフフブヒヒ!」
臭くなったら捨てて、新しい物を使うべきだと青年は反論したかった。
「ウグフフフ! そう言えばアタシ今朝ね、間違えて雑巾を主人様のおでこに載せちゃったの。でも怒られなかったわ、優しいわよね~、ムフフフ!」
聞き捨てならない情報が入ってきた。
「鼻緒ちゃん、それはさすがに良くないですよ。井戸のそばにある物干しに、洗った手ぬぐいが乾いていますから、それと交換してあげてください。また院長に怒られてしまいますよ」
「あら~、そう? それじゃあ交換してくるから、ここのお掃除お願いね、ブフッ、ブフフウフフ!」
ドドドドドと足音荒く走ってゆく鼻緒の気配に、青年は憤った。
(どうしたら洗い立ての手ぬぐいと、生臭い雑巾を間違えるんだよ! 絶対わざとだろ!)
駒のそばには今、疑耳彦と口嚇丸がいる。三人がせっせと掃除する物音に、青年は聞き耳を立てていた。汚れは相当に手強いのか、掃除の手が一向に休まらない。
「ここの隣りにさ、稲荷神社があるだろ? 縁結びの」
「はい、ありますね」
青年には初耳だった。
「駒ちゃん、あそこで髪の結い紐を買ってる? 赤色の」
「はい。昔から、鮮やかな色合いが好きで。あ、派手でしょうか?」
「似合ってるよ」
「まあ、ありがとうございます。よく身近にあった色でしたから、つい懐かしくなって、買ってしまうんですよね」
赤い結い紐、長い髪、駒の好きな色。疑耳彦と駒の何気ない会話内容から、青年は様々な情報を得られた。
(駒さんは、赤色が好き、と。赤が身近にあったそうだが、実家が苺農家とか?)
食べ物と若い女性が入り混じって、可愛い苺農家が登場した。一度も染めたことのない艶やかな長い黒髪を、苺色の紐でリボン結びにした駒が、丸々と肥えた苺を手摘みしていた。
突然、ドドドドドと足音が、床板を打ち鳴らして急接近してきた。そのまま青年の横たわる部屋の扉に到着し、
「ごめんなさいね~。綺麗な手ぬぐいと、洗ってない雑巾、間違えちゃったわ~!」
とかなんとか言いながらパンッと扉を開けて、鼻緒が枕元にデンッと座った。
思わず、口から文句の一つも出そうになったが、肝心なときに限って、声より咳が出る。
「あらあら、咽ちゃって~。そんなにアタシに会いたかったの? ブッフォ! ブフブヒヒ! 物欲しそうにお口を尖らせても駄目よ。アタシはここに来る人たちと、そういう関係にはならないって、決めてるの。だって弱ってる人って、助けてくれた人を好きになること、あるじゃな~い? だから、その好意は一種の錯覚、あなたの切ない片思いで終わる運命なのよ。ブヒヒヒ! まあ、諦めずにアタシを口説いちゃうくらい、元気におなりなさいな! ブフヒヒヒィ!」
びちゃびちゃの手ぬぐいが、おでこにのっけられた。またまた生臭い。
(こいつ、また何かと間違えて持ってきたな! 駒さんが洗ってくれた布が、こんなに臭うわけないだろ!)
部屋に充満する樟脳の臭いを嗅いで、頭痛を起こしているほうが、百万倍ましだと思えた。
「そうだわ、明日からまた駒ちゃんが来るからね。今日はアタシが手ぬぐい当番なのよ。たまにこうして、配置が変わるの。どんな仕事もこなせるように、院長が定期的に変えてしまうのよ。またしばらくアタシに会えなくなるわ、残念ね~ブヒャヒャヒャ!」
配置転換と聞いて、青年にも思い当たる節があった。いつもは疑耳彦が点滴を担当しているが、たまに別の子が来ることがある。それは院長が彼らの配置を、変えているせいだったらしい。
駒も、ここの従業員として正式に配属されているのだと知った。
(パートやアルバイトじゃなくて、正社員だったのか……。じゃあ、よけいに香水のたぐいは、付けられないよなぁ)
駒にとても良い匂いのする香水を、プレゼントする自分を想像した。
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