1-19 神の徒

【side princess】


 クリスティナが内宮の図書室に入ると、そこには意外な先客がいた。


「リラ様」


 書架の前で立ったまま何かを読み耽っていたらしいリラは、クリスティナの声に顔を上げた。






 別に本を読みたかったわけではない。

 特に消化すべき予定もなく、何かで気を紛らわさないと同じことを延々と考えてしまい疲弊してしまう。むしろもう既に考え過ぎて疲弊していた。


 部屋に籠っていればそのうち心配性の兄達がやって来てしまうだろう。

 何があったかは既に把握されているはずだ。むしろ何も起こっていない事を。

 それなのに馬鹿みたいにクリスティナが気落ちしていることを、きっともう知られている。


 そろそろ呆れられているかもしれない。

 それを押し隠して優しくされるのも、なかなかに辛いものがある。


 そんな風に、考えるのは被害妄想のようなことばかりだ。


 他に行き場もなくて、文字を追うことに集中できる気はしなかったが、なんとなく図書室に来てみたのである。

 内宮の図書室であれば、今会いたくない諸々の人物とはそうそう顔を合わせずに済むだろう。


 無人だと想定していた図書室には、白徒はくとであるリラが一人でいた。

 リラの近くにある机には、大皿の上に乗った食べかけのパンとお茶、それを囲うように大量の本が積み上がっている。


 城内に滞在しているわりにその存在を感じないと思っていたが、どうやらこの場所に籠っていたようだ。


 リラは人間ではないと聞いている。

 神の眷属と言われても、クリスティナは神を見たことなどもちろん無いし、存在を感じたことも無い。


 創世の神話は知っているが、人が生まれ、国が興り千年の時が流れた。

 教会の意義も、捧げる祈りの意味も理解できるが、それだけだ。

 神の存在は、人にとってあまりにも遠い。


 クリスティナは多くの人と同じく「白徒はくと」についてよく知らない。

 白過ぎる肌に青く浮く血管、金色の瞳は強烈な印象を与えてくる。あまり見ない容貌ではあるが、人外と言われても正直腑に落ちない。

 ちょっと珍しい容貌のただの人である、そう言われた方が納得できる。


「何かご不便はありませんか?」


 特に臆することもなくクリスティナが問うと、視線を彷徨わせていたリラは金色の双眸をクリスティナに向けた。

 真っ白な髪が、その動きに合わせて流れるようにさらりと揺れる。


 ついでのように、リラの手が机上のパンを無造作に掴んだ。


「ここの人達は、好きにさせてくれるので助かっています」


 微妙に要領を得ない答えの後で、掴んだパンを口に押し込んでいる。顔の形が変わるほど詰め込んでいるが大丈夫だろうか。


 まあ、問題は無いということだろう。

 この様子だと世話を焼く者が傍近くに控えていないのは、彼自身がそう望んだからなのかもしれない。


 そういえば、リラは男性なのか女性なのか、パッと見ても判別がつかない。

 どちらでもあり、どちらでもないように見える。


「ここの蔵書は、興味深いです」


 咀嚼したパンを飲み下し、低くも高くもない声でそう付け加えたリラは、再び手の中の書物に視線を戻した。


 パラパラとページを捲り、最後まで捲ると本を閉じる。

 特に何の感慨も無い様子で、机の上に積み上げた本の山にそれを加えた。

 書架に向き直ったリラは、並んでいる背表紙に目を走らせその中から本を抜き出し、立ったまま表紙を開き、頭から順番にページを捲っていった。

 その繰り返し。


 およそ「読む」という行為には似つかわしくない速度である。

 しばらくして本を閉じたリラは、それをまた本の山に加えた。


 凶器にもなり得るぐらいの厚さの本を、いくらもかけずに読み終えてしまっている。

 いや、本当に読んでいるのだろうか。


灰白かいはくの大図書館には無い物があります」


 ここの蔵書には、広く知られた内容の本、その写しや原本が多くあるが、中には王都に住まう者からの寄稿本も相当数ある。

 作家本人からであったり、近親者からであったり。経緯などは様々だが、複製本の無いものも多い。

 恐らくリラが言っているのはそういう本のことだろう。


 その間にも、また一冊本の山に加えられた。挿絵の多い子供向けの物語である。

 どうやら難しい専門書のような類から、子供向けの絵本に至るまで、内容については頓着していないようだ。乱読、という言葉が当て嵌まるのかもしれない。


「こちらにある本を、全て、読まれたのですか?」


 遠慮がちに、クリスティナが机の上の本の山を指し示すと、リラが一瞬だけ、それを確かめるように視線を向けた。


「特にその簡素な装丁の本、その研究書はとても興味深いです」


 やはり微妙に的を射ていない答えである。

 リラの人となりなのか、それとも白徒はくととはそういうものなのか、少々浮世離れしているように感じる。


 とりあえず、興味深さを覚える程度には本の内容を把握しているらしいことが分かった。

 もしかしたら本当に全て読んでいるのかもしれない。


 あまり話しかけて邪魔をするのも良くないだろう。

 深くは気にしないことにして、クリスティナはリラの言う本を手に取った。


 確かに簡素である。装丁に使われているのは飾り気の無い無地の紙で、ただ束ねて紐で括り綴じてあるだけだ。

 ぎりぎり本と言える、程度の造りである。


 王家に献上される本は、基本的に凝った造りのものが多い。丈夫な革表紙の本や、布張りで刺繍を施したもの。

 画家や職人が趣向を凝らし、その技術を国に売り込む目的も備えているからだ。


 それなりの厚さがある本を開いてみると、中にはびっしりと文字が連なり、随所に図解が記されている。

 リラの言う通り、研究書で間違いないようだ。


 ページをぱらぱらと捲り、いくつかの文章を掻い摘んで読んだクリスティナは、書かれているその内容に思わず顔を顰めた。


「人間は、面白いことを考えますね」


  リラによる己を人外とする発言も気にならないではなかったが、それより本の内容がおかしい。


「リラ様、この本はこの部屋の蔵書で間違いありませんか?」


「ここにありました」


 リラは今閉じた一冊を本の山に加えながら書架の一角を示した。

 示された場所には、一冊分のスペースが空いている。


 これだけの本に目を通しながら、それが在った場所も記憶しているのかということもちょっと気になる。

 リラと話していると、どうも色々と気になってしまう。


 できることならじっくり話がしてみたいと思うが、この様子だと判断基準などクリスティナの常識では計れないものがありそうだ。

 無知からくる失礼があってはいけないだろう。

 既知であるらしいフィニアスにお願いしたら、場を設けて同席してくれるだろうか。


 いや、それをするとアシュリーも付いてきそうな気がする。


「その作者の本は、その一冊しか見ていません」


 付け加えられた情報に、クリスティナは手の中の本をもう一度見た。

 とりあえず、諸々の好奇心は一旦置いておくことにする。


 問題は、無いのかもしれない。大したことではないかもしれない。ただ本が一冊紛れていただけなのかもしれない。

 だが、大したことが起こる可能性を孕んではいる。


 とりあえず直ぐにできる確認をした後に、兄に報告した方がいいだろう。

 この場合は、適任はルイスの方か。


 フィニアスに報告したら面白がって城の外に飛び出して行ってしまいそうな案件である。

 仕事を滞らせて方々から要らぬ恨みを買うのは避けたい。


 ルイスにしろフィニアスにしろ、今は誰とも顔を合わせたくない。正直気が重いが仕方ない。気まずいなどと言うのは甘えだ。


 リラの手前、溜息は飲み込んだ。


 見つけてしまった以上、無視することは憚られる。

 如何なる場合も、優先されるべきは私心ではない。

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