木槿国の物語・夏は楽しく

高麗楼*鶏林書笈

 入道雲

 空を見ると入道雲が盛り上がっていた。

「今夜、郊外に出掛けるのに雨降りは嫌だな」

画員の妻が呟くと間もなく空が曇り雷声が轟いた。続いて大雨が庭を襲った。

 だが、一時もせずに上がり、真っ青な空になった。

「今日は七夕、天も無粋なことはしないのだろう」

 妻はにっこりとして外出の支度を始めた。


 緑陰

 緑陰の山道を画員夫婦はのんびりと歩いていた。

 星が一番よく見える場所で七夕を過ごそうと出掛けたのである。

「あと、どのくらいかかるの?」

 妻が疲れ気味の声で聞くと

「もうじきだよ」

と画員が答えた。

 まもなく城址に着いた。

「なんだ、ここなの」

 妻はつまらなそうに応えるのだった。


 黄昏

 日が沈み始めた頃、旧城の跡地に来た画員の妻は影を見た。人ではないのは確かだが妖かしでもなさそうだ。

「何だろう」

 妻が呟くと

「ここの住人さ」

と画員が応えた。

「視えるの」

「いや」

 ただ妻の言葉から推測って適当に言っただけだった。

「だろうと思った」

 妻は感情の篭らぬ声で応えた。


 幽暗

 幽暗に包まれた廃城は幻想的だった。

 画員の妻は、かつて、ここが繁栄していた頃のことに思いを馳せた。

 その時、気配を感じた。暖かく邪気のないものだった。

-ここにいた人々は、この世に未練なく、あっても既に浄化されて、今は彼岸で安らいでいるのだろう。

 妻の心も自ずと暖かくなっていった。


 さらさら

 風に乗ってさらさらという音が聞こえた。

「何かいるのか」

 画員が少し怯えた声で妻に訊ねた。

「いないわよ」

 妻は少し離れた古びた石塔を指した。砂粒が舞っているのが見えた。

「あの石塔もかつては立派だったけどなぁ」

 画員が言うと

「歳月の流れには勝てないものよ」

と妻が応じた。


 謎

「天に張り弓って知ってる?」

 暗くなり始めた空を見上げながら画員の妻は夫に訊ねた。

「三日月のことだろう、昔の有名な謎々だよね」

「でも私は鎌の方が浮かぶんだよね」

 妻が答えると画員は頼まれていた庭の草刈りをまだやっていないことを思い出した。

「明日やるよ」

 画員は決まり悪そうに応えた。


 天の川

 夜空を見上げると星々が川を成していた。

「今日は七夕かぁ」

 画員が呟くと妻は

「一年に一度の逢瀬の夜ね」

と機嫌よく応じた。

「今年は舟で川を渡るんだろうな」

 天の川のほとりに三日月が浮かんでいた。

「うん、鵲の仕事はお休み」

 こう言いながら妻は、自分も休暇中だったんだと思わず笑った。


 線香花火

 天の川から王宮方向に視線を転じた画員の妻は

「花火が見える」

と叫んだ。

「王宮の七夕の宴で上げているんだろう」

 画員が応じた。

「小さくて線香花火みたいね」

「ああ、こういうのもいいもんだなぁ」

 画員の妻は、夜空に浮かぶ小輪の光る花を脳裏に刻み込んでいた。後で紙上に再現するために。


 短夜

 帰り道、東の空が白み始めた。

「早いものね、もう夜が明けて来た」

 妻が呟くと画員が頷いた。

 夕涼みをしに荒城に来た二人は、散策し、花火見物もし、飲食をして楽しい時を過ごした。

「明日から仕事か‥」

 妻の疲れたような言葉に

「絵を描くのは楽しいだろう」

と画員が応えると妻は笑顔になった。


 ひまわり

 使用人がきれいに草取りをした庭の一角にひまわりが咲いていた。

 妻が好きだというので植えたものだ。

「この花はあいつに似てるなぁ」

 画員は思った。

 明るくて逞しくて‥、ただ大輪の花に対して茎が心許ない。

 そう、彼女も、時々、折れそうになる。そんな時は自分が支えてやるんだ、夫として。

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