斜陽勇者の冒険譚

さるの本領

第一章 酒場の与太話

 どのような勇者であってもその栄光はかならず沈んでいく。

 彼らはたしかに魔王を倒し、人間に平和をもたらしたといわれている。されども、その後の彼らについて語る者は多くない。みなは一様に彼らの栄えある冒険譚を語りたがるも、彼らの行く末を知る者はあらず、これは何故だ。

 理由は簡単だ。

 彼らはほどなく、杳として彼らの行方は絶たれてしまったからだ。当然ながら、その理由を知る者はいるよしもなく、語りたくても語れないというわけだ。

 なかにはでっちあげをそれっぽく詩にして吟じる商売をするという恥知らずもいたものだが、信憑性のほどはしれるだろう。しかし、誰もそれを証明することができないのだから、品のない好奇心で絵空事を詠う者の話であっても、まるでだれもが花の甘い蜜の誘惑にかてぬように、みな興をそそられて一応耳は貸すのである。

 そうはいっても、しょせんは浅ましい好奇心で描かれた眉唾物、そのどれもがとるに足らぬほどのばかばかしいものであり、しまいには聞く者をがっかりさせるまでが話の一環だとまで言われる始末である。

 世に広まった下馬評を例にあげようものなら枚挙にいとまがないが、やれ、彼らは魔王を倒したのちに各所に散らばって守護霊になっただの、魔王を打倒したさいに討ち違えたやら、ひどいものでは、魔王を倒した功績が神に認められたため、平和をもたらす神々の傘下に加わった、という荒唐無稽な話まであるからおもしろい。

 さて、そういう下世話にもみなの関心を引く物語たちであるが、近ごろ世間では妙なことが語り草になっている。

 なんでも一風変わった勇者の後日談をする者があるといい、それが何やら巷を騒がせているというのだ。

 そのお話は、世間で口伝されているような快活で華々しいものではなく、腹の底にイカ墨のようななんともいえぬ黒いものがひろがるような、あるいは口当たりの悪い後味をかみしめるような、はたまた、質の悪い酒がもたらす忌々しい二日酔いのような、どうも腑に落ちない心地になるものであった。しかし、その奇怪な内容は今まで喧伝されているどの噂話とも違って、新鮮かつ妙になまなましいこともあり、真偽のほどはともかくとして、みなの興味をいっそうそそったのはいうまでもない。

 そういう変わった話をする者は、よくごろつきが集まる酒場に飄々とあらわれては、甘ったるそうなカクテルを舐めながら、揚々と例の後日談をまわりに語って聞かせるのだ。

 はじめこそ誰も相手にはしなかったものの、話の内容があまりにヘンテコでおかしく、それでいて不思議な魅力をおびており、いつしかみながその者が語る話を欲しがるようになった。

 さて、この語り手だが、この者は各地を転々としながら旅をする、どこにでもいるような冒険者であるらしかった。特になにをするでもなく、風の向くままにふらりと世界を見てまわっているのだというのだから、いよいよ怪しいものである。

 この冒険者がいったい何者で、どこからその話を仕入れたのだろうか。

 私はこういう冒険者のうわさを聞いて、なんだかコンタクトが取ってみたくなった。

 普段は横のものを縦にすることすら億劫な新聞記者である私であっても、こうした話を聞くと取材をせずにはいられないのは、やはり記者としての無粋ともいえる習慣さがなのだろうか。

 ひとつそいつに会って、真相をきいてみようじゃないか。重い腰を上げて治安もへったくれもない酒場へ意気込んで来てみたはいいが、あきらかに場違いはなはだしかった。

 酒場はむさくるしい頑健な男どもとひどい喧騒でごった返し、ひっきりなしに口汚いオーダーが飛び交っている。セックスシンボルを誇張した制服姿のウェイトレスたちも、負けじと男どもの言葉敵となってオーダーを受けつつ、料理やら酒やらを各々のテーブルへと気忙しく放っていく。カウンターの向こうには、気弱そうな男がせっせと料理を作っていて、その傍らでオーナーの妻とおぼしき中年ぐらいの女性が酒を注いだり、完成した料理をカウンターへと無造作に並べては、何やらウェイトレスたちに叫んでいる。

 口角にたまったエールの泡を飛ばし、危うい面魂をぶつけ合う男どもの隣に席を取ったことを後悔しつつ、私はそこらをうろついているウェイトレスを掴まえて適当に注文を取る。

 振りまく愛想ももはや枯れ果ててしまったのだろう、ウェイトレスはたいそう無愛想に注文を聞くとそそくさと去っていてしまった。

 それからまもなく、私の元へ人がやってきたので、頼んだ物がきたのかと思い顔を上げると、そこにはウェイトレス、ではなくある一人の冒険者があった。

「あらお姉さん、あまり楽しそうじゃないね」

 この耳を覆いたくなるほどの喧騒でも、よく通る、澄んだ心地の良い声をしている。

「ええ、まあ」

 私は適当に頼んだカミヤシ草のマスタード和えをつつきながら答えた。ほろ苦いカミヤシ草原の味と、甘酸っぱいマスタードが口に広がる。

「ここ、座っても?」

 その冒険者は私に訊ねてきた。

「ナンパでないならね」

 と、返事をしようとしたのだが、相手は私の回答を待たずして、私の前へと腰を下ろした。

 まわりを見ても空いている席といえば、ここぐらいだったので仕方がないといえば仕方ない。私は冒険者の行いを咎めることはなかった。

 本当は例の語り部に来て欲しかったのだけれど、この際もう誰でもよかった。このせわしない賑わいの中でぽつんとしているのも、なんだか寂しかったし、冒険者にでも座ってもらわないと、この和え物を食って早々に出ていくつもりだった私の心を、これ以上、引き留めておけなけそうにない。

「あまり見ない顔だけど、あなたはどこから来たの?」

 冒険者が私に訊きしなに、如才なく気忙しく酒場を回るウェイトレスをつかまえた。冒険者はエールを二つ注文し、これは可愛いお姉さんへのおごりだよ、と付けくわえた。

「私は郊外から。普段はこういうところに来ないんだけれど、今日はちょっと用事があってね。あなたは?」

「こっちはマルベリーナから最近ここへ来たんだ。郊外ってことはこの街の出身か。いやぁ、こんな美人がいただなんて驚きだ。もっと早く知りたかったな。それで、用事ってなにさ?」

「うん、なんでもこの酒場には変な語り部が現れるって話を耳にしてね。気になって来てみたんだ。けれど、私、こういう喧騒がすぎるところはどうも苦手でさぁ。やっぱり来るんじゃなかったよ、もう帰ろうかな」

「おいおい、そんな寂しいこと言いなさんなって! この出会いに乾杯しようじゃないか。それにしてもその語り部とやらは隅に置けないなぁ、こんな美人に追われるだなんて! 羨ましいかぎりだ」

 そこでエールを二つ持ってきたウェイトレスがやってきて、我々の前へ無造作に置いて去っていった。冒険者はさっそくエールをひっつかんで豪快にあおった。私もそれにしたがってエールを口の中へ注ぎこむ。麦芽の独特な匂いと渋みが、たちまちぐっと鼻を突きさし、口内から喉へ向かって暴れるように流れていく。どうにもこの味は好きになれない。元来、酒を好む性質ではないことも、私の心がこの場所を敬遠したがる理由のひとつなのだ。

 冒険者はそんな私の様子を察したらしく、実は自分もエールが苦手なんだ、とはにかんで言った。

「ちなみにその変な語り部っていうのはどういう話をする奴なんだ?」

 冒険者はなにやら聞きなれない酒をウェイトレスに注文しつつ、私にこう訊ねた。

「よくある勇者のほら話だよ。でも、そいつはみんなが話すような神話的な支離滅裂なものじゃなくって、もっとこう……リアリティがあふれているというか」

「へぇ」

「そんな変わった話をする人、興味湧くじゃない? それに、新聞記者としてもこうした面白い話はしっかりチェックしないと」

「あなた、ジャーナリストなの?」

 冒険者の眼になにやら好奇の色がうかぶ。

「ええ、まあ。そうはいってもそれほど立派なものじゃないけどね。ただのしがない新聞社勤めの記者だよ」

「そうなんだ。でもそんな仕様しょうもない話、新聞に載せるほどなの?」

「この街はあんまり話題がないから、書くことなくて困ってるんだよ」

 そうは言ったが、実際のところは私の食指が動くネタがないだけで、今回の話題はたまたま関心をそそられたまでのことだ。たいそう億劫がりな私はこういうことがない限り、取材に出ようなどと考えもしない。

「そうかそうか、そりゃ困ったな」

 冒険者は腕を組んで大仰にうなずいて見せる。そこへまたウェイトレスが来て、きれいなグラスに入った酒をゆっくり置いて、それぞれ私たちの前へ丁寧に差しだした。差し出された酒は、白と青の絶妙なコントラストが美しく、グラスのなかでは小さな泡が氷のまわりを楽しそうに踊っている。

 どうやらその酒はなにかのカクテルらしかったが、私は酒には明るくないので、それが何であるかはわからない。

「そんなに困っているなら話してあげようか?」

 冒険者は私に意味深長な目配せを走らせ、おもむろにグラスに口をつけた。やっぱりこちらの方がしっくりくる、と呟く。

 私はそこではっとして冒険者の顔を見直した。

 酒場へ飄々と現れてカクテルを呑む冒険者。……

 はしなくもやってきたこの数奇なる出会いに、私の胸がにわかに踊り出す。

「そうしてくれると助かるなぁ」

 私は冒険者の口元を見守りながら、目の前のカクテルを口へ運んだ。白ブドウのさわやなか香りと、シロップの甘みが炭酸に乗って口の中を爽快にはじける。まるでブドウの芳醇な香りを伝える山風に吹かれたような快い心地に包まれた気分になってくる。なんのカクテルかは知らないが、これなら私も飲めそうだ。

「美人のリクエストとあらば、なんなりと」

 冒険者はにっこりと笑った。私は微笑み返してうなずき、先を促した。

 冒険者が遠い眼をしてカクテルのグラスを舐めながら言葉を吐くと、たちまち酒場はカクテルの馥郁とした甘い香りのただよう淡い霧に包まれていていき、陶酔境にも似た霧の幻のなかに、何やら影のようなものが浮かび上がるのが見えた気がした。

 周りをひしめいていたがやも急に遠のいていき、まるでこの酒場に私と冒険者の二人しかいなくなったかのような、奇妙な感覚に陥る。

 冒険者曰く、彼らについての消息を知る者が誰一人いないという話だが、実はそうでもないという。

 ひとりだけ、彼らの足跡を辿ったものがいる。いや、辿るというよりは因果の類に近いだろう。その者は勇者にいわば深讐綿々たる思いを抱いていた――。

 その物語が当然みなに語られるわけはない。語ったところで誰も聞く耳を持たないだろう。現に、この酒場で幾度か語ったが、皆、熱心に聞きはすれど、まともに受け取る者は誰一人いなかった。

 世界を救った勇者が、感謝されこそすれ、恨まれるいわれなどないのだ。

 大衆が望むのは輝かしい栄えある彼らの痕跡と栄華。

 しかし、実際そこにあるものはそんな美しいものではない。実に泥臭くて陰鬱で、暗いため息がでるものばかりなのだ。

 まばゆいほどの希望に満ちた勇者もいつか沈む。燃え尽きた紅の陽が水平線に溶けるのように、勇者もまた落日する。

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