貞操逆転に気づかず恋人のフリの相談を軽々しく受けまくっていたら、想像以上の修羅場がやってきた。

一ノ瀬るちあ🎨

第1話 花|学科の小動物系

 ひと月前、ワックで女子高生が「彼氏がインポだった」「マジで別れたほうがいいよ」とか言ってた。


 思わずシェイクを飲みはねそうになった。


 世の中には悪い男がたくさんいるのに、花も恥じらう女の子が昼間からなんてはれんちな話を。

 危機感が欠如してるんじゃないですかね?


 なんて、間抜けなことを考えていた。

 今思えば、この時に気づくべきだったんだ。


 危機感の欠如したバカな若造は俺だった。


 あのときの俺に会って、説教をしてやりたい。


「わたしたちの」「アタシらの」「ウチらの」「私たちの」

「「「「誰と付き合う」」」」

「んですかっ?」「のよ!」「つもりなの」「のでございますか?」


 この世界は、貞操観念が逆転しているぞ……ってな。



 貞操観念逆転。

 女性が性行為に積極的になり、逆に男性は奥手になる「もしも」の世界のことである。


 本番までの工程が短いため、紳士諸君らから根強い人気を誇っている。




 ――でも、「据え膳食わぬは女の恥」だとか「浮気は女の甲斐性」なんて世界なんでしょう?

 心配ご無用!


 なぜか、この手の世界では男性の人口が女性より極端に少ないなど・・の理由で、浮気や寝取られはございません!

 どうです? 安心安全の設計でしょう?


 だけじゃないんです!

 なんと女性は元の世界より美貌レベルが高く、そのうえ未通女ばかり!


 そんな素晴らしいパラレルワールドへの移住券が、今ならなんと!

 お値段そのまま19,800円! 19,800円!

 どうです? お得でしょ⁉


「うさんくせぇ」


 大学からバイトに向かう道中のことだった。

 路地をひとり歩いていた俺に向かって、背後からいかにも詐欺師然とした好々爺が迫ってきた。

 振り返った先にいた背中の曲がった老人は一枚のチケットをひらひらさせて、貞操逆転の素晴らしさを力説している。


 バーカバーカ!

 19,800円でそんな童貞の妄想を絵にかいたような都合のいい世界に変わるわけねえだろ。

 こんなあからさまな詐欺にかかるやつなんてよっぽどのアホか間抜けだぜ。


「払っちまった」


 俺はアホか間抜けのどちらかだった。

 一人暮らしはじめたての大学生にとって貴重な19,800円を、あんな見え透いた詐欺師に貢ぎやがって……‼


 くそ! くそっ! くッそぉ‼


 何が「先着一名様限り」だ。

 こんな罠に引っかかる間抜け、俺以外にいるわけないだろッ!

 俺の馬鹿野郎ぉぉぉ!


 駅近くの高架下で、うっぷんを晴らすように拳の小指側をガンガンとたたきつけた。指が痛い。


「はぁ……いや、まだワンチャン残ってるんじゃないか?」


 実は詐欺ではなく、本当に19,800円で貞操観念逆転世界に転移した可能性……!

 後悔を取り消すにはこれに賭けるしかない!


 でも、どうやって確かめれば。

 まさか見ず知らずの女性に「ヤらせてください!」なんて頼むわけにもいかない。

 世界が何も変わってなかった場合、俺の人生がお先真っ暗になるからな。


 ……そうだ!

 あの老人の話だと貞操逆転世界は男女比がおかしいって話だった。

 人通りの多い場所に行って、本当に男女比が変わっているかを確認すればいいのでは?

 俺って天才!




 結論から言おう。


「変わってなかった」


 変わってなかった。男女比ほぼ1:1。

 騙されたのだ! まんまと!


 駅近くの高架下で頭をガンガンたたきつける。

 悔しい……俺、悔しいよ……!


「わわっ、真々田まさなだくん⁉ 何してるのっ⁉」


 聞き覚えのある声に振り返ると、そこに女性が立っていた。

 花守はなもり咲桜さくら

 大学の同じ学科に通う、クリーム色の髪をふたつ結びにした眼鏡っ娘だ。

 天使のようにかわいらしい声が特徴的だったのでよく覚えている。

 

「おでこから血が出てるよ! ほら、見せて」


 ポーチから消毒液スプレーと使い捨てコットンを取り出すと、俺の額にできた傷口を拭ってくれた。

 ちょっと背伸びをしているのが非常にぐっとくるものがある。


「はい! これで大丈夫だよ!」


 最後に絆創膏をピッと貼ってもらったのだが、そのあとの笑顔が強烈すぎた。

 心臓がすごくドキドキしてる!


 やばい、泣きそう。


「わわっ⁉ ご、ごめんね? 急に気持ち悪かった、よね? これまであんまり話せなかったし……」

「違うんだ、違うんだよ……俺、嬉しくて」

「う、うれしい?」


 全力の肯定を示した。

 だってそうだろ?

 かわいいなと思いながらも声をかける機会がなかった女性に名前を覚えてもらっていて、そのうえ優しくしてもらったんだ。

 あなたが天使かと崇めたくなっても仕方がない。


「そ、そっか。えへへ、そう言ってもらえると、わたしもうれしいな」


 おうふ!

 照れ笑いがかわいすぎる……!

 ついさっき詐欺にあったことですさんでいた心が癒されていく。


「で、でも……真々田まさなだくんってカッコいいし、その、彼女さんとかの方がうれしかったんじゃ……」


 やめて……!

 その言葉は彼女いない歴イコール年齢の俺の心に刺さる!


 でも、きっと花守はなもりさんのことだから純粋に優しさから心配してくれたんだろうな。

 カッコいいってのも皮肉っぽさが全くなかったもんな。


 だったら恋人になってよぉぉぉ!

 独りぼっちは嫌だよぉぉぉ!


 なんて、言ったらドン引きされるんだろうな。


 どこまでだ?

 どこまでなら踏み込んでも許される?


 彼女いないですよー、フリーですよーってアピールするくらいまでなら許されるか?

 キモがられないギリギリのラインはどこだ?


「ははっ、そうだね。彼女がいてくれたらよかったんだけどね」


 ぴくぴく。

 花守さんの耳が小動物のようにビートを刻む。

 少し開いた口は閉じられず、目は大きく見開かれている。


 やばい⁉

 踏み込みすぎた⁉


「ごめ――」

「あ、あの――!」


 俺が謝罪の言葉を告げようとするのと、花守はなもりさんが口を開くのはほとんど同時だった。


「えっと、真々田まさなだくんは?」


 やらかした。先手を打たれた。

 そんな愛くるしいしぐさと消え入りそうな声で言われたら「お先にどうぞ」と言わざるをえないでしょうが!


「俺は、あとでいいよ。花守はなもりさんは?」

「う、うん。実は今度の日曜日に、サークルのみんなと遊ぶ約束をしてるの。それで、その、わたし、彼氏いないのに、彼氏がいるって言っちゃって」

「え? 大ピンチじゃん」

「そ、そうなの! だから――」


 力強いまなざしが向けられる。

 ……え? 俺?

 と、自分を指をさしたらこくんと頷かれた。


「恋人のフリだけでいいから――! わたしと1日だけ、付き合ってください!」


 ……スゥ。

 フリかぁぁぁぁぁ! フリだけかぁぁぁ!

 なんだろうこの気持ち。

 嬉しいと悲しいが一緒に来た。

 俺はどっちの感情を優先すればいいんだッ⁉


 よし、喜ぼう。

 始まりは偽りでも、いつか本当になるかもしれないからな。

 ポジティブに行こうぜ俺!


「もちろん!」

「えへへっ、うれしいなっ」


 花守はなもりさんはにへらと顔をほころばせた。

 守りたいこの笑顔。


「えっと、もしよかったらなんだけど、連絡先交換しない? 真々田まさなだくんとはまたお話ししたいし」

「いいの⁉ こっちからお願いしたいくらいだよ!」

「ほ、ほんとう⁉」


 俺の脳内にファンファーレが鳴り響いた。

 Linearリニアの9Rコードを開く。

 すると花守はなもりさんはすっと距離を詰めて横に並んだ。ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。


 多分、向きをそろえないと9Rコードを読み取れないと思っているんだろう。

 実際にはどの向きでも読み取れる仕組みなんだけど、体が触れ合うこの距離は捨てがたい……ッ!

 よし、俺も知らなかったことにしよっと。


「やばっ! ごめん花守はなもりさん俺もう行かないと!」

「何か用事があるの?」

「うん。バイトなんだ、これから」


 友達登録を済ませたスマホを片手に、もう一方の腕で手を振って、慌てて駅のホームへ駈け込もうと走り出した、その刹那。




 ――逃がさないからね?




 身の毛がよだつ。皮膚細胞が開く。

 背筋に流れるのは、気のせいでは済まない量の冷や汗。


「どうかしたの? 真々田まさなだくん」


 思わず立ち止まり、振り返った。

 だが、不吉を感じた方面にいるのは、キョトンとした愛くるしい表情を浮かべる花守はなもりさんだけ。


 ハッ⁉

 まさかどこかに不審者が潜んでいる⁉

 狙いはもしや花守はなもりさんか?


 く……っ!

 できるならそばにいてあげたい。

 だけど、俺の直感なんて曖昧な理由でバイト先に迷惑をかけるわけにもいかない。


「あ、いや。もし怪しい人に声をかけられたら、遠慮なく頼ってね。絶対に……駆け付ける」

「~~ッ⁉ ひゃ、ひゃいっ」


 花守はなもりさんの手を両手で包み、俺は宣誓した。

 とたん彼女の顔が真っ赤に染まる。


「またね! 花守はなもりさん!」


 俺は再度手を振り、改札を抜けた。




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あとがき-postscript-

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