第27話 この私が何とかしてみせよう
「あーこれは……」
思わず呻いてしまうサネモ。
ようやく視力を取り戻しつつあるのか、ジロウは目を抑えながら数歩動いた。
「あの? 先生さんどうなったん?」
「とりあえずだが、ボスハフトを狙撃する必要はなくなった」
「そっすか、誰かがやってくれたって事ですか。手柄を取られちまって悔しい気もしますが、でもこれで問題解決なららいいか」
「まあ……そうだな」
この場合の殊勲賞はエルツだろうが、これは言わない方が良いのかもしれない。
自分の魔法が原因でボスハフトが平らに圧縮されたとなれば、エルツが気に病んでしまうではないか。弟子を慮ってサネモは適当に頷いた。
だが――空気の動きを感じた。
見ればサイサリスはボスハフトを踏んだ足に力を込め、反対の足を前へと繰り出そうとしている。
「なんで!? あいつ止まってないですよ!」
「なるほど、サイサリスはこれまで思われていたより古い時代の魔導人形らしい」
「え!?」
「時代が新しい魔導人形になると、命令者が目の前で倒れるなどすると緊急停止するようになるのだ。いや待てよ、サイサリスは軍用なので敢えて停止させない措置をしているのか? これは研究としては面白い。やはり実物を前にすると、書物では分からん事が出てくるものだ」
「俺に分かるのは、あいつがこのまま突き進むって事ですよ」
「なるほど、それは確かにそうだ。そうすると、とりあえず……」
「とりあえず?」
「娼館の者に避難するよう告げるべきだろう」
それからサネモはエルツを背負って、娼館イフエメラルに向かう。背後ではゆっくりと、しかし着実に巨大魔導人形サイサリスが前進していた。
娼館イフエメラルに戻り、表門へと向かえば既に避難が始まっていた。
「さあ落ち着いて、お客様の安全を最優先にするのです。こんな時ほど人としての真価が問われるのですよ」
ソフィヤールが手を叩き宣言している。
客を避難させている者たちとは別に、武器を手にした女性たちが次々と集まり、そしてソフィヤールにも剣を渡した。しかし、この騒乱の中で自衛する為とは少し違う様子だ。
サネモは真っ直ぐソフィヤールにの元に向かった。
「あれを操っているのはボスハフトだった。それで奴は仕留めてきたのだが、残念ながらサイサリス……つまり、あの魔導人形の事だが。どうやら止まらないようだ」
「まぁサネモ先生、そこまでして下さったのですね。ありがとうございます」
「礼はいい。直ぐに避難した方がいい。奴は止められない」
「そうですか分かりました。サネモ先生は直ぐに避難してください」
ソフィヤールの周り次々と女性が並ぶ。
大半はうら若き女性だが、それなりの年齢の女性や幼い子もいる。だが全員が剣や槍や、何かしらの武器を持って戦いの準備を始めている。
「なにをするつもりだね?」
「もちろん、あの魔導人形と戦うつもりです。魔法を使える者だっていますから」
「……馬鹿な。そんな武器では倒すとどころか傷をつける事すらできん。古代の魔導人形の中でも取り分け頑丈な奴なんだ。逃げた方が賢明というものだ」
対人用の武器など徒手空拳に等しい。
そんな事は、あのサイサリスの威容を見れば誰だって分かるはずだ。それなのにソフィヤールたちの誰一人として諦める様子はない。
ソフィヤールは優しく静かに、そして頼もしく笑った。
「先生、ここはですね。私たちが最後に辿り着いた大切な場所なのです。たとえ敵わないと分かっても、戦わずして自分たちの居場所を明け渡す事はできません。それが私たちの生き方というものです」
ソフィヤールの言葉に女性たちが頷く。そこには静かな決意があった。大切な場所を守ろうとする姿は立派で威厳すらあった。
「それは……」
呟いたサネモの袖が引かれた。
エルツだ。
焦ったような哀しそうな、そして懇願するような顔をしている。
「先生、このままじゃ皆が怪我しちゃうよ。ううん、もっと酷いことになるよ。でも先生なら何とかできるよね。だって先生は凄い人なんだから!」
エルツの信頼の眼差し、さらに希望を持った女性たちの眼差し。
その両方を受けサネモはたじろいだ。
「私は……」
学院に居た頃であれば見栄と虚勢で、ここで頷いて即座に引き受けただろう。
しかし今のサネモは幾つかの戦いを経験して様々な出来事に触れ、自分の実力――または身の程とも言うもの――を知った。
だから今は、あのサイサリスを止める自信が全くなかった。
「私には……」
その時であった、何者かが上から飛び降り膝を突いて着地したのは。周りが驚く中で青い服の裾が優美に翻される。
「我が主、サイサリスが接近しています。と、早急の避難を推奨します」
「クリュスタ……」
どうやら自己判断によって裏門の警備を放棄し、サネモの安全を確保すべく最短距離で建物を跳び越え駆けつけたらしい。こうした判断が出来る点が、あのサイサリスとクリュスタの最大の違いだ。
命じられた事だけを実行するサイサリスは、ボスハフトを躊躇もなく踏み潰した。
――そう、ボスハフトだ。
脳裏を掠めるのは、あのボスハフトの醜態。自分勝手でプライドだけは高くて、そのくせ自分では何もせず、巨大魔導人形を操りそれを自分の力だと過信し偉そうにする卑怯な男。最期は自らの愚かしさで命を落とした。
しかし。
しかしそれは、サネモ自身にも当てはまってしまう。
少なくとも周りからはそう見られているらしい。最近耳にする陰口では、クリュスタに寄生していると囁かれているのだから。
ここで何もしなければ、サネモ=ハタケは本当にその噂通りの存在になってしまうだろう。他の誰がどう思うかではなく、自分自身が思ってしまう。
果たして自分はそんな自分自身を許せるだろうか。
「……許せるはずがない」
馬鹿げてると思う。
あのサイサリスに立ち向かうなど、自分でも凄く馬鹿げてると思う。絶対に碌な事にはならないと分かってる。それでも今ここで自分は動かねばならない。これまでの魔導人形の研究を活かす為にも、これからも魔導人形の研究を行う為にも。
「いいだろう、この私が何とかしてみせようじゃないか」
胸を張って答える理由は、見栄でも虚勢でもない。
誇りである。
自分自身を自分で誇れるようにするためである。
サイサリスの足音が聞こえる。破壊される建物と悲鳴と怒号が耳をつく。まだ距離はあるが、刻々と近づいてきている。
急ぐ必要はあるが慌てる必要は、まだない。
「あれの破壊は不可能。だから真理の文字にアクセスして止める」
「我が主、サイサリスは軍用魔導人形です。指示内容の書き換えはほぼ不可能です」
「もちろん知っているとも。だから書き換えず別の方法をとるので問題ない」
「畏まりました。あとは真理の文字ですが、クリュスタは位置を把握しておりません」
「それも問題ない。過去数百年受け継がれた魔導人形研究をなめないで貰おうか、その位置が足の裏という事は判明している。どうだ問題ないだろ」
何も問題はないのだ、ただ幾つかの点を除いて。
皆の顔に希望が宿る中でエルツだけが難しい顔をして首を捻る。
「でもさ、どうやって足の裏に触るの?」
皆は巨大魔導人形をみた。一歩ずつ踏みしめる足の下で、何かが粉々に粉砕される音が響く。
「そこが問題となるのだ。何とかひっくり返せば勝機はあるのだが――」
「畏まりました」
クリュスタの声。とても冷静なものだ。
「それであれば、クリュスタが攻撃し転倒させます」
「できるのか?」
「やります。クリュスタの存在意義は我が主の願いを叶える事です」
「ふむ……あれは上体の重量を支えるため足が太くなっている。しかし膝関節部は、それほど太くはない。だから膝関節を狙うといい」
もちろん容易な事ではない。
弱点は相応に対策され保護されるものだ。しかしクリュスタがやると言うのなら、それはきっと可能性があるからだろう。魔導人形は人間のように無意味な希望だけでは動かない。
「だが問題はまだある。あれを転がせばば、それだけで被害が出るだろう……」
「それでしたら、当店の庭であれば被害が出ても構いません」
ソフィヤールが告げた。
「裏通りに差し掛かった辺りで倒れたのであれば、被害は最小限に抑えられるでしょう。もちろん最悪建物が壊れても構いません」
「いいのか? ここは君たちの大事な場所なのでは?」
「もちろん大事な場所です。ですけど、私たちの場所を守るために他を犠牲にするのは好ましくありません。他の何より犠牲にされて生きてきた私たちにとっては。それに何より――」
ソフィヤールは少し悪戯っぽく笑ってみせる。
「――殿方が決意されたなら、それを応援するのが私どもの役目ですもの」
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